第一回戦SS・湿地その1


そこは地獄だった。

先程まで平和だった湿地に突如現れた招かれざる客達(どさんこたち)
空に見えるのは巨大スペースコロニー北海道。
エゾジカ、エゾオオカミ。そして北海道の生態系の頂点エゾヒグマ。
彼等に蹂躙される在来種達(あわれなぎせいしゃたち)
侵略者の王(エゾヒグマ)は自分が新たな湿原の主であることを主張するかのように恐るべき咆哮を上げる。

そこへ空から迫る巨大な影。
おお、あれは湿地の本来の主である巨大怪鳥三ツ首コンドルではないか。
全長140メートル。巨大なその身体でエゾヒグマに襲い掛かる。
時計保有者たちの戦場は宛ら釧路湿原めいた阿鼻叫喚の地獄と化していた。

◆◆◆◆◆◆

「何が起こっている……」
今現在、目の前で繰り広げられている光景が俄かに信じられない。
本屋文は司書である。当然あれが何か知識はある。あそこで暴れているあれは北海道の生物だ。
そして、上空に見えるのは、昔、本で見た北海道そのもの。
だがここは北海道ではないはずだ。ここが北海道なら降り注ぐ宇宙線への対処が必要なはず。
ならば幻か。
だが、彼女の『眼』(コニサーズ・チョイス)はあれが幻などではないと告げている。
即ち、全ては現実。

「……何者だ。これは間違いなくEFB指定能力だ」
蛎崎裕輔。それが迷宮時計に告げられた今回の敵の名前。
これほどの魔人が名も知られず埋もれていたとは。
あのエゾヒグマだけでちょっとした街を簡単に消してしまえるだろう。
魔人能力とは即ち「肥大した妄想で現実を捻じ曲げる」力。
つまり、これ能力を実現したのは北海道への執着。
それは異常という他ない。

「どこだ」
文は対戦者である蛎崎の居場所を探し、泥濘の中を走る。
だが、結論を先に言ってしまえば文は彼を探す必要はなかった。
なぜなら、蛎崎裕輔の方から目の前に現れたからだ。

◆◆◆◆

「お姉さんが本屋文さんですね」
文の目の前に現れたのは学生服の明らかにはこの場には似つかわしくない少年の姿。
偶然迷宮時計とはかかわりなくタイムスリップしてきた未来人がいないとは限らないが、その可能性は低い。
つまりあれが蛎崎裕輔であることは間違いないだろう。

「単刀直入に言います。降参してください。」
「嫌だと言ってたら?」
「北海道の全てが貴女に牙を剥くだけです」
北海道の脅威を見せれば、蛎崎の提案に乗らない人間はいないだろう。それも蛎崎の計算の上だ。

「北海道に入れば、この戦場からも脱出できます。貴女にも損はないはずです。
 僕は貴女のような美しいお姉さんを殺したくはありません」
「美しいね。そういってもらえるのはお世辞でも嬉しいものだな。まあ、君は私の恋愛対象とするには少し薹が立ちすぎてるがな」
そして、少し考える素振りを見せたあと、文が言った。

「ひとつ聞こう」
「なんですか?」
「君は戦場が都市だとしてもあの能力を使うのか?」
もしあれを街で使ったとすれば相当な被害が出るだろう。
「当然でしょう」
それで大きな被害が出たとしても所詮別の世界の話だ。蛎崎には関係がない。

「じゃあ、ダメだな」
文から出たのは予想外の言葉。

「子供が犠牲になる。それはよくない」
「貴女とは全く関係ない世界の話でしょう」
何度も言うが迷宮時計が飛ばすのはあくまでも平行世界。
故にその世界がどうなろうと元の世界には影響がない。
見知らぬ子供がなんだというのだ。

「愚かだな。子供は純粋で可愛いものだ。ほかに理由はいるか?」
真理を理解できない哀れな人間だと憐れむような目で蛎崎をみる。
「ふざけてるんですか」
愚かなのはどちらだと蛎崎は思った。

「いや、私は大真面目だ」
もちろんその全てを守れるわけではない。
だが、守れるのなら守りたい。
それが自分とは全く交わらない人間だとしても。

「私は子供の味方だ。ただそれだけの話だ」

本屋文はそういう人間なのだ。

「貴女は馬鹿なんですか?」
「先生にも言われたな」
移動図書館を運営するといったとき、彼女の恩師は文のことを愚かだといった。
当然だ。あの禁書も含めたすべての本が集まるという国立国会図書館の司書さえ可能だっただろう。
それが金にもならない移動図書館などと

