第一回戦SS・寺院その2


第一回戦【古代】寺院SS「今日、僕は初めて――」

 目を閉じると、まぶたの裏に鏡子の顔が浮かび上がる。
 悲しい顔で、私を見下ろすあの女。
 セックスは共に楽しむものだと、あいつは言った。
 あなたのセックスは悲しい、とあいつは言った。
 理解のできない言葉だ。
 セックスは力だ。支配する力だ。優劣は必ず発生し、共存することなど出来はしない。
 希望崎学園でも『虎の尻穴』でも、私はそうやって生きてきた。

 鏡子、貴様がそれでもセックスを愛だなどと言うのなら……
 ……私は、それを否定しよう。私の人生が、間違っていないと証明するために

 ああ、細やかな振動が私を刺激する。
 私の戦いが、始まるのだ。



―――ジジジジジジジ…………




 腕時計のアラームが鳴り止むのと同時に、天樹ソラは閉じていた目を開く。
 先ほどまで彼は自宅にいたはずだ。しかし今、眼前には長い長い石段が広がっていた。 
 どこまで続いているのだろうか、月明かりの下では見上げても階段の先を見通すことはできない。
 遠く、遥か頭上で鐘の音が響く。どうやらこの階段の先に寺院が有るらしい。
 ソラは右手首の腕時計にチラリと目をやる。そこに文字盤は存在せず、代わりに二つの人名と一つの地名が表示されている。

『【古代】寺院 猟奇温泉ナマ子vs天樹ソラ』

 この先に、対戦相手が居る。
 ソラは一度深呼吸をし、階段を登り始めた。


―――


 一歩づつ、奇襲と罠に気を配りつつ階段を登りながら、ソラは対戦相手のプロフィールを思い出す。
 猟奇温泉ナマ子、17歳、ビッチ養成機関『虎の尻穴』出身、現在希望崎学園2年生。特筆すべき経歴、ビッチ選手権ベスト4、準決勝にて鏡子に敗退。
 何らかの性的な魔人能力をもっており、願いも性に関するものと推測される。
 『N』に渡された資料に記載されていたのはそれぐらいだ。
 17歳、ソラと同い年だ。だが、プロフィールを見ただけでも分かる。彼女の歩んできた人生はソラとは全くの別物だ。
 どんな願いを持っているのだろうか、どんな思いで戦いに身を投じているのだろうか。

 ……できれば戦わずに、怪我を負わせずに終わらせたい

 湧き上がるそんな想いを打ち消す。
 こんな自分勝手な想いよりも、叶えなければならない願いがソラにはある。
 ならば、戦い、勝つ。なすべきはそれだけなのだ。ソラは自分にそう言い聞かせる。
 そんなことを考えながら石段を登っていると、足元に影が差した。
 誰か来たのか。
 いつでも外せるように右手の手袋に手をかけながら階段を見上げると、影の根本には禿頭の若者が立っていた。
 袈裟、というのだろうか、仏僧のような服を着た若者はソラの視線を受けて一礼をする。

「天樹ソラ殿、でございましょうか?」

 名前を呼ばれ、ソラは警戒を強める。
 この世界にソラの名前を知るものが居るとすれば、それは対戦相手である猟奇温泉ナマ子に他ならない。
 ならば、あの僧侶は猟奇温泉ナマ子と何らかのつながりがあると見て間違いがない。
 手袋を外そうと指をかけたソラに対し、僧侶は手の平を向けてとどめる。

「待ってくだされ、私はナマ子殿より伝言を預かって参り申した」

 伝言、と言われてソラは手袋から指を離す。
 一体何なんだろうか、対戦相手と話すべきことなど、あるのだろうか。

「『この戦いについて話がしたい、本堂まで来てくれ』。だそうです。案内しますゆえ、ついてきてはもらえませぬか?」

 話がしたい。
 罠の可能性は高い、とソラは思う。
 何らかのトラップを張って待ち構えている。あるいは対峙しないと使えない能力である。など、様々な可能性は考えられる。
 乗れば、不利を被るだろうとソラは思う。
 ……だが一方で、それらを警戒する余裕はソラにはないことも事実である。
 ソラの能力は手で触れたものにしか効果がなく、他の攻撃手段にも乏しい。
 持久戦となれば不利になるのはソラの側だ。
 相手が罠を張っていようと、踏み込まなければソラに勝ち目はない。
 受けざるを得ない。

