第一次赤山の戦い

帝国軍VS赤山連合軍


赤山公園の領有権問題を昔から抱えていた両国は、公園付近で激しい睨み合いが続いていた。
そんな中、赤山連合は我が帝国陸軍に砲撃してきたのだ(帝国の言い分)帝国は赤山連合に戦線布告した。

戦いの序盤、戦闘は膠着していたが、数日後、帝国の機甲師団が到着、彼らの戦闘教義の通り各戦線で敵防御陣地の突破を成功させる。この頃、赤山連合は装甲目標に対して有効な兵器は有しておらず、(大砲はあるが…)消耗を恐れた連合軍はすたすたと撤退、帝国は一気に戦線を押し上げることに成功した。
しかし、市街地に入るにつれ、機甲師団の消耗が激しくなり、歩兵による大規模で広域的な反撃を受けてしまう。
特にアリア戦線の方は消耗が酷く、ファジョ要塞までの撤退を強いられることになった。そしてまた戦線は膠着した。
この惨状を打開するために帝国は機甲師団の補給を急ぐと共に、大量の爆撃機を狩りだし戦術的な爆撃任務につかせた。
しかし多くの爆撃機は型遅れの一式爆撃機であった。最新型の二式爆撃機は設計上の問題を抱えており、多くは生産されていなかった。三式爆撃機はまだ研究中だ。型遅れの一式爆撃機の大量投入は苦肉の策であった。

この爆撃作戦にそこまで自信のなかった帝国であるが、連合軍が予想以上に戦闘機を保有していなかったので、敵の歩兵は壊滅。
しかしこちらの兵も前の反撃で消耗、士気の低下が見られていたので、攻勢に出ることは出来なかった。
そして三日後、両軍は白紙和平。
他の国から振り出しに戻ったなどと言われていたが、両国がこの戦いを通して得た教訓は多く、非常に貴重な物であった。
最終更新:2016年07月03日 04:13