か れ ん の ほ し

夏 恋 の 星



僕がまだ幼い子供だった頃。
大好きだったおじいちゃんと1つの約束をした。

「かならず、まもるからね」

そう言って、あの日の僕はおじいちゃんの
節ばったしわくちゃの指と、ゆびきりげんまんをしたんだ。

大好きなおじいちゃんがはにかみながら、僕にと託してくれた約束を
胸いっぱいに誇らしい思いで、僕は受け取った。


    *    *    *


「……夢か」
カーテンから差し込む光に重たい瞼を持ち上げて
僕は自分の部屋で机に突っ伏し眠っていた事を思い出す。
明るい窓を伏せったまま見上げれば、どうやらすっかり朝らしい。
それに気が付けば、まだ遠くだった蝉の合唱がやけにはっきりと
耳をつんざきにくる。
腕枕の下には、書きかけの原稿用紙の束。
僕はその白紙を忌々しく見下ろした。

手近の時計で時刻を確認すれば、そろそろ大学へ向かう
支度を始めておかねばならない事に気が付く。

「うう…」

座って眠ってしまったせいで関節が鈍く軋む。
なんとか椅子から立ち上がって、そうだ、これも仕舞っておかないと。

原稿用紙の束の一番上は、半分も埋まっていない。
それを束ねて、机の引き出しの中へ、隠す様に仕舞いこむ。

「……」

その作業の途中に視界に入る、また別の原稿用紙の束。
『夏恋の星』直筆でそう題された、古い原稿用紙。
その上に、新しい原稿用紙の束を被せて、僕は引き出しを閉じた。



「あら、タロ。今日は早いのねえ」
「おはよう、かあさん。授業が、あるからね」

階段を下りて自宅のリビングに出れば、母が父の為に朝食の支度をしている所だった。

「ひどい顔よ、ちゃんと寝たの?」
「大丈夫だよ」
「ごはん、たべるでしょ」
「ああ、じゃあ少しだけ」

家族関係は、多分普通。
仲がいいという訳ではないが、会話はあればするし。
ただ少し、息子の僕が成長するにつれて、妙な溝を感じるというか。
それでも過干渉に関わられるよりは、冷めているくらいが丁度いい。

ダイニングのテーブルには、先に父が席についていて、
テレビのニュースを眺めながら朝食が運ばれてくるのを待っていた。

「タロ、あのなぁ」

おはようの挨拶も無く、こちらも見ずに、父が話をはじめた。

「……なに?」
「父さんたち、店を畳もうと思っているんだ」

うちは自営業。
旅行代理店を営んでいる。
僕の幼い頃は、とあるプランがかなりの盛況となっていて、父も母も忙しくしていたのだけれど
それも、僕が成長し……時が流れていくにつれて客足は随分遠のいてしまった。
当時は従業員だってたくさん居たのに、今では両親と……まだ数人残っていたんだっけ?
そんな経緯があって、こうして自宅で過ごしている両親を見かけるたびに僕は、
子供の頃は家族が揃って食卓につく事など数える程も無かったのに、なんて思ってしまう。
それが良い事か悪い事かは、僕にはわからない。

「そう」

父のはす向かいに座りながら、僕はそれだけを返した。
畳むと言ったら、畳むのだろう。もう準備を始めているのかもしれない。
懸命に仕事をしてきた両親の会社について、息子の僕に挟める口は無かった。
親からの報告と、息子からの了解の短い返事。それだけのやり取り。
そう、思っていた。

「それでね」

話を続けたのは、母だった。
朝食の器を、テーブルの上に並べながら、父と顔を見合わせて言葉を続けようとしている。

「もうすぐ、学校夏休みでしょう」

そうして穏やかに告げられたのは、斜陽の一途をたどる旅行代理店の息子に
夏休み期間でのアルバイト……もとい、奉仕行為の要請だった。


    *    *    *


「冗談じゃ、ない」

大学のキャンパス内のベンチに座り込んで、僕は項垂れていた。
僕にとって夏休みは、執筆活動に費やすための貴重な時間なんだ。
両親の都合で消費されて堪るか。
しかも、あのプランを申し込む様な……今時、そんな物好きな客の相手をしろだなんて。

「はあ」
「どしたの、タロちゃん」

僕の隣へ無遠慮にどっかり腰を下ろす男の気配。
気安く僕をタロちゃんなどと呼ばわる相手について、
顔を上げずとも察しはすぐについた。

「また小説、煮詰まってるの」
「うるさい」
「あたりだ」
「……うるさい。半分は違う。」

鬱陶しくなってたまらず顔を上げて隣を睨みつけた。
ずけずけと、僕の痛い所を突いてくるコイツはエイジという。
一応、大学での友人、と言っておこうか。
大抵こうして、僕が一人でいる時に一方的に話しかけてくるのを
あしらって…という程度の関係だが。

「半分は、何が違うの」
「関係ない。それより、エイジ。おまえ、他のやつに…その、話したりしていないだろうな」
「話すって、なにを?」
「……俺が、」
「小説を書いてるってこと?」
「……おまえ!」

声を潜めてしたり顔をするエイジに、僕はついカっと声を荒げそうになってしまった。
それを両掌をみせながら、どうどうと宥めたげに笑っているエイジ。
僕はコイツのこいういう所が気にくわないんだ!

