【口舌院VS慶】
荒野だ。
男と女が対峙している。
男の名前は慶名無。
一族中の魔人率が99%を超える魔人界の名門一家に生まれながらその名前を捨てた男だ。
女の名前は口舌院(白金)言切。
番長グループの矛と謳われた白金翔一郎を輩出した剣術の名門白金家と、
番長グループの盾と讃えられた口舌院言葉を輩出した詐術の名門口舌院との間に生まれ、その血に誇りを持って生きてきた女だ。
「口舌院。てめえ、俺になんの用だ?」
「喧嘩にカツアゲ。徹底的に弱者をいたぶるあなたの振る舞いは目に余る」
「はっ、それがどうした」
「今すぐやめなさい。やめないというのであれば、覚悟してもらう」
口舌院は刀を抜くと、鍔を鳴らし構えた。
慶はそれを見て一瞬体に力を込めたが、すぐに力を抜いて柔和な笑みを浮かべた。
「……そうだな。俺が悪かった。もうしねえ――よっ!」
言い終える前に慶は口舌院に向けて駆ける。
喧嘩で鍛えられた魔人の体は両者の距離を一瞬で詰めた。
至近距離で振るわれた慶の拳を、しかし口舌院は読んでいたとばかりに避け――
「……てめえ、俺の能力を知ってやがったな?」
「これだけ暴れているあなたの能力を知らないとでも?」
同時に死角から迫り来た、慶の背中から生えた拳を切り捨てた。
慶の能力は「King Of Force」。己の肉体を変化させる能力だ。
「下調べは万全ってわけか……。だが、それくらいのハンデは必要だよなあ!」
数多の実戦で培われた慶の喧嘩殺法が口舌院を襲う。
まともに当たれば致命傷となる両の拳に加え、胸や背中などあらゆる場所から生える腕。
針状に硬質化した腕も鞭状にしなる腕も、自由自在に振るわれる。
死角から、あるいは正面から。
両の拳をフェイントに、あるいは生えた拳をフェイントに。
変幻自在に振るわれる慶の攻撃。だがそのどれもが口舌院を捉えるには至らない。
斬る。躱す。流す。
剣術の極致と謳われる白金の美技には、たとえ腕が一本や二本増えたところでチンピラなどでは届かない。
自分の行動が先読みされているような不気味さを覚え、慶はたまらず距離を取った。
「あなたの攻撃は雑だ。粗さはときに武器にもなるが、雑な動きでは私は捉えられない」
「お説教はいらねえんだよ! その程度で粋がってんじゃねえ。これを見てもまだんなことが言えんのかぁ!?」
言うと同時。慶の全身から腕が生える。
10や20では利かない、軽く見積もっても100を超える数の腕に、さしもの口舌院も目を見開いた。
「当たらねえんじゃ近づくこともねえよな。さあ、いつまで逃げ続けられるかな!」
「くっ……!」
慶の全ての腕が口舌院に襲いかかる。
視界を覆うような高速で迫り来る数多の腕を、口舌院は必死で防ぐ。
微塵の狂いもない正確さで腕の隙間をかいくぐり、避けきれないものは切り落とす。
口舌院は完璧な精度でそれをこなすがそれでも躱しきれず、体にはいくつもの傷がついている。
徐々に追い詰められていく口舌院だが、慶にも余裕があるわけではない。
体から無数の腕を生やすという絶技は、無論相応に慶の体力を奪っていく。
口舌院が動きを鈍らせ慶の拳に沈むか。
慶が体力を失い倒れるか。
2人の戦いは根比べの様相を呈し始めていた。
(このままじゃまじいな……)
慶の顔に焦りの色が浮かぶ。このままこれを続けたところで勝てるかどうかは五分五分だ。
劣等感から一家を飛び出した慶は、喧嘩に勝つことで自らの自尊心を満たしてきた。
だからこそ、戦いに敗れることを強く恐れている。五分五分など、到底許容できるものではなかった。
なんとか打開策を見出そうと口舌院の動きを動きを見つめていた慶にの頭に、ふとある考えがよぎる。
試してみる価値はある。そう考えた慶はいくつもの腕を合わせて巨大な腕とし、口舌院に向けてそれを伸ばした。
かすっただけでも致命傷は免れないであろう質量を持つその拳を、しかし口舌院はそれを難なく躱す。
質量が増えた分その拳の速度は落ちていたのだ。
