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玉川上水

概要

かつて江戸市中へ飲料水を供給していた上水(上水道として利用される溝渠)で、江戸の六上水の一つ。一部区間は現在でも東京都水道局の現役の水道施設として活用されている。

1919年(大正8年)11月、万助橋付近で児童が玉川上水に落ち、救出のために訓導・松本虎雄が殉職しており、太宰の小説「乞食学生」の中でも触れられている。

1948年(昭和23年)6月13日、太宰治は愛人・山崎富栄と共に玉川上水に入水自殺した。2人の遺体は6日後、太宰の誕生日である6月19日に発見された。

小説「乞食学生」より抜粋

私は、家の方角とは反対の、玉川上水の土堤のほうへ歩いていった。四月なかば、ひるごろの事である。頭を挙げて見ると、玉川上水は深くゆるゆると流れて、両岸の桜は、もう葉桜になっていて真青に茂り合い、青い枝葉が両側から覆いかぶさり、青葉のトンネルのようである。ひっそりしている。ああ、こんな小説が書きたい。こんな作品がいいのだ。なんの作意も無い。

(中略)

私は、流れてゆく桜の花びらを、いつのまにか、追いかけているのだ。ばかのように、せっせと歩きつづけているのだ。その一群の花弁は、のろくなったり、早くなったり、けれども停滞せず、狡猾に身軽くするする流れてゆく。万助橋を過ぎ、もう、ここは井の頭公園の裏である。私は、なおも流れに沿うて、一心不乱に歩きつづける。この辺で、むかし松本訓導という優しい先生が、教え子を救おうとして、かえって自分が溺死なされた。川幅は、こんなに狭いが、ひどく深く、流れの力も強いという話である。この土地の人は、この川を、人喰い川と呼んで、恐怖している。

詳細

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外部リンク

・Wikipedia 玉川上水

 

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最終更新:2013年08月04日 01:46