1989年 F1

シーズン開始前 テスト走行中

[初] Part2(265)
P.ストレイフ(Philippe Streiff) がクラッシュにより脊髄損傷、左半身麻痺となり車椅子の生活を余儀なくされてしまった。


第2戦 サンマリノGP(イモラ) 決勝

[初] Part1(20)
G.ベルガーが高速コーナー・タンブレロを曲がれず直進、ウォールに激突。
マシンは壁に沿うように滑り、ようやく停止した瞬間マシンは炎上。
ベルガーがなかなかマシンから脱出せず、息を飲む瞬間だったがマーシャル迅速な対応で消化、救出された。
レースは赤旗で一時中断となった。
ベルガーは軽い火傷で済み、次戦・モナコGPを欠場するが第4戦・メキシコGPで復帰。

フロント・ウイングの破損がクラッシュの原因と言われている。
また、通常はシート後ろにある燃料タンクをドライバー横のサイドポンツーン内にまで広げていたことが、炎上に繋がったと思われる(翌年から燃料タンクはドライバーの後ろのみとレギュレーションで定められた)。


第3戦 モナコGP(モンテカルロ)決勝

[初] Part39(361)
A.デ・チェザリス、N.ピケ


第7戦 フランスGP(ポールリカール) 決勝

[初] Part3(190)
M.グージェルミン

第9戦 西ドイツGP(ホッケンハイム)

[初] Part24(758)
G.ベルガー


第13戦 ポルトガルGP(エストリル) 決勝

[初] Part1(101)
リバースギア使用により、走行中のN.マンセルに失格の黒旗が提示された。
しかしマンセルはこれを無視し、走行を続け49周目にA.セナと接触し両者リタイヤとなってしまった。
A.プロストのフェラーリ移籍も決定しており、マンセルのこの行為は翌年チームメイトになるプロストへの援護射撃を行ったのではないかと言われている。

マンセルは次戦のスペインGPを欠場。
失格などに対する抗議の為、F1ドライバーから退くことをほのめかす事件も起きたが、日本GPから復帰した。

第15戦 日本GP(鈴鹿) 決勝

[初] Part1(225)
A.セナとA.プロストがシケインで接触。
プロストは早々にマシンから降りたが、まだタイトルの可能性を捨てていないセナは走行を続け、トップでチェッカーを受けた。
しかし、マーシャルの押し掛けによるスタートが違反となり、後に失格となった。


第16戦 オーストラリアGP(アデレード) 決勝

(1)Lap13-14
雨の最終戦、A.セナがM.ブランドルに追突。
このクラッシュでA.セナは僅かなチャンピオンへの可能性を絶たれてしまった。


(2)Lap19-20
[初] Part3(778)
N.ピケ、P.ギンザーニ


最終更新:2007年10月20日 01:10
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