「ふあぁ~あ」
「あからさますぎますぞ、観世音菩薩」
「いいじゃねーか、本当に退屈なんだしよ」
大あくびを中池にかまして、涙目のまま体をのばす。片手に持った水晶を指の先に乗せて回したり、上に投げたりしながら観世音菩薩は菩薩らしからぬ姿勢で再び出ようとする欠伸を噛み締めた。
風さえもめんどくさがってるのか、全く大気を動かそうとしない。目の前の池に浮かんでいる蓮の花だけが、今日も味気ない天上界の生活を彩ってくれている。
肘掛けに頬杖をついて、また出そうになった欠伸を無理やり噛み殺した。
「ふぁ~んっと、ヒマで退屈でかったるくて・・・最高にいい状態に発酵しそうだぜ、俺の脳ミソ」
「きちんと御公務をこなされていれば、そう感じることもないのでは?」
「おっいま虫が飛んでた」
「・・・まぁ、今に始まったことではありませんがね」
「たまにはもの分かりいいじゃねぇか」
いつもとは違った反応を見て観世音菩薩は二郎神の心の成長を喜んだ。
「言っても無駄だと諦めてるんです!」
「そうそう、手っ取り早く最初っからあきらめてりゃ無駄なストレスも堪らなかったはずだぜ?」
「その無駄なストレスを溜めさせているのは誰ですか!?」
と言いたかったが二郎神は心の中でため息を吐いてそのまま何を言わなくなった。
そう、この人に何を言っても無駄だと悟ったのだ。
「ところで、それは何ですか?」
「あぁ?これか?」
先程からずっと片手で弄んでいた手の平サイズの水晶球を二郎神の目線までに持ち上げる。
透明な水晶球である。だが、中心部では七色の光を絶えずに渦巻かせており、その美しさに二郎神も思わず息を呑む。
「綺麗だろう?」
「はぁ、そうですな」
「やらねぇぞ」
「誰も欲しいとは言ってませんよ」
「物欲しそうな目してたくせに」
「・・・で、それは何ですか?」
観世音菩薩の言葉に反論するよりも二郎神は水晶球の正体が気になって仕方なかった。
「・・・んだよ、つまんねーな。まぁいいか、これはな、かーなーりのレア物でな。俺でも、お目に掛かるのは久しぶりだ」
「と、申されますと?」
「天界でも一、二を争う貴重な宝物ってことだ」
水晶球に自分の顔が映しだされる様を見ながら、観世音菩薩は自慢げに言った。
「こいつの名は“霊樹珠”と言ってな。まぁ、あれだ」
頭を少しだけ掻いて、簡単に説明しようと暫しの間だけ考えた。そして
「普段は相まみえる事のない俺達とは違う世界、要は異世界と呼ばれる世界に『扉』を創って両方の世界を繋ぐ事を可能とする代物だ」
「な!!そんな物が何故ここに?!」
二郎神ですら、今まで見たことがなかった名ばかりの超幻品に目をむいた。おそらく、いや確実にそれは門外不出の品であるはず、ここにあることはあってならない。
天帝のおわす宮でのみ存在することが許される、まさにレア中のレアと言ってもいい。
「あぁ、いつも見る度に綺麗だなと思ってよ」
「・・・・・・で?」
貴重すぎるそんな物が観世音菩薩の手の中に転がって来たわけではあるまい。
まさか、という考えてはならない事を考えている中、慈愛と慈悲の象徴は二郎神の思考を読んだように一つの言葉を唇の端を上げながら紡いだ。
「クスねてきた」
「~っ!!!!観世音菩薩――――!!!!」
いつもよりは数倍はあろうかという声を張り上げた。直接耳に入れた日には、耳が機能不全になりかねない二郎神の声は池に浮かぶ蓮を揺らした。
「だいじょぶだって。後でまたこっそり戻しとくから」
「・・・・・・」
「・・・んだよ、その目」
二郎神の物言いたげな目線に、観世音菩薩と二郎神は互いを見やっていたが、沈黙に耐え切れなくなったのか観世音菩薩は観念して息を吐いた。
「ジョーダンに決まってんだろ、その目は止めろ」
「ならばよろしいです。それで、本当の目的というのは?」
天界を司る五大菩薩の一柱である人物が
他の子供が持つ玩具を欲しがる子供のような理由で天帝の宮から宝物を盗み出すわけがない。
