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原爆利権 - (2007/10/18 (木) 14:22:05) のソース

#blogentry(原爆利権,管理人私見,2007年10月18日 ){
先の大戦で我が国は米国による原子爆弾の投下を受け甚大なる被害を被り、被爆者の方々が想像を絶する苦難を強いられてきた事は重く受け止めねば成らぬ事であり、語り継がねば成らぬ重大な事実である。
だが、原爆被害者および2世3世の主張に耳を傾けると、その多くが、当時の日本帝国が勝ち目のない戦争を延々と続けた事だけを糾弾している事に気付かされる。確かに、あの大戦は物量戦になれば勝ち目がないことは開戦当初から目に見えて居た事であり、長期化は最も避けるべき事態であったことは恐らくは事実であるし、早期講和さえ出来ていればあの様な事にはならなかった、という先の大戦に対する総括は右寄りの主張をする論陣からも多く聞かれる意見であって、その事自体を否定するものではない。
しかしながら、いくらいつまでも戦争の継続を主張する勢力が居り、結果として日本帝国が講和のタイミングをことごとく外し延々と戦い続けたとしても、民間人を虐殺してよい、という事には絶対になり得ない。当時の常識からしても国際法からしても、その事を正当化する根拠となりうるものは何一つ無い。
つまり原爆を投下した米国の責任に触れることなく、当時の日本帝国の作戦面の稚拙さ、或いは帝国主義だけを批判する勢力というのは、ある種のイデオロギー、或いは利権によって侵されていると断じざるを得ないのである。
本当に原爆の恐ろしさを伝えたいのであれば、イデオロギーや利権から一刻も早く脱却せねばならず、それが出来ないのであれば、その主張の説得力は半減してしまう。左翼的な主張と原爆の恐ろしさをセットにして語ることは極めて簡単ではあるが、それでは左翼的なイデオロギーを持った勢力の心にしか響かぬ主張となる。
本来、核兵器の恐ろしさ、というものは普遍的なものであるにも関わらず、それを左翼のイデオロギーの為の道具にされてしまっている事を彼らは自覚すべきであるし、特定のイデオロギーに基づいて核兵器の恐ろしさを説く事が、一体誰の特になるのか考えてみるべきである。現状、これらの主張に基づいて核兵器の恐ろしさを説き続けた結果、我が国の国防は危ういものと成っており、再び憂き目に会う可能性が高まっているという事実から目をそむけていたのでは、被爆者も浮かばれないのである。
核兵器は良くない、とする根拠は、核兵器を使用する事は確実に民間人を虐殺してしまう事なのであって、米国の責任に言及せず左翼イデオロギーに則って過去の日本国の過ちのみを糾弾する事で、本来の核兵器の恐ろしさを自らぼかしているのである。


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