ヘリが来た。最初に向かわせる筈だったのは三機だったが、艦に残った兵士たちのたっての要望で、六機ものヘリが到着した。
彼らはまず自分たちが着陸する場所を見つけなければならなかった。ヘリポートから艦内に入るにはシャッターを開けねばならないが、
不時着時に歪みが発生し、開かなくなってしまっていたからだった。どうにかこうにか、ヘリは艦の傍に着陸地点を見つけて、降下した。
待ち構えていた自力で歩ける負傷者や担架に載せられた重傷者が、無傷や多少の傷を負った兵やコヨーテに、機内へと運ばれていく。
入れ替わりに、機内からは艦所属の衛生兵と医療物資が下ろされた。艦ではそれまで前線よりも多くの衛生兵が働いており、
その為に行えた行動であった。一目散に、彼らは、動かせないほど危篤状態の患者の場所へと駆けて行く。
五機の救急ヘリは瞬く間に満員になった。最後の一機は交代要員運搬用に設定された機だったが、兵士たちは決して乗ろうとしなかった。
パイロットは彼らが虚勢を張っているか、意地にでもなっているのだろうと思って、無線で諭そうと試みる。
「君らには荷が重いだろう。戦闘の疲れが残っている人間を働かせる訳にも行かない。乗るんだ」
彼らは言い返した。
「まだ皆戦ってるんだ。俺たちだけ帰られるか」
ヘリパイロットは、溜め息を吐いて、分かった、負傷者を乗せろと言った。この機が満員になるまでに、数分とは掛からなかった。
先に出た機の後を追う機体に背を向け、また戻って来るまで他の仕事をしようと動き出す。この兵士たちの中で、真実戦闘は続いていた。
彼らにとっては、ただ一人の傷ついた戦友をこの場所に残しているなら、いつになっても戦闘は終わったことにはならないのだ。
誇り高く高潔な集団は新たな戦場に戻った。気管切開の手術を麻酔無しでされている男が、気丈にも涙一つ零さず耐えている。
突入時に使った装甲車は、いつの間にか消えていた。話を聞くと、随分前に負傷兵を搬送する為に使われ、既に艦に到着したそうだ。
救急ヘリが戻って来る前に負傷者を運ぼうとしている兵士もいた。彼は三人の大柄な姉妹兵を、どうやってか一度に担いでいた。
重いだろうと手を貸そうとするコヨーテを、心の篭った優しい声で押し留める。兄弟を運んでいる、だから重くは感じない、と。
彼はそのまま、ゆっくりだが確実に一歩一歩を踏み出し、着陸地点へと進んでいった。彼の姿と言葉を見聞きした人々は少なかったが、
その少ない人々の中に、彼の考えと心は、深く刻み込まれた。彼らは、数時間もしない内に、同じ台詞を口にすることになった。
「死ぬな、死ぬな、死ぬなって言ってんだよ、ああ、死ぬんじゃない!」
無論、医者や衛生兵の力が及ばないことも多かった。患者が死ぬ度に、彼らはそれを緑色の毛布などに包み、遺体置き場に運んだ。
彼らは誰一人として泣かなかった……泣くには忙し過ぎたし、涙なんて今更出るようなものでもなかった。黙々と働くしかなかった。
年末型が持って来た水を負傷者に与え、温い敵の死体から奪った水筒の水で唇を湿らせて我慢する衛生兵──そんなことが、
あちこちで起こっていた。気を利かせた一人のコヨーテが、無線で母艦に連絡して、持ち込めるなら水も持って来てくれと言ったが、
それだって到着するのは次の便だ。自分を診ている目の前の男が今にも脱水で倒れやしないかと、負傷兵たちとしては気が気でなかった。
『……こち……ジュ……』
軽傷者が囲んでいる無線機から、雑音交じりの声が聞こえて来る。その声はすぐ、クリアなものになった。彼らは声を聞いて喜んだ。
ジューンの声だったからだ。彼女が何の用事で無線連絡を寄越したのだろう? 素早い一人が無線機を掴み、やりとりを始めた。
『現在、トラックで組織した車輌隊で、要請された水を運搬中だ。全速力で移動中だが、到着にはもう少し掛かる』
「了解。皆喉をからからにして待ってますよ、ジューン様」
無線機を回して、一人ずつ、彼らの上官と話をする。ハンスもその中にいた。彼は、彼の直接の上官について尋ねた。
ジャニアリーの状態を伝えるべきかジューンは迷ったが、彼のことを想うと、到底真実を告げることは出来なかった。彼女は嘘を言った。
が、ジューンは嘘が上手ではなかった。ハンスは、ジャニアリーに何が起こったのかまでは分からなかったが、
何かが起こってしまったのだとは理解した。彼は本当のことを話してくれるように頼んだが、ジューンは口を閉ざしたままだった。
彼らと彼女は当たり障りのない話をした後、再会を約束して、無線での通信を終えた。例外としてハンスがいたが、
大半の者は彼女と話すことで、汗の代わりに血を流してでも働こうという気になれた。立って、負傷者でも出来る仕事を探しに行く。
ハンスは一人残った。痛む傷を無視して、立ち上がる。向かった先は、空の見える窓だった。雲は未だ、上空に留まっている。
彼は、彼が心酔し崇拝する統率者の安否が、心配でならなかった。空の欠片を見上げて、彼女の名前を呟く。それは、何の意味も為さず、
ただ彼の強い不安と恐怖に拍車を掛けるだけに終わった。そうする尤もな理由など無かったが、彼はそれからずっと空を眺め続けた。
* * *
俺は確かに、こちらに向かってぐんぐんと近づいて来るエンジン音を耳にした。その音は、俺の聞き慣れたあの音だった。
十二姉妹隊のトラック。味方に違いない。俺は麻酔で意識を手放しそうになりながらも、汚れた床から立ち上がった。
一歩踏み出すと、衛生兵が飛んで来る。顔を見たことの無い兵士。それもそうだ。彼とは一日の付き合いもありゃしない。
自分が何でここに来たのかさえ、時折忘れそうになる。そうだ、俺は装甲車とトラックでの負傷者運送隊にいたんだ。何度も確認する。
それで、畜生、残党のせいで……足の力が緩んで、崩れ落ちそうになった。横から、敵の衛生兵が体を支えてくれる。
この小さな小さな休戦地帯で、俺は何時間休んでいただろう。いい加減、原隊復帰してもいい頃だ。そう思うと、頭が少しはっきりした。
敵の臨時救護所となっていた倉庫を出ることにする。きっと帰りはもっと沢山の衛生兵と医療物資を持って帰って来てやると、
新しい友人たちに俺は約束した。彼らは余り信じていないようだったが、それも当然かつ仕方の無い話であると思う。責める気は無い。
倉庫を出て、すぐ近くにある太い道に歩く。衛生兵は倉庫の出入り口までは来てくれたが、俺は彼の仕事を果たせと言って帰した。
彼は手当ての出来る数少ない人間の内の一人だし、第一彼を見て敵だと思い撃ってきたら俺まで撃たれる。危険だ。遠慮しておきたい。
エンジンの音は、俺を目掛けて真っ直ぐに進んで来る。敵対意思が無いことを証明する為、銃やナイフを地面に置き、両手を高く上げた。
道を曲がって姿を現す車輌隊。行きより沢山の仲間を連れている。装甲車はあの時無事に帰れた一輌だけのようだが、トラックが多い。
砲塔がぴたりとこちらを向いている為、身を固めた。変に動いて装甲車に掃射されたら、俺の命は簡単に消し飛ばされてしまう。
車輌隊には俺を轢き殺す気は無いらしく、先頭を行く装甲車は俺の胸に砲塔と車載機関銃を向けたまま停止した。後続も止まる。
ハッチを開いて出て来たのはジューン様だった。彼女は一目で、俺が誰なのかを理解した。俺は装甲車内に迎え入れられた。
ジューン隊に所属していて良かったと思った。これが別の隊だったら、説明やら何やらが必要だったろう。麻酔を打たれた俺には、
そんな複雑なことをやってのけるだけの気力も体力も無かった。隊長に手を貸して貰って、装甲車の上部ハッチから中に入る。
むせ返る血と汗の臭いが充満する密室内に入るのは気が引けたが、そんなことで一々命令に逆らったり迷惑を掛けたりしていられない。
車内では見知った顔が何人もいた。久しぶりの戦友の顔を見て、俺は喜び、彼らは驚いた。聞くと、俺は戦死者名簿に入っているとか。
そりゃあ、あんな状況にもなれば生きていると考えるのは難しいことだ。周囲を数も分からないような敵に囲まれて、撃たれて。
助かったのは残党がとっとと引き上げたからに他ならず、更にはその後、自分が敵の臨時救護所に偶然辿り着いたからである。
詳しく説明すると、ジューン様はそこへの衛生兵の派遣と医薬品の搬送を確約してくれた。問題があっさり片付いて、肩の力が抜けた。
現状の説明を受けようとしたが、彼女は艦の方に戻っていたようで、代わりに無線をオーガスト様に繋いでくれた。彼女は敵艦内にいて、
隊の指揮を執っているそうだった。知らない間に戦闘は終わっていたのだと聞かされ、びっくりする。後は残敵掃討だけとは。
一体どれくらいの間、俺はあの救護所にいたのだろう。自分のことが情けなかった。死力を尽くして仲間が戦っている間、俺は何を?
