1962年 全般

F1 第2戦 モナコGP(モンテカルロ) 決勝

[初] Part22(673)
R.ギンザー(Richie Ginther・BRM P57) *** マーシャル死亡事故 ***
スタート直後のヘアピン(現在のラスカス)で多重クラッシュ。
その際にR.ギンザーのマシンから外れたホイールが、コース脇のマーシャルに直撃。
マーシャル(Ange Baldoni) は、この事故で亡くなってしまった。


関連外部リンク
当時のサーキット図
Monte Carlo 1955-1962 (theracingline.net)

F1 メキシコGP (非選手権・メキシコシティ)

[初] Part2(27)
R.ロドリゲス(Ricardo Rodriguez) *** 死亡事故 ***
F1に19歳の若さでフェラーリからデビューしたR.ロドリゲスは、翌年の11月1日に開催された地元・メキシコでの非選手権において、フェラーリが参戦しないことによりロータス・クライマックスで参戦。
しかし、最初の練習走行において最終コーナーを曲がりきれずにコースアウト、マシンはガードレールに激突。
車体から放り出されたドライバーは、アスファルトに叩きつけられ頭蓋骨と首の骨を骨折。
彼は病院への搬送中に死亡が確認された。

彼の兄であるP.ロドリゲス(Pedro Rodriguez) は、この事故後に一度は引退を発表している(数ヵ月後に復帰)。
後にこのサーキット(Magdalena Mixchuca) は、エルマノス・ロドリゲス・サーキット(エルマノスは、スペイン語で"兄弟"の意)と呼ばれることになる。





最終更新:2009年05月06日 15:25
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