僕はオーガスト様を地上の星だと思っているし、そう公言するのにも一切躊躇わない。彼女こそが、それ以外の何でもない唯一の女性だ。
この意見には各方面から多くの賛同と異議を受けたが、それでも僕の考えが変わったことは、彼女に出会って以来、ただ一度だってない。
明るい性格であるが、決してがさつではなく、むしろ繊細であり、それでいて奔放、しかし無思慮ではなく、大人びた一面も持っている。
それがオーガスト様だ。それが僕の地上の星だ。きらきらと輝くもの。触れなど出来ないし、抱き締めたりなんてまさか考えもしないが、
少しばかり遠くからだったとしても、ずっと見ていたいと思わせる女性。ああ、多くの人は彼女を女性でなく精々が女子、人によっては、
幼女だと言うが、外見年齢に起因する単純な区別は何の意味も持たない。だから、それを理由にした僕や僕の同志たちへの誹謗の言葉は、
的外れである。彼女は女性だ。一人の、傷つき易く、笑顔の素敵な、立派な女性なのである。その歩く後姿を見ているだけで、僕の心が、
うきうきしてくるのを何度感じたか。彼女の楽しそうな微笑みに、彼女の物憂げな表情に、何度心打たれたか。彼女は自身が尊敬する姉、
エイプリル様を見習い、少なくとも普段は貞淑で慎ましやかであることを自らに律していたが、お腹を抱えて笑い転げる姿を見た時には、
僕も訳が分からない内に楽しくなったものだ。笑う、ということにはそれだけの力があるし、それがオーガスト様のものなら尚更だろう。
ここで一旦、話を変える。オーガスト様について語ることを止めるのは残念だが、物事の優先順位は、極めて厳密に守られねばならない。
最近、僕は個室を手に入れた。それは一介の兵には贅沢だから、僕は僕が生きてる間にそれを手に入れることはなかろうと考えていたが、
様々なことがあって、僕は色々な人からお褒めに預かるようなことをやり、その褒めてくれた人の中に十二姉妹もいて、彼女たちは僕に、
この褒賞が適切だろうと言って、個室の鍵を渡してくれたのである。詳しい顛末は、述べていたら文庫本数冊分にはなるので省くとする。
重要なのは、『鍵があり』『隔絶された』『防音の』個室を手に入れられたということなのだ。しかし、これすら重要度は二番目になる。
遂に本題に入れそうだ。一番に重要なこととは何か。ここでようやく、冒頭で述べたオーガスト様の話が生きて来るのである。彼女、だ。
重要なこととは、彼女が僕の部屋に度々遊びに来ることなのだ。十二姉妹が兵士の個室に遊びに行っているという噂は、耳にする経験が、
少なくはなかった。大抵その噂に出て来る十二姉妹はオクト、ノヴェ、ディッセ様の三人であり、去年か一昨年には何とまあ驚くことに、
淫行に及んだとか何とか。行きつくところまで行きついてしまう前に、セプ様の銃剣と説教を伴う介入があり、出血は避けられたそうだ。
因みに何処からの出血か言うのは野暮である。この話は置いておくとして、噂が僕の個室を舞台に現実化したことは、ノミの心臓の僕を、
全くの事実、すんでに殺す破目になるところだった。初めて彼女が来た時、三度の軽いノックがあって、上品な奴もいるもんだと感心し、
同じ隊の仲間の誰が来たのだろうなどと考えつつ、僕はドアをぱっと開いた。この時、ちゃんと覗き窓で相手が誰かを確認していたなら、
僕の心臓が喉元までせり上がって来て気道を塞ぐようなことは、絶対に起こり得なかっただろう。覚悟のない状態で彼女の訪問を受けて、
取り繕えるほどには、僕は人生経験に恵まれていないのである。オーガスト様は、顔面蒼白に変わり行く僕の前で、にこにことしていた。
が、やがて彼女も訪問先の異常に気付き、慌てて入ってくると、彼女が思いつく限りの手当てを施そうとした。それがまた良くなかった。
彼女の行為自体は正しかった。例えば彼女は僕を椅子に腰掛けさせて背をさすった。これが実に効果覿面で、僕は死線の向こう側を見た。
そのまま、危うく人間的成長をオーガスト様に遂げさせるところだったが、しぶとくないと姉妹兵はやっていけない。僕は無事、帰還し、
オーガスト様に何かあったのか訊ねた。緊急動員にしてはのんびりしてるし、ぴりぴりした雰囲気もなかったから、分からなかったのだ。
無論先に言った通り、彼女は遊びに来ていたのだから、オーガスト様の返答はそれに沿ったものになった。僕はもう一度死ぬかと思った。
でも、彼女は遊楽を求めてここに来たのだ。僕がここでくたばってどうする。楽しんで帰って頂きたい。そう考えると、元気が出て来た。
しかしこの僕、生来そこまで遊びにこだわったことがない。マーチ隊の連中は遊びながら人生やってる感じだが、僕は読書をすることや、
映画を見ることで、人間に必要な栄養の一つ、楽しみを摂取して生きて来た。オーガスト様は、果たしてそれを楽しんでくれるだろうか?