麻酔を打たれて眠っていた時間もあった。隣の男と馬鹿な話をして笑っていた時間もあった。俺は自分が恥ずかしくなって、
どうして俺はあの後、徒歩でだろうが残党と交戦しながらだろうが、原隊復帰を目指そうとしなかったのだろうと、心から悔やんだ。
取り返しのつかない失敗だ。給料を八十パーセントカットされた上で外出禁止三週間喰らっても文句を一言も言えないくらいの罪だ。
安全地帯にいたなんて。戦友をほったらかしにしていたなんて。彼らが俺を許すかどうかは関係なかった。俺は俺を許せなかった。
心情を読み取ったのか、ジューン様が俺の肩に手を置き、励ましてくれる。火傷の傷が痛んで身を竦めると、彼女は謝って手を離した。
彼女に思い切って自分の考えを話したら、と考え、実際にそうしてみる。ジューン様は終わりまで黙って聞いてくれた後、
今度は火傷したところを触らないよう慎重に肩に手をやって、俺は正しいことをしたと言ってくれた。もし、残党と交戦していれば、
戦死者名簿が正しくなってしまっていただろうと、俺の行動を正当化してくれた。が、俺はそれをそのまま飲み込めるほど、
確固たる自分の考えを持たない人間ではなかった。幾らか気楽にはなったことは事実だったが、自分を責める気持ちは捨てられなかった。
やはりそれも悟られたのだろう。ジューン様は俺を──俺は混乱したし火傷もちょっと痛んだけれど──そっと抱き締めた。
ちらっと車内の他の姉妹兵が俺を見る。是非に及ばずという顔で、顔と視線を逸らした。今はいいが後が怖い。特にジューン隊の奴らが。
それで、抱き締められた訳だが、彼女は俺を落ち着かせようとしたのだろう。けれど、それは失敗に終わったと言って良かった。
考えるまでも無く、姉妹に抱き締められるというような経験をする姉妹兵は少ない。抱擁の安売りはしないからだ。例外がオクト隊とか。
彼女たちはあっちから跳びかかって来るので避けなければならないほどだ。余りの勢いに、当たると肋骨を持っていかれかねない。
で、それはいいとして、希少価値の高い姉妹の抱擁の中でも群を抜いて珍しいのがこの今俺が抱き締められている人のそれだ。
口にするまでもなく世間一般には知られていないことだが、彼女は可愛い物好きの恥ずかしがり屋だ。一、二を争う奥ゆかしさだ。
だが姉妹を知っている人間にさえ、男装していることを理由にそうではないと受け取られることもある。物静かなだけだと。それは違う。
そんな人に抱き締められている。これってとっても素敵なことだと思う。今なら撃たれてもいいやって思う。いや、撃たれたくは無いが。
俺は混乱し、次に仰天した。駭然として眼眩み、という奴だ。どぎまぎしたりもした。顔は赤くなった。大の男のそれはみっともないが、
なってしまうのだからどうすることも出来ない。後抱き締めると言ったって、十分なスペースの無い装甲車内では、どっちかと言えば、
抱き寄せるような体勢になる。すると、顔がどの位置に近くなるか、分かろうものだ。白状すると、俺はこの上なく幸せだった。
最も慕う隊長に抱き締められる、抱き寄せられる。ジューン様の体は温かい。女性は男性より体温が高いというが、彼女もだろうか?
つまり、平常時の体温が男性よりも高くなるようになっているのだろうか。どうでもいい。優しい温度に、体の力が抜ける。
傷の痛みも薄くなっていく。麻酔の眠気が、今だとばかりに押し寄せて来た。俺は抗えなかった。起きていたかったが、無理だった。
俺は幸せを感じながら、ジューン様の胸の中で、ゆっくりと眠りに沈んでいく感触を味わうことになった。
* * *
車輌隊が到着し、私は積荷下ろしに奔走することになった。この仕事の出来不出来によって、仲間一人の命が救われるかどうかが変わる。
そう思うと自然仕事に力が入る。部下たちも私だけを働かせてなるかと各々に出来ることを精一杯、一生懸命に果たしている。
私は、自分がいい部下を持ったのだということを確信した。口元が緩みそうになるのを、注意してぐっと引き締める。
仕事が終わってない。私の仕事が終わらない内は、笑ってなどいられない。プラスチックの箱にぎゅうぎゅうになるまで押し込められた、
水筒や、点滴液や、麻酔を運ぶ。こんなに使ってしまうと後が怖いが、それを理由にして、一人一人が英雄と呼ばれていい同胞たちを、
むざむざ死なせるのは気に食わない考え方だ。もしエイプリルがそういう考えをしていたなら、私が姉妹二人目の脱走者になったろう。
医薬品の箱を救護所勤務の衛生兵のところまで持って行く。人数の増員があっても、彼らは猫の手も借りたいだろう忙しさだ。
必要とされていた医薬品が到着したことを知らせると、顔も服も目に見える何処もが血で真っ赤になった衛生兵が、ぱっと飛びつく。
箱を開けて、点滴液を持てるだけ掻き抱くと、それが必要な患者たちのところに走っていった。そういう患者のところには大抵、
姉妹兵かコヨーテが一人はいて、彼らは喜んで点滴液を患者の体の上で保持するという、経験者なら良く分かる辛い作業を買って出た。
私は次の箱を運ぶ為に、車輌隊へ戻る。そうして、数少ないながらも持って行く品々の内に含まれていた食料を、配給することにした。
配給対象は軽傷者優先で、さしたる任務が無い人間だけだ。当初、私は食べられる人間などそうはいないだろうと思っていたから、
消費量など二人で一袋くらいだろうと高を括っていたが、彼らは実に食欲旺盛であった。全く、兵士の鏡といって良かった。
いつでも何処でも誰とでも、食事をし、命のやり取りを行い、ごろと転がれば眠れる。それらはいい兵隊には絶対に必要になる、
沢山の能力の中に含まれるものだ。そんなことには水を使えないので、レトルトパウチは温められず、冷たいままで食べる兵士たち。
顔も体も、先程の衛生兵に勝るとも劣らないくらいに汚れて、血塗れで、頬はこけて、目だけを爛々と輝かせている兵士たち。
戦友たちと輪を作って黙々と食べる彼らの手は、乾いた血と汗で黒くなっている。茶色の付属スプーンより、多少明るい程度の色だ。
臭いも控えめに言って最悪である。三キロ先からでも臭って来るだろう。であるけれど、そんな彼らこそ、誰にも引けを取らぬ英雄だと、
私は知っている。汚い。臭い。そうだろう。確かにそうだろう。だがそれが何だ? ここクーロン繁華街では戦闘があったのだ。
その渦中で幾らかは死んで、幾らかは生き残って、今ここにいる。それだけで彼らは生死を問わず、英雄と呼ばれるに足る存在だった。
私は足を止めて敬礼をしたくなったが、敬礼なら後でだっていつだって出来ることではないかと思い直して、止めた。
私が今やるべきことは、やらなければならないことは、戦友たちの命を、一つでも多く救うその手助けを行い続けることに他ならない。
彼らの横を通り過ぎ、薬品や水の配達作業に戻る為に車輌に走る。移動は常に走って行った。歩いて? 戦友たちの現状を知れば、
そんな悠長なことはやってられない。と、そこでは一緒に来た兵たちが、トラックの中から最後の箱を下ろそうとしているところだった。
現在の私が行っている仕事は、荷物の搬送だ。だがそれは敵の救護所をも対象にしている。その旨を彼らに告げると、兵士たちは、
文句一つも言わずに一度下ろした荷物を指示した数だけ積みなおした。さっき拾い上げた兵士を呼んでくるように命じ、彼が来ると、
トラックに乗り込ませる。道案内を頼み、私も装甲車で同行しようとすると、エイプリルからの命令が来た。非友好的な敵残党に備え、
周囲一帯を調べて来いというものだった。一理ある話だ。それに、もしかしたら別の敵の救護所が見つかるかもしれない。
何も積載していないトラックを一輌借りて、運転席に乗り込む。五名の衛生兵を含む部下たちは、任務の成功を私に力強く約束して、
装甲車を先頭にして進んでいった。私はフェブに通信で、周囲五キロを調査してくれるように頼んだ。彼女は不機嫌そうな声だったが、
