本戦SSその6


五月七日。四限も終わろうという時刻、希望崎学園では異常なまでの緊張感が漂っていた。理由は簡単で、食べれば願いが叶うと言われている伝説の焼きそばパンが間もなく売りに出されるからである。廊下には待ちきれずに購買部へ突撃した生徒や、教員や、外部から入り込んだ人が、購買部のおばちゃんによって縛り上げ、吊るされている。

そして今、四限終了のチャイムが鳴り、伝説の焼きそばパン争奪戦の火蓋が切られた。


「なんだこれは!?」

アフロの男、住吉弥太郎は廊下がネバネバした物体で塞がれているのを目撃した。既に何人かが、ネバネバに絡みつかれて身動きがとれなくなっている。その中には時空剣術の継承者柳生新開、上級ヤンキーおかもと、学園のアイドル和田美咲等々の顔も見えた。

「この匂い…納豆か!?」

嗅ぎ慣れた醗酵食品の匂いから、弥太郎はその物体が納豆であると理解する。この納豆は汚禍芽納豆でと言われるもので、その非常に強力なネバネバに絡みつかれると、戦闘能力の高い魔人であろうが脱出は非常に困難である。

(フェニックスで焼くか?いや、取り込まれてるヤツが死ぬかもしれん…)

「亜由美ちゃん!しっかりして!ハリガネムシくんどうしよう!?

「クソッ、これじゃ先に進めねーじゃねーか!」
「やはりパン(ツ)を食べるなど、無理なのだろうか…」
「嫌だ、俺は何としてでも…」
「むぐぐ、納豆臭いよ小次郎ぉ…あれ?いない」

突破する方法を考えている間に、他の生徒が次々とやってくる。弥太郎は焦り始めていた。

(どうする?…ん?)

ねちゃぁ、という音がしたので、ふと顔を上げると納豆が壁を伝い、広がり始めていた。

「これは、ヤベェ!」

弥太郎が納豆から離れると、他の生徒達も悲鳴をあげて逃げ始めた。その中で一人の女子が、どこか落ち着いた足どりで移動しているのを、弥太郎は目撃した。

(アイツは、調達部の)

何かある。そう告げた自身の勘に従い、弥太郎はその女子を追いかけた。


「大山田先輩、全力でサポートするとは言ってたけど、まさかこれ程とはね」

舟行呉葉はそう呟きながら目的地へと早歩きで向かう。あの恐ろしい納豆は、調達部部長大山田末吉の能力によって巨大化させられたものであったのだ。
納豆で他の生徒達を足止めしている間に、呉葉はグラウンドにある隠し通路から購買部へ行き、伝説の焼きそばパンとして売られているきしめんパンを回収するという作戦であった。
しかし、そう上手く事は運ぶわけもなく、朝礼台の前で呉葉は立ち止まった。

「さて、付いて来てるのは分かってるんだ。出てきな」

呉葉が声をかけると、物陰から追跡者達が姿を現した。アフロの弥太郎、青白い肌で長身禿げ頭のパン崎努、血色の悪い顔と目の隈がコープスペイントのような闇雲希である。それぞれが一定の距離をとり、睨み合っている。

(ひい、ふう、みい、三人か…。あれは生徒会会計の…)

呉葉と目が合った希は両手を広げて言った。

「調達部の舟行さんだね?どうやら君は購買部へ行く方法を知っているみたいだけど、教えてくれないか?俺はどうしても、アレが欲しいんだ」

「悪いけど、アンタにだけは絶対に教えられないっすわ」

「そうか…それは、残念だよっ!」

希は呉葉に急接近してどこからともなく取り出した刀で切りかかる。斬撃は八徳包丁で受け止められ、そのまま押し返される。希は後退しつつ背後を切り払う。背後から接近していた弥太郎は、その一撃をリンボーダンスの要領で避けた。素早く体勢を立て直し、弥太郎は携帯電話を取り出す。電話番号を入力しコールボタンに指をかけ、いつでも火の鳥を呼べる状態になった。パン崎はなぜか固まったまま動かない。否、動かないのではなく動けないのだ。先ほどのやり取りでパン崎はふわりと舞い上がった制服の隙間から呉葉の腹筋、ではなくパンツを目撃してしまったのだ。

(パ、パン…白いパン)

精神を乱された彼に追い打ちをかけるように、更なる乱入者が現れた。

「見つけましたわ!照子の情報通りね!」

(パンツ!)

「来て!季紗季!」

冬頭美麗の号令と共に閃光が走り、彼女の銃士の一人である千倉季紗季が召喚された。

(パ、パンツが、三つも!)