少し心配ではあったが、間もなくそれは杞憂だったと分かった。僕とオーガスト様はすぐに、映画と小説を通じて、とても仲良くなった。
勿論、僕と彼女の間で意見が違うこともある。僕がある映画について感動的な純愛で良い映画だと言っても、彼女の方ではしかしながら、
物語の展開上、仕方ない理由にしろ、男の方が死んでしまったという理由によって、良くない映画と評したり、ということだってあった。
それでいい。僕は僕と一文字も違わない同じ感想を持つ相手に出会ったら、そいつとは一緒に映画を見ないだろう。他人の考え方を知り、
多角的な捉え方を身に付けることが出来る、それが感想を言い合うことの良さだ。それに、何か一つについて、語り合うという行為には、
僕の個室の中で行われているということも相まって、非常に排他的な世界……つまり僕と彼女だけの世界を構築する作用が存在していた。
僕たちは決まって毎週、決まった一日の決まった時間、僕の部屋に置いてある大型テレビに目を釘付けにし、音響機器から鳴り響く台詞、
効果音、音楽に酔いしれた。たまたま映画の気分ではない時は、僕のベッドの上で、二人で本を読んだ。テーブルはあったのだけれども、
椅子が二人分なかったのである。これは備品の不足としてエイプリル様に連絡が行き、随分と後になってから搬入されたが、結局彼女は、
僕の部屋に来て本を読む時はベッドの上で、という、行儀は悪いが可愛らしい習慣を変えることはなかった。それはまた別の話だけれど。
僕と彼女はまた、目を皿のようにして細部をじっくりと見るべき映画のみならず、何も考えず、頭を空っぽにして見るような映画も見た。
B級映画の大半が、彼女にとっては面白いものだったらしく、僕のB級映画コレクションの山は、次から次へと彼女に制覇されて行った。
その頃になると僕も無礼にならない程度に遠慮しなくなり、彼女も今まで見せたことのない態度や表情を見せてくれるようになっていた。
例示するなら、ある日、おやつにカップのアイスを食べた時のことだ。彼女は映画に熱中しながら食べていたものだから、スプーンから、
溶けたクッキー&クリームのアイスが落ちてしまった。それに気付いて余計に慌てたオーガスト(二人の時はもう様はいらなかった)は、
カップ丸ごとひっくり返してアイスを撒き散らし、服と髪から甘い匂いを漂わせることになったのだ。僕がこの時、見たものは二つある。
白くべたつくものが顔に飛び散り、眉を寄せて、それを指ですくって舐め取るオーガストの姿。これが一つ。染みになりそうな彼女の服。
これが次の一つ。十五分後には、僕は自分のYシャツを彼女に着せていた。脱いだ服は、責任を持って僕が、彼女の前で染みに対処した。
別に彼女の前でやらなくとも良かったのだが、一人でやったら僕も僕が何をするか分からない。深呼吸とかしてしまうかもしれないのだ。
無垢なオーガストを穢すようなことをしてしまったら、僕は冷静になった時に耐えられず、その日の夜の内に、自殺をしてしまうだろう。
服に落ちたアイスを捨て、染みの部分を探した。幸運なことには、大きいのは一つあるだけで、後は点々と散っているだけのものだった。
粉末洗剤を取って来て貰いたかったが、彼女の姿を考えたなら、そうも行かない。染みの下にタオルを敷き、固く絞った布で上から叩き、
下のタオルに汚れを移しておいてくれ、とオーガストに頼むと、僕は部屋を出た。洗剤を持って帰って来ると、敷いたタオルを裏返して、