「わかりました。案内してください」 

 頷くソラを見て、僧侶は一瞬安堵の表情を浮かべる。

「それでは、どうぞこちらへ」

 先導する僧侶の後を追いながら、ソラの頭にふと疑念がよぎる。
 確かに敵に接近できなければ勝ち目が無いのは事実だ。
 だが、本当にそれだけの理由で承諾したのだろうか?
 話があると言われた時、戦わずに済む可能性を考えなかっただろうか。
 傷つけることも、傷つけられることもしないで済むと思わなかっただろうか。
 ぎり、と奥歯を噛みしめ思考を振り払おうとする。
 そんなことを考えてはいけない。
 ヒナを思い出せ。
 笑っていたヒナの顔を、照れていたヒナの顔を
 最後に見たヒナの背中を、思い出せ。
 勝ち抜かなければならないのだ。余計なことを考える余裕はない。
 覚悟を決めなければならないのだ。なのに、こんなこと……

「……ナマ子殿は、こちらでお待ちです」

 僧侶の声がソラの思考をさえぎる。気がつけば、いつの間にか本堂までやってきていたらしい。
 装飾の施された扉は閉ざされている。中からは何の音も聞こえてこない。
 僧侶が手をかけると、扉は重々しい音を立てながら開いていく。

「ソラ殿……その……申し訳ない……」

 吐き出された僧侶の謝罪は、軋む扉の音に吸い込まれソラの耳へは届かなかった。



 本堂の中には異様な光景が広がっていた。
 ソラたちの学校の体育館ほどはあろうかという本堂の中、まるで道を作るように数十人の僧侶たちが二列に並んで座っていた。
 そしてその道の先、本尊であろう曼荼羅の前で少女があぐらをかいている。
 禿頭で袈裟の僧侶達に囲まれた、ただ一人袖のないワンピースを纏った長髪の美少女。
 場違いであるはずなのに、自分こそがこの場の主であるとばかりに不遜な笑みをたたえた少女にとって、ミスマッチさえも背徳的な美しさを醸し出すスパイスなのだろう。
 ソラが写真で見たのと同じ顔の、だが、写真よりもはるかに美しく見える少女。
 猟奇温泉ナマ子、その人に間違いがなかった。

「貴様が、天樹ソラか?」

 曼荼羅の前に座したまま、少女は口を開いた。

「ええ……猟奇温泉ナマ子さん、ですよね。話がある、と聞きましたが」
「ああ、そうだ。この戦いの勝敗について話をしたい」

 戦いの勝敗。
 予想していた……いや、期待していた話題ではある。

「それは、どういう……」
「まあまて、そんなところに立ったままでは話しづらいだろう?こちらへ来い」

 少女はソラに向けて手を招く。だが、ソラは進まない。
 このまま進めば僧侶に囲まれる形になる。
 もし彼らが敵に回ったなら、対処しきれない可能性が高い。
 ためらうソラをみて、少女はぽん、と手を叩く。

「なるほど。確かにその警戒は最もだ」

 そう言ってナマ子が手招きすると、僧侶たちはおずおず立ち上がる。
 二列に並び道を作っていた僧侶は、全員がナマ子の左右に控える形となった。

「退出させろ、とまでは言わないでくれ。何分か弱い女だからな。二人っきり、ではさすがに不安なんだ」

 この状況でも、例えば僧侶たちを壁として使われた場合のソラの不利は否めない。
 だが、ナマ子もこれ以上引く気はなさそうだ。
 押し問答をしても始まらない。あくまでも会話に支障がない程度まで、ソラはナマ子との間の距離を詰める。
 そんなソラに対し、警戒心が強いな、とナマ子は苦笑を向け、話を始めた。