「いくよ、ハリガネムシくん!」

季紗季がひどく狼狽しているパン崎をハリガネムシくんで拘束する。

「し、しまった!」

「やああああああ!!」

パン崎の顔面に季紗季のドロップキックが炸裂した。

(イチゴ柄…きっと、甘くて美味しいんだろうな…)

季紗季のパンツを目に焼き付けながら、パン崎は意識を失った。

「よしっ!」
「季紗季!まだですわ!」
「シャアアァ!!」

軽くガッツポーズをとった季紗季に、希が切りかかる。硬質化したハリガネムシくんで防御し、そのまま希を拘束しようとする。すかさず距離をとったところで、呉葉が八徳包丁の峰で殴りかかってくる。希が回避すると、そのまま追撃をうける。

「ぐっ、このっ…!」

弥太郎と季紗季を警戒していたということもあったが、やはり急ごしらえの殺人剣術では多くの生物を狩猟してきた呉葉の技術には及ばず、六度切り結んだ時に希は刀を弾き飛ばされた。

「これでアンタも脱落っすね」

ぺたりと尻餅をついた希に、包丁を突き付けて呉葉が言った。

「…い、嫌だ」

「嫌だじゃないっす。もう諦め、っと!」

呉葉に絡みつこうと伸びてきたハリガネムシくんを躱す。希はまだブツブツと呟いている。

「…負けたくない。アレを手に入れるためなら悪魔に魂を売ってでも…」

その瞬間、希の足元に魔法陣が出現する。嫌な予感がした弥太郎は反射的に携帯電話のコールボタンを押した。召喚された火の鳥が周囲を炎で焼き払っていった。

「うわあっとぉ!?」
「なんですの!?」
「美麗先輩、掴まって!」

呉葉は物陰に退避し、季紗季は美麗を抱えてハリガネムシくんを射出し、炎の届かない高さまで飛び上がる。

(これ以上騒いで、もっと人が来るとマズいっすね…)

そう判断した呉葉は、火の鳥がいないことを確認して物陰から飛び出す。壁に偽装してあった巨大ういろうを彼女の能力『C・C・C』で細切れにして、購買部への隠し通路を駆けていった。

「そこか!まちなYO!」
「美麗先輩、追いかけましょう!」
「ええ!」

弥太郎、美麗、季紗季も後を追って通路へ入っていった。



「まったくお前というヤツは、本当に面白いヤツだな!」

グラウンドに一人残された希は悪魔と対面していた。

「これで通算130度目の契約成立だな!ヒャッハハハハァー!!」

「あ、悪魔…」

悪魔が高笑いしながら指をパチンと鳴らす。すると煙が立ち上がり、その中から金髪の男、臥間掏児が現れた。

「では、親愛なるお得意様よ!健闘を祈る!アウフヴィーターザン!」

「ターザン!?」

そう言って悪魔は魔法陣の中へと消えていった。残された二人はお互い顔を見合わせる。

「おい、どういうことだこりゃ」

「俺にも何がなんだか…って、こんなことしてる場合じゃない!」
「待ちな」

希は立ち上がり隠し通路へ向かおうとしたが、その前に掏児が立ち塞がった。手には弾き飛ばされていた刀が握られている。

「どういうことかちゃんと説明しやがれ」

「だから俺もよく分からないんだよ。それより早くどいてくれ!急がないと他のヤツにアレを取られてしまう!


「あぁ?」

掏児は頭に疑問符を浮かべるが、後ろを振り返り、隠し通路が続くであろう方角を見て合点がいった。

「なるほど、この先は購買部か。納豆のせいでもうダメかと思ったが、ツイてるぜ」

そう言って希に詰め寄ると

「な、やめっ」

「オラぁ!!」

刀の峰で頭を殴り、希はそのまま倒れた。
薄れゆく意識の中、希は猫の声を聞いた。そして久しぶりに目を閉じ、気絶した。



「大山田先輩!?」

購買部の目前まで来た呉葉の目に飛び込んだのは、地に伏している大山田と、近くに立っている一人の男子だった。警戒しながら男子生徒、上下中之に問いかける。

「…アンタがやったんすか?」

「はい、“普通“に倒しました。」

「アンタみたいなどこにでもいそうなヤツに、先輩が負けるとは思えないんすけど」

「この学園じゃあ、魔人同士の戦いは“普通”にあることです。“普通”の魔人である僕も“普通”に戦って、勝つことも負けることも“普通”にあります」

「…だから何すか?」

「だから今回はたまたま“普通”に勝てただけです。次戦ったら“普通”に負けると思いますよ」

「…どうやってここまで来たんすか?」

「“普通”に、歩いて来ましたよ」

「あの納豆の中を歩いて来るなんて、普通の魔人にはできないと思うんすけど?」

「ええ、だから納豆に浸食されてない“普通”のスペースを渡り歩いて来ました。いやぁ、“普通”に大変でしたよ」

話をしているうちに弥太郎、美麗、季紗季が呉葉に追いついた。
呉葉が一瞬彼らに注意を向けた隙に、中之が眼前まで迫っていた。

「うぐっ!」

ボディブローをもらい、呉葉は“普通“に痛くて動けなくなる。

「買い物をするには“普通”に邪魔なんで、先に片づけさせてもらいますね。」

「なっ!?」
「きゃあ!」
「ぐああ!!」

流れるような“普通”の動きに一瞬見入ってしまった三人の隙をついて、中之は美麗に足払い、季紗季に背負い投げ、弥太郎にアッパーカットを食らわせ“普通”に行動不能にした。

