飛ぶ鳥を見たら 背中をおして」

僕は世界を愛した
海に空に朝焼けに
入り込んだ路地裏、うっとおしい人ごみさえ
僕は愛していた
けれども世界は僕を受け入れない
世界は僕を愛さない
知ったなら
僕はどうするべきなんだろう

1
「ああ、やっぱり来たね」
「お前が呼んだんじゃん」
「ねえ?」
振り向いて、いたずらにテコラは笑った。
広がった青い空はぶち抜けて雲一つない。
まだ冬の寒さの残る屋上はキンとした空気に包まれている。
風がテコラの紙を揺らして、テコラはもう一度柵から身を乗り出す。
「危ないよ。」
モートは近付きながらテコラに言った。
隣に並んだ時、テコラが肩をすくめてモートに言った。
さっきの様に微笑みながら。
「来ると思った」
「来ないと思われる方が心外だよ。」
「いやいやそういう意味じゃないよ」
じゃあどういう意味だよ、とテコラの真似をして柵から身を乗り出した。
モートが柵にもたれるのを見てテコラはゆっくり話しだした。
「ごめんね急に呼び出して」
「別にいいよ。いつもの事だし。」
「はは、そうだね」
「何、話って」
「うん....」
モートの方を見ていたテコラの目線がゆっくり逸らされて、真っ直ぐ正面を向いた。
でも見ているものは全く違う様に思えた。
両手を組み合わせて、白い息を吐く。
うつろげにテコラは突拍子もない事を言った。

「飛ぶ鳥を見たら背中押してほしいんだ」

「は?」
訳の分からない頼み事にモートは眉をひそめた。
モートはテコラの幼い頃からの友人で、大層変わった奴だという事を知っていた。
しかし、こんな突拍子もない事を言われたのは初めてで、何と返したら良いのか分からなかった。
「どういう意味?」
意味が分からなかった。
詩が好きで、ロマンチストなテコラが比喩的に会話を進めるのはいつもの事だが、言葉の端々にその意味を感じ取る事はいつもなら出来たモートも、この言葉の意味は分からなかった。
「そのまんまだよ?」
どうしてわからない?という風にテコラは小首をかしげモートを肩越しに見た。
「ごめん、全くわかんない」
目線をテコラから外して返答した。
テコラはゆっくり柵から離れて、冷たいコンクリートの上をひたひた歩き出した。
真っ赤なマフラーが風邪になびく。
モートと十分な距離を取って振り返る。
少し嬉しそうに、モートを見て
「ココから、背中、押して欲しいんだ」
「ココ?ココって?」
黙ってテコラはモートを見つめる。
寒いのか両手をポケットに突っ込んでいる。
少し考えて、愕然とした答えを見た。
「....ココ?」
指を指した地面は屋上のコンクリ。
その返答に喜んだテコラの顔は、ちっとも歪んでいなく小綺麗な顔つきだった。
風がぶわりと吹いた。
テコラは空を仰ぎ見て、
「さむいねえ、もう3月だよ?」
「何言ってんの?」
ゆっくり元の位置に戻り始めた。
「地球の異常気象は間違いなく進んでるね」
「背中押せって....え?突き落とせって事?」
「南極の氷はどんどん溶け出してるんだよ」
「お前をココから突き落とせって?そういうこと?」
「日本は島国だからあっという間に沈没するね」
「話聞けよ!!」
ころころと笑うテコラにモーテが怒鳴った。
笑っていた顔をゆっくりと鎮めてもう一度柵から身を乗り出した。
「.....本気?」
さっきのテコラの表情は冗談を言っている様には見えなかった。
モーテをからかおうという顔ではなかった。
「僕がお前をからかうと思う?」
悲しみとも、怒りとも、何とも言えない感情がモーテを覆った。
沈黙が2人を包んだ。
落胆していたモーテを見つめていたテコラが、柵に背を向けて言葉しっかりと沈黙を破った。
「だって一人で見るのはあまりにも悲しいじゃない」
「....何を」
「ワールズエンド」
テコラは、さっきまでニコニコ笑っていた人物とは全く別人の様に冷たい目でモーテを見つめた。
「ワールズエンド....」
「そう。世界の終わり。一人で見るのは悲しいでしょ?」
「何で?」
「核爆弾落っことすのと、自分の頭打ち抜くの。どっちが容易く世界は終わる?」
「そういう話じゃなくて....」
「うん、頭打ち抜くのは寂しいし。だったら手伝ってもらおうかなって。」
モーテは見当違いな回答を次々に吐くテコラに確信を持った。
テコラは本気だ。
うなだれて、柵にもたれて頭を抱えテコラに尋ねる。
「何があったんだよ....」
テコラは冷たい目のまま、優しい声色で語り出した。

