人は目の前しか見えていないと言うのは間違いだ。人は目の前すら見えてはいない。
―――霧間誠一「人が人を殺すとき」
涼宮ハルヒの死神~ブギーポップ・レイトケース
#2 不気味な泡の影
週末は憎たらしいぐらいの快晴だった。
だが朝一のニュースキャスターは残酷にもこの冬一番の冷え込みであると喧伝。
その言葉にウソ偽りはなく、誰も頼んでいないのにやってきた寒気は、上着がまるで意味をなさないかのように通過してしまう。
この寒空の中、町中を練り歩かんといかんのか……
そう考えていたのだが、今、俺はエアコンの効いた部屋でくつろいでいる。
何故、俺がこうしているか……ということに大した理由はない。
回想、スタート。
◆◇◆◇◆
「遅い!」
いつもより少し早めに出たはずの俺を待っていたのは怒り顔のハルヒと、すでに勢ぞろいしているSOS団の面々だった。
ハルヒは阿修羅像が裸足で逃げ出しそうな怒り顔で、形のいい眉を吊り上げている。
って言ってもな、俺は待ち合わせ自体には遅刻してないぞ。
「みんなより遅く来た時点で遅刻よ!
だってアンタはSOS団の中でも一番の下っぱなんだもの!」
はいはい、そう言うと思ってたよ。
んで、今日はどうするんだ?
「そうね……今日は二手に別れて探しましょ」
おっと、珍しいな。
ここ最近は5人一組で行動することが多かったから、今日もそうするもんだとてっきり思っていたのだが。
「だってブギーポップに対して私たちは何も情報を得てないもの。
だったら手分けしたほうが効率がいいでしょ?
と、いうわけで――」
その手に握られたのはこれまた懐かしい5本の爪楊枝。
即席の籤をこちらに突きだしながら、ハルヒは不適な笑みを浮かべた。
「さぁ、引きなさい、キョン!」
◆◇◆◇◆
……以上で回想は終わりだ。
な、大したことはないだろ?
そしてくじ引きの結果、俺は長門と市内を散策することになったと言う訳さ。
そして俺が選んだのは、情報収集という方法だ。
何しろ敵(ブギーポップ)は正体不明の都市伝説。だったらまずするべきことは敵の正体を探ること。
この情報化社会では情報を制するものが、世界を制するんだよ。
そのために選んだのがここ、市立図書館というわけで――
「……なんてな」
もちろんそんなのは建前に決まっている。
普通に考えて図書館でそんなマイナーな都市伝説関連の情報が探せるか? もちろん探せないね。
もう病み上がりって訳じゃないが、とかく色々ありすぎて精神的疲労がピークなんだ。
これ以上物騒な出来事は正直御免こうむる。
だったら俺が取れる方法はただ一つ。
ハルヒの興味が尽きるまで、時間切れを狙うだけだ。
……せこいと言うなかれ。このくらいは処世術のうちとして扱って欲しい。
この案を長門に説明したところ、こくりと頷きを返した。
その意思表示は俺にとって願ったりかなったりだったわけで。
そしてその謝礼代わりもかねてここ――春先にも二人で訪れた市立図書館――にやってきたというわけだ。
そして今俺は暖房の良く効いた館内で心地よい眠気に誘われながら文庫本を手に時間をつぶしている。
ちらりと隣を伺えば同行者である長門がハードカバーの本をもくもくと読んでいる光景が伺える。
机の上に積まれた本は3冊。
タイトルはそれぞれ「"知らない"の増殖」、「天空へ至る病」、「ヴァーミリオン・キル」。
タイトルも装丁も共通点が見あたらない本だが、著者名はどれもが"霧間誠一"となっている。
その名前が昨日部室で読んでいた本の作者だと気づくのにさして時間はかからなかった。
「面白いか?」
「……発想がユニーク」
「好きなのか、その作家」
「わりと」
……どうやらかなり気に入っているらしい。
ふと、この件に関して長門が一言もコメントしていないことに気づく。
「長門。お前は何か知らないか。その……ブギーポップとやらに対して」
「――――――――――詳細不明。情報が少なすぎる」
しばらくの沈黙の後、帰ってきた返事は短い否定。
長門とはいえ万能ではない。
特にあの出来事以降、情報操作に自ら枷をはめている。
――普通の女子高生に近づこうとしているのだ。
そのことを俺は嬉しく思う。
だから『そうか』とだけ返し、視線を手元の文庫本に戻す。
「ただし――」
だが、視線をこちらに向け、口を開く。
「噂の拡大パターンが特異。誰かが意図的に流した噂の可能性がある」
そりゃ、ハルヒを狙ってるやつがいるってことか?
