「お手伝いありがとうございました、としあきさん」
私室のドアの前に立っているジュライ隊長の言葉に、僕は恐縮してしまった。
いえいえ、軽いもんですよ。御用とあらばいつでもどうぞ。
普段からそんな態度なくせに、ちょっとしたお礼でこうだ。困る。慣れるのも何だか嫌だが。
「ところで、宜しければお茶を飲んでいきませんか? 私の部屋で」
固まる。理由は三つ、実に分かり易いものだ。
理由A:お茶に誘われたから。
理由B:場所がジュライ隊長の私室だから(いい意味で)。
理由C:場所がジュライ隊長の私室だから(悪い意味で)。
我々にとって彼女の私室とはブラックホールと殆ど同義語だ。吸い込まれたら出て来れない。少なくとも、元のままでは。
とある勇敢無謀な兵士を、いや、彼の出て来た時の姿を考えれば、入るべきではなかった。
「迷惑かしら?」
かしゃり、と刀が金属音を出す。即決。行こう。僕は横に首を振って、迷惑でないことを示した。
単に彼女は、本当に迷惑なのかどうかを聞こうとしただけなのだろう。
けれど、刀の音は僕に判断を下させるには十分な威圧感を持っていた。
では行きましょうか、としあきさん。はい、ジュライ隊長。そんなやり取りをして、僕は彼女の私室に入る。
玄関に当たる場所で靴を脱いだ。さっきから見えてはいたが、洋室であることに少し眉を上げる。
和室だとばかり思っていた。ほら、この隊長だしさ。
「こっちです」
案内され、部屋を通っていく。明らかに場違いな襖を発見。へえ、和室を作っているのか。
僕はそこに通され、入り口に近い方の座布団に座した。隊長はお茶を用意すると言って部屋を出る。
さて、一時的に自由な行動が可能になった訳だが。
ここは『いのちだいじに』で行くべきか、それとも『ガンガンいこうぜ』で行くべきか。一瞬の逡巡の後、前者にする。
臆病者とは誰も言えまい。言っていいのは芝の下で眠っている奴らだけだ。そしてここは円卓、死人に口なし。
恐らく台所からだろう、お茶の匂いが鼻に届いてきた。僕は詳しくないが、煎茶だろうか。
暫くしてから、湯呑み二つと茶菓子、それにポットを置いたお盆を持って隊長が入って来た。軽く頭を下げて謝意を示す。
「どうぞ、熱いので気をつけて下さいね」
手から手へ渡される湯呑み。が、生憎手は触れ合わなかった。こういう時は触れ合うものだと相場が決まっているんだが。
首を捻りつつ、器の中に満たされた緑を口につけ、啜る。
あ、おいしい。口に出して言ってしまう。ちょっと気恥ずかしくなった。
同じようにお茶を飲んでいた隊長は、それを聞いて、見て、いつもの濃艶な笑みを浮かべる。
いやはや、この微笑を間近で見られるのは幸せだ。しかもいるのは僕たちだけ、二人きりと来た。
僕に絵の才能があったらなあ、などと思う。どうせあっても富江みたく、本来の美しさの何百分の一しか描けないだろうが。
「ところで、としあきさん」
茶菓子の煎餅をぱりぱりと食んでいた僕に、ジュライ隊長は尋ねた。
「何故今日に限ってお茶に誘ったかお分かりですか?」
分からないとしか言いようがない。別に気にならなかったが、何故だろうとは思った。
僕は良く隊長に割り当てられた任務を手伝うことがある。
それは入隊直後くらいからで、以後、特務などがある度に僕だけ名指しで呼び出されたりする。
最近のもので言えば三ヶ月前の特務番号二一九、取引現場に現れない武器商人を探す任務。家の風呂場で死んでた。太ってたからな。
一ヶ月前には特務番号二二二、反十二姉妹勢力への威力偵察。二週間と一日入院。あんな蜂の巣を突くのはもうごめんだ。
最後に今日、特務番号二二三。年末姉妹の教育含む世話。酷い目に遭った。セプが帰って来るまで続くらしい。
でも、お茶までご馳走になったのは今日が初めてだ。
以前は精々、特別危険手当の百五十宇宙ドル+αか、または一緒に行動出来る楽しみとスリルで支払われていた。
遂に去勢の番が来たとか。まさかね。そう思いながらも、僕の目は彼女が座る際、傍に置いた刀に向かう。
不意に隊長が立ち上がった。びくりとも出来ない。冷や汗が背中を垂れ落ちる。
あ、安心するんだ。落ち着け。刀は持っていないじゃないか。切り取られる危険はない。
それはさておき、小さなおっぱい夢一杯という言葉がある。なら、大きなおっぱいには一体どれくらいの夢があるんだろう。
答えは目と鼻の先にあった。隊長は僕の隣にいる。隠れた谷間に万歳。見えるのもいいけど隠れてるともっといいね。
「分かりませんか、としあきさん」
耳元に口をつけて囁くように言う。くすぐったい以上に恥ずかしい。多分僕の顔は真っ赤だ。
頷いた。全く分からない。くすくすと口を手で押さえ上品に笑って、彼女は言った。
「私は十二姉妹の一人です。兵を束ねる隊長です。常に兵の前を行かねばなりません」
僕もその考え方は知っている。いつだったか臨時の分隊長に任命された時に凡そ同じことを聞いた。僕もそれに賛同している。
「けれど」
隊長は手を伸ばして湯呑みを取り、一口飲む。肩が当たりそうなほどの近さ。きっと柔らかで気持ちいいんだろうな。
湯呑みを口から離し、続けた。
「時には私だって、誰かの横を歩きたいと思うのですよ?」
ふっ‐てん【沸点】
液体が沸騰しはじめるときの温度。ふつう1気圧のときの温度をいう。水の場合はセ氏100度(正確には99.97度)。沸騰点。
大辞泉より(原文ママ)。
「こんなことを言うのは可笑しいかしら」
僕は首を横に振った。可笑しいなんてことはない。それは不思議じゃないし、悪いことでもない。
自分が口下手なのが悔しい。こんな時、どういえばいいことやら分からない。気の利いた言葉が出てこないのだ。
口をぱくぱくと開閉させながら、何とかして意思を伝えようとする。押し殺したような笑いが上から聞こえた。
横を向く。隊長は立ち上がっていた。
「冗談です。そろそろ帰る時間ですよ、としあきさん」
嘘っぽかった。いや、嘘だった。明らかに嘘だった。余り鋭くない僕でさえ見抜ける嘘だった。
喋り方や少々赤らんだ頬を見れば分かる。僕は立ち上がって和室から出ながらも、本当に冗談なんですか、と言った。
彼女はそれに答えず、就寝時間が近いことを教えてくれる。そんな些事はダストシュートに投げ捨てちまえ。この屋敷にはないけど。
ドアまで押されるようにして向かう。靴を履いて、外に出る。ドアが閉まる前に言っておこう。
僕なら歩き放題ですよ。後、抱きつき放題。
「あらあら……ぐらつくじゃないですか、そんなことを言われたら」
ぐらついたなら、ついでにもう一つ。
また、お茶を飲みに来てもいいですか。隊長の暇な時にでも。
「いいですよ。いい茶葉を用意してお待ちしていますね」
そう言って、ジュライ隊長は微笑んだ。
最終更新:2008年11月25日 22:21