「貴様が知っているかは知らないかは分からないが、私はあまり戦闘向きの魔人ではない。戦っても無為に傷を負うだけの結果になる可能性が高い。それで勝てるのならいいが……負ければ、生き残れても負傷したままこの世界に残ることになる。場合によってはそのほうが死ぬより辛いかもな」

 話の内容は後ろ向きだが、朗々と語るその姿に敗北への懸念は感じられない。
 奇襲をしかけてこないということは、まだ射程内ではないのか?
 それとも本当に、この場で話し合いで勝利を決めるつもりなのだろうか……

「私にも願いはある、が……そこまで強いものではない。命のほうが大事だ。だから、貴様の願い次第では勝ちを譲ってもいいと思っているんだよ。天樹ソラ」

 勝ちを、譲る。
 あるわけがないと思っていた。
 だが、あってほしい、とも思っていた。
 本当だろうか、この距離からは表情が読めない。
 無意識のうちに、ソラは少しだけナマ子に近づく。

「本当ですか?」
「ああ、もちろん。くだらない願いであれば譲りたくはないが……強い願いを持っている奴は、その分必死になる。死に物狂いの相手にボロボロにされて負けて、こんな世界で治療も受けられず死ぬ、なんてぞっとしないからな」

 ナマ子の表情は笑顔、真意は読めない。
 もう一歩、ソラはナマ子に近づく。

「さあ、聞かせろ、天樹ソラ。貴様はどんな願いでこの戦いに挑んでいるんだ?」
「僕は………」

 答えていいのだろうか、信じていいのだろうか。
 不安はある。だが、戦わずに――血を流さず、流させず戦いが終われば、どんなに素晴らしいだろうか。
 もはやソラには一縷の望みを振り払うことは出来なかった。

「僕は……戦闘空間に取り残された幼馴染を助けたいんです。ヒナを一人にしたくない、ヒナに伝えてないことがまだたくさんある――ヒナと一緒に居たい。それが、僕の願いです」

 ナマ子がわずかに眉を潜める。ソラはそれに気づかない。
 張り付いたように動かないナマ子の笑顔、その違和感にソラは気づかない。

「ほぉ……そいつは、恋人か?」
「え、いや、ち、違います!」
「ああ、まだそういうのじゃない、と。なるほど、わかった」

 慌てて否定するソラを横目に、ナマ子は納得が言ったかのような表情で二、三度頷き。

「やめだ」

 吐き捨てるように言い放った。

「ああ、やめだ。やめだ。逃げさせないためにはもう少し引き込みたかったが、もうやめだ。貴様の吐き出す言葉は聞くに耐えない」

 ナマ子はゆらり、と立ち上がる。張り付いた笑顔は離れ、浮かぶのは侮蔑と嘲笑。

「あの子のため?一緒に居たい?なんだそれは、愛とでも言うつもりか?」

 ナマ子の両脇に控えていた僧侶たちに動揺が広がる。

「全くもって馬鹿馬鹿しい。くだらない」

 ナマ子を中心として、おぞましい気配が立ち上る。
 ざわめく僧侶たちの中から一人が立ち上がる。ソラを案内した若い僧侶だ。

「ナマ子殿!話が違います!従えば我らは巻き込まないと……!」
「黙れ」

 声を荒らげ詰め寄ってくる彼の口に、ナマ子は右手指を挿し入れた。
 ぐるり、と首を回し、ナマ子は僧侶を見つめる。
 怯え、不安、そして瞳に残る僅かな力。それら全てがナマ子をいらだたせる。

「なあ、お前らの開祖はそう言ったのか?マーラを前に『自分は一生懸命努力しています。どんな命令でも従います。だからどうか私を誘惑しないでください』 そう懇願したのか?」

