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私たちは『芸術作品および文学作品、文化的作品の保護に関する法律』(略称:「芸術作品保護法」)の制定を求めます。

~芸術・文学・文化の保護と表現規制の撤廃を求める運動にご協力下さい~

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3.解説

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3-1.芸術・文学・文化を守るための運動である

 当運動は芸術・文学・文化を守るための運動であり、「ポルノ」を守るための運動ではありません。
 「ポルノ」を守りたい人は自分でそのための運動をして下さい。

 「芸術作品ではなくポルノを守れ」などと言う要求に私たちは一切応じません。
 この様な事を言いに来る者に対する私たちの回答は「それぐらい自分でやれ!甘ったれるな!!」であり、今後もこの回答が変わる事はありません。

 自分で何をする訳でもなく、横柄な態度で「ポルノを守れ」などと言っているだけの者を甘やかす道理はありません。
 私たちは自分の力で戦う人を支援することはありますが、自分で何をする訳でもなく、ネット上で文句を言っているだけの者のために何かをすることはありません。
 役に立たないお荷物は切り捨てるだけです。

 「自分はポルノを守る運動をしているので支援してください」
 私たちに相手にして欲しいのであれば、こう言いに来ることです。

 私たちがポルノを守る運動を支援することはあっても、私たち自身がポルノを守る運動を主催することはありません。
 同様にして、私たちがポルノを守る署名に署名をする側になる事はあっても、署名を集める側になることはありません。

3-2.芸術作品、文学作品、文化的作品以外の創造物規制の問題に一切の関わりを持たない

 当運動は芸術・文学・文化を守るための運動であり、それ以外の創造物を守るための運動ではありません。
 それ以外の創造物規制の問題を解決したい人は自分で解決して下さい。
 芸術・文学・文化の保護と表現規制の撤廃を求める運動ではそれ以外の創造物規制の問題に一切の関わりを持ちません。
 尚、これは実在する一個人の利益を損なう創造物以外を規制することを容認するものではありません。

3-3.当運動が「ポルノ」を守る運動に変わることはない

 当運動は「ポルノ」を守るための運動ではありませんが、架空の児童が登場する創造物を規制することを容認する運動ではありません。
 しかしながら、ポルノ規制反対派の出方によっては、私たちは当運動をポルノ規制を推進するものに変更した上で、ポルノ規制賛成派側に付くことになります。
 私たちは今後も「ポルノ」は一切守りません。
 当運動がポルノ規制を推進する運動に変わることはあっても、「ポルノ」を守るための運動に変わることはありません。

3-4.刑法175条の実質的な全廃は求めない

 ポルノだけを守るのであれば、「芸術作品」と「ポルノ」を同一視したまま、刑法175条(わいせつ物頒布罪)の実質的な全廃などを行えば事足りるのかもしれませんが、それでは芸術作品を守る事はできません。
 刑法175条による規制だけでなく、児童ポルノ禁止法による規制も受けないようにしない限り芸術作品を守った事にはなりません。
 刑法175条の実質的な全廃はポルノを守る事にはなっても、芸術作品を守る事にはなりません。
 芸術作品を守るには「芸術作品」は「ポルノ」ではないものとした上で児童ポルノ禁止法による規制も受けないようにする必要があります。

 結局の所、「芸術作品」を守るとは「芸術作品」は「ポルノ」ではないものとすると言う事です。
 それ以外に「芸術作品」を守る方法はありません。

 刑法175条の実質的な全廃は芸術作品を規制の対象から外してから行えば良い事です。
 そもそも、現状の社会情勢を見る限り、刑法175条の実質的な全廃は不可能です。
 芸術作品を規制の対象から外す所までが現実的です。

3-5.場当たり的なやり方ではいずれ行き詰る

 これまで児童ポルノ禁止法改正案のような日本の芸術、文化を破壊する規制が検討される度に規制に反対する側の私たちは、その都度、陳情や署名を行い規制と戦ってきました。
 しかし、この様な規制論が巻き起こるたびに場当たり的に規制に反対するだけのやり方だけではいずれ行き詰ることは明白です。
 今日のこの危機的な状況にしても、これまで私たちが場当たり的な事ばかりを繰り返してきた結果として招いてしまったものです。
 計画も戦略もなしに右往左往しているようでは守れるものも守れません。
 これまでの私たちには計画や戦略が欠けていました。
 この先、日本の芸術、文化を守り続けて行くことを考えるであれば、場当たり的規制に反対するだけのやり方から脱却し、もっと戦略的に行動する事と、もっと新たな戦い方を模索していく必要があります。
 その戦い方の一つとして、私たちは当運動を行っています。

