本戦SSその9

冬頭美麗(ふゆとう・みれい)の気だるげな朝は、いつだって遅い。
なぜなら、少女達(無論、毎回違う顔ぶれだ)との濃密な夜を過ごした後である事が大半だからである。
乙女の嗜みとして遅刻早退こそしないものの、早寝早起きとは縁遠い爛れた生活。
それが冬頭美麗の日常だった。

だが、その日だけは違った。
ネグリジェを纏った上半身をベッドから起こした美麗が窓の外を見れば、東の空が白み始めた頃。
時計が示す時刻は5時になるかならないかだ。まごう事なき早起きである。

美麗が健康生活に目覚めたのだろうか? いや、そうではない。
その証拠に、彼女の目の下にはうっすらと隈が走り、目は血走っている。まごう事なき寝不足の兆候である。
美麗は記憶をたどる。昨夜は少なくとも深夜二時過ぎまで、少女達と濃密な夜を過ごしていた。
つまり、彼女はろくに睡眠をとれずに今日という日を迎えたのだ。
伝説の焼きそばパン争奪戦、その当日を。

「……あまりよろしくありませんわね」

ぼそり、と美麗がつぶやく。その声音は苦い。
自らの体調管理の失敗への怨嗟が半分。その失敗を犯してしまうほど自分を弱らせた事態への悔悟が半分。

「後2時間程度……睡眠をとらなくては。ですが、寝すぎてしまっては問題ですわ。
 目覚まし時計……効いてくれるでしょうか……もし効かなかったら……」

不安が不安を呼んだ。美麗は自らの両腕を抱える。
その腕に、誰かの腕が重ねられた。

美麗は驚き、小さく悲鳴を上げる。が、腕の主の正体に気がつくと、恐怖は安心に、悲鳴は苦笑に変わった。

「亜由美(あゆみ)ちゃん、びっくりさせないでくださいな」

美麗が腕の主の名を呼ぶと、美麗と同じベッドから上半身を覗かせた彼女は小さく首を振った。
彼女の名は素極端役亜由美(すごくはやく・あゆみ)。美麗を慕う後輩の一人である。
……そして今では、美麗を護る『三銃士』の一人だ。

「……びっくりさせるつもりはなかった。ただ私(わたくし)を安心させようと……ですか。
その気持ちはありがたいですけど、今度はもう少し段階を踏んでくださいな」

美麗の問いかけに亜由美は頷く。そして、どことなく寂しそうな笑顔を浮かべながら小首をかしげる。

「……ええ、分かっていますわ。亜由美ちゃんが私を心配してくれているのは、痛いほど分かります。
ですが……私は、怖いのです。私が負ける事に繋がる、何もかもが。
私のミスで、私達が負けてしまうと言う事が。
私は、負けられませんのに」

普段の美麗を知っている者ならば驚かずにはいられないだろう、弱気な言葉。
その言葉を認識したとき、亜由美は思わず美麗を抱きしめていた。そして、その思いのたけを伝える。

「……そう、ですわね。今はあなた達が、『三銃士』がいるのでしたわね。ごめんなさい、そしてありがとうご
ざいますわ、亜由美ちゃん。
では、失礼して……少々お休みさせていただきますわ。時間になったら起こしてくださいね?」

亜由美が何度も頷くと、美麗はにこりと微笑み、そして目を閉じた。程なくして、小さな寝息が部屋の中に響き
始める。
美麗の寝顔は穏やかで、この時だけはあらゆる苦痛から解放されているように見えた。

……実際はそうではない事を、亜由美は知っている。
この少女は、冬頭美麗は、眠りの中にあってなお悪夢にさいなまれ続けているのだと、知っている。
だから、負けられない。彼女を真の安息に引き戻すためにも、こんなところで負けるわけにはいかなかった。

亜由美は、美麗の体をベッドの上に元通り横たえると、残りの二人に目配せをする。
予想通り、ベッドの上の残り二人からも視線で返事が帰ってきた。やはり彼女達も目が覚めていたのだ。

美麗自身を除く、亜由美を含めた、ベッドの上の三人。
彼女達こそが、冬頭美麗の能力によって今回選定された、『三銃士』であった。
彼女達は再び誓いを新たにする。
ワンフォーオール、オールフォーワン。
一人は全ての勝利のために。皆は美麗一人のために。


