第一回戦SS・氷河その2


【古代】氷河
戦闘領域:1km四方

氷河期の世界。全てが凍りついた死の世界には、十分な文明すらもまだ存在しない。
長く身を晒すことが死を意味する極寒環境下では、他ならぬ自身が用意した状況のみで速やかに決着をつける電撃戦が要求される。

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その名前から抱くであろうイメージに反し、過去の地球におけるいわゆる『氷河期』の気温というものは、現代と比較して10℃も違わない。雪氷学における定義を採用するならば、基本世界の西暦2014年も氷河期に分類される。

無縁双生児(ツインズ)』からそんな雑学を教わった時は、案外それほど寒くないかも、などと期待したのだが。

「寒っ……まあ、現代と比べてどうとか以前に『氷河』だもんな」

 だだっ広い氷の大地の中心で、浅尾龍導は独りごちた。現在の気温、氷点下32℃。

雲一つない空、太陽は地平線少し上の高さで鈍い白光を放っている。ここが南極だとすれば、沈みかけというわけではなく水平な軌道を辿っている途中なのかもしれない。

だとすれば日が沈むまでにはまだ時間がある。極圏において昼夜の温度差は少ないとはいえ、今よりも冷え込むことは間違いない。ブリザードでも吹き荒れれば、魔人の生命力をもってしても相当に堪えるだろう。

セクスカリバーの恩恵を受けている限り、基本的に傷や病気を負う事は無い。だが、どこまでを能力の範疇と見なすのかは浅尾の『認識』によるものであり、あらゆる現象に対して無敵とまではいかないのだ。凍傷を負う事はないものの、冷気で身体は強張るし体力も消耗する。先の砂々成増との戦いでもそうだったように、飢えや渇きも無視できない。

防寒はばっちりしてある。愛用のバニー服の上から戦闘行動に支障を来さない程度に衣類を重ね、一番上には風景に溶け込む白いコートを合わせた。戦闘が長引いた場合に備えてナップザックに携帯食料も揃えてある。それでも、直接戦闘でならば半無敵の力を持つ浅尾にとって『事故死』のありえる氷河での戦いは長引かせるべきものではない。

「まあ、あちらさんの出方にもよるけど」

 24時間と少し前、時計に表示された名は『山口祥勝』。インターネットで検索すると、【魔人だけど】守り手系生主ブラストシュート【救ってみた】という知能指数の低そうなホームページがヒットした。

【本名:山口祥勝。ワク生でうp主&生主やってます/正義の味方/ヒーロー枠/雑談枠/歌枠/ゲーム実況/お仕事の依頼はこちら□□□・・・/ほしい物リスト(凍結中)/呟イッター:https://△△・・・】

活動内容にはそれとなく聞き覚えがあった。動画投稿サイトに魔人との戦闘を載せる、酔狂な男がいるという。公的機関の許可も得ずに魔人と戦っているという点では、ある意味同業者と言えなくもない。対立することになるとは思わず、詳しく調べたことはなかったが。

公式サイトのリンクから、ブラストシュートの戦闘動画はすぐに見つかった。左右の手から電撃と炎を放つシンプルな能力。身体能力や体術の水準は高い。しかし、己が内に蓄積された経験から、浅尾はそれらの映像に違和感を覚えた。

――自分が身を置いてきた戦いの世界は、そんなに甘いものだっただろうか。

 ブラストシュートよりも遥かに扱いにくい能力や、非戦闘向けの能力を持ちながら第一線で戦う魔人も確かにいる。だが、それは彼らが上手く立ち回るからだ。自身の能力も姿も晒した彼が、正面きっての戦いで魔人犯罪者たちを下してきた……本当に?