私の頼みを了解して、数分後に詳細なデータをくれた。不審な点にはマークしてある丁寧さで、彼女の性格が良く表されていた。
彼女曰く、前回の調査時には無かった高温の熱源反応が存在するらしい。雨が降っていたから紛れていたのでは、と聞いたが、
フェブはそれを否定した。雨の間、それ以前に発生していたとしても、絶対に引っ掛かるくらいの高い温度だそうだった。
要するに有り得ない訳だ。兎に角一番最初に向かうべき場所だろう。これもフェブの言葉によるが、車輌事故でガソリンに引火すると、
大体それくらいの温度になるらしい。私には情報インターフェイスも何も無いので分からないが、そうなのだとするのならば、
敵が艦内から脱出した後、事故にでも遭ったのだろうか。それが一番手っ取り早くて分かり易い考えだが、簡単な考えに固執するのは、
最も陥りやすい間違いであり、最も危険な間違いである。私は注意深く、反応データを調べながら、その熱源反応に向かった。
果たして、フェブラリーの間違いこそ有り得ないのだと、自分に確認させる出来事が起こった。車が燃えている。人肉の焼ける臭いも。
* * *
休憩しなければこんなことにならなかったのかもしれない。いや、というかそうだ。どう考えたって私の失敗だ。予期出来なかった。
きっと注意深いエイプリルのことだ、残党の警戒をしているのだろう。私のことにまでは気が及んでいない筈だろうが、
結果としてはこうなってしまった。私はジューンに見つからずに出て行ける自信が無い。彼女は細かいことに気付く女性だ。
私が刀の柄を数ミリ、遮蔽物から、ちらっと出すだけで、そちらに顔を向け、調べに来るだろう。違和感を違和感のままにしない女性だ。
味方の時は心強く、信頼出来て、背中を任せられるが、敵に回すと面倒なことこの上ない。厳密には敵対してはいないのだけれども、
半身を切り落としてしまったからには、私は彼女に味方だったということさえ認めて貰えないだろう。私なら切り落とされたらそう思う。
私なら、体を傷つけたような相手を許す気には永劫ならない。百年千年が経っても許さない。地獄の底まで追って行くだろう。
そこまで行かないにしろジューンも、似たようなものに違いない。彼女は私を許さないだろう──私は彼女のことが好きだったのだが。
彼女は魅力に満ち溢れていた。立場上、本心を余り明らかに出来ない私でも、彼女にだけは明らかに出来た。彼女とは上手く付き合えた。
残念だ。残念である。私は刀に手をやった。抜く気は無い。多分、今戦ったら、私は負けるような気がする。自分が思っていた以上に、
私は強く無かったということだ。謙遜しても思い上がりの範囲内だったということだ。私はこんなことをすれば彼女を引き寄せると、
分かっていたけれど、彼女の姿を見つめ続けるのを止めなかった。燃え続ける車を覗き、服が燃えないように気をつけながら調べる彼女。
懐かしい仲間だった女性の背中。唯一の友だった女性。私は何だか、無性に悲しくなった。理由には気付いていたけれど、認めなかった。
それは私のプライドが許さなかったし、それに、プライドを捨てたとしても、最後の一線、恥という概念が許しはしなかった。
失ったものは大きく、時間が経つに連れてそれを認識する。認識が完全になった頃には、もう手遅れだ。つまり、私も手遅れだ。
視線に気付いて彼女は私の方を見る。信じられないものを見るような目だった。敵意が見えたような気がした。目を逸らし、私の休憩所、
車の近くにあるビルの一室、その奥に引っ込む。汚れたソファーに腰掛けた。通信回線を開こうかと思ったけれど、止める。
何か話すのならば、直接に話すべきだった。殺されるなら殺されよう、とも思った。私は彼女に殺されるならいいかと思っていた。
今だったら、あの妹の気持ちが理解出来るような気がする。理由は違うが、彼女も私も、姉妹になら殺されてもいいと考えている。
辿る道は違っても、辿り着く場所は同じであるのと似ている。遂に口にしてしまうのならば、私は裁かれることを望んでいた。
この仮初の自由を謳歌した罪を、裁いて欲しいと。同胞への罪を、裁いて欲しいと。私が戦えば死なずに済んだ兵が一人はいるだろう。
彼に対する殺人の罪を適用して欲しかった。それで、私は姉妹としては恥ずべき罪人として、力も武器も奪われて、放逐される。
それでも良かった。それが望みだったし、どうせそれ以外には望めなかった。足音がいよいよ聞こえて来る。あれは断罪の足音かしら?
いつに無く弱気になっている自分には、とっくに気付いている。私は自嘲した。こんなに弱い自分が、あんな生意気な口を叩くなんて。
一丁前にエイプリルが指揮官の器ではないと言い切り、まるで自分こそがそうであるかのように言ってしまった。
私はただ単に……言い訳になってしまいそうだが、私はエイプリルへの悪口を口にしただけだったのだ。彼女は良くやっていると思う。
隊を整え、反撃させ、私などいなくとも勝利を掴んだ。あのメンバーを纏め切り、沢山の情報に処置を施し、忌々しい新型までを相手に。
自分は十二姉妹から離反しようとし、体だけはそれに成功したが、その理由とは馬鹿げた上に子供じみた、唾棄すべき感情だった。
簡単に言ってしまえば、気に入らなかったのだというのが最高の表現だろう。私はエイプリルに指揮されるのが気に入らなかった。
私が仕えるのはたったの一人──マダム・マルチアーノ、我らがお母様、彼女ただ一人──そう、尤もらしい理由をつけて、私は抗った。
足音は部屋の前で止まった。入って来ないのかと思わせるくらい長く彼女は部屋の前で立っていた。でも、何となく分かった。
彼女は優しいのだ。優し過ぎるのだ。彼女はここで私を見逃すべきか、それとも私を殺意でもって終わらせるべきか迷っているのだ。
もしも彼女がドアを開けたなら、ノックをしたなら、それは選択が後者だったということだ。そうでなければ前者である。
是非ドアを叩いて欲しかった。開いて欲しかった。私は無抵抗に、されるがまま、彼女の気が済むようにされよう。殺されてもいい。
刀を外す。私の力。武器。私の大切なもの。それを、ソファーの横に置き、壁に立てかける。鍔を外そうかと思ったが、止めた。
ノックが三回。私はびくっと震えた。みっともない震えだった。私は笑った。意味の無い深呼吸をする。彼女を招き入れる言葉を発する。
ドアノブが回る。ドアが押し開かれる。外から、艶やかな髪の毛の、瞳に恐らくは私への殺意を漲らせた女性が、入って来たろう。
来たろうというのは、私が顔を下に向けていたから、分からずに勝手に予想していたことだった。彼女は私の前まで進んだ。
それから、動きを察する必要があったが、彼女は私の刀を見た。すぐには取れない位置にあり、私に敵意が無いことを表していることを、
彼女は即座に見て取った。やおら、ジューンはナイフを抜く。大きなナイフだ。ククリナイフ。私との戦いにも使ったナイフだ。
さあ、これで彼女の意思ははっきりした。私は静かに受け入れよう。最期に友人の顔を見たくて、私は顔を上げた。で、びっくりした。
ナイフが落ちて床に突き立つ。何の意味だか分からなかった。でも彼女の顔を見て、やっと理解が及んだ。彼女は優し過ぎるのだった。
「斬られたのは初めてだった」
小さくジューンが呟く。その言葉が彼女にとって冗談としての意味を持っていることに気付くのには、かなり掛かってしまった。
座ってもいいかと、彼女は尋ねる。私には答える気力は無かった。憔悴しきっていた。口の代わりに態度で示す。彼女は座った。
スプリングが軋んで、ぎしぎしと耳に障る音を立てる。ジューンは膝に肘を突いて、前傾姿勢を取っていた。考え込んでいるようだった。
「何から話せばいいか……」
ぽつぽつと、ジューンの方が話し始める。口を挟まずに、聞いた。彼女は今、必死で考えているのだ。邪魔などするべきではない。
ジューンはじっくりと言葉を選びながら話した。普段から思慮深さ故に早口で話すことは無い彼女が考えながら喋ると、