あの雪山での出来事と同じように。
「その可能性はゼロではない。
統合情報思念体とのリンクが制限されている今、
確定事項と断定できないが、――」
そこで一度言葉を切る。
「本事項を意図的なものと仮定した場合、干渉を行っているのは統合情報思念体と同レベルの存在である可能性が高い」
淡々と、事務的に告げられたその言葉が逆にことのスケールの大きさを感じさせた。
無機質、だがそれだけじゃない色を込めた瞳で俺をじっと見つめている。
この間の一件で長門はある程度の制限を設けた。
つまりこれが今の長門なりの精一杯なんだろう。
その精一杯で、大事な場所を、大事な仲間を守ろうとしている。
しかも行動に試行錯誤している感触を覚える。
その戸惑いが手探りで自分の未来を探しているようにみえて、知らず嬉しくなる。
「そうか、ありがとな。他に何か判ったら教えてくれ」
そう、俺も長門にばっかり押し付けはしないさ。
他の連中に比べれば少ないが、俺にだって出来ることの一つや二つぐらいあるのさ。きっとな。
それを判ってくれているのか、長門はこくり、と頷くだけで読みかけのハードカバーに視線を移す。
俺も長門に習い、再度手元の本に視線を戻そうとして、
「あれ……もしかして――君?」
突然、声をかけられた。
耳に飛び込んできたのは聞き慣れているはずなのに最近めっきり聞かない固有名詞。
悲しいことにそれは俺の本名というヤツだった。
ここ最近は妹まで愛称で呼ぶため、"キョン"という単語が文章中に出てくるだけで反応してしまうほどだ。(ありがたいことにそんなことは滅多にないが)
そんな最近レアになった呼び名をするとはいったい誰だろうか。
そう不可思議に思いつつ顔を上げると、そこには小柄な少女がいた。
さて、妹の知り合いにこんな子がいただろうか――ではなく、
「――先輩?」
一瞬マジで見間違えそうになったが、よくよく見れば懐かしい顔がそこにあった。
朝日奈さんや長門より小さい体に小学生と言っても通じるであろうあどけない童顔。
ついでに後頭部で二つに纏められた髪が彼女をより幼く見せているが、彼女はれっきとした年上である。なぜわかるかって?
そりゃ俺にとっては中学の頃の先輩だったからである。
彼女の名は新刻敬(にいとき けい)、という。
中学一年生の時、クラスメイト数名のブルータスばりの共謀により、委員という面倒くさいモノに関わった当時の俺に色々教えてくれたしっかり物の先輩で、小学校から切り替わったばかりの俺はこの人に散々お世話になり、廊下で会話する程度には仲が良くなったのさ。
二つ上で別の高校に進学したはずだからそれ以来――実に二年ぶりという計算になる。
そして現在高校三年生ということは受験真っ最中であり、それを証明するかのようにその手にはノートと参考書らしきものの姿が見える。
「そういえば先輩は受験生でしたか。
……ええと、どこに進学したんでしたっけ」
「あれ、言ってなかったっけ。深陽学園よ」
その名前を聞いて、昨日路上でぶつかった少女を思い出す。
振り返ったあの瞬間、普通から違和感の塊へと変化したあの少女のことを。
「どうしたの?」
「あ、いや、ホント久しぶりだなー、と思いまして」
どうやらしかめっ面をしていたらしい。深くつっこまれても仕方がないので、適当な話題でごまかす。
知り合い連中の中でも割合空気が読める方だと思われる先輩は俺の苦笑にあわせて笑みを浮かべる。
「そうだね、中学校の卒業式以来かな」
と、先輩はふと視線を横にずらした後、罰の悪そうな顔になる。
その視線の先には俺の隣で黙々と本を読む長門がいる。
そして小声で一言。
「あ……もしかしてデートの邪魔だった、かな?」
「いや、そんなんじゃないですから。
ちなみにこいつはちょっと人見知りが激しいだけなんで気にしないでください」
俺の真実の吐露を下手な弁解と受け取ったのだろう。
その証拠に『わかってる』と返した声には、笑いをかみ殺したような色が滲んでいる。
これはマズい。
何がマズいかというと俺にも深陽学園に進学した知り合いが数名いる。
万が一、そいつ等に誤情報が伝わった場合、どんなからかわれ方をするかわかったもんじゃない。
「せ、先輩こそどうなんです?
浮いた話の一つや二つはないんですか?」
矛先を逸らすために返す刃で先輩を牽制する。
だが照れ笑いを返すかと思った先輩はどこか遠い目を窓の外に向ける。
「――うん、私はしばらくそういうのはないかな」
……ヤバい。このリアクションはヤバい。
俺はやっとそこでこの話題が地雷源だと悟った。
この様子ではどこにブービートラップが仕掛けられているか仕掛けているかわかったもんじゃない。
不自然なのは承知で話を切り替える。
「そ、そういえば新刻先輩はブギーポップって知ってますか?」
「えっ?」
これまた予想外のリアクションが返ってきた。
何ですかそのバッターボックスに入ったらキャッチャー側から投球されましたみたいなリアクションは。
「うん、その噂って普通、女の子の間にしか広まってないから……」
そう言って視線を逸らす新刻先輩。
……っておい。そんなに気まずい話題だったのかブギーポップ!
俺はともかく女子と少なからず交流があるであろう古泉が知らない時点で秘匿性の高さを考えるべきだった。
なんか少し罪悪感と羞恥心が沸き上がる。
俺は言い訳するように事情をぼかしぼかし説明した。
……主に北高一の変わり者のせいでこんなことを手伝わされているということを。
「……ああ、なるほど。
もしかして、その娘って涼宮さんって名前じゃない?」
納得する新刻先輩……って先輩、あいつのこと知ってるんですか?