まだ綺麗な方を当て布として使い、染み抜きした。べとつく部分を粉末洗剤に吸い取らせ、後は中性洗剤を含んだタオルで叩いてやれば、
染みが出来てすぐなので、見ても分からない程に落ちた。その後、良く絞ったタオルをもう一回使って、洗剤を拭き取った。それだけだ。
僕がやったのはそれだけだったのだが、オーガストには、これがどうやら格好良く映ったらしい。自分が慌てている時に沈着に対処した、
というのもあるのだろう。エイプリル様に対し目をきらきらさせた彼女を見たことは何度かあるが、僕を相手にしてその目をする彼女は、
誰に聞いても初めて見ると言っただろう。家事の訓練も、何の役に立つか分からないなあ、と僕はその時、しみじみと思ったものだった。
そして彼女は今日もまた僕の部屋に遊びに来た。映画の気分かと思ったが、ベッドにぴょんと飛び込むのを見て、今日は本か、と考える。
もう勝手知ったる人の部屋、という様子で、彼女はベッドの横にある本棚から、一冊を取り出した。僕もお気に入りの一冊を手に取って、
既に読書を始めた彼女の横に腰掛け、ページを開く。紙を捲る音だけが、部屋を満たす。三分の一ほどを読んだところで、オーガストが、
ふと本を閉じた。読み終えたのかと思ったが、栞が挟まれているのを見ると、そうではないようだ。今日は早めに帰るようでもなかった。
まあ、何にしても僕だけ読み続けるのも具合が悪い。僕も栞を挟み、本を棚に戻した。オーガストも棚に戻し、僕らは何をするでもなく、
ベッドの上にごろりと横になった。部屋は、暖かいが少しばかり過ぎたくらい。涼しくすれば気持ちいいだろうが、倦怠感が体を支配し、
ただただ緩やかに流れる時間の中でまどろんだり、たゆたっていたりしていたかった。オーガストも同じことを感じているようだったが、
僕が首を回して彼女の横顔を見ているのに気付くと、彼女は呆けたような笑みを見せた。実際、彼女は眠気に意識を抱擁されていたのか、
やがて穏やかな寝息を立て始めた。僕も眠りに落ちようとした時に、ふと、思う。横で、オーガストが眠っている。その眠りは深そうだ。
悪戯しても、起きないんじゃないかなあ。一度、そういった邪な考えを持ってしまうと、まず振り払えないのが、男の辛いところだった。
ゆっくりと上体を起こす。右を向くと無防備に眠っている、僕や同志たちの地上の星。口内に溜まった唾を飲み下すと、大きな音がした。
それで僅かな時間、正気に戻る。いかん。駄目だ。このままじゃ手を出してしまいそうだ。オーガストを起こさないと。彼女には悪いが、
今日は帰って貰おう。お互いの為に、そうするのがいい。僕はオーガストをあくまで優しく揺り動かし、目覚めさせようとした。けれど、
一向に起きようとしない。僕は途方に暮れて天井を見上げ、ベッドの少女を見下ろし、上を向いた短い間に寝返りを打ったオーガストが、
ちょっぴり捲れたスカートから、足を露出させているのを見つけ、再び情欲に囚われた。スカートの位置を直すんだとか言い訳しながら、
手を伸ばす。スカートをつまみ、持ち上げてみた。ドロワーズが露になる。足もだ。僕はスカートをつまみ上げたまま、もう片方の手で、
その健康美を内包した細いが力強い足を撫でた。上質な大理石のテーブルのようなすべすべの手触り。でも大理石みたいに冷たくはなく、
人の温かみを持っている。もっと触りたい。もっと色んなところを。僕はもう止められないことを自覚していた。これからどうなるのか、
分からない。オーガストが起きてしまったら、彼女がその緑の瞳に涙を浮かべたり、失望や悲しみや嫌悪を浮かべでもしたら、僕はすぐ、