その速度は驚くほど遅くなった。それでも、私は待つのだ。彼女が私に伝えたいことを知る為に。何故彼女は私を許すのかを知る為に。
彼女の言葉は非常にゆっくりだった。だけれど、それを待つのにはストレスなど掛からなかった。ジューンは、話し始めた。
* * *
私は自分が目を覚ましたことに気付くまでに数分掛かったことに、大分後になってから気付いた。何と言っても疲れのせいだろう。
疲れていた。私は疲れていた。率直に自分の状態を伝えるしかないと思わせるほどに、私は疲れ切ってしまっていた。体を動かせない。
実際には動くのだろうが、動かす気にはどうしてもならない。私にとって疲れとはそういうものだった。寝返りを打てないくらいの辛さ。
寝返りを打てないのは考えてみれば当然だった。今の自分は五体満足では……ああ、何でもない。足もついていた。ニルソン様に感謝だ。
彼こそ休養を取った方がいいのだろうが、私の予想では、きっと彼は働き詰めだろう。そういう人だ、彼は。何故ギルドにいたのだろう。
それは恐らくは彼の研究が表の世界に出せるようなものではなかったからなのであろうが、だとしても、彼の人格は清廉、誠実だ。
肉体のもっと休んでいたいという叫びを叩きのめして、精神力で起き上がる。ベッドを撫でながら、自分が今何処にいるかを確認した。
まあ、十二姉妹の一人が瀕死の状態になった時担ぎ込まれる場所といえば一つしかないので、考える必要などなかったのだが。
ニルソン様の研究室兼我々専用の調整・救護室だ。調整室が正式名称だが、ニルソン様も私たちも救護室と呼ぶ。それに特に意味は無い。
現況を知りたかったが、多忙時に指揮官の邪魔をするのはマズいだろう。ぼんやりとした頭でそう思い、この部屋の主を探すことにする。
いなければ直接艦橋に向かって、兵士たちから聞くのもいいし、様子を見てどうやら大丈夫そうならエイプリルに聞けばいい。
そんな訳で、私はベッドから下りなければならなかったのだけれど、下りるのにはとんでもなく苦労した。精神は肉体の奴隷らしい。
何とか体を引き摺り出すと、今度は立つことを拒否し始めた。無様に床へ倒れ込む。物に手足が当たり、甲高い音を立てて散らばった。
その音を聞き付け、ニルソン様がやって来る。そこで気付いた。声を出してみればよかったのだ。何故気付かなかったのか不思議だった。
彼は私を見て驚いたようだった。でも彼が平静を取り戻すのには一秒もいらなかった。彼は私の脇の下を持ち、起き上がる手伝いをした。
落ち着いて立ち上がり、近くの適当な机や棚に手を掛けて体を保持する。ニルソン様は頷いて、私の傍から離れた。礼を言う。
「その調子では、まだ眠っていた方がいいのではないかね? 戦闘も終わったことだし、君が休んでいても、誰も文句は言わないだろう」
実に的確な意見だった。だが受け入れることは出来ない意見だ。私は起きている。私には意識がある。私は動くことが出来る。
それだけ。それだけでいい。それだけあれば十分ではないか。戦いは終わった。血を流す戦闘は終わった。血を止める戦闘に参加したい。
大体そういうことを言った。ニルソン様は不満を隠さなかったが、彼の考えは正しかったので、私がそれに対して怒ることは無かった。
彼は頭を振って、私にベッドに一旦戻るように言った。従えないことを告げたが、彼は別に私をそこに留めさせる気は無くて、
あくまで一旦、ということらしかったので、素直に従う。ふらふらとして地面が揺れ動くが、倒れずにベッドに戻ることが出来た。
するとニルソン様はベッドの傍にあった機器に繋いだケーブルを、私に接続した。彼は嫌々作業を行っているようだ。雰囲気で分かる。
何をするのだろう、と思っていたら、電撃を喰らった時みたいな衝撃が走った。意識を手放しそうになって、ギリギリで掴み保つ。
文句、というのは不適切な表現だ。私は説明を求めようとして、強かに舌を噛んだ。以降、私は何も口にしようとは思わなくなった。
電撃が終わり、胸を上下させる。ニルソン様がケーブルを外して、私に動いてみるように言った。無理だと答えると、いいからと言う。
どうせ動くまいと思って動かそうとしてみると、まるで自分が元気な状態に戻った時みたいな反応を示した。何をしたのか尋ねる。
彼は懇切丁寧に教えてくれた。これは予想であるけれど、彼と同じ研究をしている者ならば、簡単に理解出来る範疇のことなのだろう。
だけれども私はそういった学問には疎かった。データとして詰め込めば今すぐにでもニルソン様並の知識を有することになるだろうが、
それを自分が望まなかったし、ニルソン様もそういうことをするのは余り好みではないようだったので、我々の誰もそういうことを、
進んでしようとする者はいなかった。任務の為などで仕方なくするとか、武器の取り扱い等に関しては仕方ないのだと割り切ったけれど。
長ったらしく言ったこれを短く誰にでも分かり易く言えば、私にはニルソン様の言葉は難し過ぎたのだ。彼は最終的に、例えを使った。
その例えというのは、眠い人間をぶっ叩いて起こしたようなものだ、ということで、つまりそれは、効果は長く続かないということだ。
では、効果が持続している間に私の出来ることをしよう。ニルソン様にお礼を言って、救護室を出る。艦橋を目指して歩いていると、
道中で部下たちに出会った。彼らは走りながら敬礼をして、足を止めようとしない。今はそれでいいのだ。階段を上るのは辛かったが、
その辛さが私に意志の力を与えた。艦橋に到着し、自動ドアをくぐる。エイプリルは気付かなかったのか振り返らずに、指揮をしている。
彼女は一メートルくらい離れたところに私が立った時点で、ようやく私に気付いた。体調を尋ねられる。問題無いと誤魔化したが、
何処まで信じて貰えているか怪しい話だ。何かやることはないかと協力を申し出ると、彼女はギルドスカイでの警戒任務を提示した。
頷いて、格納庫へ向かう。普段に比べて余り従順なので心配になったのか、兵士が一人、エイプリルの命で付いて来た。苦笑する。
バレているのだと思った。エイプリルの目には、私の小賢しい誤魔化しなど無意味か逆に怪しく見えるかのどちらかだったのだろう。
次からはもっと上手い嘘を吐くことにして、私はギルドスカイに乗り込んだ。付き添いの兵士が敬礼し、艦橋任務に戻って行く。
カウントダウンはあったので覚悟していたものの、カタパルト使用時の強いGを体に受け、私は顔をしかめた。いつもなら高揚するのに。
* * *
「何から話せばいいか……」
口は開いたものの、私の心情としては、正にその言葉の通りだった。私は何から話せばいいのか、さっぱり分からなかったのである。
だって、彼女に何を言えばいいというのだ? 彼女は十二姉妹を抜けようとしていた。今はどうか分からないが、私を両断した時は、
少なくともそういった意思を持っていた。そんな相手に、一体何を言えばいいのだろうか。語弊を招く言い方を止めるならばこうだ。
姉妹の一員として生き、姉妹の一員として考え、姉妹の一員として感じ、姉妹の一員として行動して来た彼女が、過去の如何なる記憶も、
部下たちや他の姉妹との絆をも放り捨てて選んだ道が、姉妹隊からの離反なのだ。そこまでの選択をしたからには、決意を変えるのは、
途轍もなく難しい、または不可能ではないだろうか。私はそう思っていた。言葉を待つふとした瞬間のジュライの顔を、盗み見るまでは。
それを見る限りだが、私は間違っていたようだ。ジュライは離反した際、エイプリルの指揮官としての未熟さをあれこれ私に言い立てた。
故に隊を離れた理由はそれだと考えていた。でも、そうではなく理由は他にあるということに、私は段々と気付き始めていたのである。
ジュライは珍しくもしょげ返った顔をしていた。いつもの余裕は、影も形も存在しなかった。肩を落として、無気力な感じの雰囲気で。