2
「僕はね、この世界を愛してたんだ」

テコラは変わった男だった。世界の全てを一つ一つ、丁寧にすくい上げて綺麗に大事にするような男だった。
それは何も美しい風景や、花々やそんな当たり前のモノだけではなく、街角のゴミ捨て場や悪臭漂う公衆便所まで。つまりは破壊されていく世界すら、兎に角、全ての存在を愛しているような異常さだった。
テコラは続ける。
「でも世界は僕を愛してはくれない」
全部知ってるみたいな顔して、悲しいのか、むなしいのか。
テコラの表情は汲めなかった。
後ろ風がテコラの頭をなでて、髪の毛がテコラの顔にかかる。
「愛したよ、愛した。世界が、この全ての存在が幸せになるように。や、幸せじゃなくても良い。そこにそのままで、ある事で意味をなせるために」
テコラは段々モーテを見ずに喋り続ける。
まるで自分に問いかけている様に。
「祈った。....祈ったんだ。祈ったんだよ、なのに、ねえ?世界はどうして?」
嗚咽の様に、バラバラの言葉に意味を繋げて、テコラは懸命に伝えようとした。
モーテは混乱にテコラを見つめる。
「どうして.....僕をみつけない?」
嗚呼、神様。
居るとして、神様。
モーテは空を仰ぐ。
テコラは返答を求める様に、救われたいような目でモーテを見下ろした。
なぜ?と。綺麗な目と、澄み切った空に襲われて、その全てはモーテに向かった。
「見つけてるよ、見つけてるさ。何が不満なんだよ」
「じゃあ何故僕の望みは報われない」
「お前が何を望んだんだよ」
「.....」
「望みが全て叶うなんて思い込む程、お前は愚かじゃないだろ?」
「僕は」
「明日が晴れればいいと思う、そしたら明日は晴れるだろ。海が見たいと思ったら、自転車に乗れば良い。いつだって見に行ける。二本の足と拾い手が付いている。お前は何も不幸じゃない。」
「救われたかった」
「救い?」
はっ、と笑ってモーテは息をまいて返す。
「世界はいつだってお前の近くでいつだって、今もそうだ。救ってるよ。気付かないだけだ。」
「そんなんじゃあない.....」
うつむいて、ぶんぶんと首を横に振って「そんなんじゃないんだ」と少しづつ声を荒げる。
「じゃあなんで.....」
モーテが言いかけて、テコラが言葉を遮った。
「そんなんじゃなくて......ちがくて....僕の想い....僕の世界がココとこの空間と....何故って思う....思った」
「なあ、」
「繋がってもいいじゃないか、思い上がりだって知ってる....でも....いいじゃないか。」
「繋がり......?」
ゆっくりとモーテは近付いて、テコラをなだめた。
うずくまりだすテコラの肩を抱いて、抱え込む様にもたれる体を支えた。
「祈った....祈ったのに.....、どうして僕を認めない」
「ほとんどの人がそうだよ。みんな。認められる時を望んで。いつか報われるはずだって」
「どうしてもっ....悲しくて.....でも愛してる!愛しくて....でも認めてはくれないんだ...!」
「そんなことないよ、いつか、今だって、認めてくれてるよ。気付いてないだけで」