彼女が手を下す前に自殺をしてしまうだろう。僕は自分勝手な人間だ。今だって、自分を苛みながら、その理由の欲望のまま動いている。
スカートから手を離し、黒い布の上に両手を滑らせる。力をほんの少し込めたならば、体のラインがはっきり分かる。腰つきも、お腹も、
その上にある、胸の形も。大きくは、ない。それでも確かにそこにある。僕はそれを丁寧に撫でた。服の上からでも良かった。彼女の体、
オーガストに触れられるなら。胸に固執せず、更に上、首に手をやる。今この部屋に誰か入って来たら、僕がオーガストを襲っていると、
勘違いされても仕方ないだろう。この場合の「襲う」とは生命の喪失を伴う「襲う」である。足と変わらぬ、すべすべの首。頬も撫でる。
ぷにぷにしているとは、彼女の頬の為にある言葉だ。だらしなく投げ出された手を見つけ、手の甲に指を走らせると、くすぐったいのか、
オーガストが小さな呻き声を上げた。指に軽く口づけて、彼女の手をベッドに戻す。息が荒くなっていた。呼吸を整える。オーガストは、
寝入った時と変わらず、穏やかな表情だ。その唇に目が行く。指を伸ばし、唇をなぞる。上唇の左端から、右端、下唇の右端から、左端。
つん、とつついてみると、案外に抵抗なくつるりと指が口中に入り、オーガストの歯に当たった。指先で歯を撫でていると、不意に口が、
半開きになった。心臓の音がオーガストを起こしてしまうんじゃないかと、心配になる。僕の顔はもぎ立てトマトみたいに真っ赤だろう。
口の中、深くに指を差し入れて行く。舌が僕の爪と当たった。自分では動かない舌を、指で弄んでいると、舌が押し返すように動き始め、
ぬるりとしたものが、人差し指をからめ取る感触を、僕は味わった。指を抜き取る。まとわりついている唾液を、オーガストの唇につけ、
湿らせる。ピンク色の輝きが、僕の頭に霧ともやを掛けて、本能のままの行動を取らせようとする。僕は少女の顔に自分の顔を近づけた。
そこで、止まる。最後の一線で、理性が僕を押し留めていた。今なら引き返せる。今、僕がやろうとしていることを、やってしまったら、
オーガストは間違いなく起きる。起きれば僕は終わりだ。冗談じゃなく、僕は得たもの全てを失うだろう。オーガストの親愛の情も失う。
たっぷり五分は、僕は静止していたが、遂に理性は本能を折伏させた。まかり間違っても起こさないよう、身を離そうとする。と、僕は、
僕の顔を緑色の鏡の中に見た。オーガストが目を開いていた。僕がそれを受け入れるのには時間が掛からなかったが、彼女の次の言葉は、
認識するのに苦労した。彼女の瞳には怒りはなく、悲しみもなくて、僕の恐れたどんな感情もなかった。続きは、まだ? 彼女は言った。
その言葉が耳を通り、一種の電気信号に変更され、脳に届いた三秒後には、僕の舌と彼女の舌が絡み合っていた。彼女が下で、僕が上だ。
まるで少女を組み敷いているようだったが、良く見たら分かったろう。オーガストは僕の服を両手に握りこんでいた。例え僕が朴念仁で、
彼女が起きていた上で僕の行為を受け入れていたのだ、ということに思い至らず、逃げようとしたとしても、それは叶わなかっただろう。
もし僕が逃げようとしていたら、今下になっているのは僕で、上になっているのはオーガストだったんじゃないかと思う。何も考えずに、
どうしてオーガストが抵抗しようともしなかったのかも考えずに、僕は瑞々しくて小さな唇の感触を、舌と唇で確かめた。抱き寄せると、