3-6.真正面から戦いを挑まない手もある

 また、現在改正が検討されている児童ポルノ禁止法と言う法律はそれ自体が改悪に反対しづらい法律であり、「児童ポルノ」と聞いただけで反射的に表現規制に賛成してしまう人もいます。
 児童ポルノ禁止法という法律は真正面からは改悪に反対しずらい法律です。
 しかし、真正面から戦いを挑みづらいのであれば、側面に回り込んで戦いを挑むと言う手もあります。

3-7.「ポルノ」を守ることは推奨されない

 何かに疑問を感じたのであれば、自分の頭でそれを解決するための具体的なアイディアを考え、そして自分の力で出来る具体的な行動計画を立て、社会に対して支援を求める。
 これがあるべき姿であり、これができて当たり前と言えます。
 しかし、自分で何をする訳でもなく、誰かに問題を解決してもらう事だけを考え、やっている事と言ったら横柄な態度で誰かにポルノを守れと命令しているだけ、これがポルノ規制反対派の実態です。
 このような者たちは戦力にならないどころか、お荷物でしかありません。
 ポルノを守ろうとした場合、ポルノ規制賛成派が敵に回るだけでなく、余計なお荷物まで付いてくることになります。
 これは到底、推奨されるものではありません。
 ポルノとセットでそれ以外の創造物を守ろうとした場合、守れるものまで守れなくなる恐れがあります。

3-8.「芸術作品」と「ポルノ」をセットで守る運動をすることにメリットはない

 当運動は芸術・文学・文化を守るための運動であり、「ポルノ」を守るための運動ではありません。
 根本的に「芸術作品」と「ポルノ」をセットで守る事にはなんのメリットもありません。
 また、「芸術作品」と「ポルノ」をセットで守ろうとすると行わなくてはならない作業が無尽蔵に増えることになります。

 芸術を守るには
 1.芸術作品の被写体となる事が現実に存在する子供の利益を損なわない事を証明する
 2.芸術作品はわいせつ物でないことを証明する
 必要があります。

 そしてポルノを守るには
 1.ポルノが社会公益を損なわないことを証明する
 2.刑法175条(わいせつ物頒布罪)をほぼ全廃する
 必要があります。

 芸術とポルノを同時に守ろうとすると上記4つを同時に行わなくてはならないことになります。
 しかし、守る対象を芸術に絞るのであれば2つを行えば良い事になります。
 上の4つを同時に行う自信のある方は、どうぞ行って見せてください。
 私たちには不可能です。

 ポルノを守るのであれば「芸術作品の被写体となる事が現実に存在する子供たちの利益を損なわない事を証明する」必要はありません。
 また、芸術を守るのであれば「刑法175条(わいせつ物頒布罪)をほぼ全廃する」必要もありません。
 芸術とポルノを同時に守ろうとすると、それぞれに不要な事を行わなくてはならないことになります。
 芸術とポルノを同時に守る事にメリットはありません。

3-9.トップマネジメントの点から考えても「ポルノ」を守る運動は行わない

 トップマネジメントの点から考えても私たちが「ポルノ」を守る運動をする事はありません。
 芸術・文学・文化を守ることが私たちの役割であり、「ポルノ」を守ることは私たちの役割ではありません。

 日本が抱える表現の自由を脅かす問題は山ほどあります。
 それら全ての問題を一人の人間、一つの組織が一度に解決する事は不可能です。
 そうである以上、私たちは解決しやすい問題から順番に一つずつ解決し、守りやすい所から順番に強固な防御障壁を築き上げて行く必要があります。

 「全ての問題を一度に全て解決する」そんなことができると思う人は、どうぞやって見せて下さい。
 私たちには不可能です。
 私たちはそれを行いません。

最終更新:2012年04月02日 23:18