「うん、これで“普通”の買い物ができる」

倒れている面々を見下ろしながら手をぱんぱんとはたき、満足気に言う。

「それじゃあ、昼ご飯を買いに行くとしますかね」

中之が購買部に入ろうとしたその時、購買部のドアが開いた。

「……え?」

「すまないが、どいてくれないか」

中から出てきたのは、希望崎学園最強のパシリの一人である仕橋王道であった。
左手にはビニール袋が握られている。そして右手には桐の箱があった。

「馬鹿な…いつの間に!?」

「最強のパシリである僕にとって、あの程度のものなど障害にならん」

購入されたものを奪うという、不良行為を“普通”である中之にはできない。
愕然とする中之の横を王道は悠然と通る。

「今日は空いていて快適に買い物ができるぞ。ではな」

すれ違いざまにそう言われると、中之はため息をついた。

「やれやれ、限定品なんて“普通”は手に入らないか


“普通“の少年は苦笑いしながら購買部へ入っていった。



「待って!」

「む…」

通路を歩く王道に季紗季が追いついた。ハリガネムシくんに無理矢理体を動かしてもらっているのでその顔は苦痛に歪んでいる。

「伝説の焼きそばパンを、譲ってはもらえないですか…?」

「無理だな」

即答である。

「ですよねー」
((どうする、季紗季。美麗さんのびちゃってるから銃士のサポート受けられないぞ))
(何とか隙を見つけるしかないね)

季紗季がじりじりと近づくと、王道は彼女を警戒しつつ後退する。
季紗季に意識を裂きすぎたのか、王道は背後から迫る者に気付かず、ぶつかってしまった。

「おっと、わりぃな」

「いや、こちらこそすまな…はっ!」

「コイツは、俺がいただくぜ!」

王道がぶつかったのは掏児であった。掏児の能力『フィンガーマン』により、王道が持っていた伝説の焼きそばパンは、亀の子束子にすり替えられていた。

「ヒヒヒハハァ!!アバよ!!」

「ハリガネムシくんお願い!」
((わかってるよ!))

「待て!」

一目散に逃げ出した掏児を、季紗季と王道が追いかける。しかし、満身創痍の季紗季と、大量の昼食を持っている王道では追いつくことができず、少しずつ距離を離されていた。

((季紗季!))
「わかってる!いっけぇー!!」

倒れこみながらハリガネムシくん射出し、見事に掏児の足に当たった。

「うおっ!?」

ハリガネムシくんが足に絡みついたことによって、掏児は転倒する。その拍子に、桐の箱から伝説の焼きそばパンが飛び出てきた。季紗季は必死にハリガネムシくんを伸ばすが、射程圏外で届かない。王道も駆け寄るが掏児に足を引っ張られて転倒した。

「伸びてえぇぇ……!」
((季紗季!もう少しだから頑張って!!))
「邪魔すんじゃねぇ!眼鏡野郎!」
「君こそ、僕がパシリの王になる邪魔をするな!」

「「「うおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉ!!!」」」

全員が這いつくばりながら、伝説の焼きそばパンに手を伸ばしたその時

かぷ

「「「ああぁーーーー!!!」」」

一匹の猫が焼きそばパンを咥えて走り去っていった。

「「「ちょっ、まっ」」」

彼らは立ち上がろうとするが

「んぎゃ!」
「ほげっ!」
「ぐへっ!」

ボディブローのダメージから回復した呉葉に踏みつけられ、そのまま三人仲良く気絶してしまった。

「そこのネコー!待つっすよー!」



「はぁ……」

昼休み、兵動惣佳はいつもの場所に一人で座っていた。今日の彼女の手に弁当はない。ゴールデンウイークで生活リズムが崩れ、寝坊して急いで登校したら弁当を忘れていたのである。

「小次郎、どこ行ったんだろう…」

一緒に昼食を食べる猫の小次郎は、購買部へ行こうと教室を出たところまでは一緒にいたが、廊下で納豆を見た時にはもういなかった。その後迫りくる納豆から何とか逃げてここまでたどり着いたのだ。
ぐるる、と惣佳の腹の虫が鳴く。

