第14戦 イタリアGP(モンツァ) 決勝
[初] Part1(70)
R.ピーターソン(Ronnie Peterson)
最後尾のマシンがまだ止まっていないにもかかわらずシグナルが青になりレースはスタート。
中盤から順位を上げようとしたR.パトレーゼがJ.ハントに激突、ハントのマシンはR.ピーターソンに激突。
ピーターソンのマシンはガードレールに激突し炎上した。
救急車でサーキット内にあるメディカル・センターへ運ばれた彼は、意識もあり言葉もしっかり話していた(ワトキンス博士に、傍にいて欲しいと懇願したらしい)。
ここでは、静脈注射と複雑骨折した両足へ添え木による応急処置が行われた。
その後ヘリで搬送され、搬送先の病院でX線検査等を行った結果、足に血行障害の恐れがあることから、骨折箇所を元に戻す手術を行われたが、手術後の翌日未明に呼吸困難を引き起こし他界する(手術後の血栓症が原因で、多種多様の脂肪粒が肺・脳・腎臓などの動脈に詰まった事が彼を死に至らしめた)。
彼は、決勝直前にロータス79をクラッシュ、急遽スペアカーの78に乗り換えている(車体の強度が高い79であれば、骨折せずに済んだ可能性があった)。
V.ブランビッラも今回のクラッシュにより頭部に重傷を負い、事故当初はむしろ彼の方がシリアスな状況であった。
彼はその後のレースを欠場、1979年以降はアルファロメオで数戦スポット参戦するが、1980年をもって引退している。
当時、この事故の原因はR.パトレーゼにあったして彼は非難を浴びたが、本当の原因はJ.ハントだと言われている。
当時の新聞や一般誌には、ピーターソンの死に顔が掲載された。
最終更新:2009年05月06日 15:44