**********


希望崎学園購買部。新校舎から希望の泉に向かう道の途中に建っているプレハブ小屋である。
その内部は大規模なコンビニ店舗もさながらと言った様子で整備され、特に昼食前のこの時間帯は食料品の在庫
が大変充実している。そして、それらの中でもやはり、今日入荷した『それ』は別格の輝きを放っていた。
伝説の焼きそばパン。5月1日に礼拝堂に奉納されたそれは、6日間経った今日、ついに購買部に入荷したのだ。
(製造から6日経ったパンって衛生的にどうなのかという気もするが、伝説なのでクリアされているとする)
今日の購買部は伝説の焼きそばパンの争奪戦で大荒れが予想される。店員達は奇妙な緊張感で満たされていた。
……だが。

「……おかしいな」
「おかしいですね」

購買部員達が囁きあう。
現在時刻は、4限が終了してから約15分後。
普段ならば、校則違反覚悟の速攻購入狙いの連中や、足の速いパシリ達で店内はごった返している頃だ。

それが、いない。

店内には購買部員達を除き、人っ子一人見当たらなかった。
これはおかしい。特に、伝説の焼きそばパンの販売という大規模イベントのある日ともなればなおさらだ。
次第に、店内の購買部員達の間でざわめきが広がり始める。
店内に窓がなく完全防音という購買部の謎めいた構造(ハルマゲドン時被害を軽減できるための施策だそうだ)
が災いし、店内から外の様子を確認できないのが余計に不安をあおる。
結果、緊張に耐え切れなくなった購買部員達が外部への偵察員を決めるためじゃんけん大会を行い、10数回のあ
いこの末敗者が店外へ向かった。
店外に向かった彼が戻ってくるまでの数分の間、店内の空気に奇妙な緊張が満ちる。
そして、帰ってきた偵察員は告げた。

「店が、大量のトラップに囲まれています! 客が近寄れない状態です!」


**********


希望崎学園新校舎から、希望の泉に向かう道。
購買部を中心とした半径200mほどの一帯は、地獄絵図と化していた。
見えるものから一見分からないものまで多数のトラップが仕掛けられ、購買部に向かう者を阻むのだ。
落とし穴、虎バサミ、指向性催眠音波発生装置、クレイモア地雷(ゴム弾)、つっかえ棒とバナナと檻、等々。
冗談のようなものから真剣に危険なものまで、よりどりみどりである。

「ああっ、おかもとが虎バサミに食われた!」
「柳生新開が落とし穴に落ちたぞ!」
「上下君ゴム弾クレイモアに普通に吹っ飛ばされたー!」
「ポウアイちゃんがバナナにつられて檻に閉じ込められてる! 所詮チンパンジーか!」
「兵動さんが逆さ吊りトラップに! パンもろだ!」
「おい、大石が催眠トラップでパイタッチに目覚めたぞ! 女子は逃げろ!」

続々とあがる被害報告。悲鳴と罵声、なぜか混じる歓声と喝采。
購買部利用者にとっては悪夢、自前で弁当を確保した者にとってはエンターテイメント。
その惨状を前にして、二人の男が腕を組んで立ちすくんでいた。
片や、死体じみたメイクに血糊をかぶった斬新過ぎる装いの男。
片や、資格の本を片手にダンスのステップを踏むアフロの男。

「ふむ、これは参った。焼きそばパンを買おうにも、そもそも店頭にたどり着けないのでは手は出せん」
「計画、冒頭から大いに躓きましたって感じだなー。ところで俺、あんたのそのコープスペイント、イカスと思
うけど血糊が気になるんだけど。後リアルすぎる匂いも」
「これは後輩の耕太郎の血だ」
「うわぁ。何があったか気になるけど聞いてほしそうだからあえて聞かない」
「なんだとぅ!?」

