レスまとめ3

【訃報】アニメ「宇宙戦艦ヤマト」プロデューサーの西崎弘文さん、船から転落死 75歳
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1289126166/l50
http://mimizun.com/log/2ch/mnewsplus/1289126166/
410 :名無しさん@恐縮です :2010/11/07(日) 21:51:30 ID:BrWxjwBC0
○篠崎誠監督が語る西崎義展

「高層ビルの一室で、広がる夜景をバックに『君は監督がやりたいのかね』と訊かれ、『はい』と答えたら、『だったら製作プロダクションに入ってちゃんとやりなさい。プロデューサーになりたいんだったら僕の下でやれば一から十まで教えてあげるから。ただし、この世界でずっとやってきているけれど、本当に心からよかったと思えるのは2,3回しかなかったよ』とすごくまっとうなことを言っていただいた。『それでもやる気があるんだったら、ディレクションのことをちゃんと勉強しなさい』と。これは貴重な体験でしたね」

○岡田斗司夫が語る西崎義展1

続々々・岡田斗司夫の「遺言」第四章

○ 西崎義展はプロデューサーとして超一流だったのだろう。例えば、「ガンダム」は「ザンボット3」→「ダイターン3」→「ガンダム」というように、サンライズのロボットアニメが順当に進化していった結果生まれたものだ。しかし「ヤマト」はそれまで不毛の荒野だったところに突然変異的に現れた。あんな地味な色の宇宙戦艦を主題としたアニメをTV放送にのせてしまった西崎義展のプロデュース力は凄い。その頃の西崎さんとは話をしてみたかったが、自分が会った時はそうではなかった。

○ 結局、西崎さんとは人間対人間の話が成立しなかった。西崎さんのことが怖かったし、好きになれなかった。

453 :名無しさん@恐縮です :2010/11/07(日) 22:09:30 ID:BrWxjwBC0
○GONZO村濱章司の語る西崎義展

GON20の名前が売れてきた頃、ビッグプロジェクトの話が舞いこんできた。
名は明かせないがある大作のOVA制作である(YAMATO2520)。
いまさら語るまでもない不朽の名作の最新作だ。

プロデューサーは、その作品を世界的名作にした立役者でもあるが、よくも悪くも噂の絶えない業界内外で有名な人物でもある。当時、彼が続編をつくるという話は聞いていたけれど、私としては特に興味のある話ではなかった。しかし前田(真宏)さんが、ある人からの頼みで監督を引き受けることになってしまたのだ。

それ以前に何人も監督が決まっては辞めてゆく状態にあったのを聞いていたので正直、私は関わりたくない仕事だった。だが前田さんには、人間関係的に断れない事情もあったらしく、重い腰をあけざるをえない。「彼は現場には口を出さない」「制作は若い人たちのアイディアでやればいい」という事前の口約束もあったので、渋々ながらも制作を引き受けたのだ。
シナリオやスタッフ陣容も決まり、さあ制作に入ろうというとき、やはり、プロデューサーは私たちと話したいと言いだした。この作品の全権はプロデューサーにあり、現場スタッフが面会を拒否する理由は残念ながらなかった。いざ会ってみると、やはり彼は私たちのプランをすべて引っ繰り返してきた。あれは違う、これも違うから始まり、しまいには音響監督も編集も自分がやるといい始める。これはかなわんなと思いながら、私は何とかうまくなだめて、制作を進めようとした。
前田さんは、彼の口槍攻勢によく辛抱してくれたと思う。しかし限界はある。
彼は予告なく現場に現れては、その場の思いつき見たいなことをボンボン言いだして、現場をひっかき回してくれた。
前田さんに仕事以外の疲労が潜まってゆくのが、目に見えてわかった。
この仕事にはある人が、(西崎)プロデューサーとの間に入っている。仮にAさんとしよう。
実質的なGONZOへの指示なり入金は、このAさんから行われていた。

456 :名無しさん@恐縮です :2010/11/07(日) 22:11:02 ID:BrWxjwBC0
その頃、GONZOは新井薬師のマンションに移っていた。家賃は20万ぐらいだったと思う。
コピー機のリースや光熱費で、日にかかる経費が25万ぐらい。最低、毎月50万ぐらいの入金があれば会社を回せる経営状況だった それはAさんに伝えていて、今回のプロジェクトではマネージメント料プラス村濱の制作担当費として月50万円が払われていた。
そして、1巻の制作を開始して間もない頃、通帳記入をしてみると、入金が突然15万円になっていた。私はそのとき、ああ始まったなあ……と感じた。気配は感じていた。
予想どおり何度督促しても、Aさんは要領をえない返事を繰り返すばかりで、残りの35万円を支払う素振りさえない。このの当時、GON20は前田さんが監督することもあって、この作品にかなりの仕事量を段入していたので、支払いを減らされるのは即、経営危機につながる恐れがあった。
しつこくそう主張してもAさんはヘラヘラしているだけで、プロデューサーは相変わらず現場で暴威をふるっていた。たぶん.Aさんは、私のような若造は何のかんの言っても、月15万で働くと思っていたのだろう。
入金がきちんとされていないことが発覚した次の日。私は、プツリと現場に行かなくなった。
GONZOを守るためには、私がこの作品に関わる時間はここまでだと踏ん切ったのだ。
Aさんには電話で「私はこの作品から降ります」と伝えた。すると次の日に、朝6時くらいにプロデューサーから電話があった「かなり腹が立っていたので、電話に出ないで伝言を録音されるのを聞きながら無視していたが、ワケのわからないことをゴニョゴニョと言っている:「話し合う余地はある」とか「大人になれ」とか、微妙に私が悪いみたいを言い回しだったのが、よけいにイラついた。

