住吉弥太郎プロローグ


 統計学的に考えておそらく読者の八割以上の人は学校に通った経験があるだろう。もしくは今現在通っているかもしれない。では、教室では錬金術や超能力が飛び交い、校庭では炎や氷を操る学生達が喧嘩に汗を流し、屋上では空中浮遊をしながらざるそばを食べる男、ドラゴンやペガサスに乗って通学する学生、下半身を女学生の前で露出する教頭先生、こんな光景を目にしたことのある読者はおそらく三割もいないだろう。しかし、こんな光景が日常的に繰り広げられている学校が確かに存在した。それは東京湾に浮かぶ夢の島、その名を希望崎学園島と言った。

 太平洋の暖かな潮風と陽気な日差しの舞い込む春の昼休み、普段ならそこら中で雑談や昼寝、勉学、便所飯、喧嘩、部活などに励んでいる希望崎学園の生徒達であるが、その日はほぼすべての生徒が校舎の窓にへばりついていた。新校舎の窓からは学園のある島へと続く唯一の橋である希望崎大橋が良く見える。橋の上には短いながらも大名行列である。先頭を往くのは白馬に乗った校長。そして、その後購買部の職員達が数人続き、その後にはマッチョなふんどし野郎達が担ぐ台座のようなものが続いた。さらにその後ろには購買部の職員達が続く短い大名行列だ。生徒達の九割くらいが見ているのは校長でもなければふんどし野郎でもない。ふんどし野郎達が担ぐ上品な台座の上に上品に座った焼きそばパンである。
 それはただの焼きそばパンではない。それを手にしたものは望むもの全てを手にすることが出来るなどと噂される伝説の焼きそばパンである。そんなありがたい伝説の焼きそばパンは五月一日、まさにこの日にこの希望崎学園の場末の古びた礼拝堂に奉納され、大体七日くらいたった五月七日の昼休みに購買部に入荷・販売されるという訳だ。いかに魔人の集まる希望崎学園といえども所詮は俗な人間の集まりなようで、伝説の焼きそばパンを一目見ようと窓際にみんなしてへばりついているようだ。ただ一人、住吉弥太郎を除いてである。

 「どうでもいい」というのが窓にへばりつく俗な人間を見た住吉弥太郎の感想である。住吉はクラスでただ一人、外も見ないでデカいラジカセを担いで踊りながら資格の本を読んでいるごく普通のアフロの男であった。
「住吉クンは焼きそばパン興味な~いの」
 そんな孤独なアフロに声をかける一人の美少女がいた。チアリーダー同好会のアイドル、アデュール麻衣子である。しかし、頑固な住吉は
「俺は踊らされるより踊る方が好きなんだぜ。あんな不確かなレアアイテムを人外どもが超チート能力で奪い合うような戦争には興味ないね」
 と一蹴した。
「確かに噂では学園のやばいやつらも狙ってるって噂ね。特に厄介なのは時空剣術の継承者の柳生新開、ヤクザを一万人以上殺害した噂のある上級ヤンキーおかもと、精神操作能力を操る学園のアイドル和田美咲、天才改造チンパンジーのポウアイちゃん、歩く千手観音こと大石扇丸ってとこね」
 アデュール麻衣子は物騒な名前を次々と挙げていく。
「ほら見ろ、どう見ても見事に人間じゃないような奴ばっかじゃねぇか。そんな奴らとやり合うつもりは無い。俺は石橋を点検しながら踊るタイプなんだぜ」
「相変わらず見かけによらず堅実ねぇ。つまり焼きそばパンには興味ないのね」
「当然だろぉ。そんな意味不明なモノに頼らなくても司法書士の資格を取って踊れる司法書士として開業するぜ。将来性あるだろ。大体俺はたこ焼きは好きだけど焼きそばパンは別に普通だな。つまりお呼びじゃねぇんだよ」
 それを聞いたアデュール麻衣子の顔には笑みが溢れ出した。
「さすが住吉クン。思った通りの脳内ダンス男ね、期待通りだわ」
「つまり何が言いたい」
 住吉はアデュール麻衣子の方を見ることもなく踊りながら聞いた。
「つまり、伝説の焼きそばパンが欲しい私の代わりに伝説の焼きそばパンが欲しくない住吉クンが争奪戦に参加してとってきてくれたら嬉しいなって訳」
「お前アホだろ。堅実でアフロな俺がそんな超人だらけの運動会に出る訳ないって今言っただろ。そんなに欲しかったらお前が自分で捕りに逝け。トレジャーは自分で手に入れてこそだぜ」
「こんなにカヨワイこの私が行けっていうの住吉クンはさぁ」
 アデュール麻衣子は悲しそうな顔で言った。
「大体お前チアリーダー同好会だからゴリラみたいなもんだろ」
「いや、チアリーダー同好会はチアリーダーを鑑賞する同好会であってチアリーディング部じゃないし」
「そんなのどっちでもいい、練習の邪魔だからお前も俗らしく窓に張りついてようぜ」
 住吉は鬱陶しそうに阿波踊りを踊り始めた。するとアデュール麻衣子も奥の手を出した。
「いいのかなぁ、そんなこと言ってさ」
 と言って女子力高そうなジュラルミンケースを取り出した。ケースの金具を外す音で住吉は思わず振り返る。中には黄金に光輝くたこ焼きが詰め込まれていた。
「これは…………伝説のたこ焼きじゃねぇか」
「そうよ、あの伝説のたこ焼きよ。鑑定書もついてるわ」
 とわざとらしくアデュール麻衣子は見せびらかした。大のたこ焼き好きである住吉には効果絶大、踊るのも忘れてアホみたいなアフロ顔で伝説のたこ焼きを眺めている。
「多分これって結構価値のあるたこ焼きだと思うのよね。でも、……伝説の焼きそばパンとだったら交換してあげてもいいかなぁ」
「マジか!?本当か!?お前本気だな。そんなに伝説の焼きそばパン食いたかったのか」
「かわいいかわいい後輩ちゃんがどうしても欲しいって言うからね」
「自分の為じゃなくて誰かの為にトレジャーを手に入れるってのも悪くねぇな」
 この時住吉の瞳には決意の炎が灯ったように見えた。
「やっぱり住吉クン、ただならないわね。じゃあ交渉成立。住吉クンは伝説の焼きそばパンを取って来る。そして、私がそれと伝説のたこ焼きを交換するってことで」
「まかせな、俺は意外となんでも器用で鮮やかにこなせるんだぜ」
 それから二人は契約書を作ってそこにサインをした。

 こうして住吉弥太郎はこの過酷な戦争を征するために動き出したのだ。そのための第一歩こそが準備をする為に仮病で早退することであった。
最終更新:2015年04月25日 21:32