ジャン=マリー・クロワザール プロローグSS


 ジャン=マリー・クロワザールと言う名前を持つ魔人は存在する。
 ポケット・ビスカッセと言う能力を持つ魔人がここ十年ほど前から名乗っている。故に、その名前を持つ魔人は十歳前後と言うことになるだろうか。

 ポケット・ビスカッセと言う能力を持つ魔人は五十年ほど前から存在する。
 後に「暦」の部長と呼ばれることになる魔人と出会ったことを切っ掛けに、手に入れた能力である。故に、その名前を持つ魔人五十歳前後と言うことになるだろうか。

 しかしジャン=マリー・クロワザールは十八歳である。
 これは当人の認識によって時間軸を捻じ曲げたか、手に入れた事実である。故に、魔人能力は彼というか彼女と言うかのアイデンティティーと言うことになるだろうか。

 実際、それは正しい。正しいが、問題はそこではない。
 部長が表に出ない「暦」において実質的に指揮を執るのは卯月を襲名する当代の副部長、つまりはこの僕「卯月言語」である。
 それが正しい、はずなんだが――

 「そうなんですよ。困ったものですね、部長直々に話を持って来た時は頭を抱えましたね。ふふん」
 「霜月。これ見よがしにモノローグを張っていたのだから台無しにするのは止めてください。いや、やめろ」
 「いいじゃないですか。誰に向けて話してたかわかんないんですから。あんまり黒幕っぽい立ち位置にばっかりいると部長に上前を跳ねられちゃいますよ。たまには泥を被んないと」

 ここは「暦」の本拠地。
 誰かの悪戯か、悪の秘密結社っぽい内装に取り替えられていたのでそれっぽい演技で演じていたのだが――、観衆が一人では虚しいだけである。
 と言うか、黒幕ごっこ自体が悲しいことである。それ以前に副部長自体がさもしいのである。
 よって、愚かな人類はすべからく霜月様を崇め奉るべきである。
 「待て、突っ込まないぞ、霜月サビーネ。突っ込まないからには――、簡潔に報告しろ、二度は言わない」
 「はい、わかりました。霜月が”霜月”である以上は副部長の命令には絶対服従ですので。ジャン=マリーさん宛の部長発の指令――らしき手紙をとりあえず一直線にジャン=マリーさんのところに持っていきました」
 「……二度も待たせるな、何故副部長である卯月言語のところに持ってこなかった?」
 「霜月はフランス語がわからなかったので、知ってるフランス人のジャン=マリーさんに訳してもらおうと思って持って行ったのです!」

 ビシッ、見事な敬礼であった。
 着帽していない状態であったので正式な礼法でないと指摘するのは無粋である、そう思わせるほど妙な気迫と説得力を持たせる、そんな見事な挙手の敬礼であった。ちなみに海軍式である。
 よって、卯月副部長は二度突っ込む気力を失った。
 「で、持って行ったのですが。食われました」
 「食った?」
 「ええ、切手消印のところまでモグモグと」
 「モグモグと?」
 「ええ、そりゃあもうパクパクと。恍惚とした表情で、ありゃ変態ですね、うんうん。マジっすか!」
 「いや、何がだ。まぁいい。証拠隠滅か、こっちが連絡係の霜月を抱き込んで、しっかり監視も付けてると知った上でか。部長も中々やるな、ふん。別にこっちに敵対する意思はないってのに」
 「ま、そんなわけなんで中身まではわかりませんでした! それで副部長! どうしますか?」
無駄な元気が癪に障る。数合わせの部員ならこの程度の認識でいいのかもしれないが……。

 「手紙はいい。あれは部長と付き合いは長いらしいからな。双方でしかわからない符牒や暗号を使われていたらアウトな上、あれが本命とも限らない。
そうだな、文月君を呼んできてくれ。ハルマゲドンについて話がしたいと」
 「おっ、いよいよやっちゃいます? 殺っちゃいます?」
 「物騒な話をするな。表向きの話は犯人探しだよ、何もやましいことはない、何もな。行け――」

 部室から出ていく霜月を見送ると卯月言語は椅子に座ったまま、伸びをした。
 「ああ、ったく。毎回、あいつのごっこ遊びに付き合うのは疲れるな」
まぁ、お蔭でいつもの外面だろうがそうでなかろうが、深く考えずに話が出来るんだ。少しは感謝しなければいけないだろう。こめかみを押さえながら思考を巡らせる。言葉を脳内に巡らせるのは生家を離れた今となってもこの身の倣いであり、染み付いた習性と言ってよかった。故に。
 「よくフランス語だとわかったな? ん、まぁ今はまだいいか」
 気付くが、今は流す。言葉に出した以上は、自身の中で忘却されることはないだろうと確信していた。