どんな巨大な拳だろうが、当たらなければ意味がない。
そう思いながら、再び前から迫る腕を捌こうと構えた口舌院の腹部に、その巨大な腕から生えた拳が突き刺さった。
「がっ――!」
正面から来る腕であれば数が多くとも避けられた。
しかし、この数に加え死角から迫る腕まで避けることは、口舌院をもってしても叶わなかった。
強烈な一撃に口舌院は膝をつく。その周りを慶の無数の腕が覆った。
「おいおいおい、いいザマじゃねえか口舌院さんよお! 俺の思いつきにやられるってのはどんな気分だ?」
「……ええ、いい気分。これを待ってたの」
「はぁ? 何言ってんだ。てめえ頭イカれてんのか? まあいいや。死ねよ」
そう言って慶は全身から生やした大量の腕を口舌院に振るおうとするが――
「なっ!? な、なんで動かねえ!? くそっ、おい!」
慶の誇る無数の腕は、そのどれもが動かなかった。
その隙に体勢を立て直した口舌院は、微動だにしない慶の腕を容易く切り捨てる。
「ま、まだだ! また新しく生やせば……うおっ、なんだこれはちくしょう!」
再び腕を生やそうとした慶の肉体に、腫瘍のような巨大な肉塊がいくつも出来る。
慶はその肉塊に覆われ身動きが取れなくなった。
「く、くそ! なんだってんだ!」
「あなたの能力は自分の肉体を変化させること。しかしまだ使いこなせていないと聞いている」
ゆっくりと口舌院が慶に近づく。
その体からは一切の闘争心が消え失せていた。
「あなたはどこまでを自分の体だと認識している?」
「あ? んなもん知るかよ」
「そう。あなたは自分の体を変化させる能力を持っているのに、それについて考えたことがないでしょう?」
「……ちっ」
舌打ちは肯定の証。
元来学業の苦手な慶は、能力について考えを巡らせたことなどなかった。
「あなたの体に関する認識は一般の人と同じ。頭と手足。それに胸と胴が自分の体だと思っているはず。
それなのにあなたは自分の体から生やした腕から腕を生やそうとして、そして実際に生えてしまった。
自らの肉体に感する認識と現実の乖離。自己認識の崩壊。今のあなたの姿は必然ね」
「……ああ、そうかよ。ゴタクはもういい。さっさと殺せよ」
慶の愚行をこれでもかと詳らかにする口舌院の解説に慶が返せたのは、完膚なきまでに敗れた敗者が見せられる唯一の矜持だけだった。
しかし口舌院は、慶の見せた僅かな誇りをにべもなく切り捨てる。
「別にあなたを殺すつもりはない。やめてくれるならそれでいい」
「は? 俺がやめるとでも思ってんのか?」
「どちらでも。やってることはカツアゲに喧嘩だもの。一度目の警告で殺すほどのことじゃないでしょう?」
慶には口舌院の考えが理解できなかった。ただ一つわかるのは口舌院が甘いということ。
(この場を見逃してくれるってんならそれでいい。
次に戦うときは変化した肉体も自分の肉体と思い込めば、この口舌院も敵じゃねえんだからな)
そう思いほくそ笑む慶に口舌院が言葉をかける。
「ああ、もし次に戦えば勝てると思っているなら、それは間違いだから」
「あ?」
「あなたは今日、自分の変化させた体を変化させて、その結果暴走させた。あなたの認識はもう固定されたの。つまり――」
「あなたはもう、変化させた肉体をさらに変化させることは出来ないし、もちろん私に勝つことも出来ないの」
そう断言した。
荒野だ。
そこには男が1人。
男は肉塊に飲み込まれ、動くことも出来ない。
「……く……う、ちく……う、…くしょう……!」
男が何ごとか呟いている。だが、聞く者は誰もいない。
何度呟いた頃か。男は肉塊の中からズルリと抜け出し、その四肢を大地に投げ出した。
「ちくしょう! 口舌院のやろう! 絶対にゆるさねえ! ぶっ殺す、ぶっ殺してやる!」
肉塊から抜け出し横たわった男が最初に叫んだのは、己をこの上なく惨めな様に追いやった女への叫び。
男の叫びは空しく荒野にこだましていた。
(終わり)
最終更新:2014年07月02日 06:28