ジャン=マリー・クロワザール エレジーSS
~彼女はいつだってわたしたちのことを「ジャン=ポール」と呼ぶ~
1914年6月28日。
無慈悲な銃弾が斜陽の帝国の後継者を撃ち抜いた。
サラエヴォ事件の発生は秘密条約による列強の連鎖的参戦につながる。第一次世界大戦の勃発である。
世界を巻き込む闘争はその年のクリスマスまでと言う楽観的な予想を裏切って、人名を燃料の如く浪費する総力戦へと雪崩れ込んでいく。
誰が望んだかはわからない。それが時代の必然ならばわたしは首を垂れて従おう。それが「主」の意思と言うならそれでもいい。どうだっていい。
――あの戦争はわたしのすべてを打ち砕いた。故に真なるところはどうだっていいのだ。
下らないと思う。あれから何回戦争が起こった? 第二次? ヴェトナム? 湾岸? 馬鹿馬鹿しい。
「世界」を賭すと言う一点で言えば、あの戦争で命を落としたすべての兵士たちにとっての世界大戦は一度きりだ。二度目が与えられたわたしとて「第二次世界大戦」は未だ何も終わっていないことになる。
あれが、あれからが欧州の没落を引き起こし、我が祖国に多くの責苦を負わせたことは確かだろう。
だが、二分された心と体はそれらを実感として与えてくれない。たとえあの時、出征の際に胸高鳴らせた期待と将来への希望を一瞬でも取り戻せたとしても、思いだせたのはその一瞬きりだった。
視界にちらちらと映ったものは何だったか、延長線を引くなら三メートルばかりに伸びたわたしの足の裏だった。望んでもピクリと動かず、力を入れようにも腹の中はスカスカだった。
少年を連れたあの方が塹壕の中に現れ、問いかけたのは丁度その時だっただろうか。
その頃はもう魔人として目覚めていたわたしに生きる意志を問うのだ。それを救いの手と言うには酷く泥臭かったが、決断は一瞬だった。結果としてわたしが捨てたいと思った敗北への、死の恐れさえ余所にやってしまえた。
五体満足な状態で立つわたしは直前より若く猛々しく――生還の喜びに浸っていただろう、震える子供の姿を見るまでは――。
あれは”わたし”自身だ。故郷や老いた両親への思慕もあの時、一瞬で粉砕してしまった。
自ら手をかけるよう指示され、苦しそうに歪んだ己の顔はその脳裏にいくつ大事な記憶を持っていたのか、わたしにはもうわからない。
だが、わたしは勝った。生き残ったわたしは多少刹那的になったが、わたしはわたしのままだ。
わたしの世界を賭した戦争は終わったが、あれから一度だけ試してもらったことがある。その時も生き残った。
「命を賭す」と言う点で言えば、紛れも無く極小の戦争たる「ハルマゲドン」は三度目を数えて仕舞いとすることもなく、着実とその履歴を積み増していく。
わたしは学生たちの行為を愚行と断じることは出来ない。
希望崎学園と言う極小のコップの中で巻き起こる「ハルマゲドン」という波紋は、いずれ社会の大多数が「世界」と呼んで憚らないこの地表全てに波及すると確信しているからだ。
ただ二回きりの世界大戦と侮っていては一度きりの最終戦争(ハルマゲドン)を見逃すぞ、人類諸君。
ん? ああそうか、百年経ったか。
しかし、あれからわたしの中では八十年も経っていない。
わたしの後半生の中で「暦」の部長と名乗りを変えた運命の魔人は不思議なことに、あの子と共に唐突に現れたあの時と全く姿を変えていなかった。
彼女を再び連れて来た十年前と百年前がまるで昨日と今日の差とでも言うようにだ。
いつ出会った時も若々しいのはあの時の少年も同じだったが、変わった点と言えば見る度に少年装いを変えていく。まるで無骨な材木から何かが切り出されようとしているように。
少年は明らかに何かになろうとしていた。
荒々しく不機嫌だった表情は会う度に晴れ晴れしく年頃の子供らしきものに摩り替っていく。我が家にやって来た時もまるでそこにいるのが当然のような態度だった。
それでも、わたしは彼を受け入れる。あの方に連れられた彼はよく見れば指を絡め合うそれではなく、ぎゅっと握りしめた拳の上から小さな手で懸命に包み込もうとしていたからだ。
きっと、振り向いてもらいたいのだろう。少しでも近づこうとすると、するりと抜けだしてしまうあの方に。孤高の王者のようなあの方はだからこそ人を惹きつけて止まない。
その点で言えば、わたしもまた部長のファンであり、程度は違えど信奉する同志と言ってよかった。
さて――わたしの終生の仕事もここの辺りで仕舞にするのが筋かもしれない。
この歳になるまで祖国とあの方に奉職してこれたのだ。彼女には感謝しなければならないだろう。
彼女と、祖父孫の関係を結んだだけでこの呼称を用いるのは怒られるかもしれないが、そこは年の功と笑って許してやるとしよう。
それでもまだ、捨てて来たものよりこの身の内に残っているものの方が多いのだから。
ジャン=ポール・クロワザール退役陸軍大尉の手記より一部抜粋
最終更新:2014年07月17日 00:39