何か取り返しのつかない悪戯をやってしまって怯える子供──そんなイメージが、私の脳裏に展開される。ジュライは子供ではないのに。
だが、そうか。彼女も怯えているのかもしれない。離反への断罪にではなく、赦しにでもなく、この状況が永遠に続いてしまうことに。
それは確かに、一度実現されてしまえば掻き消すのは困難で、そうなったならば彼女の世界は地獄と程遠くないものになっていただろう。
断罪を彼女は怖がるまい。赦しなど怖がる理由さえ存在しない。彼女が怯え厭い恐れるのは、そのどちらも選択されなかった未来なのだ。
彼女は永遠に怯え続ける。苛まれ続ける。苦しめられ続ける。ただの独り、完全な独りぼっちの世界で。安息が訪れることは無く。
私にはジュライが、罪の意識か後悔の念を持っているのだと、幸運にも見抜くことが出来た。隊から離れ、責務を果たさなかったことに。
だとしたら、ひょっとすると説得出来るのではないか。光明が見えてくる。隊に戻ってくれるように、頼んでみればいいのではないか。
帰って来て欲しいとは、誰もが思っているだろう。エイプリルは持ち前の厳しさを発揮するだろうけれど、戻るなとは思わない筈だ。
第一、こんなジュライを見たいとは考えなかった。以前は大人っぽい余裕と絶えない微笑で、妖しい魅力を振りまいていた女性が、
今や随分と小さな背中をした、ひどく哀しい女性に変わっているのは、見るに耐えないことだった。私は彼女を何としても助けよう。
自己満足と言われてもいいと思った。私はジュライが好きだ。姉妹の誰とでも仲良くしている私だが、彼女とはその中でも特に仲がいい。
これが自分の勘違いであれば、私の試みは失敗するだろう。失敗は怖い。勘違いだと知れるのは怖い。だが、そうしなければ救えない。
ならば私の取る手段は決まっていた。ならば私が何をすればいいかは決まっていた。ならば私が何をも恐れないことは至極当然だった。
「最初は、怒りを感じた」
ジュライはぴくりと動いた。最初とは、離反を明らかにされ、更には真っ二つにされた時だ。彼女もそれは分かっていることと思う。
続く言葉が中々出て来ないので、肩を竦めた。唇を湿らせる。眉を上げて、私はソファーに深くもたれかかった。耳障りな音が鳴り響く。
慎重に、言葉を選ばなければならない。口下手な自分には辛いが、これは私のやらなければならないことだし、誰にも代わらせたくない。
「次は不思議に思った。どうして私たちを見限ったのか、部下たちまでも捨てて行くその理由とは何なのか」
隣の友人はぎゅっと拳を握る。顔は倦怠感を漂わせたままだ。一刻も早く彼女の顔に生気とあの美しさを取り戻したいことである。
そして、それが出来るのは自分だけなのだ。固く握られた拳に手を添えて、そんなに怯える必要が無いことを伝えたかったが、
彼女はきっと信じてはくれないだろう。それは、もう少し後にするべきだ。今は彼女と話さなければならない。彼女に、言わなければ。
ジュライの怯えの原因を取り除かなければならない。私は覚悟を決める。成功も失敗も知ったことではない。やれることをやるだけだ。
「私は知りたかった。私を切り捨て、踏み越えて行った理由を」
目で見なくても分かるくらいに彼女の緊張が高まる。恐らく今度は理由を問われ、それに答えることが怖いのだ。答えられない理由、か。
私は残念というべきかそうではないというべきか、鈍い女だった。幾ら考えたって、ジュライの答えられない理由が分からなかった。
で、考えた結果、私なりの回答を導き出すことに成功する。一考し、これでいいだろうと決定した。これが私の考えだ、私の友人。
「けれど、もうどうでもいいんだ、そんなことは。理由? 理由が何だ。今更それが何になる? 私が言いたいのはたった一つだけだ」
面白いと表現するのはいけないと思いつつも、私はジュライの顔を見てそう考えてしまった。彼女は素っ頓狂な顔をしていた。
倦怠感と無気力を吹っ飛ばすだけの言葉だった訳だ。ようし、これで彼女の心の防護壁に穴が開いた。今すぐ、その穴から突入しよう。
私は席を立った。数歩前に出て、振り返る。顔を引き締め、彼女を助けられるかどうか分からない言葉を告げようとする。正直に言おう。
凄く大変だった。どういう風に言えばいいのか分からなかった。これが最後のピースなのだ。彼女を助ける為の。嵌め違えれば、終わる。
「だから──ジュライ──帰って──来て──くれ」
一言一言に区切って言わなければならなかった。でないと、言えそうには無かったからだ。どう考えても、私は平静ではなかった。
それで、ここまで頑張ったというのに、答えは聞けなかった。私が横に吹っ飛んだ為に、だ。何が起こったか、即理解した。怒りが湧く。
……残党共め!
* * *
薄い木製か何だか知らない材質で作られたドアを押し破って入って来たのは、まず擲弾だった。三十ミリの、消音加工してあるあれだ。
それはジューンに命中した。敵兵もまさか、相手に直撃するとは思わなかっただろう。彼らは運が悪かった訳だ。擲弾は爆発しなかった。
床や壁にまで飛んでいけば爆発して、私やジューンを傷つけるような結果になっただろうが、これではジューンを怒らせるだけだった。
とはいえその彼女は今、倒れこんだところだ。ドアを次に押し開けるのは人間に決まっている。逃げることは無いだろうから、戦うか。
私はどうしようもないスプリングを最大限に利用し、ソファーから立った。立ったその勢いで動き出しながら、身を屈めてナイフを拾う。
歩きながら左手で拾ったそれを後方に引き、床と水平に振る。ドアを破った敵兵は一歩踏み出した直後、首を刈られてそのまま倒れた。
ドアの向こう側両サイドにいた兵二人が驚きに声を上げる。拳銃を持つ右の兵が、床に向かって構えていたのを私に向けようとした。
右手でそれをぱしりと弾く。引金が引かれて、彼は自分の味方を撃った。友軍誤射という奴だ。何が起こったのか分からない様子の彼。
返す右手で喉を掴み、彼の両手が私の右手を引き離そうとして、喉に向かう。左手のククリを腹部に差し込んだ。一気に上に押し上げる。
引き抜き、ソファーに戻って、血を拭き取る。もう一度床に突き立てて、不発の擲弾を掴み、窓から投げ捨てた。視界から消えて数秒後、
爆発が下の方で起こる。これだから不発というのはおっかないのだ。ジューンはふらふらしていたので、私は立ち上がるのに手を貸した。
力を込めて立ち上がらせる。彼女は礼を言って手を離し、壁に寄りかかった。私は再度、ソファーに座り込む。返答の時が迫っていた。
彼女は、帰って来てくれ、と言った。私の離反を真っ先に知り、私の刀を真っ先にその身に受け、それでも理由を聞かず、私を許した。
だから迷うのだ。彼女は優しかった。優し過ぎた。過剰な慈愛は、それを受ける者を傷つけることがある。今の私がその証拠だった。
勿論、拒否という考えは選ぶ気にならない。だけれども、受け入れるのも、選択出来ない。無駄じゃないのかと、自問する。
彼女がいつまでその気持ちを持っているか分からない以上、いずれは裏切られる可能性もあると考えなければならないのではないかと。
それならば、ここではっきり拒否し、彼女を斬り捨てるか彼女に斬り捨てられるか、どちらかの道を選んだ方が幸福じゃあないのか。
血の臭いが漂って来た。意味無しに目を向ける。止めよう、こんな馬鹿げた自分騙しは。私はどちらかを選択しなければならないのだ。
共に歩くか、一人歩くか、いっそ足を止めてしまうのか。理性が囁くことは無く、本能が叫ぶことも無い。私は私の力によってのみ、
決定を下さなければならない。都合の悪い時に限って、そういう状態になる。気に入らない。誰かに決定を委ねてしまいたかった。
そうすれば、何かが起こっても、私はそれを受け止めずに済む。誰かを責めて、決めた誰かのせいにして、楽が出来るというものだ。
思考をクリア。関係の無い思案を抑制。落ち着いて良く考えることが、この選択では大事だ。私は一人で歩けるか? 誰かと共に歩くか?