彼女も手を僕の背中に回した。胸の中に抱き込む形になって、唇を合わせることは出来なかったが、お互いの体温を感じることは出来た。
きゅっと力が込められて、胸板にオーガストの顔が押し付けられる。そのまま僕は押し倒された。攻守交替らしい。ひょいと彼女の顔が、
僕の首元に近づくと、鋭い痛みが走った。噛まれていた。抵抗なんて出来やしない。両手は彼女に抑えられてしまっている。ちろちろと、
悪戯っぽく覗く赤い舌先が、その噛み傷を撫でる。舌先はそのまま上がり、頬に達し、最終的には耳たぶに狙いを定めた。さっきまでは、
僕の舌と絡んでいた彼女のものが、耳たぶを愛撫する。彼女は僕の耳を、唇で挟んでは引っ張り、ほぐし、吸う。僕の記憶が確かならば、
耳たぶはそこまで敏感な部位ではない。神経が集中的に通う場所ではないからだ。だから、安全ピンでピアス穴を開けても大丈夫なのだ。
しかし、僕の今の状況から鑑みると、全ての医学書は訂正が必要だろう。僕は彼女が舌先で舐る度にびくりと走る快感に、体を震わせた。
僕の様子に声を潜めて笑う少女。仕返ししようにも何も出来ない。彼女の名を呼ぶと、何処か妖艶なにこにこ笑顔が、僕の顔の前に来た。
甘えるような声で、なあに、と聞いてくるその唇を、首を起こして、奪う。不意打ちには弱いようで、両手が解放された。二度目の交代。
ベッドの上に横倒しになったオーガストの片足を掴み、痛くないよう注意して、開く。ドロワーズが見えたことで、恥ずかしそうにして、
少女は顔を背け、目を伏せる。顔も隠すが、抵抗はして来ない。指をくるぶしの上、靴下に覆われていない素肌にくっつけて、滑らせる。
ドロワーズまで到達して、オーガストはそこで止まるだろうと思ったかもしれないが、止まらない。中に潜り込み、腿の付け根を撫でる。
顔を隠す指の隙間から瞳が見えた。潤んでいる。肌に爪を立てて撫ぜると、押し殺した悲鳴を短く上げた。恨みがましい目で睨まれるが、
更に爪を立てると、体をぴくぴくと震わせながら、ぎゅっと目を閉じ、口を真一文字に結んだ。そのままの状態で、残る片方の手を使い、
脛や太腿を触る。上げさせた足は、僕の肩に引っ掛けて、閉じないようにしてある。固く閉じられた目が、薄っすら開かれそうになった。
体の緊張が解けそうになっている。僕はすかさず立てた爪を食い込ませた。泣きそうな顔で見られたので、離す。手を下着の中から抜き、
その手で足首を取った。靴下に指を掛けて、脱がせる。オーガストは感づいたようだったが、僕は彼女に時間を与えなかった。僕の舌が、
彼女の足、その指の間にぬるりと入り込む。親指、人差指、中指、薬指、小指。ねんごろにしゃぶり、土踏まずを舐め、足首に吸い付き、
キスマークを残す。彼女は僕の首に噛み痕を残した。僕は彼女に噛み痕を残す訳には行かないけど、これだけでも痕跡を残しておきたい。
足への愛撫が終わると、僕もだが、彼女も荒い息になっていた。僕は彼女に覆い被さり、鼻と鼻がくっつく距離まで顔を近づけ、止めた。
彼女が閉じていた目を開いたのを見て、更に数ミリ近づいてから、唇をちろりと舌で舐める。下がって行き、胸の高さまで下りてくると、
僕は耳を彼女の胸に当てた。心音はない。彼女に心臓はないからだ。だが、落ち着く。胸の頂点の突起を見つけ、それを服の上から吸う。
時折快楽のさざ波にぴくりと身を揺らしつつも、乳を求める赤子に母親がするように、頭を優しく触るオーガスト。吸い付いたまま僕は、
