プロローグ


とある満月の夜。
“四国”のとある山中にて――

曲がりくねった峠道で、二人の人物が対峙していた。

片方は、白黒の虎に跨った青年。
もう片方は、どこにでも居そうな老婆である。

その両者が――時速数十キロで併走しながら、視線を合わせていた。

「け、けけけけええぇぇぇっ!」

老婆が奇声と共に、手にした鎌を青年目掛けて投げつける。
青年は背負っていた筆を抜き、鎌を“払い”落とす。

「そんなにあわてて走らいでも良かろうに……っと」
「けけええぇぇっ!!」

老婆は妨害が無駄と悟るや、速度を一段と上げる。
青年は足元の虎に活を入れ、それに追い縋る。

「悪りいけんど、逃がすわけにはいかんちや」

目の前に、峠道特有の急カーブが差し迫る。
右に大きくうねった90°の大カーブの先は、奈落の谷底。

老婆は足を緩めることなく、ドリフトを思わせる鋭いコーナリングで曲がりきり。
青年を乗せた虎は速度を緩めることなく――カーブを曲がりきれなかった。

「きしぇ!きしぇ、きしぇしぇしぇしぇえぇぇっ!!」

老婆は、足場のない中空へと身体を投げ出した虎と一蓮托生の青年をちら、と見ると
ウイニングランを決めながら、ひときわ甲高い声で狂笑した。
最早邪魔する者は何もないと言わんばかりの、狂喜の疾走と共に。

しかし、老婆が再び視線を谷に向けたそのとき――表情が驚愕に染まる。

「ウルオオオーォォーン!!」

青年を乗せた虎が、空気を蹴り、力強く駆けていく――!!
その先には、曲がりくねった峠道の続き。
つまり――先回りだ。

「け、けきぇええぇぇぇええっ!!」

老婆の叫びに、狼狽と混乱が見て取れる。
先回りされているのだから、当然引き返すか止まるかすれば良いのだが……この老婆には出来ないのだ!

『狙った相手が事故を起こすまで、延々と走り続ける』
それが“アヤカシ”『100km婆』の性質なのだから!

やがて、老婆の視線の先に再び青年が現れる。
白紙の巻物を構えた青年の目の前には、墨で描かれた『縛』の文字が浮かんでいた。

「ほんじゃ、ちくとお灸を据えさせてもらうぞね――」

時速100kmで走る老婆は、迎撃や回避をする間も与えられぬまま浮かび上がった『縛』の文字に激突した。
その刹那、老婆の身体が煙か霞のようにほどけ――巻物へと向かっていく。

数秒後。巻物には、奇妙な筆致で老婆の姿が描かれていた。
峠を通る者を追い回し、多くの怪我人を生んだ“アヤカシ”『100km婆』の、封印完了である。

「……ふいー、一丁上がりじゃな。
 おまさんもお疲れさんじゃ」

青年が、傍らの虎に語りかけ――先程とは別の巻物を広げてかざす。
虎もまた、先程の老婆と同じく巻物へと吸い込まれる様に消えていった。

青年の名は善通寺 眞魚(ぜんつうじ まお)。
“四国”の88結界を護る管理人であり、自由人である。

「しっかし、最近はまっこと妙な“アヤカシ”が増えたもんじゃな……
 どーいたもんかいのう、まったく」

眞魚は、二つの巻物をしまいながら独りごちた。
『100km婆』というアヤカシは、そもそも“四国”にはいなかった筈なのだから――



この数日後、眞魚はこれら怪異の謎を探るべく訪れた旅先・希望崎にて『迷宮時計』に選ばれることとなる――

最終更新:2014年11月13日 06:29