 辿り着いた推論。公開されている動画は、魔人能力を誤認させるためのブラフという可能性がある。

「なんだアレ……?」

 寒空に漂う二つの点を見つけ、浅尾は思考を中断した。生命の存在しないこの氷の世界、渡り鳥の類ではないだろう。自然と、今さっきまで考えていた山口祥勝とやらの真の能力を連想する。次の瞬間。

「あっ?」

 飛来した弾丸が浅尾のこめかみを捉え、遅れてきた破裂音が静けさを貫いた。


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 浅尾のいる地点から直線距離にしておよそ150mの位置。山口祥勝は雪上に伏せたまま息を潜めていた。身を包むのは当然のように、炎と雷の意匠のヒーロースーツではなく、雪上用の迷彩服である。サーモグラフィによる索敵に備え、赤外線を遮断する染料を用いた特別製だ。

『いた』『見つけた』『みっけ』『いた』

 ゴーグルの内側にコメントが流れる。相手も氷河での戦いに合わせて迷彩を用意するであろうことは予想していた。だが、それで山口を味方するピーピング・トムたちの目を欺くことはできない。

『ハイライトサテライト』によって撮影した映像を、A子の『ドローイング』で即座に加工。具体的には、氷河を構成する氷の近似色を別の色へと置き換えた。あとはそれを本戦と並行で配信させ、視聴者たちに探してもらうだけ。ステルス系の魔人能力やオーパーツレベルの光学迷彩でも使われたらどうしようもないが、『よく似た色で目を欺く』という程度であればこのやり方で炙りだせる。

「じゃあ……”カラス”、位置を教えてくれ」

『カメラ2から二時の方角、約60mだ』

 山口にとって情報は生命線。だが、多ければ多いほど良いというわけでもない。切迫した状況ほど、判断に使える情報を選別し、不必要なものは極力省かねばならない。ゆえにこうして誰かを名指しする。あまりにもずれた事を言えば他の者が指摘すればいい。メンバーたちもその辺りは心得ていた。

 ゴーグルを上げてライフルのスコープを覗く。どのあたりに居るのかさえ分かってしまえば発見は容易。程なく、山口は浅尾龍導のシルエットを捕捉した。スコープの倍率を上げると、フードの隙間から薄化粧で少しきつめな横顔が覗き見えた。

「女だ。”闇神”の話では剣士の男だったはずだよな?」

『希望崎で同じ名前の奴がいたってだけだから』

『闇神使えねー』『風天は黙ってろ』『女装じゃね』『女装はねーよw』

「……とにかく、こっちが先手を取るチャンスだ。分析は任せる」

『了解』『おk』『任せろ』『おk』『おk』『了解デース』

 再度スコープを構える。十分に射程圏内、風速はそこそこ、歩いているだけの的。山口の技術ならば確実に頭を射抜ける。

 浅尾が何かに気付いて表情を変える。視線の先には、恐らくは衛星。悠長にしてはいられない。

「こいつで終わってくれるとありがたいんだけど」

『そうなると私が困る。もっと画が欲しい』

 スコープを流れた文字を無視し、淡い期待と共に引き金を引く。撃った瞬間、会心の狙撃であると確信した。


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「効かないんだけどなぁ、そういうの」

 弾丸は1mmほども浅尾の皮膚を穿つ事なく弾かれ、小気味の良い金属音を立てながら氷上に転がった。

「なるほど、つまりそっちにいるってわけだ」

 弾が飛んできた方向を睨む。赤い敵影を発見。

 これではっきりした。山口祥勝はやはり映像のイメージからは程遠い。こういった奇襲を躊躇なくやってくる相手ということだ。

「……茶番だ茶番。ぜ~んぶ茶番だ」

 己の知名度を利用する狡猾さ。面白い戦い方をする魔人だと思う。同業者的な興味としても、一度ぐらい色々と話をしてみたかったかもしれない。もっとも、こんな形で出会ってさえいなければ、だが。

 自分にできるのは、事態を茶番として収束させることだけだ。

「んで、結局アレは何なんだ……まあ、何にせよ」

 二つの浮遊物体が、少しずつ近付いてくる。浅尾にはそれがカメラのように見えた。だとすれば、早々に索敵を済ませてきたことにも説明が付く。

胸の谷間に仕舞い込んでいた『それ』を取り出す。足元の氷が粉々に砕け散り、浅尾の姿が消える――否。一瞬にして、前方上空を漂っていた浮遊物体の目前へと移動した。魔人の中でも屈強な足腰を持つ、浅尾だからこそできる大跳躍。