何かしらの理由があって、観世音菩薩の手の中に修まっていると考えるほうが自然なのだ。
「天帝から頼まれたんだよ。歪みが生じてるらしくてな、原因を調べろってさ・・・ったく、あの狒狒爺、面倒なことは全て俺に押し付けやがる」
「菩薩、言い過ぎですぞ!」
「あぁいいんだよ。今さら遅いって」
ヒラヒラ手を振って二郎神の小言をサラリと払う。耳に痛いことは最初から聞かないに限るからだろう。
「ま、使いようによっては危険だが、使用法さえ正しけりゃそれほど問題もおこ
らねぇし?」
と、軽快な口振りで言ったところで観世音菩薩でもさえも予想だにしない事が起きてしまった。
二郎神が言ってしまえば、それは起きてはならない事だろう。
観世音菩薩の手の中で玩ばれた水晶は獣に捕まった獲物が必死に逃れるかのように手の中から重力に従って落ちたのだ。だが、さすがは天上界の祭器というか、少しばかりの高さでは割れるはおろかヒビの一つも入らない。
しかし、それはまだ二郎神が瞬間的に予想していた想定の範囲以内である。
「あっ」
「ぁ・・・・・・!!」
二郎神がひぃっと息を飲み込んだ瞬間。
漫画的に表せばころころころという擬音効果をつけたように水晶球は中池に逃れるかのように文字通り落ちた。
「おむすびコロリンすっとんとんだな。オイ、二郎神。これ見なかったことにしないか?」
陸に打ち上げられた魚のようにパクパク口を開く二郎神に、真顔でそんなことを提案してみたが、時すでに遅し。
「かかかかかっ観世音菩薩―――――――!!!」
「あぁ、耳痛ぇ・・・・・・」
耳の穴をホジりながら、絶叫とともに洪水のごとく二郎神の小言が炸裂する。長
年鍛えられてきただけあって、さすがの菩薩もこっそりと溜息を吐いた。
「やべぇか・・・」
「聞いてらっしゃるんですか?!」
「それよりも、だ」
未だに声を張り上げる二郎神を一声で制した時、観世音菩薩の人差し指がある物を指差した。
「よく見てみろ」
「何を・・・・・」
「池だよ」
「この池には何が映る?」
「何って・・・いつも三蔵一行と妖怪達の動向を見るために使用しておられる蓮池ですが・・・」
今は何も映ってはいないが、この池は先程述べたように三蔵一行と彼らを狙う妖怪達の動きを探るための下界の現状を水面に逐次映し出す物であり、
これによりいつの日か瀕死の重傷を負った三蔵法師を助けることができたのだ。
「そこで問題だ。あの池に落ちた水晶球、どうなると思う?」
「・・・・・・・・・」
考えたくない。考えたくもない。というより、事実を永久に知らなくていい。だが、現実は残酷であった。
「・・・ま、まさか」
「あぁ、めんどくせぇ・・・」
溜め息を吐きながら観世音菩薩は頭を掻いてそう呟いた。
「めっ・・・めめめめ!面倒臭いで済むと思ってんですか?!」
「さぁ?あいつら殺しても死なねぇ奴らだし、なんとかなるんじゃねぇの?」
「・・・・・・」
今度こそ開いた口が塞がらない二郎神だった。そして、先程の提案を本気で呑もうかと真剣に考えてしまった。
「今日もいい天気ですね~」
とある町の宿屋の一室でのんびりとお茶を啜りながら、隣りで新聞を読んでいた三蔵に言う。
ばさりと新聞をたたみ置いて眼鏡を外しながら、八戒が注いだ湯呑に手を伸ばした。
「フン、天気がいいくらいでなんだ」
「気分まで晴れてくるじゃないですか♪」
「万年晴れ日和なくせして何言ってる」
「あれ、そうでしたっけ?」
「白々しい」
「まぁ、そういうことにしておきましょう」
都合が悪くなったらその笑顔で会話を打ち切るのは八戒の得意技の一つである。
三蔵が煙草に手を伸ばした時、部屋の扉が大きく開かれる。それと共に流れ込んできた賑やかしい声に思いっきり眉根を寄せた。
「ごらぁクソ猿、てめぇは食いモンのことしか頭にないのか!あぁ!?」
「そういう悟浄だって、女のことしか頭にないくせに!!」
「おめぇより正常なんだよ!!」
「エロエロ河童!!」
「穀潰し猿!!」
「やかましい―――――!!!!!」
スパパパパパパーーーーーーン!
