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太宰治 学生時代の下宿跡(豊田家跡)

概要

老舗呉服屋、豊田太左衛門家の跡地。太宰は青森中学時代の4年間、親戚という関係から2階に下宿していた。

1945年(昭和20年)7月28日の青森空襲で焼失。現在は常光寺というお寺の駐車場になっており案内板だけがある。

太宰の小説「思い出」の中では「遠い親戚の呉服店」とだけ書かれていたが、後に「津軽」などの中で豊田家と明らかにしている。

小説「思い出」より抜粋

いい成績ではなかったが、私はその春、中学校へ受験して合格をした。私は、新しい袴と黒い靴下とあみあげの靴をはき、いままでの毛布をよして羅紗のマントを洒落者らしくボタンをかけずに前をあけたまま羽織って、その海のある小都会へ出た。そして私のうちと遠い親戚にあたるそのまちの呉服店で旅装を解いた。入口にちぎれた古いのれんをさげてあるその家へ、私はずっと世話になることになっていたのである。

小説「津軽」より抜粋

なおまた、私の世話になった呉服店というのは、寺町の豊田家である。二十代ちかく続いた青森市屈指の老舗である。ここのお父さんは先年なくなられたが、私はこのお父さんに実の子以上に大事にされた。忘れる事が出来ない。この二、三年来、私は青森市へ二、三度行ったが、その度毎に、このお父さんのお墓へおまいりして、そうして必ず豊田家に宿泊させてもらうならわしである。

随筆「青森」より抜粋

青森には、四年いました。青森中学に通っていたので す。親戚の豊田様のお家に、ずっと世話になっていました。寺町の呉服屋の、豊田様であります。豊田の、なくなった「お父(ど)さ」は、私にずいぶん力こぶ を入れて、何かとはげまして下さいました。私も、「おどさ」に、ずいぶん甘えていました。

詳細

住所:青森県青森市本町1-1-4

外部リンク

常光寺・下宿跡 - 太宰ミュージアム

 

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最終更新:2013年08月04日 00:57