第3戦 南アフリカGP(キャラミサーキット) 決勝
[初] Part1(9)
シャドウ-DN8に乗る、R.ゾルツィがエンジントラブルでコース脇に停止しリタイア。
彼のマシンのエンジンから発火、消火作業にあたり消火器を持った2人のマーシャルが起伏が激しく、見通しの悪いストレート・コースを横断。
ゾルツィと同じシャドウに乗るT.プライスが、横断中の2人目のマーシャルを撥ねてしまう。
撥ねられたマーシャルは、体を回転させて地面に落下し即死。
このマーシャルが持っていた消火器がプライスの頭部を直撃し、ドライバーも即死した。
彼のマシンは全開で回り続け、第1コーナーでJ.ラフィーのマシンに襲いかかり、彼を巻き込んでキャッチネットを完全に破り、フェンスに激突してやっと止まった。
幸い、炎はあがらずにラフィー自身もかすり傷で脱出できた。
撥ねられたマーシャルは、J.ヴァン・ビューレン。当時19歳であった。
第10戦 イギリスGP(シルバーストーン) 予備予選
[初] Part4(386)
D.パーレイ(David Purley)
事故は第一コーナーから緩いカーブのマゴットカーブを抜けた所にある、ほぼ90度ターンのベケッツ・コーナーで発生した。
D.パーレイのマシン(LEC CRP1) は、車速170km/h以上(計算上)でキャッチフェンスを5~6個突き抜けて壁に激突、フロントが大破しスロットルは開放状態、タコメーターの針は6000rpmで止まっており、シフトレバーは5速のままだった。
彼はこのクラッシュで29箇所を骨折、3箇所の脱臼そして6回の心臓停止という生死の間をさまよう重傷を負ったが、彼は生還し、179.8Gの衝撃を受けながら生存できた人間として当時のギネス記録となった。
パーレイはこの事故でキャリアを終え、その後アクロバット飛行に転向するが、1985年7月に演技中の事故で他界した。
クラッシュしたマシン(LEC-CRP1)は、ドニントンのレーシングミュージアムに、そのままの状態で展示されている。
事故後回収されたマシンの写真
動画は予備予選中の事故ということもあり、存在しないと思われる。
第17戦 日本GP(富士スピードウェイ) 決勝
[初] Part1(64)
6周目を迎え、15位前後を走っていたR.ピーターソン(ティレル)が、第一コーナーへ入る際に前を行くG.ヴィルニュープ(フェラーリ)を外側から抜いた。
この時、ピーターソンの右リアタイヤに、抜き返そうとしたビルニュープの左フロントタイヤが乗り上げるように追突してしまった。
ヴィルヌーブのマシンは宙に舞い、空中で一回転して観客席に突っ込みながら崖下へ転落、マシンは底面から着地、ドライバー自身はヴィルヌーブとピーターソン共に無事であった。
しかしこの事故で、マーシャルと日本人カメラマンが頭などにパーツを受けて死亡、6人が重軽傷を負った。
この事故で、翌年から1987年・鈴鹿開催まで日本でのF1の開催は中止となった。
本来は立ち入り禁止区域であった事故発生箇所に、観客らが立ち入ってしまった為に発生した惨事であった。
当時の中継映像では、被害者に画像修正なしで映像が流されたが、後に発売された編集版では被害者にモザイクがかかっている。
写真は、ヴィルヌーブが乗り上げた瞬間などが数点あがっている。
最終更新:2009年05月06日 15:45