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 時を遡る。十年程前にジャン=マリーと言う名前を引き取り手であるクロワザール夫妻から授かった一人の魔人は公園のベンチに腰掛けて鳩に餌をやっていた。
 餌はもちろんお手製のビスケットである。もちろん武装用ではなく、食用である。
 「ほらほらー、食え、食え。肥え、肥え、肥えー、太れ♪ フォアグラ作れよ、肝細胞(マイ・レバー)♪ 美味くいかないほどやりがいがあるのよー♪ 恋も夢も食べ回ればいいのよ♪」

 なんか、邪悪な歌を歌っていた。
 見るからにご機嫌である。事実、もうキャラ的に許されるなら(ゲヘヘヘヘ)とか(グヒヒヒヒヒ)とか言う心の声を口から笑い声にして放出したい気分だったらしい。
 そんなフランス人(キャベツ野郎)に霜月さんは声をかけることにした。ここはご丁寧にYAMATONADESIKOらしさを見せませんとねぃ。
 この女、見た目がとてもそうは見えないゲルマン女郎であることは隅に置いてやがった。
 「ボンジュール(こんにちわ)、キャベツ野郎(お嬢様)」
 …………、はっ。心の声と言葉の声を間違えちまったー!
 「すべーてーはーすべーてーはー♪ あれ……誰ですか?」
 「ふへへ(frais)……」
 「ぴっかーん」
 「はらはら……」
 ヤバイ。なんか意味ない擬音並べてるだけで意思疎通が出来る気がしてきた。
 「はらぺーにょはらへりーにょ?」
 「…………」
 ヤベ、調子に乗り過ぎた。お互い黙っちまう。どうしよう、なんか話すか? 意味なし語を?
 三十秒が経過した。
 そんな居心地の悪い沈黙を打ち砕くように、おずおずと鳩用に景気よくばら撒いていたビスケットを渡そうとする御仁、ちわーっす。でも、それ鳩用ですよね?
 「大丈夫ですよ。人間用を鳩にあげているだけなので」

 そう言われると、迷いも消えようというものでいただきまーす。
 「うんまっ。あー、甘いんですけど、しつこくなくて後味もいいですねぃ。こいつぁ」
 そうやって口に運んだ数が二桁に達しようというその時!
 「そかそっかー、一枚2000kcalだけどたくさん食べてねー」
 「はごぁ! ぶぅえぇえうぇあぅあぇあぉおぉぉ!」
 吐いた! 全力で吐いた。道理でなんか腹に溜まるなーって思ったわけだよ!
 「キャベツ野郎(クラウツ)はドイツ人(ボッシュ)への悪口ですよ、霜月さん。それと、カロリーについては冗談ではないのであしからず」
 「ごぅえぇぇっぇぇえぇェ」

 「ここは禅僧になりかけの不良フランス人の溜まり場なので河岸(菓子)を変えましょうか。『仏蘭西』、仏を冠すると言うからには禅僧と親和性が高いのも当然でしょう」
 なるほど、もっともな話なので霜月は大人しく従うことにいたしますよ、とほほ。体型維持のために三日は絶食だな、うん。

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 ところを替えてここは電話BOXの中、残念なことに時空間移動機能は搭載されていないが、なんと! 座布団を敷いて真向かいに対面するには十分な広さを持つスグレモノである。
 「それで、副部長さんに忠誠を誓ってらっしゃる『暦』の方が部長閣下のしもべたる”私”に何の御用でしょうか?」
 「いやぁ、霜月さん家になんでお宅宛の手紙が届いたのかはわかんないですけど、とにかく渡そうと思って持って来たんですよね。それも、なんとブチョーさんからなんですよ!」
 瞬き――、奪い取ろうとするジャン=マリー、それを阻止しようとする霜月さん。
 突き出される指先が腕を掠め、鼻先の空気を揺らし、遂には口元にビスケットの束を突っ込まれる!
 「それを渡しなさい! 小学生からやり直したいですか?」
 「もぼもがむがががぼか(はいこうさんします)」
 お手上げ降参、こりゃーまいったねー。華の女子高生の弱点を突いてくるたぁ一本取られたわ。
 「いやー、元々なんて書いてあるか読めなかったんで解読してもらおうと思ってきたんですけどね。まさか、口の中にビスケットを突っ込まれるとは思ってもみなかったですわ」

 鳩、いや鳩様のエサを取り出していただき、神妙な顔で呟く霜月。
 「あ、それはカロリー的に桁が違うから」
 「なーんだ」
 と、口に運ぶ霜月。
 しばらく経って。
 「いただきまーす」
 「上の方に……」
 吐くよーい。
 「じゃないから安心して」
 更に、追加分をよこす。口止めですね、わかります。

 そんなことをやっているうちにジャン=マリーさんは手紙の封を切り、中を一読すると途端蕩けんばかりの笑顔を発する。それは見ている分には気持ち良いような気持ち悪いような印象を受ける。
 「ヨモツヘグイ」だったっけ? みたいで文句を言えるような雰囲気じゃなかった。しゃあない、食べよう。