この二人。死体メイクの闇雲希(やみくも・のぞみ)とアフロの住吉弥太郎(すみよし・やたろう)は、共に伝
説の焼きそばパンを狙う魔人同士である。
スタートダッシュを決めようと思っていた二人は、移動形の能力を持っている訳でもなかったので一歩遅れ、罠
に引っかかることをぎりぎり回避できた。そして、二人以外の焼きそばパンハンターを蹴落とす目的で手を組ん
だのだ。
無論、二人だけが残った時にはタイマンで焼きそばパンを奪いあう算段である。

「それより気になるのはこの罠の出所だな。3限の体育の授業のときは普通に通れたはずだ」
「少なくとも3限終了時から今までの間にこれだけの罠を? ありえない。何かの間違いではないのか?」
「間違いを間違いじゃなくすのが俺達魔人だろ。そういう魔人能力者がいるって聞いたことはないかい」
「む……実は一人だけ心当たりがある。視界に入った場所に即座に罠を出現させ、自在に操るという、恐るべき
魔人の話だ」
「そいつだな。学年と名前は?」
「1年、罠大居照子(わなおおい・てるこ)」


**********


「ふひ、ふひひひひ、ふひ」

薄暗く薄汚い、およそ女子が住む場所とは思えない、学生寮の一室。
櫛目が綺麗に入った黒いロングヘアの少女、照子はそこで、いつものように薄気味悪い笑いを浮かべていた。
希の予想の通り、彼女こそが購買部の周辺の罠の支配者である。

照子が罠を置き、それに引っかかる者を見て薄気味悪い笑いを浮かべるというのは、今に始まった事ではない。
だが、それはあくまで、彼女の薄暗い欲望を満たすための、言うなれば自己満足のための物。
今回のような目的で使うのは、照子の短い人生の中で初めての事であった。

「ふひひ、ふひひひ……美麗さんのためなら……えんやこらー」

今回のような目的。すなわち、他者に尽くすために自らの能力を振るう。
その事に、照子は言い知れぬ興奮と喜悦を覚えていた。

冬頭美麗と出会ってから、彼女の人生は初めてづくしだ。
初めての美人の先輩との会話。
初めてのおしゃれ。
初めての、同級生とのガールズトーク。
初めての……きゃっ♪

そう、美麗は照子の人生を、名前の通りに照らしてくれた初めての人だ。
だから、美麗が頼みごとをしてきた時、照子はとても嬉しくて。
この人のためならどんな事でもしようと、そう決意したのだった。
そう、今の照子は。

「誰にも負けないよーぉ、ふひひ。
『三銃士』が一、エリア51の罠大居照子、推して参ってまーす、ふひっ!」


**********


昼休みに入ってから20分が経過した。
購買部利用希望者と罠エリアとのにらみ合い、あるいは利用希望者が罠に突っ込み玉砕する事案は続いている。
無論、希と弥太郎の二人も罠突破の糸口はつかめずにいた。

「しかし死体メイクさんよ、このままじゃジリ貧だぜ。照子とやらのいいようにされて終わっちまうのは癪だ」
「死体メイクさんとは俺かアフロさん。それは俺も同感だ。だが、一つ疑問がある」
「疑問?」
「罠大居照子は筋金入りの引きこもり。当然、4限の授業など出席しているはずもない。つまり、購買部を利用
できないはずなのだ。何か手立てを講じていなければ」
「手立てね……」

アフロさん、もとい弥太郎が考え込んだ時である。彼の目に驚愕の光景が飛び込んできた。
彼から購買部の建物をはさんで反対側にいた野次馬達が、突然モーゼの十戒のように割れたのだ。
それは、皆が仲良く道を開けたというような平和的な物ではなかった。
十戒の逸話に習うならば、モーゼの空手チョップの衝撃波で海が割れたような。そんな光景だった。
だが、彼が驚愕したのはその事ではない。
彼の視線の目の前で、購買部の建物の入り口の自動ドアがゆっくりと開いていく。
その自動ドアの前に立つのは、裾の長いセーラー服を綺麗に着こなした、ツインお下げの少女。
弥太郎の位置からは見えないものの、弥太郎は確かに彼女が笑っているのを感じた。
間違いない、彼女も伝説の焼きそばパン狙い。
罠をどうやって無効化したかは分からないが、ひょっとしたら彼女こそが、照子の講じた「手立て」……!