舌を動かすのを止めた。オーガストの手つきは変わらない。この上なく、安心出来るリズム。僕は今日、何度目かになるかも分からない、
ふやけ切った唇でのキスをした。そうして僕らは互いの体の隅々を触り、撫で、吸い、噛み、口に含み、嗅ぎ、見て、立てる音を聞いた。
だが僕らは結局、最後の最後の一線を越えることはなかった。彼女が拒んだ訳でも、僕が拒んだ訳でもない。僕も彼女も、単にその気に、
ならなかっただけなのだ。その一線を踏み越え、快感の頂きを見るよりは、怠惰に、熱病的に、退廃的に、持続的な快楽に溺れていたい。
僕が初めてオーガストにキスをしてから数時間後、その時と同じようなキスをしながら、僕は彼女に、どうして最初、拒まなかったのか、
聞いた。考えなくても分かると思ってた、と彼女は返した。驚いているようだった。好きだからに決まっている、と彼女は言って笑った。
でも、僕は好かれるようなことをした覚えはない。いや、友情を抱かれるようなことはやったつもりだが、愛情を持たれることをやった、
というつもりはなかった。僕は嘘を吐かず、感じたことを隠しもせず、それを喋った。オーガストはころころとまた笑い、考えてみれば、
当たり前のことを言った。好きになるのに特別な出来事が必要? と。決まった日の、決まった時間に、一緒にいて、楽しませてくれて、
自分のことを好いてくれる相手を好きになるのに、どんな特別が必要なの? と。彼女は言った。僕は、肉体的な接触で彼女に応答した。
僕と彼女はそれからずっと、ずっと、二人共が疲れ切って眠るまで、だらだらと、快楽を与え合った。僕たちは、抱き合ったまま眠った。
翌朝。僕が目を覚まして体の痺れに身じろぎすると、僕の腕の中にいたオーガストも起きた。一夜の夢と消えてなくて良かった、と思う。
途中で脱ぎ捨てていた服を持って来て、オーガストに着せる。彼女は自分で動こうとせず、僕が全部世話してやらなければならなかった。
けれど、この時間、この部屋の中でだけは、それは完全に許されたことなのだ。着せ終わった後は、彼女が僕に、僕の服を着せてくれた。
さて、どうするか。僕は部屋の冷蔵庫から冷たい飲み物を二人分出し、飲んで、頭をすっきりさせた。オーガストは自室に戻らなかった。
僕が戻そうとしたって戻らなかっただろうが……問題は現在時刻だ。もう大分、遅い。僕は今日は非番の日だったので、それでもいいが、
オーガストはそうは行かない。問い詰められれば、隠し通せはすまい。僕が何をやったか、何もかも明らかになる。だが回避方法はない。
詰んでいた。僕は諦め、朝食の用意をした。日持ちのいい食品なら、個室だから置いてある。フレークがあった。冷蔵庫には牛乳もある。
器に入れて、スプーンを添えて、渡す。二人でベッドに腰掛け、黙々と食べた。時々、匙を休めては、見つめ合って、にこりと笑い合う。
七割ほど食べたところで、鍵が掛かったドアが、ノックされた。投げやりな声を返すと、誰あろうエイプリル様その人の声がして、驚く。
彼女は確信を持った響きの声で以って、このドアを開けるよう要請した。確信していても、何処までも彼女は公正だ。押し入りはしない。
本物の淑女である。僕とオーガストは最後に一回見つめあって、牛乳味の短い口づけを交わし、食べかけのフレークをテーブルに置くと、
オーガストはシルクハットを僕に被せて貰い、僕は何処でも見苦しくないよう、オーガストにカッターシャツにネクタイを締めて貰って、
並んでドアの前に立ち、二人で一緒に開錠ボタンを押した。
最終更新:2010年08月23日 23:14