メリットもデメリットも、どちらも大して大きくは無い。つまりは、完全に、個人の好みの問題に過ぎなかった。趣味嗜好の問題だった。
「私は」
口に出してから、しまったと思った。口を開いたからには何かを言わなければならない。それは答えでなくてはならないだろう。
だがしかし現在の自分には、納得の行く答えが出せなかった。分からないのが答えだ。考えようとしても、堂々巡りの思考になる。
ジューンはこちらを見つめて、私が答えを口にするのを待っている。視線が痛かった。突き刺さる。泣き出したくなるくらいだった。
「……分かりませんわ。帰るべきなのか、帰らないべきなのか」
結局私は、こんな言葉を返す他なかった。でも、これでジューンが私の取るべき道を選んでくれたならば、それほど楽なことも無かった。
彼女がそこまで優しいとは思わなかったけれど。論を待たず、彼女は私が私自身の意思で選択しないことには一片の価値もないと言った。
分かり切っていた返事だった。時間は無いだろうに、任務を帯びているのだろうに、私をずっと見つめているジューン。申し訳なく思う。
自分の気持ちを整理する。メリットやデメリットなんて無粋なものを省いて、無視して、忘れて、自分の気持ちだけを正直に感じ取る。
それは、簡単な作業ではなかった。普段自分の感情を押し殺していた分、私は感情を打算抜きで感じる方法を忘れ掛けていた。
結果として一つ分かった。私はとんでもなく弱かったのだということだ。笑えない。自分はこの期に及び、誰かと歩きたいと願っていた。
信頼出来る誰かを隣に、二人でもいい、三人でもいい、もっと多くたっていい。私は自分が姉妹隊に戻りたく思っていることを悟った。
「私は──」
先程と同じ言葉を繰り返す。ジューンはじっと動かず、黙って私の言葉を聞いていてくれる。それが私の背中を後押ししてくれた。
私は彼女を信じることにしよう。打算も何も抜きにして、彼女を無条件に信じることにしよう。彼女になら裏切られてもいい。
不安だった。本当にそれでいいのか分からなかった。晴れやかな気分になんか、到底なれそうにもなれなかった。が、不思議と、
後悔は無かった。あるのはただの、選択の正しさを案ずる気持ちだけ。それもジューンの顔を見たら、どうだって良くなった。
彼女は笑っている。私の知っている笑いだった。私を落ち着かせて、安心させて、何故か嘘を言えなくする魔力を持った笑顔だった。
かつて自らを散々鈍いだの何だのと形容していた癖に、と思う。彼女は私の表情などから、きっと私の答えを察したに違いなかった。
「帰りましょう、ジューン。これが正しいのだと言い聞かせ、震える心を励まして。あなたと一緒に、帰りましょう」
ジューンは相変わらず口を開かなかった。突発的な恐慌をきたす。何故彼女は何もしないのか? 何故彼女は何も言わないのか?
私のそんな様子を見て、彼女は一歩こちらに近寄る。私はジューンの顔を見上げた。それから、目を落とす。落とした先は、彼女の右手。
差し出されたそれに、力強く、自分の右手を重ねる。新しく生まれた恐怖があった。エイプリルがどう判断するかへの、放逐される恐れ。
つい十数分前ならばどうとも思わず寧ろ望んだことを恐れる自分に、おかしくなって微笑を漏らす。心とはこうも変わるものなのだな。
ソファーから立ち上がり、刀を取る。ジューンは先に進んでいく。私は恐怖を認めることに、何らの躊躇や自尊心の損傷を覚えなかった。
そうして、もう足を止める気は更々無い。彼女と一緒に進もう。先を進まず、後を歩かず、横を並んで歩いて行こう。私の親友と共に。
私は笑った。恐怖への嘲笑や自嘲の笑みではなかった。そうだ、これが、これこそが私なのだ。取り戻した微笑みを、私は再度浮かべた。
* * *
築四十年は経っていてもおかしくない、ぼろぼろのアパートの屋上に設置された小屋、その中に、新型と相棒の隠した服はあった。
彼女たち二人はそれを見つけ、早速中身を開こうとして、人の声に気付く。瞬時に戦闘へと思考を切り替えた。それには、早く片付けて、
服装を変えたいからという考えもあった。耳を澄ますと下から聞こえて来ることに気付く。下と言っても階下からではなく、外からだ。
隠れた時に銃身の長いライフルが見えてはいけないので、相棒はそれを下に置いて、姉と声に近づいていく。どうせ汚れているし、
新型などは服をこの後着替えるのだからと、伏せた。顔半分よりちょっと少ないくらいを出して、観察する。六から七十名の敗残兵が、
このアパートの下に集まっていた。彼らは敗残していたが、統制はそれなりに取れていて、回避&脱出をこれから行おうとしていた。
排除するべきだろうか、と思う。どうせこんな寡兵には何も出来ないだろうと。でも、一応彼女たちは十二姉妹に報告することにした。
前に周波数を手に入れたフェブへの通信回線を開き、敵発見の報と人数を出来るだけ正確に伝える。彼女は既に知っていて、
ジューンが向かうことになっているが遅れているので、出来るならば攻撃し、数を減らすか、ゼロになるまで叩き潰してくれと頼んだ。
妹がそう言われて断る筈が無い。自分を頼りにしている──十二姉妹の一人が、この自分を頼りにしているのだ! 勝手に盛り上がって、
新型は自分の体を抱き締めた。相棒は冷ややかな目でそれを見ていたが、どうやってこの敵を倒すかを考え始める。と、彼女の姉が、
相棒の持っていた突撃銃とMP7を貸すように言った。珍しいと思って尋ねると、後のことに備えて五十口径弾を使いたくないらしい。
なるほど尤もなことだし、拒否することは不可能なので、相棒は彼女に銃を渡す。すると新型は彼女に、代わりとしてライフルを渡した。
これもまた珍しいことだ。一体何なのだろう。小さな戦友は首を捻る。褐色の肌を撫でながら上官は、一応、援護を頼むことを告げた。
今すぐ飛び出していって皆殺しにしたいのか、むずむずとしている。何か言おうと思ったが、相棒はとっとと行かせてあげることにした。
手を振って行って下さいと合図をすると、姉は相棒の額に軽く口付ける。彼女は危うくライフルの引金を引くところだった。姉は言った。
「背中、頼みましたわよ」
妹が何が何だか分からずに慌てている間に、屋上の端まで移動する。そこからクラウチングスタートで走り出し、敵のいる方向の端で、
跳躍した。普段散々互いの容姿について言い合ったりする相棒が見惚れそうになるほど、綺麗な跳躍だった。上昇が止まった時点で、
姉は二挺の銃を両手に持ち、発砲を始めた。六から七十名の兵士たちは固まっていたので、着地までの銃撃だけで二、三十人は倒れた。
下にいた一人の無傷だった兵士を押し潰して、新型は着地する。無茶をやるなあと、相棒は嘆いた。あれではとても優雅とは言えない。
そんなことは前から分かり切っていたことではあるが、再確認するとどうしても溜め息を吐きたくなるのであった。威厳も無いし。
威厳と聞いて、昔の人間の上官から見せて貰った彼のコレクションを思い出す。大昔の軍隊の宣伝用ポスターで、陸海空軍と、
様々な種類があった。その中の一枚、かなり古いと思われた砲兵師団のポスターには、汚れた服で刀や徒手空拳で乱闘している連中に、
制服を着用した凛々しく格好良く描かれた一人の砲兵が、今しも大砲を発射しようとするシーンが描かれていて、その少し下には、
紹介者曰く「伝説的な名文」というかキャプションが、物々しい書体で書いてあった。『砲兵が低俗な争いに威厳を与える』。
明々白々にも極めて低俗な争いを繰り広げていた姉と敵兵だったが、数で大いに勝っている敗残兵たちは、しかし太刀打ち出来なかった。
当然と言えば当然のことである。相棒はやることも無く暇なので、リュックからまたも菓子を取り出し、それを食べながら戦闘を眺めた。
弾倉に装填された弾薬が切れ掛かった突撃銃で敵を殴る姉。溜め息が一つ増える。彼女は効率的に戦ったが、決して美しくは無かった。