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「……(無言で伝説の焼きそばパンをレジに置く)」←これください
「ありがとうございます。108円になります」
「……(無言で100円玉と10円玉を置く)」
「はい、2円のお返しです。暖めますか?」
「……(首を振る)」←いえ、結構です

こんないつも通りのやり取りが、こんなにも緊張するのは何故だろう。
それはきっと、愛しいあの人のための買い物だから。
あの人に頼まれた買い物だから。

この買い物を済ませれば、あの人は私をほめてくれるだろうか。
頭をなでてくれるだろうか。
今朝はちょっと出すぎたことをしてしまったけれど、その事を許してくれるだろうか。

考えても考えても止まらない。
頭の中を、照子ちゃんとあの人のやり取りが聞こえるけれど、それもほとんど上の空。
ああ、今はこの買い物を終わらせてしまおう。
あの人のために。
愛しいあの人、冬頭美麗さんの為に。

「……!(無言でぐっとガッツポーズ)」←『三銃士』が一、MiS21の素極端役亜由美、がんばります!


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「くそっ!」

弥太郎は地団太を踏みかねない勢いだった。
彼から見て購買部の反対側で起きたあの出来事は、きっとあの少女の高速移動の衝撃波によって巻き起こされた
物だ。その推測が正しければ、もはや盤面は王手に近い形勢と言っていい。
この罠の山の前では、弥太郎たちは近づく事もままならない。あの少女が罠を何らかの手段で無効化していると
すれば、罠の中を弥太郎たちのいない方向に移動されればそれで詰みだ。
弥太郎の魔人能力『借りてきた不死鳥(ディメンジョン・フェニックス)』は広域移動の妨害には有効だが、発動
までにわずかなタイムラグがある。その隙を突かれれば終わってしまう。
そのとき、先ほどからずっと隣にいた男が声をかけてきた。

「……困ったな、アフロさん」
「ああ、そうだな。だったらどうするよ、死体メイクさん」
「困った時は、願えばいい。ちょうど今、俺の脳裏に『困っているな、さあ願え』と声が聞こえる」
「何?」
「そして、俺は願う。『悪魔に願う』。この状況を何とかするものを!」
「おいあんた、何言って……」
「ふ、アフロさん、もし悪魔が焼きそばパンを俺達の手に入れてくれるならば、その時は正々堂々やろう。
では、アディうぼぇ!?」
「……は?」

唐突に途切れた死体メイクさんの台詞に、思わず弥太郎は二度見した。
小さな石のようなものが死体メイクさん、もとい希の頭部に突き刺さっていた。
思わず上を見上げた弥太郎は

「……はああああっ!?」

絶叫した。


**********


その日、希望崎学園に大量の隕石が落下した。
一つは、新校舎近辺にいた一人の男子生徒(闇雲希)に直撃し、重態に陥らせ。
一つは、旧学生寮に直撃し、女子生徒(罠大居照子)の部屋を全壊させ、中にいた女子生徒を重態に陥らせ。
いくつかは、購買部近辺に満遍なく落下し、敷設されていた罠をなぎ払った。

その後、伝説の焼きそばパンを巡っていくつかの争いが発生したが。
その全て(舟行呉葉と大山田末吉による合体攻撃、仕橋王道による華麗なインターセプト、最後の三銃士千倉季
紗季の華麗なる活躍、などなど)を記すには紙面と時間が足りない。
だから、最後に起こった印象深い出来事のみを記し、この物語の結びとしよう。


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全ての戦いが終わった時、伝説の焼きそばパンを手にしていたのは住吉弥太郎だった。
彼が、同級生らしき女子生徒にパンを渡し、ジュラルミンケースを受け取るのを、私(冬頭美麗)は口を噤んで
見ている事しかできなかった。
私は負けたのだ。また、負けたのだ。
新たな三銃士は、また倒れ去ってしまった。
ふと顔を上げると、最初の女子生徒が別の女子生徒に焼きそばパンを渡しているのが見えた。
見覚えがある顔だ。あれは確か……兵動 惣佳(ひょうどう・そうか)。
彼女がなぜか、こちらに来る。
何故? 私は負けたのに?
彼女は言う。
友達になって、くれませんか。

私は泣いた。

(了)
最終更新:2015年05月04日 16:11