「この手に限る、ってな」

 腕を振るうと同時に、浮遊物体が両断された。『性剣セクスカリバー』――持ち主に不死性を与える鞘と、あらゆるものを切り裂く刃、その両方を備えた王者の武器。浅尾自身も与り知らない事だが、現時点で欠片の時計を巡る戦いに参加している魔人の中においても、最強の能力の一角であると言っても過言ではない。

二つの特性を一度に発揮することはできないという欠点に目を瞑れば、だが。

 直後、浮遊物体に仕掛けられていた榴弾が起爆し、熱と金属片の雨が浅尾へと降り注いだ。



『性剣セクスカリバー』を最大限に生かす方法とは何か。

 女と化して陰茎の取り回しが可能になった浅尾が独自に生み出し、鍛錬した我流剣術(こたえ)は、実にシンプルであった。

 高速で抜刀しながら断ち、収める。この二つのアクションを極限まで研ぎ澄ませば、敵の攻撃を受けるリスクを最小限に留めつつ、自分は一撃で敵を仕留められる。

「危ねーな……ケホッ」

 氷河の冷たい風が爆煙を吹き晴らし、浅尾の姿を顕わにした。服の一部が破け、髪の毛が跳ね、身体の前面が煤けている。しかし、ダメージは皆無。

 性剣が解き放たれたのはインパクトとほぼ同時。そして浮遊物体を斬り落とした次の瞬間には、既に鞘へと納められていた。

 特別な事ではない。今や浅尾にとってこの動作は、反射的に行えるのだ。

 即ち、浅尾は自身の能力の欠点を、ほぼ完全に克服している。

――それでも、まだ、足りはしない。

浅尾龍導は考える。エゴを貫き通すには、力が要ると。

深刻な事態を、ただの茶番にしてみせる。その内なる信念を果たし続けるために、どれ程の強さが必要だろう。

「もう一台は……さすがに無理だな。そんじゃまあ、行きますか」

 残った方の浮遊物体は急速に離れ、遠巻きに浅尾を見下ろしていた。さすがにその位置までは、浅尾の跳躍も届かない。

 方針は変わらない。自分の得意な正面戦闘というグラウンドで、相手を打ち破りにいくだけだ。むしろ相手が策を弄するタイプだと分かった以上、いたずらに時間をかけるべきでないという考えはより強まった。

欠片の時計を統合し、必ずその力を手に入れる。全てを茶番にするために必要なのは、そういう絶対的な力なのだから。

 未だ敵影が覗く方向へと、浅尾は足を踏み出した。


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 ライフルによる狙撃は命中。だが、ダメージは無し。

 観察のために近づけた衛星の内、2号機が破壊され仕掛けが発動。ダメージ無し。

 直前まで『主観』だった2号機、並びに直後切り替わった3号機の映像から、視聴者たちに能力を分析してもらう。その間に、山口自身は狙撃ポイントから離脱すべく走っていた。

【87コメントさん:NGです】

 発言の不適切を告げるメッセージが流れる。情報の伝達に齟齬を生むため邪魔でしかないシステムだが、ワク生利用者側で弄れない設定である以上は仕方がない。ややあって、それは告げられた。

『奴の武器はペ●スだ』

『えっ』『ワッザ!?』『何?』『なん……』『だと……』

『興味があります』

 一通りの驚愕の後、A子のコメントを最後に流れが止まった。

「詳しく説明してくれ」

『奴が何かを振るったように見えたが、速過ぎて見えなかった』『そこで、映像をコマ送りにしてみた。キャプチャ画像を皆に送る』

『……うわっ』『これは』『すごく……』『すごく……大きいです』『大きいです』『すごく……』『俺よりちょっとデカいわー自信無くすわー』

【104コメントさん:NGです】

『風天くた●れポークビッツ』

「A子、ちょっと黙ってろ。”無敵の楯”何が映ってる?」

『だから、ペニ●だ。子供の身長ぐらいある。一瞬でカメラを斬って、一瞬で縮んだ』


 魔人能力に、『あり得ない』はあり得ない。分かってはいるがしかし、なんとも馬鹿らしい話だ。

「お前ら、どう見る?」

『こういうのはどうだろう』

 能力考察に長けた内の一人、”大泥棒”の言はこうだ。肉体の一部分を任意に強化できる能力。普段は皮膚や表面の筋を強化することで防御力を高めている。攻撃に陰茎を用いるのは、肉体の中で唯一『強化』が『攻撃リーチの拡大』につながる部位であるから。