 もしゃもしゃ。
 まずは余白を楽しむ。千切った欠片が砂糖の欠片みたいで綺麗だ。
 流石にこの枚数を胃に入れると水分が欲しくなるけど、じっと我慢の子、霜月はえらい子。
 もぐもぐ。
 次は黒が散った本体だ。一枚一枚では食いではないけれど、重ねるうちにさくりと食感が増す。
 ぱらぱらと食べかすが散るけれど、流石に拾って食べるほどはしたなくはない。霜月そこまで飢えてない。
 ぺろぺろ。
 最後は念入りに。切手の裏に付いた唾液は逃せない。入念に舐め取って――
 「「ごちそうさまでした」」

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 そんなわけで仲良くなった。
 「このタッパと外見でしょ、ペラペラのボカンボカンと勘違いしてやってくるアホが多くて困るんですよー」
 「なるほど、自身もこの身長ですのでわかる気がします。ここ日本で自身より高い方は久しく見ていませんでしたからね」
 おしゃべりもたけなわ、そろそろ終わりにしようか。
 双方が気付いていた。お互いの名がこのままでは許される領域ではないことを。その辺りを流石に十一番目の月は悟っていたのだ。

 「あ、そうだ。ちょっと副部長に連絡いいですか?」
 「どうぞ。元々そのつもりでここを選んだんですから。これは公共物でなく、”私”の別荘です。それで構わなければどうぞ」
 「やだなぁ。そんな脅しかけたらつまんないことでも口滑らすわけないじゃないですか」
 「はい。存じていますよ。”霜月”は副部長に嘘を付かないのですよね」
 ――事実、聞き漏れる言葉には私の能力についてとかちゃんと不利益を及ぼすものもあった。先程、ついつい、お互いのことを話してしまったからだ。まぁ、お互い様だろう。
 「そうですね、霜月さん。”霜月”はそういうものでいいんですよ――」

<備考>
*霜月サビーネ(旧姓:ヴォルフガング)
 軽佻浮薄ながら当意即妙な受け応えによってみんなの人気を集める華の女子高生。一人称は「霜月」、「霜月さん」など。
 当然みんなの人気者と、本人は思っているが実際は周囲から浮いている。友達がいないわけではないが、所属する「暦」メンバー含め「あいつバカだなぁ」などと軽く見られている。

 見た目は完璧にパツキンで背が無駄に高い(小学生の頃に180台突入)アングロサクソン系のねーちゃんなのだが、中身は三下がやたら似合うその辺の日本のギャルである。
 意外とあんまりお胸もないので、その辺ガッカリされる。
 遠目ではお人形さんのようでいて近寄ると色々縮尺が狂っているので近づくとショックを受ける。
 ドイツ語は無駄にかっけー! と思っているだけで全く話せない。日本語のネイティブである。勉強はあまり出来ないが、生活態度だけは真面目。なんか色々残念である。

 善人のように見えるが、実際は深く考えずに何でもやっちゃえてしまえる怖いヤツ。
 知る機会がなかっただけで夜魔口組から依頼されたヤバイブツの運び屋をやっていたことがある。幸か不幸か全く気付いていなかったが、知ったところで大して気にも留めないような図抜けたところがある。
 根拠のない自信と刹那的な生き様が副部長の何らかの心の琴線に触れたのか、「暦」に直々にスカウトされたが、信用は全くされておらず大きな仕事を任されたことは一度もない。
 連絡係と言う名の使い走りや雑用が主であるが、本人はまったく気にしていなかった。能力は運送に関係するものらしい。

*禅僧になりかけの不良フランス人
 嘘。ジャン=マリーさんはエスニックジョークを本気にするほど狭量な人ではない。

*一枚2000kcal
 本当。第一次世界大戦期のフランスにおいて伝説と呼ばれたお料理魔人の業をジャン=マリーは一端ではあるが引き継いでいる。ただし、未熟であり本流に並ぶほどの腕ではない。
ジャン=マリーはビスケット一枚に3000kcal凝縮するのが精一杯であり、戦闘用のビスケットに至っては常識的な範疇に収まる程度でしかない。ちなみに味見をしたことは一度もないが、味はそこそこである。
 生前の彼女は二人の軍人に尽くした良妻賢母として鳴らしたと言い、一度目の夫を肝硬変で若くして亡くし、再婚した夫をフランス元帥号にまで引き上げた後に没した。ちなみに二番目の夫の死因は餓死である。彼女の料理が後方の将軍一ダースの肝臓を崩壊させたとも前線の一個師団の飢えを救ったとも。
 最盛期の彼女の料理はブリュレ一口分の熱量が30000kcalを数えたと言い、その密度は自然発火の領域に達した。天上の食糧「マナ」とも量産した暁には戦略兵器とも言われたが、その製法は失われ再現に後続は挑み続けている。

*電話BOX
 架神BOXではない。訪ねていくと時々ジャン=マリーさんに会えるが、住んでいるわけではない。
最終更新:2014年07月14日 05:22