『001 希望崎より愛をこめて』
生徒会と番長グループによる血で血を洗う抗争、通称”ハルマゲドン”。その前日に番長グループの溜まり場である番長小屋へと呼び出された少年は、長い話し合いの末に番長グループ側での参戦が決定した。
だが彼の名誉の為に言っておくと、校則の適用外期間となるハルマゲドン下で、これ幸いと殺人衝動を満たしたり歪んだ性癖を満足させたりする事を目的として戦いに加わる輩とはその参戦理由は一線を画する。
あくまでも、女性関係による事情である。
「えっ、ちょっと待って!? それじゃ全然名誉の為になってないから!?」
詳しい事情は省くが、要するに本来番長グループ側として参戦する筈だった少女がとある理由でそれが果たせない事となり、彼は急遽その代役として選ばれたのだ。
勿論、彼も望んだ訳ではない。出来る事なら争いに巻き込まれたくはなかったが、もし断れば番長グループの恨みは土壇場でキャンセルした少女へと向かう事だろう。彼らも迫るハルマゲドンに際して必死であり、何をしでかすか分からないピリピリとした剣呑さがあった。
ハルマゲドンで番長グループ側が勝てば何も問題はない。多少のわだかまりは残ったとしても、勝利という事実はそれを深刻なものとはしないだろう。また、残酷な話だが番長グループが全滅するような事態であっても、それはそれで彼女の安全は保障される。だが、生徒会勝利で番長グループの生き残りが逆恨みに走ったとしたら──────────そう考えると、彼に選択の余地は無かった。
本来争いを好まぬ少年であったが、愛する少女を守る為にその身を投じる決断をし、番長グループの半ば脅迫じみた要請に対する回答とした。
そしてその場を後にした少年が出会ったのは、一人の──────────いや、三人の少女だった。
「せたーっぷ! ぜんたーい、止まれ!」
怪しげな発音と共に他の二人の少女へと号令を掛けたのは、埴井鈴(はにい・りん)。三人の中でもリーダー格の存在である。なお、彼女の発音では「Stop」ではなく「Set up」になってしまい、意味を成さないのだが今回は問題はそこではない。
「どうしたの、リンおねーちゃん ?」
まるで妹のように隣に立つのは埴井あらら(はにい・あらら)。その横には巨大な誘引蘭に寝そべった埴井姫(はにい・ひめ)も居るのだが、こちらは絶賛就寝中で無反応である。
怪訝そうな表情を浮かべ、尋ねるあららに鈴は簡潔に示した。
「あれを見なさい」
鈴の指差した先には、深刻そうな表情で何事か考え込みながら校舎の方に──────────鈴たちの方に歩いてくる少年の姿があった。思案の所為か、まだこちらに気付いている様子はない。
「あの子がどうしたのっ?」
「あいつ…………アレだわ!」
「アレ?」
「…………ZZZ」
ぱちくり、と瞬きしたあららと、眠り込んだまま目を覚まさない姫。少し苛々とした様子で鈴は続ける。
「あいつ、あの女の彼氏よ」
「そうなのっ?」
「あの女、余裕のつもりなのか何なのか、アイドル活動を始めたかと思ったらいつの間にか恋人まで作って…………」
敵対心を剥き出しにしながら鈴はぎりぎりと歯ぎしりした。埴井家の後継者争いに勝ち抜く事を至上の命題とする彼女にとって、目の上のたんこぶ──────────それが「あの女」だ。
実のところ今回、鈴がハルマゲドンに参加を決意したのもそれとは無関係ではない。「あの女」が番長グループとして参戦すると聞き及び、ならば自分は生徒会陣営に与して──────────いや、支配して叩き潰してやろうと思っていたのだ。ところが蓋を開けてみれば「あの女」、埴井葦菜(はにい・あしな)は参戦を取り消したという。
相手は逃げたのだから不戦勝、という考えにはならなかった。はっきりと分かる形で優劣を付ける事こそ鈴の望みだったからだ。
「なるほどねっ、道理で最近きれいになったなー、って思ってたんだー! 芸能界デビューだけが理由じゃなかったかーっ!」
女の子は恋をすると綺麗になる。これは最早世界の常識である。
「おっぱいもおっきくなってるしっ!」
「うぐぐぐぐ…………この私でさえ、まだ恋人なんていないのに…………!」
「リンちゃんも羨ましいよねっ? 後継者争いも良いけど、私たちもお年頃なんだし、恋の一つや二つや三つや四つくらいは」
「羨ましくなんてないんだからねっ!」