軽快さと豪快さを兼ね備えた音の発信源はいつの間にやら三蔵の手に持たれていたハリセンである。
悟浄と悟空の喧嘩を止める為には必需品である。
「黙れ!役立たずな上に吠えんな!!」
「ははは、相変わらずのテンポで」
苦笑気味に言った八戒をギロリと睨みつける。すると八戒はお茶を足して外の景
色を眺めながら啜り始めた。
「ったく・・・この状況もいい加減あきあきだ・・・」
心静かな時間はいつになったら戻ってくるのか?思い切りため息を吐き出した。
日常のありふれた、ワンシーン。
だが、それは何の前触れもなかった。
いきなりだった。
光が押し寄せたのだ。
「「「「!!!!!」」」」
眩むほどの光量。何を構える間もなく、あまりの眩しさに目を焼かれないように
、手をかざすのがやっとであった。
「なっ・・・・!」
「まぶしっ・・・!」
「くっ・・・」
「んっだよこれ?!」
次に訪れたのは、浮遊感。上下感覚が一気に消滅する。
体が無重力空間に放り出される。
『・・・・!!!??』
それは、ほんの数秒の出来事。
あとには、消したばかりのタバコから細く紫煙が昇るのみ。
他には何も変わりなかった。
何も。
「あ、やべ。あいつ等が消えたぜ。桃源郷から」
「やべ、じゃないでしょう!!!どうするんですか!!?」
「まぁ、暫く様子見てみるか。おもしろそうだし」
「~っ!!!!!!」
「いいじゃねぇか、刺激あって人生なんぼのもんだ。」
この時ばかりは本気で観世音菩薩に仕えるのをやめようかと思った時である。
何もかもが真っ白な世界で、一瞬ふわりと体が宙に浮いたような気がした。それ
も僅かな間で、靴の裏に硬い地面の感触を感じた途端、急激に重力が掛かる。
数歩よろめいてから顔を上げると、暗闇が目に飛び込んできた。そして、ここが
森の中だということに理解するのに何秒掛かったのだろうか。
「ここは?」
ふいに声を出すが、その問いに答えるものはいなかった。上を見上げると、穴が開いたような木々の中に満月の光が差し込んでいた。暗闇の中でそれが唯一自分を照らす存在だった。
それと同時に他の仲間が自分の周りにいない事に気付いた。
「悟空ッ!悟浄ッ!八戒ッ!!・・・クソッ」
夜空に響かせる声を三蔵は喉の奥から吐き出した。しかし、それに答える声は無
かった。舌打ちと同時に思った。
いくら三蔵一向を襲う妖怪が途絶えて平和呆けしていても、このままここがどこなのか分からない場所に居るのが危険な事くらいは理解した。三蔵は安全な場所を探して歩き出した。
三蔵は考えていた。あの光は妖怪の仕業か否かを。
現にあの光のせいで三蔵は一人となってしまっている。三蔵の両肩にかかっている経文――この世で五つ存在する経典「天地開元」の1つである。魔天経文を狙って妖怪達は牛魔王蘇生を阻止する三蔵一行に襲い掛かってくるのだ。
ならば、これは妖怪の仕業なのか?
いや、それはおかしい。
数える事さえも億劫になるほど繰り広げてきた妖怪、あるいはそれに準ずるものたちとの戦いの中で、彼なりに理解している事が幾つかある。
奴らは必ず群れで襲い掛かってくる。
獲物が一人という奴らにとって好都合な状況なのに周囲から襲い掛かってくる気配も感じない。
(妙だな、手を出してこないつもりか?)
ささやかな疑問が芽生える。気味が悪すぎる。感想と言ってもいい。
直感にも似た感覚が導き出したのはそれだった。
事実そうかもしれない、歩こうが目に映るのは闇に紛れる木ばかりで、聞こえてくるのは枯葉のようなものを踏む音ばかりである。人の気配は希薄で、これなら無い方がマシな気がするほどに中途半端で妙に寒々しい。
暗闇が支配する森の中で独りで立っていた。
「・・・・・・クソッ!」
勝手に言葉が出た。しかし、それのお陰で多少は気分がすっきりした。その時で
あった
「あれは・・・」
周りを見渡した時に視線が前方に釘付けとなった。
光だ。
一瞬だけ見えたが間違いなく光であった。
歩む速度を上げてその光を目指した。一歩足を踏み入れるたびに光との距離は近付いてゆく。
5m、4m、3m、2m、1mそして光の中に飛び込んだ。
その刹那。風景は一瞬にして変わる。
今まで木しかなかった場所から建物などが聳え立つ街の中にいた。
その時、瞬間的に頭に何かが囁いた。
ここは俺の知る世界ではない
最終更新:2010年04月27日 23:38