「任意での強化なら、意識外からの狙撃がダメージにならなかったのは何故だ? ヘッドショットを予測して、あらかじめ頭部の皮膚を強化していた? それに、榴弾を防いだのは?」

『でも良い線は突いているかも。アレを一瞬しか伸ばさないのは、能力上の制約とかリスクとかの可能性は十分にあるよね』

 確かに。例外もあるが、多くの場合魔人能力は一人に一つ。陰茎を伸ばして剣にする事と防御力が高い事が、関連した能力である確率はそれなりに高い。もっとも、陰茎が他人の魔人能力で用意された『持ち込み武器』である場合、この仮説は容易く崩れるが。

『ねえ祥勝、もしあいつがち●こ持ち込んでるだけのガチのフジミ能力者だったらどうやって勝つの?』

“風天”は視聴者たちの中でも特に香ばしい『教えてくん』である。だからこそ、他のメンバーとは違う視点で物事を判断できるのが強みなのだが。

『氷に閉じ込める』『場外に吹っ飛ばす』『クレバスに叩き落す』

「生憎、大掛かりな仕掛けができるほどの武器は持ち込んでない」

『じゃあどうすんの』

「それはだな……」

『その線は、捨てる』

 何故かA子が答えた。彼女のコメントは、しばしば唐突に枠の流れを方向転換してしまう。

『本当の意味で不ジ身の相手には、どう足掻いても勝つ手段なんて存在しない。なら、勝ち方を考えるだけ無駄』

『せいぜい弱点持ちの『半』不シであると仮定して、倒し方を模索するしかない』

 山口の考えと、寸分も違わない答え。全くもってその通りだった。その通りなのだが、A子にぴったり言い当てられると無性に腹が立つ。

『勝てないって分かったなら降参するのもアリじゃん?』

「俺が降参?”風天”お前、本気で言ってるのか?」

『ぜんぜん。まあ祥勝が負けても楽しみが一つ減るだけだしー?』

「ほざけクソガキ」

 山口祥勝は知っている。こいつらはふざけたクソ野郎共だが、ブラストシュートを勝たせようとする意思は本物だという事を。

『ブラストシュートは、絶対に負けない』

 相変わらず、A子は戯言ばかりを書く。ただ稀に、その戯言が皆を鼓舞することもある。

「勝つにはお前らの力が必要だ。引き続き、分析頼む」

『おk』『おk』『了解』『おk』『ウェーイ!』『シマッテイコーゼ!』

『編集は任せて。全年齢対象に修正してみせる』


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 現在の気温、氷点下38℃。

 地平線に被った太陽が、キャンパスを朱色と陰のコントラストで彩る。そんな幻想的な光景を死んだ魚のような目で無感動に眺めながら、浅尾は冷えたバナナを咀嚼していた。

「凍らせたバナナで釘を打つってヤツ、帰る前に試してみようかね」

 戦いに勝ちさえすれば、時間はそれこそ無限にある。問題は、勝とうにも未だ相手が見つからないことだった。

 最初の狙撃からあまり間を置かず、浅尾は赤い人影の元に辿り着いた。果たしてそれは山口祥勝ではなく、等身大の人型バルーンだった。傍らにはライフルが打ち棄てられている。恐らく浅尾には通用しないと見限って、装備を軽くすることを選んだのだろう。

 そこからも散々だった。苛立ちにデコイバルーンを斬ると、また榴弾が起爆した。狙撃地点から離れようとすると、周辺に張り巡らされたワイヤーに足を取られた。ワイヤーの隙間を見つけてすわ敵の逃走経路かと踏み込んだら氷の床が爆発した。

そもそも足場が悪く、荷物の重さやら防寒具やらに動きを阻害される状況で、1km四方のフィールドは広すぎる。そして、依然として例のカメラと思しき浮遊物体は、刃の届かない遠巻きの位置から浅尾を見下ろしている。

