神聖ファラ教国
概要
ファラ教の中心地であり、発祥の地である。
常に中立を保ち、周りの国とも不可侵条約を結んでおり、神都シオンが戦火に包まれた事は無い。教皇は国と宗教の頂点に立つ。国民の約9割が
ファラ教のシオン正教会の信徒である。
最近では、教会内の腐敗が進んでおり、深刻な状況である。
歴史
ファラ教は、聖者
ファラの布教により始まり、光の7使徒である導師
ノヴェンダによって宗教としての形を成した。その後、
ファラ教の指導者(教皇)は、
ファラが処刑されたアストラルに座した。
成立は425年。エルメキア皇帝
エルメキウス4世がアストラル周辺を教皇領としてファラ教皇に寄進したのが始まりとなる。教皇は、宗教の指導者でもあり、世俗国家の支配者となった。
566年にシオンにおいてシオン正教会が成立したことによって、それまでの主流派との対立が深まる。そして582年に教皇
アタシウス1世が没すると、枢機卿公会議で新たな教皇
マギストス4世がアストラルで選出された。しかし、対立していたシオン正教会派は、翌年シオンにおいて対立教皇
シオヌス1世を選出し(
教皇双立)、対立は頂点に達した。ところが、587年にエデッサ公会議で皇帝
エルメキウス15世がシオン正教会を支持したため、シオン正教会派が急速に勢力を伸ばした。そして、604年
エルメキウス15世の寄進によってシオン周辺の土地が教皇領となると、既に正統派に認定されたシオン正教会の首座としてシオンに教皇座が移された。
エルメキア帝国が滅亡すると、聖界の調停者としての立場と取り、
カルロワーナ王国の国王に「中原地方の覇者たる王冠」を戴冠するようになる。
1274年に起こった
聖バスカルヴァンの大虐殺は、
ファラ教内でも事態の対応に賛否両論ある。
政治
神権政治
元首・教皇
ノヴェンダ24世
内務省長官・
エイベル=ドラクロワ
教皇は、ファラ教会における首長であり指導者である。
神聖ファラ教国の行政は内務省行政局が行なっている。基本的に内務省長官が行政の最高責任者であるが、政治に教皇が介入することも少なくない。
地方の統治は修道院が代行することも多い。
宗教
国民の約9割が
ファラ教のシオン正教会の信徒。残りも
ファラ教の諸分派が多数である。
しかし、
ファラ教に仇為す異教徒も少なからず存在する。
軍事
ファラ教会が『神殿騎士団』を保有する。敬虔なファラ教徒で構成されているが、久しく対外戦争は行なわれていない。異端審問官などと構成され、異端者の取り締まりが主な任務となっている。
外交
周辺諸国に対して『教皇の普遍的絶対中立宣言』を発している。
神聖ファラ教国は、いずれの国家とも交流を行ない、国境の封鎖を行なわない。
地理
都市
神都シオン、宗教都市フィノーラ、学術都市ケルニッツ、宗教都市エルフルト、宗教都市ホーリー、城塞都市アストラル、シャーロット、サナハ、シュマル
最終更新:2012年02月15日 05:48