太宰治が宿泊した深浦の旧「秋田屋旅館」を改築したもの。2階の「太宰宿泊の間」では太宰が宿泊した当時の部屋が再現され、書簡や貴重な資料を展示している。
1944年(昭和19年)5月、太宰は「津軽」執筆に際して、「いちど見て置きたい」という理由でそれまで行ったことのなかった青森の西海岸の深浦町へ旅行するのだが、生家から遠く離れたその地でも兄の勢力が及んでいることを旅館の主人から知らされる。
また「回想の太宰治」によれば翌1945年(昭和20年)7月末、青森の生家に疎開する道すがら、太宰は妻子とともに再び秋田屋旅館に一泊している。太宰は酒を期待して足を運んだようだが、主人は病床に伏しており、期待した待遇は受けられなかったようだ。
たまらない気持がして私は行きあたりばったりの宿屋へ這入り、汚い部屋に案内され、ゲートルを解きながら、お酒を、と言った。すぐにお膳とお酒が出た。意外なほど早かった。私はその早さに、少し救われた。部屋は汚いが、お膳の上には鯛と鮑の二種類の材料でいろいろに料理されたものが豊富に載せられてある。鯛と鮑がこの港の特産物のようである。
(中略)
翌る朝、私がわびしい気持で朝ごはんを食べていたら、主人がお銚子と、小さいお皿を持って来て、
「あなたは、津島さんでしょう。」と言った。
「ええ。」私は宿帳に、筆名の太宰を書いて置いたのだ。
「そうでしょう。どうも似ていると思つた。私はあなたの英治兄さんとは中学校の同期生でね、太宰と宿帳にお書きになったからわかりませんでしたが、どうも、あんまりよく似ているので。」
「でも、あれは、偽名でもないのです。」
「ええ、ええ、それも存じて居ります、お名前を変えて小説を書いている弟さんがあるという事は聞いていました。どうも、ゆうべは失礼しました。さあ、お酒を、めし上れ。この小皿のものは、鮑のはらわたの塩辛ですが、酒の肴にはいいものです。」
私はごはんをすまして、それから、塩辛を肴にしてその一本をごちそうになった。塩辛は、おいしいものだった。実に、いいものだった。こうして、津軽の端まで来ても、やっぱり兄たちの力の余波のおかげをこうむっている。結局、私の自力では何一つ出来ないのだと自覚して、珍味もひとしお腹綿にしみるものがあった。要するに、私がこの津軽領の南端の港で得たものは、自分の兄たちの勢力の範囲を知ったという事だけで、私は、ぼんやりまた汽車に乗った。
時間:8:30-17:00
休館日:年末年始(12月28日~1月4日)
料金:一般/300円(団体150円)、高・大学生/200円(同100円)、小・中学生/100円(同50円)
住所:〒038-2324 青森県西津軽郡深浦町大字深浦字浜町134
TEL/FAX:0173-84-1070
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