機動力ならば大抵の相手に負けない自信があるとはいえ、一方的に居場所と動向を知られているということは、このかくれんぼにおいて大きなハンディキャップだった。結局敵は見つからず、向こうからの大きなアクションもないまま日没時を迎えた。

「こりゃ、今日の所は休んだ方が良さそうだ」

 夜闇の中を当てもなく探し回るのは得策ではない。仕掛けてこなかったということは、こちらを倒す目途が立っていないか、夜襲でも狙っているかだろう。後者ならばもう望むところだ。一日中歩き回った疲れから、やや投げやりにそう考えた。

食糧は数日分もつのだから。明るくなってからまた探せばいい。どうせこちらの居場所はバレているのだから、火でも焚いて暖を取ろう。

 ナップザックをその場に下ろして中を漁る。固形燃料に火を灯し、周りの氷を削って鍋に掛ける。不衛生極まりないが、どうせセクスカリバーの恩恵で病気とは無縁の身体だ。

 缶詰の肉と、乾いたビスケット。沸かした湯で溶いた粉末スープ。飽食の時代である現代に戻れば積極的に食べたいとは思わない携帯食が、疲れ冷え切った身体には妙に美味く感じる。いつの間にか陽は完全に沈み、満天の星空が頭上に広がっていた。

「こんな時じゃなけりゃ、もう少し楽しめただろうになあ。ま、こんな時以外には来ないけど」

 ぼやきつつバナナに齧りつき、咀嚼した時だった。何かが爪先に当たって、乾いた音を立てた。

 足元を見る。転がっているのは、スプレー缶めいた物体――また爆発物/奇襲/対処/もう、遅い。

 爆音と光が至近距離で広がる。殺傷ではなく無力化に長けた閃光弾。性剣の恩恵を受けた浅尾でなければ、網膜を焼かれ、鼓膜を破られていたかもしれない。『認識』による絶対防御の定義をすり抜けた、数秒の隙を作り出すに足るだけの感覚刺激。

 だが、悶えながらも浅尾は思考を絶やさない。そして皮膚を広がる、第二の攻撃の感覚……皮膚を、広がる?

(熱……火炎放射器か!)

 火傷こそ負わないものの、確かに浅尾は熱感を遮断できない。あるいは炎によって酸素を奪い、窒息死を狙ってくる――そのどちらも有効だ。

 しかし、だからこそ既知。過去に同じ手で浅尾を殺そうとして来た相手は幾らでもいる。

 肌を焼くことなく舐め回す熱さは、覚悟さえ決めていれば耐えられる。同様に酸素も、慌てて息を吸ったりしなければ良い。密室でさえなければ、落ち着いてからでも十分に対処できる。性剣殺し、破れたり。

(……違う! ドジっ子か俺は! ここはどこだ!?)

身体を地面へと打ち付け鎮火を図る。やがて視覚が戻った時、浅尾は敵の狙いが直前に気付いた通りであったことを悟り、自身の迂闊を呪った。

 死の世界において生命線であるナップザックが、冷気から浅尾を包み守る防寒服が、食べかけだったバナナが、消し炭になっていた。目の前には、やり遂げたというように火炎放射器を放り捨てる男。

「……どうしてくれるんだお前。釘バナナが試せなくなっただろ」

「そりゃ悪い。代わりに俺が試しとくからさ」

「なんだ、お前も持ってきてるのか? ならお前の荷物から拝借すりゃいいか……寒っ」

 ようやく姿を見せた山口祥勝は、少しも悪びれた様子なく、道化的に肩をすくめてみせる。

 山口のゴーグルの内側を、文字が流れる。向き合った浅尾にも、それは読み取れた。

『やっぱり不死身とか超防御力だと、注意力が低下するのかしら』


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 浅尾龍導には、狙撃も榴弾も効かない。ダメージの無効化、あるいはそれに近しいレベルの防御力を備えていると考えられる。恐らく手持ちの武器の内で致死性のダメージが通るとしたら、火炎放射器のみ。仮にそれが通ったとしても、今回持ち込んだ小型タイプでは仕留め切るには心許ない。結論、棄却。

