
1939年(昭和14年)1月、太宰と妻・美知子は新居となる御崎町(現・朝日5丁目)の借家に移った。8ヶ月という短い期間だったが、充実した日々を過ごした。新居は空襲で焼けてしまったが、現在は新居があった場所に「太宰治僑居(きょうきょ)跡」の石碑がある。
「回想の太宰治」によると、太宰は6円50銭という安い家賃を喜んだという。太宰に不可欠な酒屋、煙草屋、豆腐屋が近くに揃っていたのは便利だった。家賃が安い理由はガスも水道もないことだったようで、一日に何度も井戸端まで水を汲みに行く必要があった。
この家で最初に書いたのは「黄金風景」、続いて「続、富嶽百景」(富嶽百景の後半部分)、「女生徒」、「愛と美について」、「葉桜と魔笛」、「八十八夜」、「春の盗賊」などを書いた。
後年、太宰はこの新居での暮らしを「幽かにでも休養のゆとりを感じた一時期」と回想している。
私のこれまでの生涯を追想して、幽かにでも休養のゆとりを感じた一時期は、私が三十歳の時、いまの女房を井伏さんの媒酌でもらって、甲府市の郊外に一箇月六円五十銭の家賃の、最小の家を借りて住み、二百円ばかりの印税を貯金して誰とも逢わず、午後の四時頃から湯豆腐でお酒を悠々と飲んでいたあの頃である。誰に気がねも要らなかった。しかし、それも、たった三、四箇月で駄目になった。二百円の貯金なんて、そんなにいつまでもあるわけは無い。私はまた東京へ出て来て、荒っぽいすさんだ生活に、身を投じなければならなかった。私の半生は、ヤケ酒の歴史である。
住所:甲府市朝日5-8-11付近 (旧住所:甲府市御崎町56番地)
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