「お腹空いたぁ…」

『ふぉーは』

不意に聞き覚えのある声がしたので横を見ると、小次郎が何か咥えていた。

「小次郎、どこ行ってたの?ていうかなにそれ?」

小次郎が近づいて来てふがふが言っているので、咥えているものを受け取る。ラップで包装されたそれは、焼きそばパンであった。

(そういえば今日は…)

手にしたものを見て、惣佳は今日が伝説の焼きそばパン販売の日であることを思い出した。

「ねえ、これどうしたの?」

『ソーカ、今日はゴハン忘れたって言ってただろ?コレ、美味しそうなニオイがしたから拾ってきたんだ!』

「拾ってきたって…道に落ちてたの?」

『うん!』

「そう…」

『?』

もしかしたら伝説の焼きそばパンかもしれないと思ったが、どうやら違うようだと、惣佳は思った。

『食べないの?』

「え?うーん…」

パンをまじまじと見つめる。ラップで包んであるとはいえ、道に落ちていたものである。衛生的に危ないかもしれないので、ためらっていたが。

「はうっ」

ぐぎゅるるると、先ほどより大きな音でお腹が鳴った。納豆から必死で逃げていたのでいつも以上に空腹を感じていた。

「…うん、一緒に食べよっか。ありがとね、小次郎」

『へへっ』

ラップを取り、少しちぎって小次郎の前に置く。
そして、同時にかぶりついた。

(うん?美味しいんだけど…)

味は確かに絶品であった。麺とパンの相性、味付け、どれも素晴らしいものであったが、

(焼きそばって言うより、焼うどん?)

どこか違和感を感じる。小次郎の方を見ると、ガツガツと食べていた。

(ま、いっか)

気になることはあったが、美味しいので惣佳は深く考えることをやめた。

(これが伝説の焼きそばパンだったら、本当に願い事がかなったのかなー)

そう思いながら、黙々と食べていると、

「ああーー!!」

大きな声がして、驚いた惣佳はパンを落としそうになった。声のした方を見ると、ポニーテールの女子生徒がいた。

「それ、食べちゃったんすか!?」

女子生徒は惣佳にずんずんと近寄って言った。惣佳は少し混乱している。

「あ、えっと、ハイ」

「そ、それが何か、知ってるんすか?」

「や、焼きそばパンですよね…?」

「あ、う、うん。そうっすね」

「………」

「………」

女子生徒はハッとした顔でなにか呟いている。

「…もしかして……、…気づいて……」
(小次郎ぉ…って、いないし!)

目をきょろきょろさせて小次郎を探したが、いなくなっていた。大声に驚いてどこかへ逃げてしまったようだ。

「その、お、お味はいかがでしたか?」

「え、お、美味しかったです」

なぜか敬語で聞かれたので、つい敬語で返してしまった。

「なにか、変に感じたこととか、ないっすか?」

「えーっと、あ、なんかソバじゃなくて、うどんみたいな感じがしたような…」

「そ、それは気のせいっすよ!ソレは紛れもなく焼きそばパンっすから!」

「は、はあ…」

「ささ、パクパクっと食べちゃうといいっすよ!」

「え?ちょっ、モゴッ!」

惣佳はパンを口に突っ込まれ、急いで食べる。30秒ほどで完食した。

「んぐ、ぷはっ、はあ」

「やりましたよ、先輩…。ミッションコンプリートっす…!」

女子生徒は感極まって涙を流していた。

(なんだこの人)

そう思っていると、校内放送が流れた。

《本日の午後の授業は、校内にある納豆の除去の為、中止と致します。生徒は速やかに下校して下さい。あと、調達部部長の大山田君は大至急、職員公舎まで来なさい。繰り返します…》

「……」

「…あららー、先輩ご愁傷さまっす」

放送を聞いて女子生徒は遠い目をしていた。惣佳はそんな彼女を怪訝な目で見つつ、無理矢理食べさせられたとはいえ食事も終わったので、帰り支度をするために教室に戻ろうとした。

「えっと、失礼します」

「あ、ちょっと待って!」

「…何ですか?」

「さっきはごめんね。その、色々事情があってね…」

「…別に、いいですよ」

「ああ、それで、酷いことしちゃったお詫びってことで、帰りにケーキ奢るっすよ!」

「へ?」

突然のことで惣佳は目を丸くする。

「私、舟行呉葉っす!お名前なんていうんすか?」

「…兵動、惣佳です」

「ソーカちゃんっすね!じゃ、校門で待ってるからー!」

そう言って呉葉が走って行くのを見届けると、どこからか小次郎が帰ってきた。

『やれやれ、強引な子だね、ソーカ』

「そうだね」

でも、帰り道に買い食いなんて友達みたいだと、惣佳は思った。

『嬉しそうだね、ソーカ』

「うんっ!」

満面の笑みで惣佳は小次郎に答えた。
最終更新:2015年05月04日 15:56