唯一ある美と言えば、精々が無駄の無い動きと、その間に挟まれるわざとらしい大きな無駄。見得を切ったりするような感じだ。
大股開いて敵の弾薬ポーチを蹴り、弾倉が飛び出ると後ろを向き、空弾倉を外した突撃銃を肩に乗せる。B級映画でもやらないことだ。
それでも突撃銃に弾倉が入ったので、相棒は呆れて口が閉じられなかった。薬室に残していた一発を撃って、背後の敵を倒す。
どうせ自分以外は誰も見ていないというのに、何の意味があってあんな格好付けをしているのだろう。妹には理解出来ない行為だった。
ぼーっと眺めているのにも飽きてきたので、任務に真面目に取り組むことにする。偶然だろうが、途端、一人の危険な兵士を見つけた。
ライフルを構える。姉の後頭部に向かって発砲しようとする彼の胸を狙い、撃った。着弾と同時に、肉片が散らばる。狙った場所から、
数十センチほどずれてしまったのだった。銃弾は右の太腿を吹き飛ばし、地面に突き刺さった。目的は果たしたので良しとする。
観戦に戻って、姉の格闘と銃撃を見続ける。服の汚れや破損を気にする必要が無いからと、前やった格闘戦の時よりも大胆な動きだ。
止しといた方がいいんじゃないかなあなんて思いながら見ていると、案の定懸念していた出来事が発生した。ナイフを持って戦っていた、
敗残兵の一人が、偶々運良くだか運悪くだか、新型に掠らせたのだった。それも胸の上付近。服は言うまでもなく、切り裂かれる。
ぺろんと半ば剥き出しになる片方の乳房。相棒は口笛を吹いてから、何をやっているのだろうと自分でも思って両手で頭を押さえた。
下着が無事だったのだけが救いだったろう。ついでに言うならば、兵士のナイフが切り裂いたのは服だけでなく、堪忍袋の緒もだった。
三十秒と経たずに周りの兵士を殲滅し、死に掛けた敵にはサーベルで止めを刺していく。怒りっぷりが余りに面白くて、笑いながら、
相棒は姉に言った。途中で彼女に妨害されたり口を挟んできたのを強引に止めたので大いに長くなってしまうから要約するとそれは大体、
服が汚れるのが嫌なら今度から裸で戦ったらどうかということだった。大股を開く破廉恥を許容出来るなら、裸も我慢出来ようと。
姉は、非常にその通りだと、言い出した本人である特別な妹さえも納得してしまう一言を持って、彼女の提案を却下した。
「垂れるでしょうが」
もしかすると、相棒は上官に言われた様々な理由の中で、これが一番納得出来る理由かもしれないと、神妙な気分で考えた。
新型は新型でなんだってあの素直で可愛らしかった相棒がここまで小憎らしくなったのかと嘆いていて、恐らくはそのせいで、
二人とも動きに気付かなかったのだろう。少なくとも新型は、後からそう考えては馬鹿なことをしていたものだと後悔して止まなかった。
支えの折れた無反動砲ににじり寄る、右の太腿を失った敵兵。気付いた頃には、遅かった。それでも、一つの行動は起こせた。
新型が手にした銃を向けて引金を引く。弾が出ない。弾切れ。反応は早かったが、手遅れだった。死者の持っていたナイフを拾い投げる。
刺さる直前に、無反動砲は発射された。向かう先は彼を撃った少女の居場所。新型は本能的な何かで、それが外れないと直感した。叫ぶ。
* * *
私は走った。足を動かすのを止められなかった。そんなもの有りもしないのに、心臓が抉られるような、強い痛みを何故か感じていた。
通信は無い。無事ならきっと何か言う筈だろうし、無事ならば私から彼女に回線を開ける。だが、今は開けず、彼女からの声も無い。
考慮したくない未来の可能性が、私の背中を走り抜けていく。要は、私の小さな戦友の命が失われたのではないかという、冷たい予測が。
ばらばらになったあの少女の体を思い浮かべそうになって、振り払う。駄目だ。ごろりと転がった首。飛び出た眼球。千切れた腕。
人工脳は頭の傷から流出しつつあり、かつては可愛らしくきゅっと引き締められていた口は、だらしなく舌を突き出したまま開いている。
走りながら、壁を殴りつける。めり込む手。思考は振り払えた。不吉な思考だ。冗談じゃない。間違いなく屋上に続くドアを開ければ、
彼女は彼女なりの悪態を吐いて服についた埃を払いながら、私に文句を言ってくる筈だ。そうでなければならないのだ。絶対に。
幅の狭い階段を蹴って跳び上がり、屋上を目指す。ドアが見えた。急速に近づく。体当たりで開ける。風が強く吹いて目に塵が入る。
私はそれを痛いとは思わなかった。正しく言えば、何とも思わなかった。それよりも私の部下は。私の妹は。私の相棒は。どうなった!
最後に見た時、確かに彼女がいた場所に目をやる。落下防止用の多少背が高い壁が割れ、幾らかは焦げて、破片は周囲に散らばっている。
言い換えるなら──言い換えるなら、私の妹は何処にもいなかったということだった。そちらに近づく。ライフルが私の足元にある。
知ったことではなかった。それよりも大切なものを失くした今となっては、はっきり言って銃など殆ど無価値な存在だった。
焦げて割れて石ころと変わらない大きさになった破片の中に、黒いベレー帽を見つける。私はそれに歩み寄り、拾い上げた。埃を払う。
別に涙は出なかった。彼女たちは戦って死んだり生きたりするのを望んでいたのだ。進撃を始めたあの時は、どんなに変わったとしても。
であるならば、私の妹が一人死んだことは別段悲しむようなことではなく、望みが果たされたことを喜んでやればいいのではないか。
複雑な気持ちだった。哀しく、寂しく、喜ばしく思わねばならぬという思いが、織り合わさって形成される、複雑な感情を抱いていた。
膝を突き、ベレー帽を抱き締める。自然と体が動いたのだった。私の友人、私の妹、私の相棒。強く掻き抱いて、別れを告げようとする。
……で、ここまでは良かった訳だが。ここまでで終わっておけば、悲劇の渦中に突き落とされた女っぽくて良かった訳だったのだが、
一番いいところで邪魔が入った。がん、と後ろから強打される。感触からすると拳銃の銃把。痛みに涙目になる。あんまりだと思った。
振り向くと、半ばどころか九割九分はキレた感じの私の小さな戦友が、P7のスライド部分を握り締めて立っていた。二撃目襲来。
甘んじて受けることにする。覚悟さえあれば怖くないし痛くない。例えどんな恐ろしい運命があったって、覚悟があれば幸福らしい。
以前部隊にいた黒人の従軍神父から聞いた。彼はクーロンに来る前に別の部隊に異動になったけど、今頃何をしているだろうか。
どうせギルド兵兼神父だからロクな男じゃないのだろうし、どうでもいいことだ。取り敢えず今は目の前の幽霊に対処しようと思う。
三撃目を我慢するほど私も優しくないので、反撃することにした。いや、勝手に自分を殺した私を恨んでの犯行は尤もだから、
自分が反撃しては駄目な気もしないではないが、そうと言って殴られてろというのもあれだ、所謂一つの不平等という奴だ。格差である。
私は平等主義者なのだ。パートタイムのかつショートタイマーだが。振り下ろされた鉄槌を右に動いて回避。右腕を首に引っ掛ける。
左腕は彼女の右の脇を潜らせて、背中を掴む。埃が私にも付着したが、気にはしない。どうせ着替えるし。汚れたってへっちゃらだ。
力を込める。私の剛力で締め付けられ、痛みに戦意を喪失したか、彼女の体から力が抜ける。私に身を任せるような感じの力の掛け方だ。
断っておけば、これは抱き締めている訳ではない。端から見たらそう見えることもあるだろうが、断じてない。そんな恥ずかしいこと、
私には出来ない。あくまでこれは反撃、鯖折り的な何かだ。折っちゃったらマズいんだけど。暫し攻撃を続けて、離す。彼女は立った。
その頭に、埃を払ったベレー帽を乗せる。彼女の服は汚れていたが、破損はしていなかった。それなりに高い壁がある程度防いだのだ。
故に彼女は生きているに違いなかった。着替える前に、休憩することにする。二人で並んで壁の無くなった隅に行き、腰を下ろす。
