1973年 F1

第3戦 南アフリカGP(キャラミ) 決勝

C.レガッツォーニ 炎上事故

事故の際に、レースに参戦していたM.ヘイルウッドが炎に飛び込んで救出にあたり、ドライバーは救出された。
この事故は、映画「グッバイヒーロー」にも収録されている。


第9戦 イギリスGP(シルバーストーン) 決勝

[初] Part1(181)
J.シェクターがホームストレートでスピン。
身動きが取れなくなったマシンに、後続のマシンが突っ込み15台以上の多重クラッシュが発生した。
大クラッシュにも関わらず、怪我人はA.デ・アダミッチただ一人(膝を捻挫)だった。

スタート直後(コース左側から)とコース正面からの映像
Silverstone 1973 start crash (YouTube)
上記とは別視点の映像
1973 - British GP - Silverstone - Live Coverage (YouTube)
決勝ロング・バージョン
Formula One 1973 British Grand Prix start (YouTube) ‥ '07/11/29 追加

第10戦 オランダGP(ザンドフルート) 決勝

[初] Part1(82)
R.ウィリアムソン(Roger Williamson) ***死亡事故***
R.ウィリアムソン(March 731) が転倒、マシンは炎上した。
事故をいち早く発見したD.パーレイが、レースを捨てて救助にあたったが、消火器をかけても炎は強くなる一方であった。
マシンを起こそうにも、マーシャルは防火装備をしておらず、F1マシンをパーレイ一人で起こそうと試みるがこれも無理なことであった。
パーレイはコース上で走るドライバー達に、必死に抗議するが皆黙々と走り続け、彼の目の前で親友は亡くなってしまった(死因は高温の有毒ガスによる窒息死とされている)。

ジャーナリストのイアン・フィリップス(Ian Philips) は、パーレイが燃えるマシンの中にいるウィリアムソンと言葉を交わしたことを明らかにしており、ウィリアムソンは「For God's sake, David, get me out of here(デイビッド、頼む!ここから出してくれ!)」と言う悲痛な叫びをあげていた。
当時の事をN.ラウダ(BRM)は、「パーレイの走り去る姿を見て、ウィリアムソンが無事逃げたと思った(映画・グッバイヒーローで、このコメントは確認できる)」と語った。
また、J.スチュワートは、「車が燃えていたが、赤旗が出ない限り、我々は走り続けなければならない」と語っている。



第15戦 アメリカGP(ワトキンスグレン) 予選

[初] Part1(68)
F.セベール(Francois Cevert) ***死亡事故***
予選終了直前、F.セベールはすでに4番手のタイムをマークしていたが、彼はさらにタイム短縮を試みていた。
セベールはピットクルーからのサインを確認し、最後の1周に入った。
第1コーナーをクリアーし高速のエシィズ・コーナーから長いストレートに向かう。
突然、セベールのティレル006/3はコントロールを失い右側のガードレールに接触、弾き返されるように小山を駆け下って左側のガードレールに真正面から突っ込んだ。
激突のショックでマシンの外皮はバラバラになった状態で飛ばされ、裸になったマシンは大きく一回転してガードレールの上に転落。
マシンとドライバーはこの事故で真っ二つになってしまい、帰らぬ人となった。

この事故を目の当たりにした、同僚のJ・スチュワートは100戦目の記念レースを辞退し引退。

Francois Cevert fatal accident (YouTube)
※クラッシュ時の動画は存在しないと思われる。

事故直後のマシン(コース側)
※他に、事故後のバラバラになったドライバーとマシン(モノクロ)の画像が激しく既出。


最終更新:2009年05月06日 15:42
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