 指は彼の口の中を艶めかしく撫で回す。
 わずかに身を震わせながら耐える彼をあざ笑うように、ナマ子は厳かに宣言する。

「『プレローマ』」

 静謐に満たされていた本堂の空気が、淫靡な邪気に塗り変わる。

 不穏な気配を感じ距離を取ろうとしたソラの表皮を、奇妙な快感と射精感がなでる。
 これ以上は危ない、そう感じ踏みとどまったソラの視線の先では、ナマ子が若い僧侶の口に指を突っ込んだまま僧侶を引っ張った。
 中国拳法のようなゆったりした動き、バランスをくずされた僧侶は倒れる。
 ダメージがあるようには見えない、ゆったりとした動き。
 だというのに、僧侶は倒れたまま痙攣し、立ち上がってこない。

「誘惑に乱されぬための修行?何かを成し遂げるための意志?誰かへの愛?」

 僧侶たちの、そしてソラの顔を見回し、ナマ子は高らかにあざ笑う。

「そんなもので、『プレローマ』の支配から逃れられるというなら、見せてみろ」

 さもなければ、蹂躙するぞ――
 彼女の宣言と同期して、僧侶たちにパニックが広がった。
 怯えるもの、慌てるもの、反応は様々だ。
 逃げようと走りだした僧侶が、膝から力を失い倒れた。
 うずくまって震えていた僧侶が、ひときわ大きく痙攣した後動かなくなった。
 誰も彼も、身動き一つとると、そのまま力を失い動かなくなる。
 あっという間に本堂には栗の花のような精液の臭いが満ちていく。
 本尊の曼荼羅には僧侶が出したものであろう精子が付着し、真っ白に染め上げられていた。
 悲鳴と白濁にまみれた本堂の中、立ちすくむソラに向かって、ナマ子はゆっくりと、一歩一歩近寄ってくる。
 ソラは動けない。
 手袋をしたままの右手に向けてゆっくりと左手を動かすだけでも、射精感に体が支配されそうになるのだ。
 下手に動けば、僧侶たちと同じ運命をたどるに違いない。

「天樹ソラ。貴様、童貞だな?」
「……っ」
「やはりな。ああ、気にするな」

 艶かしい足遣いで、ナマ子は正面からソラに近寄ってくる。

「殺しはしない。私はビッチだ……人殺しでは、ない」

 吐息が掛かりそうな至近距離。ジリジリと左手を動かす。右手首に触れ、指を動かす。
 もぞもぞと動いているソラの左手を、ナマ子は強引に掴み引き寄せる。
 手袋の縁にかかっていた指が抜かれる。
 下手に左手を掴む手を振り払おうとすれば、ナマ子の能力を受けて僧侶たちと同じ末路を辿るだろう。
 だが、片手では右手の手袋を外すことは出来ない。  