「北海道の自然に勝てると思ってるんですか?」
「たしかにあいつを倒すのは困難だ」
三ツ首のコンドルに熱線を吐く怪物(エゾヒグマ)の方を見る。

「だが、私の対戦相手(てき)はあいつじゃない」
文が笑った。
「あくまで君だ。なら勝てるさ」
「後悔しますよ」
蛎崎の姿が闇に消えていく。正面から戦っては不利と判断したのだろう。
当然か。向こうにはそうするまでもなく戦う手段があるのだから。
そもそも交渉に来てくれただけで破格という他ない。
逃げた蛎崎を追おうとする文。

だが背後から何者かの気配。それを察した文が前方に飛ぶ!
何かが叩きつけられる音。水飛沫が上がる!
文が背後を見ると現れたのは3m級のタラバガニ。

読者のみなさんもかの文学者小林多喜二の蟹工船は御存知だろう。
プロレタリアート文学の傑作。蟹漁船の労働者たちを描いたこの作品は、北海道におけるタラバガニ漁の恐ろしさを余すことなく表現したことでも知られている。
北海道において漁民は消耗品なのだ。

「まずは小手調べといったところか」
タラバガニがハサミを振り下ろす。文は側転してそれを回避。
タラバガニがハサミを振り下ろす。文は後ろに飛び、それを回避。

足元が沼地になっている湿地帯は動きが取りづらい。
学校で訓練を積んでいないわけではないが、司書の本来の戦場はこのような場所ではない。
あくまで図書館だ。
戦場という点でも敵に分があると言わざるを得ない。

「だが、やられっぱなしで終わるつもりはない」
胸ポケットの貸出カードを投げる。タラバガニのハサミが千切れ飛ぶ!
だが、タラバガニはもう片方のハサミを振り上げ文を狙う!
その時!

「ニィイイイーーーーーーーー!」
背後から迫る何者かの足音。何かがこちらに突っ込んでくる。
足音に気付いた文は横へ飛びそれを回避!
謎の乱入者にタラバガニが吹き飛ばされる!

「新手か」

そこにいたのは20mはあろうかというエゾジカ。
それもまた北海道の怪物。
この生き物についてはフランソワ氏のレポートが記憶に新しいだろう。
そのレポートによれば衝突しただけで帰宅途中のε(仮名)氏のオプティを葬ったとされている。
戦闘の意思がなくともこうなのだ。
その力が戦いに向けられたら。その恐ろしさは言うまでもないだろう。

「ニィイイイーーーーーーーー!」
エゾジカが嘶く。そして文の方を見た。
突進を警戒しようとしたその時!

「ピガーッ!ピガーッ!外敵発見!外敵発見!今スグ排除シマス!ナオ投降ハ受ケ付ケテイマセン!」

BATATATATATATA

さらに上空から現れた機械存在が文に向かって機銃掃射!
文は背後に飛びそれを回避!

北海道が誇る自動迎撃ドローン部隊。
機銃と殺人ギロチンを兼ね備えた恐るべき兵器!
かつて、蝦夷征討にやってきた阿倍比羅夫のスペースシャトル部隊を野生生物とともに蹴散らしたのは有名な話だ!

機銃を回避した文がドローンの一機にに貸出カードを投げつける!ドローンが真っ二つになり爆発!
ドローンを破壊した文のもとへエゾジカが突進してくる!
文は横へ飛びそれを回避!
「排除シマス!排除シマス!」

BATATATATATATA

ドローンによる追撃!機銃に続き、ギロチンが飛ぶ!文はそれを回避しながら全てのドローンに貸出カードを投げつける!
全ドローンが真っ二つになり爆発四散!

「外敵排除!外敵排除!」
「休ませてはくれそうにないな」
上空からは新たなドローンが降りてくる。
周囲からはさらに集まってくる獣の気配を感じる。文が弱るのを待っているのか、すぐには襲いかかっては来ない。
次々と出現する敵。絶望的な状況。

「四面楚歌だな。まあいいさ」
蛎崎の提案を蹴った時からわかっていたことだ。無数に敵が襲ってくるというのならやるべきことは一つ。
すなわち―――

「全て打ち破ればいいだけだ」
文の顔はまるで今の状況を楽しんで笑っているようだった。

◆◆◆◆◆

『The Green, Green Grass Of Home』
北海道を召喚する蛎崎裕輔の能力。
北海道は蛎崎が敵意を持ったものにも襲いかかる。
それは北海道の全てに狙われているのに等しい。
北海道の自然の恐ろしさは住民であった蛎崎自身が一番理解してる。
最大の脅威たるエゾヒグマこそ邪魔が入ったが問題はない。
あとは北海道が敵対者を殺すのをここで隠れて待てばいいだけ。
生き残れるはずがない。

「ここにいたか」
そう考えていた彼の前に文が立っていた。
もちろん北海道の襲撃を受けた結果その全身は傷だらけだ。
だらしなく下がった左腕はおそらく折れている。
くすんだ色のコートや服は穴だらけになり、湿地帯で動き回ったせいか濡れている。

