一体なんだって僕はこんなところに居るんだろう。
僕の素直な感想は、その一言に尽きるといっていい。いやはや本当にそうとしか思えなかった。
なんだって、一介の十二姉妹隊所属のギルド兵に過ぎない僕が、よりによって僕が、こんなところに居るんだ。
こんなところ──僕と二ルソンさん以外は十二姉妹とマダムだけのパーティーを開催中である、マダム・マルチアーノの屋敷なんかに。
さっきから胃が重い。まるで初出撃の前みたいに眩暈がする。
数分前に何とか気を落ち着かせようとして飲んだ酒が逆流しそうだ。ついでにツマミも。
ギルドの訓練ではこんな時どうすればいいか教わらなかった。精々が精神安定剤を一人分処方してくれるだけだった。
だから僕は自分だけの能力でこの事態を乗り切らねばならない。とんでもない吐き気と、このパーティーを。
ここには僕を助けてくれる戦友はないし、赤と白のカプセルに入った飲み過ぎると宇宙から帰れなくなる薬もない。
いや、後者は一瓶ほどあった。但し、僕の私室だ。
でもそこまで辿り着くには車の運転が十分ほど必要で、そんなことをしている余力や、パーティーの主催者の許可はなかった。
急に吐き気が込み上げる。プレッシャーのせいで吐き気を覚えることはそうそうないが、お陰で酷く苦しい。
仕方のないことだろう。あの憧れの十二姉妹たち全員とパーティーを、他のギルド兵なしでするなんて、
良く考えないでも僕などにはかなりの重圧となる。というか何故誘われたんだろう、分からない。
今は何とか三階のパーティー会場からテラスに行き、外を眺めながら夜の澄んだ空気を吸い込んで耐えているが、
一度内に入ればどうなるか予想出来ない。
今みたいな状況になることを知っていたら、オーガストの誘いも何か理由をつけて断っていただろうに。
後ろで音がした。振り返ると、丁度今脳裏に名前が走ったばかりの少女が立っていた。
「とっしー、大丈夫?」
彼女と比べて大きく見えるシルクハットを揺らせながら、彼女は僕に尋ねる。
普段通りのやや強気な表情は崩さないが、純粋に僕を心配していることくらいは流石に分かる。
口を開こうとすると危険なので頷いて答えたが、信用はして頂けなかったようだ。
「とてもそうは見えないよ」
オーガストは服を夜風に少しはためかせながら近づくと、背中を擦ってくれた。
申し訳ないことにその行為によって僕の状態が改善されることはなかったが、
それでもある程度は気が楽になった。胸の中で渦巻くものも幾らか消えた。
僕は彼女にすまないと思い、会場へと戻そうと考えたが、オーガストは動かない。
ただ黙して背中を優しく撫でてくれる。
束の間、僕はそれに甘えていたが、時間を取らせ過ぎてはならない。
彼女たち十二姉妹は家族全員が揃うことが珍しい。今日揃っているのは、運良く一ヶ月の長期休暇を貰えたからに過ぎない。
だというのに、隊員一人如きの為に貴重な時間を割くのは、甚だ無駄というものじゃないか。
……とは言っても、オーガストは決して聞かなかった。
僕の小さく途切れそうな言葉が聞こえなかったかのように、彼女から見て左側にある梯子を指差して言う。
「そこの梯子、上れる?」
普段より時間が掛かるかもしれないけど、多分大丈夫だと答えた。
時の経過のせいか、僕は僅かなら話をしても問題ない程度には回復していた。
彼女はその様子を見ると、梯子を上る理由に関する僕の質問に答えることもなく、上がるように言う。
幾ら僕が外見的、精神的に上でも、立場はあちらが上だ。吐き気を再発させないようにしながら上がった。
梯子を上りきり屋根の上に立ったその時に、何故だか溜め息が出た。ちょっとばかり涙も出た。
雲は一つとして存在せず、星の光る空は極めて美麗だ。空気も、テラスより些か高い位置にあるだけなのに、随分と良く感じる。
暫く見惚れていると、踵に柔らかなものが当たった。すぐに何なのかを悟る。オーガストの手だ。
彼女はシルクハットを落とさないように用心して上がってくる。
僕は許可を取ってからシルクハットを取り、梯子を上る手助けをした。
上がってきた彼女の頭に、そっと帽子を被せる。夏の代名詞たる月の名前を冠された少女は、
その名前にぴったりの明るい笑顔で、僕に礼を言った。
しかし、彼女までここに来てどうするのだろう。気になったので、不躾ではあるが尋ねてみた。
「一人じゃ寂しいでしょ?」
いや、別に。
喉から出掛かった本音を押し殺す。危うかった。憶測ではあるが、言ったが最後、爆弾か蹴りが飛んで来ていただろう。
僕は屋根に背を預け、空を眺め始めた。隣にオーガストが同じ体勢で転がる。