「幼馴染を救いたいと言ったな?ヒナ、だったか、その女と一緒に居たい、と」
「だったら……それが何だ」

 ナマ子が再び笑顔を見せる。最初に話していた時とは違う、感情がむき出しの嘲笑。

「その気持ち、何回目の射精まで持つかな?」

 美しい少女であったはずだ。
 だが、ソラは眼前に居る少女はからおぞましさしか感じることが出来なくなっていた。

「ば、馬鹿にするな!」
「威勢がいいことだ」

 精一杯の虚勢を受け流し、ソラの体にナマ子の指が触れる。
 初めは肩から、ヌラリ、と軟体生物のように動きながら、下半身へと這って行く。

「喜べよ童貞。抜いてやる」

 ナマ子の手が局部に触れる。
 全身を走る衝撃に、ソラはなすすべもなく倒れた。



 倒れ伏すソラを見下ろしながら、ナマ子は手に付着した精液を舐めとった。
 気に食わない男だった、とナマ子は思う。
 本来ならばもう少し油断させてから制圧する予定だった。
 だが、救いたいだの一緒に居たいだの、虫唾の走る言葉を叫ぶこの男に耐え切れず予定より早く『プレローマ』を発動することとなってしまった。
 『プレローマ』の射程は半径20m、相手の能力によっては逃げられてしまう可能性もあった。
 そういった意味では運が良かったのだろう。
 だが……この男の言葉は気に食わない。
 愛など無い、絆などない。人と人との関係など、所詮は欲望に基づく奪い合いだ。
 『虎の尻穴』でも、希望崎学園でも、ナマ子はそうして生きてきた。
 支配し、奪う。弱者は搾取されるために存在し、対等な関係など実力が拮抗するが故の妥協に過ぎない。
 この男の言葉も、所詮は無自覚な征服欲にすぎないのだ。

『あなたのセックスは悲しい……』

 鏡子に告げられた言葉が脳裏をよぎり、ナマ子は思わず歯ぎしりをする。
 あの女の言葉を否定するために、あの女をビッチではなくただの人殺しに貶めるために、私は誰も殺さずに勝ち抜かねばならない。
 不快な記憶を振り払い、ナマ子はソラを見下ろす。
 この男はこのまま場外にでも捨てればいい。
 さすがに女一人で運ぶのは難しいだろうが、適当な僧侶をたたき起こして運ばせればいいだろう。
 そこで、違和感を覚えた。
 ソラの右手に腕時計がついていない。
 落としたのだろうか。だが、周囲を見回してもそれらしきものは見当たらない。 

(……時計だけを回収した?なんのために……こいつは囮で、他に時計所有者が居るのか?)

 ナマ子が僧侶を脅してソラを招いたように、ソラもまた僧侶を使ってナマ子の出方をうかがった、という可能性も否定はできない。
 だが、本堂内に隠れられるような場所はない。
 外から狙おうに射線は通っていない。まず奇襲は不可能だ。ならば、様子見か?
 湧きだした疑念は収まらない。しかし、この男が本当に『時計』所有者ならば無視するわけにも行かない。
 結論として、奇襲の危険性も薄いことから、ナマ子はソラが時計を所持していないか検分してから囮か否かの判断を下すこととした。
 愛撫でソラの上着を破く、時計は隠されていない。
 ならば下着の中を、と手をかけたところで、足首を何者かに掴まれた。
 まさかと、驚愕と共に目を足元に目をやると、最初に射精させてやった若い僧侶が這いつくばりながらナマ子の足首を掴んでいた。

「ソラ殿……申し訳ない……我々が……騙されたせいで……」

 弱々しく綺麗事を呻く僧侶の姿に苛立ちを覚え、足で股間を踏みつける。
 痙攣、そしてまた動かなくなる。
 腹立たしくなるほどに弱い。
 不満があるのなら力を得るべきだ。その力がないのなら素直に蹂躙され支配されるべきなのだ。そこの僧侶も、天樹ソラらしきこの男も。
 男の体に残る衣服は右手の手袋のみ。
 しかし、薄い手袋はどう考えても中に手以外のものが入っているようには見えない。
 やはりこの男は囮だったのだろうか?そう思いながらナマ子はソラの手袋を外す。
 手袋の中には、半透明の右手しか入っておらず……
 右手の中に突然腕時計が現れた。ソラはその時計を、右手のスナップで放り投げた。
 思わずナマ子は腕時計の行方を目で追う、追ってしまう。

 ガリッ、ソラの口元から、何かを噛み潰すような音がした。

 ぐったりとしていたソラの眼と口から血液があふれ、体が跳ねるように動く。
 素早い、格闘魔人の如き速度で右手をナマ子に向けて突き出す。
 激しく素早い動き。それはプレローマに蝕まれ、すぐに力を失い慣性のみで倒れこむように動く形となる。
 確かに虚はつかれた、初速の分だけ速度は保っているが、だが、まだ、遅い。
 格闘術を収めた魔人であるナマ子にはギリギリ回避することができるタイミングと速度。
 ゆるやかに身を引けば、紙一重で回避できる。あとはもう一度イカセてやれば立ち上がることはできまい。
 そのまま相手の股間に手をのばそうとして―――――足を引かれ体勢を崩す。