 バナナを食べていたということは、浅尾は食わねば死ぬ。防寒具を着込んでおり、身震いするような仕草も見られたということは、凍えても死ぬ。爆発で服の一部が破けているということは、奴の防御力は衣類や持ち物へまでは反映されない。

浅尾の捜索を必死に逃れている間に、リスナーたちはそこまで辿り着いてくれた。

 直接対峙することのないまま終わるのが理想。現時点で考えられる勝ち筋は、ハイライトサテライトで相手を監視しながら戦闘空間を延々と逃げ回ってのスタミナキル。だが、ここにもまだ問題が残る。

 攻撃的な魔人能力を持たない山口は、可能な限り銃火器を持ち込んだ。対して浅尾は、自身の魔人能力だけで戦えるため、それ以上の武器を必要としないはず。ナップザックの中身は、大部分が兵糧の類である可能性が高い。つまり、単に逃げ回るだけではこちらが先に力尽きる。

 もう一つ、純粋な体力差。リスナーたちの所見によれば、敵は山口よりも機動力に勝っている。その差は時間を経るほどに浮き彫りになっていくだろう。今はなんとか情報のアドバンテージを生かして逃げられているものの、一度でも読み違えれば即座に追い付かれる。

 ここで、一度は捨てた火炎放射器という選択肢が再び浮かび上がった。これで敵のスタミナの根元を断つ。一度大きなリスクを背負うことになるが、成功すれば勝率はぐんと上がるはずだ。

 決行は陽が落ちてから。接敵と離脱がしやすいのは勿論、目が暗闇に慣れてからの方がスタングレネードの効果が高い。

 闇に乗じて素早く近付き、持ち込み物を燃やし、逃げる。極寒の環境下に裸一貫で放り出されれば、早ければ夜が明けるまでに勝負が着くだろう。

 結果として、目論見はほぼ成功した。――最も重要なポイント、離脱の機を逸したことを除けば。


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(不用意に背を向ければやられる。隙が必要だ)

 浅尾の集中は今、かつてないほどに研ぎ澄まされている。山口もそれを感じ取り、迂闊に動こうとはしなかった。

 ボロボロになった衣服の残骸を、浅尾は破り捨てた。既に防寒の機能を果たさぬそれらは、ただ動きを阻害するだけだ。戦いで鍛え抜かれた無駄のない肢体を、ばら撒かれた液体燃料の火が扇情的に照らす。

 唯一残ったのは、浅尾の本来の戦闘装束(バニー衣裳)のみ。所々に焼け焦げはついているものの十分に原形を留めたその服は、全てを茶番にするという彼女の信念が少しも揺らがぬことを暗示しているかのようだ。

 認めざるを得ない。男を棄てて不死身を得てからは、片手の指で数えられるほどの回数しか味わう事のなかった感情。即ち、目の前の相手に殺されるかもしれないという恐怖を、今の浅尾は抱いている。

恐らくは即死能力どころか攻撃系の能力すら持たないと思われる、戦い慣れしているだけのありふれた魔人。そんな相手に対してそれを感じるのは初めてだった。

「……これも茶番だ。ぜ~んぶ茶番だ」

 浅尾は、静かに嗤った。露出した肌を冷たい風が撫ぜる。筋が強張り、指先が震え出す。関係ない。命のやりとりを前に、生存本能の火は轟々と燃え盛っている。

 体感時間が鈍化する。透明な泥の中にいるような感覚。氷床を踏みしめる。今の己は引き絞られた矢だ。

足元の氷が爆ぜる。風を切り裂いて迫る。流線化する視界の中心に、敵――山口祥勝だけが、ぶれることなく在り続ける。振り上げた左手に巨大な拳銃、右の手にナイフ。セクスカリバーの特性を見抜いた上での、時間差攻撃の可能性。ここを凌がれれば、もう後が無い。

 性剣を握る腕を袈裟に振るった。同時に山口がトリガーを引く。鉄の咆哮が空気を震わせた。例え超防御力が相手であろうと、怯ませる程度ならできるだろうという控え目な自負を込めて、50口径のモンスターが火を吹く。