「同じ市内だからね。深陽にも東中出身の同級生はいるから……そこまで目立つ人はどうしたって話題になるよ」
……何ともびっくりだ。
どうやら我らが団長の悪名は近隣の高校にも知れ渡っているらしい。
正直、勘弁してくれ。
俺はこの騒動を楽しむことは受け入れたが、羞恥心まで捨てきった覚えはないぞ。
今のところは大丈夫みたいだが、そのうち俺も奇人軍団の一角として名を連ねるのだろうか。
そう考えると意味もなくメランコリックな気分になってくる。
そんな俺を見て、先輩は何が面白いのかクスクスと笑っている。
「そっか、そっちなんだ。
君は中学のころから変な女の子が好きだったもんね」
誰のことを言っているのか。
自慢じゃないが中学のころに女っ気はまったくなかったぞ。
――と、そこで中学のころ良く話していた女子を思い出す。
だから国木田といいなぜ誤解するのか。
アイツはそんな関係ではない。
だがしかしそう言おうとした言葉を思わず引っ込める。
先輩が俺をみていた。
今までみたことのない、大人びた、どこかここではないどこかを見るような遠い目で。
「でも、その女の子の前には"死神"は現れないんじゃないかな」
「え?」
「死神は、突然会うから死神なの。
それはきっとどうしようもないほどに自動的で――
望む望まざるに関係なく、考えてなかった人の元に現れる……そうね、きっと事故みたいなものよ」
その言葉は妙にしっくりきた。
なるほどね。確かに死神ってのはそんなものかもしれない。
まるで実際に件の死神に会ったかのような深みのある言葉に思わず一理あると思ってしまった。
『受け売りだけどね』と苦笑する先輩。
「ん、じゃあそろそろ私、行くね」
話し込んでしまったがそろそろ周囲からの視線が痛い。
静かな場所での話し声というものは存外響くものだ。
さらに言うなら今は12月。先輩も追い込みの時期だろう。
これ以上邪魔をするのは憚られる。
同じ市内だ。縁があればまた会うこともあるだろう。
手を挙げて軽く挨拶をし、先輩と別れる。
こうして、図書館での出来事は終わった。
ちょっとした再会と、少しだけの進展をもって。
◆◇◆◇◆
その後、時間になった俺たちは再び駅へと向かい、不機嫌顔のハルヒたちと合流した。
予想通り、ハルヒたちのほうも結果は芳しくなかったらしい。
憤懣やるかたないハルヒは日曜日も集合をたくらんだが
古泉や朝日奈さんのフォロー、及び俺が先輩から聞き出したわずかな情報を提供することで何とか取りやめることができた。
その結果、昨日と打って変わって雨の日曜日、俺はベッドの上で安らぎを満喫しているというわけだ。
「キョンくん何読んでるのー?」
俺が寝転がりつつ読んでいるのは黒い装丁のハードカバー。
表紙中央にゴシックフォントで『人が人を殺すとき』と物騒なタイトルが銘打たれている。
昨日の図書館でついでに借りてきたシロモノで、長門の読んでいた作者の本だ。
内容は物騒なタイトルとジャンルの割りに読みやすく、哲学書のような小説のような不思議な本だった。
妹は肩越しに数秒間その本を睨みつけると、
「字ばっかり。つまんなーい」
そう言い残し、『シャミー、あそぼー!』と俺の足元でまどろんでいたシャミのやつを抱えた。
やれやれ、少しは活字を読まないといい大人になれないぞ。
さて、件のブギーポップだが妹に聞いてみたところ
『ぶぎーぽっぷ? 何それ、知らなーい』とのお返事をいただいた。
どうやら小学生の間には広まっていないらしい。
殺伐とした噂が広がらなくて、まったくもって喜ばしいことだ。
ちなみにシャミのヤツは『やれやれ、仕方がないな』と貫禄たっぷりの表情で妹のなすがままになっている。
相変わらずの紳士っぷりに頭が下がる。
すまないがそのまま妹の相手をしていてくれ。
俺はちょっとやることがある。
そういう俺の右手には携帯電話。画面に表示されているのは某大手検索サイトだ。
あまりネットというものを使わない(部屋にPCもない)俺だが、人にもあまり聞けないたぐいの噂であることがわかった今、調べる手段はコレぐらいしか思いつかない。
まぁ調べておくに越したことはない。
さて、と。
検索ワードが"ブギーポップ"だけでは噂話が関の山だろう。
何でもいいからキーワードがもう一つ欲しいところだ。
ふいに霧間誠一の書いた本に目が行く。
その中に出てきた一つの単語が目に付いた。
「……パブリック・エネミー、ね」
何でも晩年、著者が自称していた言葉だという。
意訳するなら、"社会の敵"、"公共の敵"。
いや、この作者の意味するところを考えるなら――
「――"世界の敵"、か」
#3 不気味な影との遭遇 に続く
最終更新:2010年02月13日 00:11