あららの言葉に鈴は烈火の如く否定した。こういう面倒くさい性格は流石、血の繋がりを感じさせるところなのだが、当の本人に言っても決して認めはしないだろう。
「で、どうするっ? 番長小屋から出て来たってことは番長グループなんだろうし、ハルマゲドン開始前だけど景気付けにやっちゃう?」
「処す~? 処す~?」
気楽なあららにぼんやりと目を覚ました姫が間延びした声で加わり、至極適当な意見を挙げる。とてもその物騒な内容にそぐうものではなかったが、決して冗談で言っている訳ではない。彼女たちは魔人であり、その力はいとも容易く人を傷付ける。
「待ちなさい。確かにそれも悪くないけど、もっと良い考えがあるわ」
良からぬ事を思いついた表情で、鈴は己の考えを口にする。
「あいつをあの女から奪ってやるのよ。私の魅力でめろめろの虜にして、あの女を絶望のどん底に突き落とす。勿論、その後ですぐに用済みのあいつはボロ雑巾のように捨ててやる。どう? 完璧だと思わない?」
後継者としては当然、女性としても自分の方が格段に優れている事を分からせる。そうする事で何よりも彼女の自尊心と虚栄心は満たされるのだ。
──────────実現するかどうかはさておいて。
「ちょっとそこのあなた!」
「…………?」
突然呼び止められた少年、一一(にのまえ・はじめ)は足を止めてそちらに目を向けた。見れば、それぞれタイプは異なるもののいずれ劣らぬ美少女が三人、彼の行く手を遮るように立ち塞がる。
「えっと…………何か用かな?」
何処と無く似た顔立ちからすると、姉妹なのかもしれない。しかも、よく見れば一と親しい少女にも似ている気がする。
「私は埴井鈴!」
「埴井あららっ!」
「…………ZZZ」
誰何の前に少女たちは一名を除いてそれぞれ名乗りを上げた。無視するわけにもいかず、一もそれに応じる。
「一一です。ひょっとして、葦菜の家族か親戚の人……?」
苗字からすると間違いはなさそうだが、念の為に尋ねてみた。だが、その反応は予想以上で。
「わ、葦菜、だってっ! 呼び捨てしてるっ!」
「やっぱり噂は本当だったのね…………うぐぐ、ねたま……妬ましくなんてないんだからね!」
女三人寄ればなんとやら。実際話しているのは二人だが、それを地で行く有り様に一は圧倒されつつも、どうにか言葉を続けた。
「あの、悪いんだけど、僕ちょっと用事があるんで……特に用件がなければこれで」
あまり関わり合いにならない方が良さそうだ、と一は判断し、そそくさとその場を後に──────────。
「待ちなさい!」
どうやら逃してはくれないらしい。一は嘆息すると、諦めて話を聞く事にした。
「私を見て、何か言うことがあるでしょう?」
いきなりの難問である。
たとえばこれが顔見知りであったなら、「この前のあれは浮気とかじゃなくてちょっとお話してただけなんだよ」「ごめんなさい、もうしません……」などと、釈明や謝罪を求められているという事は分かるかもしれない。
しかし、眼前の少女とはそもそも初対面なのだ。そんな相手に向かって何を言えというのか。
一は改めて鈴の表情を見つめた。自信に溢れつつも何かを期待している、そんな瞳。
「えーっと……美人さんだね?」
「へぇ、あの女の彼氏の割には全くの朴念仁ってわけでもないのね。ま! 私の美貌を考えれば当然だけど」
百点満点の回答ではなかったようだが、そこそこの点数は得られたらしい。もっとも、容姿を褒められて悪い気がしないのは当然といえば当然の話なのでここは一が特別に鋭いという訳でもない。
「あなたの言う通り、美の女神的な私が特別にあなたを下僕にしてあげるわ。感謝なさい」
「はぁ……」
言うだけはあって確かに美人に分類される容姿ではあるので全くの嘘ではないものの、いまいち話が呑み込めない。一の生返事に鈴もそれを感じ取ったのか、業を煮やして更に語気を強めて迫った。
「だ・か・ら! あんな女とは別れて、私に忠誠を誓え、って言ってるの!」
「え、お断りしますけど……」
「そうそう、素直に…………って、ちょ、ちょっと! 私とあの女、どっちが魅力的だって言うの!?」
「葦菜」
一は即答すると、話は済んだとばかりに踵を返すと三人の包囲網をするりと抜ける。と言っても鈴は一の発言で勝手に衝撃を受け、姫は寝たままなので包囲網と言っても形ばかりのものだったが。