それもこれも、
休講になった時間を使って、自習室で小説の続きを書いていた所をエイジに見つかってしまった
あの日のミスがなければ……。痛恨だ。

「言いふらしたりなんか、しないってば。言ってるじゃん、信用ないな」
「そうやって、からかう様な物言いをするからだろ」
「だって、タロちゃん反応がさあ」
「ちゃんをつけるな」

できれば、完全無視を決め込んでやりたいが、あまりに邪険がすぎれば
何をされるか解らない。何故なら、コイツは他にも俺の弱みを握っているからだ。

「俺は、タロちゃんの小説が完成したら読ませてほしいだけなのに」
「読んでどうする」
「どうするって、どうするも何も……強いて言うなら、嬉しい、かな」
「………僕が、あの人の孫だからだろ」
「それもあるけど、それだけじゃないって」
「なんだよ」
「友達だから」
「………」

白々しい。
僕の祖父は、昔、とある小説で宇宙規模にヒットを出していた。
宇宙規模というのは、誇大表現ではない。
この地球が数十年前に真の宇宙進出を果たした頃、その小説は
他所の惑星の異星人たちにも、地球人からも反響があり
僕が小学校を上がる頃までブームが続いていたのだった。
エイジは、その小説のファン…もとい、オタクだ。
どうやって調べたかは解らないが、僕がその小説の作者の孫だという事を知っている。
だから、こうして付きまとうんだ。そんな奴に、僕の書いた小説を読ませたって……。

いや、まてよ。

「そうだ、エイジ」
「え、急に何よ?」

僕からの不意打ちに目を丸くするエイジ。

「おまえ『夏恋の星』のオタクなら、余裕だよな」
「え、え、待って、『夏恋の星』は大好きだけど……何が?」
「夏休み、ウチでバイトしろ」



    *    *    *



地球という星にある日本という国のとある町に一人の少女がやって来た。
少女は別の星に暮らす、いわゆる異星人という存在だ。
彼女は、地球での暮らしを自由研究の体験レポートとして提出するために、
日本の夏休みという期間を選んだと言う。
いろいろと便利なテクノロジーを以ってして日本での生活に溶け込むことに成功した彼女は
ひょんな事から一人の少年と出会い、親しくなっていく。
それは、誰にも知られることのない、短い夏の小さな恋の始まりだった。


この純朴なSFラブストーリーは、今から何十年も前にヒットした小説で
当時は流行の俳優によって映画化にもなった話題作だった。
その人気は、地球の片隅だけに留まらず、こっそりと既に地球へ訪れていた
異星人らによって宇宙に持ち出され、各星々の愛好家にも親しまれていたという。

そんなささやかなムーブメントにも満たない出来事があってから、どれほどか年月が過ぎた頃
地球もついに星間交流を公のものとし、真の宇宙進出を果たすに至った。

それを期に、彼の小説は再びの脚光を浴びる事となる。
フィクションとして扱われていたその内容が、実際の出来事であった事だと判明したからだ。
星界のニューフェイスとなった地球は、正体を隠しひっそりと降り立っつ必要のあった未開の惑星ではなく
大手を振って訪れる事の出来る新しい観光スポットの様になっていた。
密かに想いを交わした甘酸っぱい恋の物語に憧れて、ヒロインを真似た格好をした異星の少女たちが
夏の日本へ観光に押し寄せるという事象が、何年も続いたのだ。
おかげで局地的ながら観光産業は新規顧客に盛り上がり、そう言ったファンのための星地巡礼プランは
毎夏、大盛況。ブームが下火になるまでの間、随分と恩恵にあやかっていたという。

それも今となっては過去の話だ。
地球でも異星でも、小説「夏恋の星」はオーソドックスな、いち恋愛小説として、古典のように
認知されるに過ぎなくなっていた。

そして、その小説「夏恋の星」の作者こそが僕の祖父で、
小説の舞台であるこの町を、聖地として巡礼するプランを立ち上げる為に旅行代理店を起業したのが
僕の両親なのだった。
僕にとってその事は、誇らしさとコンプレックスが綯交ぜとなって、複雑に胸に引っかかっていた。



    *    *    *



月の宇宙ステーション


月面に建設された地球への中継ステーション。
ここへ来るのもどれくらいぶりだろうか。
エイジは僕の隣で、会社の制服に袖を通しそわそわとしている。

「SGツーリストの制服を着られる日が来るなんてな。なあ、変なところないか?似あってる?」
「ああ、ちゃんと人間に見えてるから、もう少し大人しくしていろ」

何がそんなに嬉しいんだか、僕にはさっぱりわからないが、
エイジがバイトの誘いに乗り気になってくれたことは有難かった。
僕らはあれから大学の夏休みを迎えて、この日が来るまでの数日間の内に
SGツーリストの研修を受け、出迎えに備えていた。

