1975年 F1

第4戦 スペインGP(モンチュイッヒ)

[初] Part2(469)
R.シュトムレン (Rolf Stommelen) *** 観客死亡事故 ***
R.シュトムレンのマシンがガードレールを越え、巻き込まれた観客4人が死亡した。
レースは29周で赤旗終了、入賞者には半分のポイントが与えられた。

このグランプリでは、レース前からドライバー達からサーキットの安全性についての問題が提起されており、E.フィッティパルディは出走を拒否している。
R.シュトルメンは、この事故で両足を骨折したことにより、皮肉にも11月に起こるG.ヒルの飛行事故を免れることになった。
次戦・モナコGPの主催者は、サーキット環境がスペインGPと似ていることに危機感を感じ、モナコGPの決勝を18台での開催としている。

完走8台となったこのレースで、F1女性ドライバーのL.ロンバルディーニ(Lella Lombardi) は、6位で完走しポイントを獲得している。


第10戦 イギリスGP(シルバーストン) 決勝

[初] Part40(104)
パーチェ、レガッツォーニ、プライス、シェクターらが次々と首位を入れ替え、小雨が降ったり、晴れたりと目まぐるしい展開となった。
上位が僅差のまま続いたレースは残り14周となる53周目、小雨模様から遂に豪雨へと状況が変わる。そして56周目に次々とアクシデントが発生。
突然の降雨に数台のマシンが追突、そこへ他のマシンが何台も突っ込んだ。
ほとんどの事故がストウ・コーナーからクラブ・コーナーで起きた。クラブ・コーナーではJ.シェクターが、周回遅れのD.モーガンと絡みコースアウト、停止したマシンにJ.ハントが突っ込んだ。
間もなくW.フィッティパルディもスピンして、残骸の餌食となる。
手前のストウ・コーナーではJ.ワトソン、J.マス、M.ダナヒューらが走行不能、他にJ.ニコルソン、B.ヘントン、T.ブライズ、J-P.ジャリエ、P.デュパイエ、トップのE.フィッティパルディに迫っていたC.パーチェも事故に見舞われた。
豪雨発生時にピットインしたE.フィッティパルディ、M.アンドレッティ、A.ジョーンズ、V.ブランビッラはすんでのところで難を逃れ、急激に減速の措置をとったフェラーリの2台(レガッツォーニ、ラウダ)も事故に巻き込まれる事はなかった。
多発する事故と豪雨の状況でようやく赤旗が振られ、56周終了時を以ってレース中止の措置がとられた。
エマーソンが最後フィニッシュラインを通過した事で、それを中止周回ととるのか、赤旗掲示の周とするのかで大もめとなり、結果エマーソンの優勝に異論はなかったものの、事故でストップしたパーチェが2位となり、巻き込まれずに結果一周多く走った形のブランビッラが6位となるなど、2位以下の順位裁定は大混乱となり、イギリスGPは73年の大多重事故、74年の観衆乱入事件に続きまたも醜態を演じる結果となった。


第12戦 オーストリアGP(エステルライヒリンク)

[初] Part1(220)
1.フリー走行
M.ダナヒュー(Mark Donohue) ***死亡事故***
M.ダナヒュー(March-751)が、高速コーナーでクラッシュ。
救出されたダナヒューは、当日の夜に激しい頭痛に襲われ、2日後に亡くなった。
キャッチフェンスの支柱に頭部をヒットしてしなったのが原因といわれている。

2.決勝
激しい雨により29周をもって終了が決定し、V.ブランビッラ(March-751)が、先頭でフィニッシュラインを通過し優勝を決めた。
しかし、彼がガッツポーズをとった途端、マシンは突如ハイドロ現象に見舞われてコントロールを失い、コース右側のウォールに激突してしまった。


なお、この事故はスロットルが戻らなくなった為に起きたという説がある。


最終更新:2009年05月06日 15:46
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