「じゃあどうしてあの子がいない!!」

優しく言葉をかけるモーテに声を荒げてテコラは叫んだ。

叫びに、モーテは失言した。
考えられる全てのフォローが、咽に引っ付いて声にならない返事をした。
あの子が、いない。
なぜ、なぜ?
ふっとテコラは息を正してモーテを突き放した。
そのまま後ずさって何も返せないモーテに冷たい目を喰らわせた。
それは軽蔑に似た絶望の顔だった。
「あの子は?どうしていない。僕を認めてくれるなら、どうしてあの子はいない!?」
「.....」
「真実が現実にしか存在しないから、だからいないのでしょ?そうでしょ?」
「それは....」
「毎朝、想った。目を覚ましたらあの子が....帰ってくるって、ドア開けて.....そう、想ってた。」
まだフォローが出てこない。
「昼も、散歩に行っても、どこでも....見て、探して夜も....朝も、でも」
「....」
「いない。帰って来ない......なぜ?想っているのに、望んだのに....こんなに、こんなに、まだ足りない?」

あの子は、サナはテコラの大事な女性だった。
世界の全てを愛する様な博愛主義者の異常な男が、唯一人間らしく愛した女性だった。
「世界は僕を見てはいなかった!あんなにも.....僕はっ」
それは普通の恋人同士で、けれどもテコラにとっては代用の効かない唯一の存在だった。
思えば、サナの存在、その関係の存在はテコラが人間でいる事を繋ぎ止めるたった一つの理由でもあったのだ。
「しょうがないだろ!あれは事故だったんだ!」
「違う!世界が僕を認めるなら、認めていたなら、こんな仕打ち......こんな事.....」
サナは、去年の夏に車にはねられた。
事故だった。
そのままサナは帰って来なかった。
陳腐だけど、安いドラマみたいだけど、テコラだけが取り残された。
ぷつりと、その時からテコラは何かに気付いてしまった。
それは絶望な答え。どうしようもない現実だけが残った。

モーテは理由を知った。否、本当はあの夏からずっと気付いていた。
けれども、どうする事も出来ぬまま冬を越えて春を迎えてしまった。
その事に、酷くうなだれた。
テコラは語り出す。
「でもねえ、それでも祈って....祈って.....けれど帰って来ない。知った。」
「.....何を」
「現実にしか真実は存在しない。」
「....」
「僕は僕の真実と世界のソレが繋がる事を望んだよ....けどねえ」
モーテの脳みそがついていかない。
悲しみは思考を鈍らせた。
「この空間は、現実は僕を受け入れない、ソレがやっと解ったよ」
テコラの顔はやっぱり歪んでなくて、小さな子がイタズラして何故怒られたのか解らないという風な顔だった。
確信しても彼はどうしても純粋だった。

「探すのはどうして?居るはずのないあの子。でも僕の世界では生きている。彼女はどうしたって必要だから。居ないのはおかしい。
見つからないのはどうして?この空間は僕を認めなかった、今だって認めない。
望んだよ、祈ったよ。あの子。あの子。あの子。そして世界の存在を。
でも解っちゃった。全部見えちまったんだよ。解ったから、知ったから......」

テコラはもう、モーテを見ていなかった。
目線は確かに交わっているのに。

空はぶち抜ける程の快晴。
息は未だ白く、悲しい。
そしてテコラはモーテの形をした別の人間に

「僕はこうすべきだったんでしょう?」

モーテは嘆く。想う。悲しむ。
ひたすら後悔と決別の瞬間を噛み締めた。
そして憎しみ。

「卑怯だよ。」

自分を見ない、現実を見ないテコラ。
「それは逃げだ。逃げるなよ、みんな懸命に現実で生きているのに。そんなこと」
「絶望を見た事もないくせに」

バサリ、とモーテの最後の抵抗はテコラに切り落とされた。

風が肌寒い。
テコラに切られた所がじわじわ痛みを増した。
モーテはうなだれる。

瞬間
「あ」

   コー

白い翼。流線型の鳥。
「鳥だ」

それは機械仕掛けで飛ぶ巨大な鳥。
雲のない空を悠々を走り抜けテコラたちの上を抜けて行った。

「....飛行機だよ」
絶対に思い通りにさせてやるかと言わんばかりに、モーテは力なく言った。
その言葉に、テコラはつまらなそうにモーテを見つめ
「知ってるよ」
と言った。

ふたりの距離は十分。
終わるにはとても良い日だから。
テコラは逆光をまともに背に受けて。

「背中、押してね」

瞬間の憎しみ

「嫌だよ」

柵にもたれたテコラに日が差し込み
フワフワの黒髪はなびく。
心底楽しそうにテコラは笑った。
fin

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最終更新:2007年05月08日 16:45