「…………はっ!?」
コンクリートのように硬直していた鈴だったが、我に返ると即座にその顔を怒りに紅潮させた。
「あの女の何処が良いって言うのよ!? ルックスだってスタイルだって私の方が勝ってるし、後継者争いに真剣に取り組んでるのも私! アイドル活動なんかにうつつを抜かしてるお遊び気分なんかじゃないのよ! だいたい……」
「葦菜はそんな中途半端な気持ちの子じゃないよ」
一は鈴の言葉を遮った。それは、女性を尊重する少年にしては非常に珍しい事だ。
「何事にも過剰なくらいに全力投球。後継者争いも、芸能活動も、高校生活も。大変でも、絶対に手を抜いたりしない」
それは、すぐ傍でずっと見守ってきた者だからこそ言える言葉。
それに、と一は言葉を続けた。
「葦菜は、自分と他人を較べて自分の糧にする事はあっても、絶対に相手を貶めたりはしない」
「…………っ!」
二の句が告げなくなった鈴に、一は少し言い過ぎたと思ったのか、一言だけ付け加える。
「ごめんね。でも、君は人と比べなくても良い所は沢山あると思うから、その自信を良い方に向けて欲しいな」
そう告げると、今度こそ三人の前から姿を消した。
後に残されたのは。
「ふ、ふふふ…………初めてよ、私をここまでコケにしたお馬鹿さんは…………」
笑い声とは裏腹に、鈴の全身は怒りに打ち震えていた。
「絶対に許さないわ!」
「じわじわと嬲り殺す方針っ?」
「当然よ! …………と言いたいところだけど、それじゃ言われっぱなしで女が廃るわ! こうなったら意地でもあいつを屈服させてやる!」
「じゃあどうするー?」
「予定変更! 私たちも番長グループに行くのよ。敵対陣営に居るよりも接触の機会は多そうだし」
元より生徒会に大した義理もない。こうして彼女たち、埴井鈴・あらら・姫の三人は番長グループとしてハルマゲドンに参戦する事になる。
陰謀という名の毒針が、回り回って誰を刺すのか。
──────────それはまだ、誰にも分からない。
「もしもし? どうしたの、着信入ってたけど」
電話の向こうから快活な声が返ってくる。
傍若無人で、自信たっぷりで、誇り高い声。数日会っていないだけで、こんなにも愛おしい。
「あ、うん、ちょっと…………声が聞きたくなっただけ」
ハルマゲドンの代役の件は彼女には伝えていない。それは一が勝手にやった事だし、仕事の急なスケジュール変更で暫く学校に来られなくなった彼女に要らぬ心配をさせてしまうだけだからだ。
「そう? なんか声の調子がいつもと違うから、何かあったのかな、と思って。結局ハルマゲドンの話も有耶無耶になっちゃったし……」
僅かなやりとりでも幾許かの不穏を感じ取ったのか、彼女の声に不審の色が混じった。
「大丈夫、何でもないよ。帰ってくる頃にはハルマゲドンも終わってるし、仕事に集中してくれればいいから」
意識して何事もない声を装う。嘘をつくのは心苦しいが、しかし今回ばかりは悟られる訳にはいかない。彼女の性格なら、真実を知れば即座にすっ飛んでくるに違いない。たとえ大切な仕事を放り出してでも。
「ならいいけど…………」
一を信頼したのか、葦菜は不承不承引き下がる。どうにか誤魔化せて一もほっと一息──────────。
「もしかしてあんた、また他の女の子にちょっかい出してるんじゃないでしょうね?」
「ええっ!? そ、そんなことしてないよ……」
やましい事はない筈だが、隠し事をしているのは事実なので否定の言葉にも説得力がない。
「もしそんなことしてたら、埴井流格闘術のお仕置きフルコースだからね!」
「き、肝に銘じておきます……」
日頃の行いの所為で、全く信用されていなかった。
「……ったく。そろそろ休憩終わりみたいだから切るわね」
「うん、急に電話してごめんね」
二人に許された時間は少ない。その最後の瞬間に。
「あ、あのね、葦菜…………」
「……?」
囁くような、小声で。それでも、しっかりと届くように。
「──────────」
「っ!? ば、馬鹿っ! もうっ、ほんとに切るから!」
「うん、またね」
電話の向こうに表れたであろう表情が目に浮かぶようで、一は思わず顔を綻ばせた。
そして、決意する。
何物にも代えられない彼女の笑顔と。
何者にも代えられない彼女を守ると。
<了>
最終更新:2014年06月28日 09:10