『Melodious Memorys- 追憶にもならぬ出会い -』
『Melodious Memorys- 追憶にもならぬ出会い -』
炎天下の中、出会った“音”……
清涼すぎるそれに、心奪われて……
もうすぐ秋だと言うのに一向に衰える気配のない陽射しに、少し恨めしいものを感じながら炎天下の道を歩いていた。
こと都会の道はアスファルトに覆われているのもあって、その照り返しの熱さと言えば半端ではない。
「確か、この辺りだったよな……」
区画整備がきちんとなされている住宅街。
都心の下町のような、あっちやこっちに飛ぶような番地の並びはしていない。
始めてくる場所だから、地理には明るくはなかったけれど。
迷いはしないだろう――そう教わってやってきた……。
訪れる前に、ネットや地図で簡単に調べてはおいた。
まぁ、確かに、こんな道なら普通は迷いはしないのかもしれない。
メモを片手に、番地を確かめながら角を曲がる。
陽炎に揺らめき、先が霞みそうなくらいに長く続く塀が、道行の長さを教える。
思わず、うんざりしてしまいそうだった。
「この先――なのか?」
簡略化された地図には、確かにそう言う風に書いてある。
「まいったな……こんなんだったら、タクシーでも使えばよかった」
平日の昼間と言うこともあって、こんな住宅街の駅前で客待ちをしているようなタクシーなどひとつも無かった。
地図を見る限りでは、そんなに遠い感じでもなかったので歩く事にしたのだが。
どうやら、見過ってしまったらしい。
じりじりと照りつけるような日差しは、知らず体力を奪っていく。
うっすらと滲むような汗に、それを知らされる。
秋に近いとは言え、こんな炎天下では熱中症になりかねないかもしれない。
ぽつりぽつりと植えられている街路樹が枝葉を広げて、少しだけ日陰を作っていた。
その日陰の中で、しばしの休憩をとる。
傍から見たら、不審者と思われかねなかったけれど。
そよと吹く風に少しだけ心地よさを覚えて、軽く目を閉じた。
すると、どこからともなく“音”が聞こえてきた。
「? 何の音だ?」
決して強い音ではないけれど、澄み切ったその音は、心にさえ響くように奏でられる。
歌うように、囁くように、まるで波音のような安らぎをもたらす、その“音”。
いつの間にか、それに聞き入っている自分に気付いた。
暑ささえも、忘れてしまうかのように。
時間さえも、忘れてしまうかのように……。
「おっと。時間、時間っと……」
ずっと耳を傾けていたかったような気にはなっていたけれど、そうも行かない。
時計に目をやり、あまり時間が無い事に気付く。
慌ててその場を立ち去り、先を急ぐ事にした。
運良く通りかかったタクシーを拾って、人心地ついて。
ふと、先ほどの“音”が気になった。
あれは、なんだったのだろう。
どこかの店先から流れてきたものか、それともどこかの住宅で流していたCDかなにかだろうか。
でも、そのどちらでもないような気もした。
何故かなんて、答えも出なかったけれど。
それから、幾日かが過ぎ去った。
ぽっかり空いた時間に、再びあそこを訪れてみようと思った。
どうしてか解らないけれど、無性にその“音”の正体が知りたくなった。
行けば何かがわかるかもしれない――そんな、何かにせっつかれる様にして、一路あの場所を目指していた。
ほんの少しだけ弱まった気のする陽射しだが、それでも照りつける強さはいまだ変わらず。
あの時と同じ、少しだけの恨めしさを伴っていた。
「今年の太陽は、元気だよな……」
自嘲の笑みさえ浮かべながら、それでも、その場所を目指していた。
なんだろう、この高揚感にも似た気持ちは。
どことなく浮かれているような自分を、もう一人の自分が冷静に見ているような気がした。
不思議な感覚だった。
それがなんなのか、そのときの自分には解らなかったのだけれど。
塀があるということは、たいていその中には家があるということ。
家じゃないこともあるかもしれないが、こういう住宅街ならまず家があることだろう。
「この辺り――だったよな?」
あの流れてきた“音”は、この近くからのものだと思う。
この先に見える角を曲がれば、あのうんざりするくらい長い塀が続いているはずだ。
同じような時間に同じ場所にきたからと言って、同じように巡り会えるとは思ってはいなかったけれど。
それでも何か手がかりがあるかもしれないと、淡い期待のようなものを抱きつつ、不審者に思われない程度に辺りを探った。
どれくらいの時が経ったのだろう。
これ以上いても、無理かなと思ったときだった。
再び耳にしたあの“音”。
場所が若干違うせいか、以前よりもはっきりと聞こえた。
綺麗な旋律で流れてくるメロディ。
しばらく、その場を動けなかった……。
よくよく聞けば、それはピアノの音だった。
誰かが弾いているのか――それは解らなかったけれど。
ふと見上げた大きな屋敷の窓がひとつ開け放たれていた。
どうやら、それはそこから流れてくるものらしかった。
オーケストラでも、アンサンブルでもない。
たったひとつのピアノの音。
なのに、こんなに表情豊かな音があるなんて……。
今まで知らなかった。
“心が震えた”
そんな感覚かもしれない。
帰り道、ふと立ち寄ったCDショップで、同じメロディーを見つけた。
何も考えず、それを買っていた。
同じようにピアノ曲のものだったのに、あの“音”とは、はるかに違っていた。
弾き手のせいなのか……。
どうにも解らない事だったけど。
それから、妙に仕事が立て込んで、ヒマも出来なくなった。
以来、その場所には訪れてはいない。
風の噂で、あの屋敷には、かつてピアニストを目指していたと言うお嬢様が住んでいるらしい事を聞いた。
様々な理由で、結局はその道を断念せざるを得なかったらしいのだが、才能豊かな人で、その方面ではかなり進めなかったことを惜しまれていたらしい。
それでなのか――少し哀しげな、どことなく切なげな気がしたのは。
今でも目を閉じると、あの“音”が甦ってくる。
澄み切った心が奏でるメロディーが。
魂を燃やしているような、情熱が……。
{ End.}
※ふとした場所で巡り会った“音”に魅かれた……。
澄んだ音色に、奪われた心。
高級住宅街の一角で出会った、掠めるだけの出会い。
それは、出会いにすらならないものだったけれど……。
この小説は、そんなイメージで書いたものです。
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最終更新:2009年07月11日 19:26