弾丸は形の良いDカップを一瞬揺らし、そのまま弾かれた。浅尾の手の中の性剣は、鞘に納められたままだった。

 山口はナイフを横に薙ぎ払いながら、後方へのステップを試みる。浅尾はそれを許さなかった。

 解き放たれた性剣の刃が、山口の右前腕ごとナイフを二つに割った。両者の口元が痛みに歪む。根元から切り離されたナイフの刀身が飛んで、浅尾の頬を薄く裂いていた。

 性剣を一度鞘に納めようとする浅尾の残心を、極度の集中により高速化した思考が引き留める。敵の左腕に僅かな動き。先の閃光弾が脳裏をよぎった。もし逃げられたら? 今ここで仕留める機を逃せば、最悪そのまま相手を見つけられずに衰弱死、あるいは餓死。

性剣を納めて、再び放てば、二手。そのまま放てば、一手で決まる。

 山口の心臓めがけて、浅尾はセクスカリバーを突き出した。


 果たして性剣は、山口の身を貫きはしなかった。


 死の世界に銃声が響き、浅尾龍導は膝をついた。その胸には、ぽっかりと穴が空いていた。


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 陰茎が最も膨張するのが、射精の直前であることは言うまでもない。

 では、逆に最も縮む条件とは何か。

 答えは、『寒さ』である。

「ははっ」

 浅尾はうつ伏せに倒れながら、手放して転がったままのそれを見る。鞘から解き放たれたままの最強の剣は、本来の半分以下の長さしかなかった。

奇襲を警戒し続け、抜刀/即納刀の2アクションのみで戦っていた浅尾には、性剣に起こった異常に気付くことができなかった。一撃までならば、問題なく振るえていたのだから。

セクスカリバーは膨張して山口の右腕を裂いた後、その表面積の広さゆえ急速に周囲に熱を奪われ縮小。突き出した剣身は、届かなかった。直後、山口の左手首の仕込み銃が吐き出した弾丸が浅尾の胸部を穿ち、炸裂した。

「お前、これも……最初から……、狙ってた、のか?」

 口から血を吐き零しながら、浅尾は問うた。

「知らねーよ……絶対逃げ切れないと思って最後っ屁のつもりで撃ったら、何故かこうなっただけだ。結局お前、不死身じゃねえのかよ。何なんだ一体」

 山口は肩で息をしながら、満身創痍といった様子でその問いに応えた。

 つまりは最後の斬り結び、浅尾は相手の策に掛かったわけでもなく『たまたま』負けたのだ。

「ほんと、茶番、だ。ぜ~、んぶ……茶番だ」

 負ける相手ではなかった。戦闘空間が氷河でなければ。ほんの気まぐれで鞘から抜いて、セクスカリバーの異常に気付けていれば。自分が深読みしなければ。

現実世界で普通にやれば、十度やって九度は勝てる。そんな相手に敗れたことが、茶番でなくてなんだというのか。

 手足から力が抜けていく。寒さを通り越して、最早何も感じられない。現実味のない死の影に、命を抓られているようなじれったさを感じる。

 山口とて、裂かれた腕は痛かろう。早くこの茶番劇を終わらせて、元の世界に帰還すればいいのに。

「さっさと、殺れ、よ……まさか、降参待ち、じゃないだろ?」

 山口はどこか憐れむような表情で浅尾を見下ろしながら、50口径の銃口を向けた。ゴーグルの内側を、『最後は良い画が撮れた。ありがとう』という文字が流れる。

「ああ、今やる。それと、悪い。もしかしたらその内、あんたに悪の組織のバニースーツセクシー女幹部かなんかの汚名を着せて、全世界に披露することになるかも」

「意味分かんね、けど……よく、そんな酷いこと、できるな……お前」

 茶番を信条とする浅尾とはいえ、まさか己の死がそこまで貶められるとは、あまりに皮肉めいていた。せっかくだから最期に何か、悪役っぽい憎まれ口の一つでも叩いてやろうかと考えて。

口を動かそうとした瞬間、浅尾龍導の思考は神経細胞ごと吹き飛ばされて霧散し、冷たい無へと還った。

最終更新:2014年10月17日 00:58