「全く。お前のせいでボロボロだ。まあ、怪我は治るらしいが、服はどうなんだろうな
治らないような新しいものを買わないといかん」
「……なぜ」

なぜ生きているのか。
いや、なぜここがわかるのか

北海道の猛獣たちに正面から戦っては命がいくつあっても足りない。
故に、道産子は隠れる技術に長けている。
逃走中、湿地の一角に背の高い植物を発見した。
そこに周囲から分からないように完全な偽装を施した。
夜の暗闇の中でわかるはずがない。

「悪いな。そういうのは見ただけでわかるんだ。真贋を見分ける私の『眼』は」
コニサーズ・チョイスは真贋を見分ける能力。故にカムフラージュされればも見抜ける。
文は司書の訓練のおかげで夜目が利かないわけではない。
夜の闇とてそれさえわかれば発見できる。
「さて、直接対決といこうか」

文が地面を蹴る!
「北海道を使う人間が弱いと思わないでください!」

BLAM!BLAM!BLAM!

蛎崎の手に握られた拳銃が火を噴く!
北海道の青少年は物心ついた頃から拳銃に親しむ。
なぜならそうしないと北海道の過酷な自然の中では生き残れないからだ。
故に道民には拳銃は基本武器。この程度使えなければ話にならない。
拳銃を扱う事など朝飯前だ。
文が貸出カードを投げ、弾丸を飛来するすべて撃ち落としながら蛎崎に接近する!

BLAM!BLAM!BLAM!

蛎崎の拳銃が再び火を噴く!文が貸出カードを投げ、弾丸を飛来するすべて撃ち落とす!
そして、さらに貸出カードを柿崎に投げる!
投げられたカードは
文の拳が腹にめり込む。

「グアッ」
さらに追撃の上段回し蹴り!文の足が蛎崎の顔面に突き刺さる!
蹴りを受け蛎崎の身体が吹き飛ぶ!
意識が薄れかける。。脳裏に思い浮かぶのは楽しかったあの頃の思い出。
今はもう届かない、時計の力で再び帰るはずだったあの頃の―――

(父……さん……母……さん……)
倒れるわけには行かない。
迷宮時計に戦闘続行不能とみなされれば時計の所有権を失ってしまう。
だから、

「まだ起き上がれるのか。いやそうだな」
北海道を具現化するほどの妄執。そう簡単に砕けるものではないと思い返した文が再び蛎崎に止めを差すべく動く。

(どうすればいい)
蛎崎雄輔は決して弱い魔人ではない。北海道の自然で鍛えられたその肉体は、並の魔人なら北海道に頼らずとも捩じ伏せることができる。
だが、本屋文は規格外だ。化物といってもいい。
どうすれば勝てるのか。

(そうだ、北海道だ)
北海道を盾にすればいい。北海道は蛎崎の意思で大きさを変えられる。
手のひらサイズにも。
北海道には住民がいる。当然子供も。
子供を守るという先ほど彼女の言葉を考えれば文は攻撃できないはず。
そして真贋を見分けるという彼女の言葉。
それが事実なら、これが本物の北海道だと理解できるはず。
その隙をついて文を倒す。簡単ではないかもしれないがこのまま正面からら戦闘を続けるより分のある話だ。
だが、
だが、
だが、
だが、
そんなことを、そんなことをできるはずがない。

なぜなら、蛎崎裕輔は――――
彼は北海道を愛している道産子だからだ。

「クソッ!!」
蛎崎が予備の拳銃を取り出す!

BLAM!BLAM!BLAM!BLAM!BLAM!BLAM!

文に向かって発砲!先ほどの怪我のせいか照準が定まっていない。文がそれを全て回避する。

カチッカチッ
弾切れ!リロードをするべきか。いやその隙に拳銃を落とされるのがオチだ。
ならどうする。
北海道は破られた。エゾヒグマも戦えそうもない。武器もない。
残されたのは彼自身の肉体のみ。
なら、答えは一つしかない。

「ウオオオオオオオオオオオオオーーーーーー!」
柿崎が地面を蹴った。
蛎崎の全体重を、いや、彼の想いを乗せた拳が文に迫る。

「いいパンチだ」
文が言った。
「だが、私を倒すには足りんな」
蛎崎の拳を潜り抜け回避、そのまま文の拳がカウンターで蛎崎の顔面を捉える。
蛎崎の脳を揺さぶる。

再び意識が薄れていく。今度は力が入らない。
そのまま蛎崎の体が崩れ落ちた。

「私が優勝したら元の世界に戻してやるさ」
時空のすべてを支配するとも言われる迷宮時計。その力を使えばその程度のこと簡単なはずだ。
「……だから今はここで眠っていろ」

最終更新:2014年10月21日 17:51