2003年、葉国柱さんと視覚障害者の弟の葉国強さんが経営するレストランや住宅が、強制退去の末に取り壊されました。新居の手当てや補償金もなく、さらに財産も押収され、葉さんの一家三世代は帰る場所がなくなりました。
北京オリンピックのための建設工事による強制退去に抗議すべく、葉国柱さんは1万人規模の直訴デモを公式に行うことを申請しましたが受理されず、「争いを刺激し、問題を煽動した」として2004年12月18日、4年の刑を言い渡され、潮白監獄に収監されました。
葉国柱さんは収監される前にも拷問を受け、2005年後半の4カ月の厳罰(懲罰)期間中には電気ショック棒で殴打され、一日中硬い椅子に正座させられ、手錠や足かせをされたりしました。葉さんは以前から高血圧、心臓疾患、脳血栓などの疾病に苦しんでおり、拷問を受けてさらに背中と足首の痛みにも苦しんでいます。警察は基本的な高血圧の薬を与えただけです。
弟の葉国強さんは2003年、天安門金水河に飛び降り自殺未遂をし、「故意に世間を騒がせた罪」で2年の刑を言い渡され、収監中も葉国柱さんと同様の拷問を受けました。
2007年には「国家転覆罪」で葉国強さんが拘束され、葉国柱さんの息子の葉明君もパソコンの手伝いをしたとして拘束されました。現在二人は釈放されていますが、葉国柱さんは依然として収監されており、詳しい刑務所の場所は公表されていません。癌を患う母親との面会も拒否されています。
葉国柱さんは、「(オリンピック招致を獲得した)6年前にその成功を祝った当時、それが我々の災難の始まりだとは決して思いもしなかった」と、記者に語っています。
釈放予定日に、北京市の宣武地区警察が葉国柱さんを連れ去ったと刑務所当局は述べています。後に宣武地区警察は、オリンピック競技期間中の面倒に巻き込まないよう、葉さんの家族のために同氏を警察の管理下に置いているのであり、2008年10月1日を過ぎるまで自宅には戻せない、と通知しました。また、警察は家族に葉国柱さんとの面会を許可せず、現在の拘禁場所も教えられないとしています。
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最終更新:2008年09月10日 08:59