暫しの間、一言も口を開かずに空を眺め続ける。流れ星が一つ何処かへ流れて行った。
「ねえとっしー、ごめんね」
突然謝られたので、僕は一瞬聞き間違えたか、空耳かと思った。
けれど確かに聞こえていたから、彼女は何かに責任でも感じているのだろう。
多分それはパーティーのことだ。僕が芳しくない体調であることを、気に病んでいるに違いない。彼女の責任ではないことなのに。
誰かの気持ちを読むことは絶望的なまでに苦手だったから、
実は全く関係ないんじゃないかと思って彼女の杞憂を否定することは難しかったが、
勇気二、三年分を振り絞り、伝えた。
でも、やっぱり僕は信用がないようだ。
彼女の横顔はまだ僕を心配しているようだし、僕にさえ分かるほど、『何か出来ることない?』と言わんばかりのオーラが出ている。
分かっていて黙るのは苦手だったので、僕は彼女に話をしてくれるように頼んだ。
出来れば彼女が好きな話題で、飛びっ切りに明るい奴を。
オーガストは一頻り眉間に皺を寄せて考え込むと、世紀の大発見をした科学者のような、
有体に、簡単に表現すると笑顔で、訊いて来た。
「じゃあ、とっしーがどうしてパーティーに呼ばれたか、聞いてみたくない?」
確かにそれには興味がある。僕が呼ばれた理由。もっと言えば、僕しか呼ばれなかった理由。そいつは一体何なのか。
焦らすように、人差し指を唇に当てて黙してしまうオーガスト。
僕はどうにも短気な方なので、そわそわと落ち着きがなくなってしまう。
自覚出来る程度なのだから、オーガストには良く分かったろう。
彼女はくすりと笑って、答えてくれた。
「今は折角の長期休暇なのに、一緒に遊びに行く仲間も居ない可哀想なとっしーに救いの手を! と考えたの」
可愛い顔してとんでもないこと言ってくれる、この娘。
長期休暇中に何処にも行く予定がなかったのは正しい。
まだ何処にも行かず残っている仲間も居るのに、どうして知ってるのか不思議だけど。
もう少しいい理由を期待していたのにと、そう思った時だった。彼女が僕の表情を見兼ねたのか言った。
「あはは、冗談だよとっしー。理由はね」
そこでオーガストは口篭る。
彼女らしくない行動に、僕は何とも言えない。
「理由は、その」
月明かりで微妙に照らされているせいで彼女の表情が良く分からない。
第一横顔から表情を読むのは難しいことだ。凡そしか分からない。
声の調子から察するに──駄目だ。僕はそういうことが苦手なんだった。
要するに待つしかない訳だ。オーガストが教えてくれるのを。
「あは、やっぱ秘密」
ぴょんと飛び起きて、こちらを向き直る。照れているような顔だった。
色々と腑に落ちない僕はあくまで追求する。納得の行く答えを求めて開かれた口が、いきなり塞がれた。
良い匂いの金髪が目の前に広がる。緑色の瞳も目前にある。何が何だか分かるけど分からない。
数秒にも思えたけれど、多分それは僕の気のせいで、コンマ数秒かもしれない。
兎に角彼女はその行為の後顔を引き離して、こう言った。
「流石のとっしーでも察してよね!」
間違いなく照れ隠しの為に大声を張り上げて、梯子をあっという間に降り、テラスへ降り立つ。
慌てて顔を覗かせて、テラスを見た。オーガストは赤面しているが、僕もだ。この前食べた蛸とやらより赤いと思う。
ふと、自分の体調が元通りになっていることに気付いた。驚きではあるが、話している内に落ち着いたらしい。
これならパーティー会場に出て行っても大丈夫だろう。
オーガストは知ってか知らずか、手招きして僕を呼んだ。
彼女よりも素早く梯子を降りる。まだ小さな少女は、満足げに頷いた。
一緒に会場へと戻ろうとすると、ぐい、と服を引っ張られる。
耳打ちをしたいらしい。近づけると、早口でこう言って来た。
「さっきのはパーティーにつきもののプレゼントだからねとっしー」
表情と声の響きから、恥ずかしくて溜まらないのだということが丸分かりだ。
だから僕はちょっとだけ彼女に意地悪をしたくなって、じゃ、お返しのプレゼントをしておくよと答えた。
そしてぽかんとしているオーガストの柔らかな頬に対して、
他の姉妹に見られていたら恥ずかしいな、と思いつつ、さっきの彼女と同じ行動を取る。
彼女と比べて僕は大人だ。恐らくは。故に、恥ずかしさから来る赤面を誤魔化す方法くらい分かっていた。
服のポケットから飲み掛けのウィスキーの小瓶を取り出す。
パーティー会場に戻ろうとする僕の後ろでは、オーガストが一層赤くなって立ち尽くしていた。
最終更新:2008年11月25日 22:19