足は外に投げ出して、落下には気をつけるまでも無い。バランスを崩したりして落ちることは有り得ないし、あってもやはり心配ない。
何故なら私は私の信頼出来る友人を隣に持つからであり、私の信頼出来る友人はこの私を隣に持つからである。我々は戦友なのだ。
一人が苦しい時、もう一人は助ける。一人が悲しみに沈む時、もう一人は笑って励ます。一人が眠っている時、もう一人は起きている。
そして一人が死にそうな時、もう一人はそいつを助けるのだ。それが戦友だ。神や人や後は十二姉妹、そういう要因により私は生まれた。
私の妹も同様に、それらの要因によって生まれた。生み出された細かい目的は違ったが、結局は同じだ。違いなく、我々は戦友なのだ。
だから私の戦友が死に掛けている時、私は手を差し出そう。私の戦友が眠い時、私は寝かしつけてあげよう。私の戦友が辛い時、
無神経なことを言ったりやったりしてでも、私は笑わせてあげよう。そういうことを互いに出来る者たちのみが、戦友と呼びあえるのだ。
今し方自分が被せたばかりの帽子を取り、彼女の頭を撫でる。二日前は私好みの香水の匂いと、女性の持つ特有の甘い匂いを持っていた。
だが、現在となっては埃と土、それに硝煙や煙、血の臭いが混ざり合ってしまっている。全部終わったら、シャワーでも浴びさせよう。
風呂に入るのもいい。時間が有ればそうしたい。二人で入るのもいいかもしれない。前に試みようとしたが、阻止されてしまったので、
今度こそは成功させて見せよう。大きな、銭湯でもこうは大きくないだろうという浴槽に二人だけで浸かって、血と汗を洗い流そう。
互いの髪や体を洗い合って、くすぐったり悪戯したりして、疲れと悪臭に別れの儀式を行って、それからベッドに飛び込むのだ。
良し、大体の今後の計画を立て終わったぞ。着替えて、エイプリルお姉様やメイお姉様と戦って、残りのお姉様たちとも戦って、
全員の首を得て、それで私はこのどうしようもなく素敵な一日を終えることにしよう。あ、風呂に入る時にお姉様も一緒にというのは、
どうだろうか。防水さえ問題が無ければそうしてもいいんだろうと思うけれど、問題があるなら気をつけなくてはならない。
私たちのボディを改造して、非力な、本物の人間の女と変わらない力しか出ないようなボディを作り、それに接続というのも解決案だ。
ただこれは私の気に入るところではない。何が気に入らないかと言えば具体的には言えないが、感覚的に嫌な手段なのだ。それで十分だ。
撫で続ける。すっかり安心した子供のような顔だ。体も私にもたれかからせている。一つ、疑問に思っていたことを尋ねてみた。
どうして助かったのかは大体分かったからいいとして、何故通信が途絶したか、何故私の背後から現れたのか、つまり二つだったが、
兎に角質問をぶつけた。もやもやと気持ち悪いものを残して戦闘に臨むのはお断りしたい。そんなことが気になって負けたら笑えない。
彼女は簡単に答えるのが上手かった。簡潔に答えてくれた。一つ目は衝撃で人間でいう気絶したのと同じ状態になっていたからだそうだ。
分からなくも無い。無反動砲をほぼ直撃に近い形で受けたならば、壁で防いでもかなりの衝撃が来るだろうし。納得の行く答えだった。
二つ目も、納得出来る答えだ。私が屋上に来た時、彼女は私と壁を一枚隔ててすぐ傍にいたそうだ。屋上に出るドアはどう設置されてる?
多くの場合は、小さな突起部分にドアだけをつけているものだ。その突起部分を形成する壁にぶち当てられたらしい。そりゃもう酷くに。
それも気絶の理由の一つとして数えてもいいだろう。爆風は彼女の大きくない体を浮き上がらせ移動させるのに必要なだけの力を持つ。
でもその方向まではそう細かく決定出来ないのだから、運が悪かったということだ、彼女も、私も。彼女は私に殺されてしまったし、
私は私で殴られたり恥ずかしい目に合わされたりということになった。二人で話し合い、色々と水に流して忘れてしまうことにする。
立ち上がる前に、くいと右手で顎を上げさせる。つぶらな瞳が私を見る。そんな彼女の頭を最後に一撫でして、私は立ち上がった。
彼女もそれに追随しようとするが、気絶から回復したばかりで体の調子が良くないのか、危うい様子だったので、手を貸した。
少女は礼を言って立ち、頭を二度三度振ってから、私の手を離す。私は彼女がそうしている間にライフルを拾った。傷は無い。
少なくとも、使用に面倒ごとを引き起こすほどの損傷は、無い。これも壁のお陰だろう。いや全く、ありがたいことだった。
小屋に戻って、服を出した。きゃいきゃいと二人で騒ぎながら着替えを始める。前回と同じく、私の手が上手く届かないところは、
彼女がやってくれた。着替えながら、フェブお姉様に連絡を入れる。彼女は何やら別のことに気を取られていたらしく、
私の報告にも興味を見せなかった。余程のことでも発生したのだろうか。私は、それが悪い出来事でないことを祈るばかりである。
ふと、妹の姿に目を留める。うーん、この軍服も彼女たちが着れば中々悪くは無いのだけど、どうせなら彼女の服も買えば良かったわね。
今後の計画に一つ予定が増えた。服を買おう、彼女の服を。うんと可愛らしい奴を、値段など無視して、金に糸目を付けないで買うのだ。
それを彼女に伝えると、また始まったよこの人は、なんて顔をした。咎めたが、流された。まあ、期待しときますよ、という態度である。
普段なら既に小突いているところだが、今回はどうしてか気付いた。これは彼女の捻くれた期待の表現なのだ。目的を放棄しているが。
だってそうだと思う。己の意思を伝達することが言語の最上目的だ。嘘の意思を伝えることもあるが、それはややこしいので放っておく。
なのに彼女は今まで、あんな表現で私に伝えて来たのだ。思い出してみると、苛つく言動も、良く考えればこのパターンと多く一致した。
額をぴしゃりと叩く。神に対する呻き声を上げたりはしなかった。後悔とでも私は悪くないんじゃないかという考えが生まれる。
捻くれたやり方をして、それを理解しろ、察しろというのはかなりの無茶で、それを強制することに到っては罪悪にも等しいと思う。
数秒考えて、昔のことは放っておけという結論に到った。大切なのは今だというのは遥か昔から伝わる非常に納得出来る思考の傾向だ。
先人の教えは偉大である。うんうん。頷き、今からのことを考えることにした。差し当たり、彼女の期待を満足させる予定を考えようか。
服を着替え終わり、くるっと回転してみせる。ぱちぱちと拍手。モデルとかそんな感じだと言われたかったが、彼女の言葉は辛辣だった。
何を言われたかは思い出したくもないことだ。やっぱり彼女の表現方法には私は馴染めない。直接的に表現するのが私だからだろう。
そこに一切誤解する余地が無い、明白で分かり易い表現を私は好む。好きだったら好きだと言うし、愛していれば愛していると言う。
嫌いだったら銃を向ける。好きでも銃を向ける。何だ、どっちも変わらないな。だがそれは問題ではない。行為に到る理由が違うからだ。
動機が違えば行動は意味を変える。殺すということにしても、愛しているから殺すのか、愛しているけど殺すのか、嫌いだから殺すのか、
大きく分ければこの三つで大幅に意味が変わる。この中に一つ入れるとすれば、嫌いだけれど殺すも入れていいだろう。時に我々は、
我々はというのは人間もアンドロイドも、という意味だが、死よりも惨い仕打ちを思いついたりするものであるからだ。
……さて、ここでいきなり思いついたのだが、髪の毛をそろそろ変えてみるのは如何なものだろうか。ヘアスタイルを変えるというのは。
この服に似合うようにしながら変えなければならないだろうが、そこはそれ、二人で何とかしていこう。それが戦友というものでしょう?
記憶を探り、美容院等、何でもいいから髪に関係する場所を捜索する。すると途中でカツラ店がヒットしたので、私は腹を抱えて笑った。
最終更新:2008年09月27日 21:49