そして当日となり、月面のステーションへ訪れたわけだ。
まだ地球は、異星人を迎えるのに幾らか不便が残るために、大体はこうして
地球人が月まで昇り、案内をするということがマニュアルになっている。

「さて、そろそろ到着している頃だろう、いくぞ」

廊下を歩き、待合ロビーへ向かおう。
お客さんの前では粗相をしてくれるなよ、と、一応にらみを利かせておこうか。


広いスペースの待合ロビー。特殊なガラスの壁からは、寒々しくも煌めく宇宙をダイナミックに臨むことが出来る。
その場所から、青々とした大気のヴェールに包まれ輝く地球を眺める、一人の少女が佇んでいた。
カンカン帽子に白いワンピース、そして素足にサンダルといった、いかにも地球出身という装いを模した少女が、
静かに青い地球を眺めている。僕は確信した。彼女で間違いないだろう。

「失礼します。カレン・スキャルタ様でいらっしゃいますか。」

少女に近づき、声をかける。
少女が、僕たちに振り向く。

「はい、そうです」

華奢によく通る声が肯定を伝えるのが聞こえると、
僕はゆっくりと頭を下げた。

「この度はSGツーリストをご利用いただきまして、ありがとうございます。
 はじめまして、私は地球までの案内役を務めさせていただきます、シガ・タロと申します」
「ハーイ、お嬢さん。地球は初めて?俺はエイジ。よろし…ぐふっ」

エイジの脇腹に肘鉄を見舞う。ふざけているのか。やっぱりコイツを誘ったのは早計だったか。
親に頼まれたバイトとはいえ、やるからにはまともに応対するつもりだ。
しかしこれでは先が思いやられる。

「ちゃんと喋れ、さもなきゃ置いて帰るぞ」
「わ、わかった、わかった。…お客様、はじめまして。同じく案内を努めますカミヤ・エイジと言います。…これでいい?」
「…はあ。…失礼しました。カレン・スキャルタ様。本日は我々、二名が安全かつ快適に地球へお連れ致します」

「…ふふ。楽しい旅になりそうね。よろしくね、シガさん、カミヤさん。」

「早速ですが、予約をしている転送ルートの利用時間まで間もなくです。ゲートへ移動しましょう」
「荷物、持つよ。…じゃない、持ちマス」
「ええ、ありがとう」


「お客サマは」
「カレンと呼んで下さいな。話し方も、カミヤさんらしい言葉を聞いてみたいです」
「え?ほんと?……いいの?」
「ご要望とあれば」
「やりィ。……カレンさんはさ、その格好ってどう見ても『夏恋の星』のヒロイン意識だよね?」
「ええ、やっぱり…目立ちすぎていたでしょうか」
「ううん、そういうことじゃなくて。本当にそうやって地球にくるんだって、感動してる」
「おい」
「いいんです。…カミヤさんも『夏恋の星』をお読みになったんですか?」
「何度もね。大好きなんだ『夏恋の星』。俺の好みのタイプはヒロインみたいな女の子だってくらいに!」
「あら」
「エイジ!」
「わ、置いて帰らないで!」


「ねえ、そういう事なら。今日の転送ルートはスタンダードだけどさ、折角だからオプションを付けてみない?」
「勝手なことを言うなよ、エイジ」
「オプション、ですか?どんなことが出来るのか、聞いても?」
「……」

   *   *   *

日本のはるか上空を、生身で急降下する僕とエイジとカレンさん。
空の青の中を突き抜けるように落ちて、雲はまだまだ遠く足元に居る。
異星の技術を取り入れて目まぐるしい発展の途中にある地球。
昔に有り得なかったことが、今は叶って、今は有り得ないことが、未来に叶う。
両隣から僕とエイジでカレンさんをエスコートしながら、彼女はスカートをしっかりと膝に挟んで、
鮮やかに彩られる海と大地を見ていた。

「すてき!すてきだわ!」
「ねえ、いいでしょ!」
「変更手続きが間に合ったから良かったものの」
「ごめんなさい、シガさん。お手間をお掛けしてしまって」
「お客様のリクエストには全力で!がウチのモットーなんで!だよな、シガ?」
「わかっているなら、もっとはやくご提案差し上げろ!」

カンカン帽子がふわりと柔らかな髪から離れそうになって、慌てて手を伸ばして掴んだ。
少女の両手をしっかり僕とエイジで握って、転送ルートの調整を行う。

「この景色を目に焼き付けておいて。帰る時には見られないから」
「間もなく、通常転送コースに戻ります。次に見えるのは地上の景色ですよ」
「ええ、わかったわ。わたし、絶対わすれません」




  *   *   *


「どこか、調子の悪いところはありませんか」

地上に降り立った僕たちは、町へ向かう前に



















































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最終更新:2018年05月14日 02:59