「寺の中で……これ、以上、の……狼藉、は…」

 若い僧侶が、もう一度足を掴んでいた。
 虫の息だ。少し力を入れればすぐに振り払える程度の弱々しさだ。
 だが、回避と両立は出来ない。

 足を抑えられる、半透明の右手が顔に迫る。

「負け犬が!くだらない真似を!」

 僧侶の手を振り払う。あっけなく手は足から離れる。所詮、弱者の意志などこの程度のもの。
 だが、ソラの右手はもう目の前に。
 指先が眼球に触れる。この程度のことで、と思った瞬間激痛とともに視界が失われる。
 妙にゆるやかな時間間隔の中、自分の顔面がどんどん削り取られていくのを感じる。
 ナマ子にはソラの能力の詳細がわからない。だが、触れられること自体が致命的であったことだけは理解できた。 
 苦痛がナマ子を苛む。敗北の実感が背筋を這い上がる。
 そしてその中で、ナマ子は一片の満足を得る。
 天樹ソラの掌。優しさの欠片もない、傷つけるだけの掌。
 理解などとは程遠い、自分を排除するためだけに体を撫でる手の感触。
 結局のところ、こいつらだって私と同じなのだ。
 口では愛だの意志だの叫ぼうと、相手を排除することでしか目的を達成できないのだ。

――そうだ、これが力だ。これこそが、勝者の持つべき力だ。

 鏡子の優しい愛撫とは違う。鏡子の柔らかな愛撫とは違う。
 これが私の知っているセックスだ。これが私の知っている力だ。
 正しいのは私で、間違っているのは鏡子。
 そうだ、それでいいんだ。この敗北は受けいれられる。

 受け入れられる、はずなのに。
 何故、最期に鏡子の悲しそうな涙を思い出してしまうのだろう。
 私は、わたしは、わ た  し  は   愛   な   ん    か―――

 そうして、ナマ子の意識は消え去っていった。


―――そうして、僕は勝利した。
 足腰はガクガクと震えている。
 ただでさえ消耗している時にスズハラGXで無理やり動かした反動だ。動くはずはない。
 猟奇温泉ナマ子の体は動かない。賭けに勝ったのは僕だった。
 彼女は僕を殺さないと言っていた。ならば、勝利する方法は限られてくる。
 その隙を、狙う。あの状況で僕が思いつけた勝ち筋はそれだけだった。
 騙し討ちを成功させるために、こっそりと左手で『時計』を外して手袋の中に滑りこませ、『廃墟』側に隠した。
 深い考えがあったわけではない。
 あったはずのものが消える。無かったはずのものが出てくる。
 それで少しでも注意を反らせれば、勝利の目が出てくる。それだけを考えて闇雲に取った行動だった。

 目論見は成功した。その結果、僕は彼女を殺した。
 僕は彼女のことを何も知らない。
 どんな願いを持っていたのか、
 どんなふうに生きてきたのか、
 なぜ人を殺さないのか、
 なぜ……あんな辛そうな顔で僕や僧侶達を否定したのか。
 今となっては、どれも知る由もない。

 自分が誰かを踏みにじった実感から、喉から悲鳴がもれそうになる。
 敵だから、闘わないと戻れないから、先に仕掛けてきたのはあいつだ。
 だから僕は悪くない。
 こみ上がってくる言葉を、僕は必死で飲み込む。
 誰かを殺したことを言い訳しちゃいけない。
 この行為に慣れてしまえば、きっと僕はヒナの前に立てなくなってしまう。
 だから、これだけは忘れてはいけない。

 今日、僕は初めて、人を殺した。


 第一回戦【古代】寺院SS「今日、僕は初めて、人を殺した」終了

最終更新:2014年10月25日 17:00