463 :名無しさん@恐縮です :2010/11/07(日) 22:16:01 ID:BrWxjwBC0
○豊田有恒の語る西崎義展

あのプロデューサーの口車に乗せられて、テレビ局へのプレゼンテーションに同行させられたことかある。局側の対応は最低だった。「こんな地球が破滅しかける話なんて!」「宇宙が舞台じゃねえ」という剣もほろろの応対で、断られたこともあるl。正直いって、もし自分の仕事だったら、横柄な態度に終始した局側の招当者を、ふん殴っていたところだった。単にSF設定を担当したたけだから、かろうして我慢したのだ。
あれこれ批判はあるが、あのプロデューサーにひとつだけ良い点があったとすれば、まったく新しい設定のアニメを背負いきって、実現させたことだろう。

484 :名無しさん@恐縮です :2010/11/07(日) 22:29:02 ID:BrWxjwBC0
○安彦良和の語る西崎義展

西崎さんで人は金に糸目はつけねえって人でしたから、コンテでも「おいロングを使え。やれ」って言うんですね。それだと金がかかるけどいいのかなあと思いながらコンテを切ってました。だからあんなハリネズミみたいな「ヤマトの絵がたくさん出るわけです。「ガンダム」ではそんな手間のかかることはできない。
それが当然なんですけど。

「ヤマト」は映画もやってオリジナルビデオもやっていろいろあったけど、その中でいつしか滅茶苦茶になっていったんですよ。西崎氏が途中ですっかりデスラーにのめり込んじゃいまして、どんどんデスラーになっていった。続編をつくるたびに「これはデスラーの話だ」と言って、実際にデスラーが主役の話もつくった。ひどいことに自分で自分がつくった話の世界にのみ込まれてしまったんでしょうね。「ヤマト」もガミラスやデスラーという魅力的な仇役を創出したのが大きな成功の要素だったんですけど、西崎氏にとっても魅力があり過ぎた。
難しいものですよ。彼は人をとっつかまえたら離さないところがあって、僕は途中で、もう「ガンダム」と同時に「ヤマト」までやってられないってのもあって、抜けたくて抜けたくて仕方がなかったんですけど、抜けられなかった。
最後にはもう相当シリアスなケンカでもしない限り抜けられないと恩って、シリアスなケンカをして抜けました。


488 :名無しさん@恐縮です :2010/11/07(日) 22:33:56 ID:BrWxjwBC0
○大塚康生の語る西崎義展

ある日、真っ白なリンカーン・コンチネンタル・リムジンに白手袋のショファーを伴って、「宇宙戦艦ヤマト」のプロデューサーである西崎義展さんが、藤岡さんとの会談のために、床が傾いていて落とした鉛筆が転がるほど古い東京ムービーのビルを訪れました。私も前もって呼ばれていて同席させられました。それは想像を超えたシーンとしか言いようがありませんでした。まずお二人の身につけているブランドもののことから話がはじまりました。
背広に触りながら、「あ、これね、いや170万だったかな、安物ですよ。イギリスで仕立てたんですがね……」「僕のはイタリア製だったかなあ、200万ちょっと…・・」。
「どうぞ火を」と言って、西崎さんが私に差し出したライターは純金だそうで、「これ案外高かったかなあ……40……いや50だったか、なんならあなたに差し上げますよ」と私の手に握らせようとしながら本題に入りました。
要するに抱え歩いている「宇宙戦艦ヤマト」の企画書をめくりながら、この企画のメカ作監(その言葉自体、私には初耳でしたが)をお願いしたい、というのが来訪の趣旨だったのです。
むろん即座にお断りしました。「私がメカに強い、というのは単なる風聞です。機械の形や作動原理は好みの違いで専門化していて、私が多少でも知っているのはトラックや自動車のごく一部にすぎません。眼鏡違いです」と言って立とうとした私に、西崎さんは「お手を拝借」と言いながらテーブルの下に手を差し入れ、こコニコと笑っています。
催促されて仕方なくおずおずと右手を伸ばすと、いきなり4本の指を撮りしめ「どうでしょう」。
吃驚して「なんですか、放して下さい」と言うと、今度は4本の上に親指を引き寄せて重ね、「これでどうですか」と得意気でした。私はその握りしめられた手の生暖かさと見つめられる目の気味悪さに思わず手を振りほどいて「金じゃないですよ」と言って飛び出しました。私が
西崎さんにお会いしたのはこの一度だけでしたが、なんだか大山椒魚に触ったような気分でした。

509 :名無しさん@恐縮です :2010/11/07(日) 22:47:00 ID:BrWxjwBC0
○藤川桂介の語る西崎義展

「宇宙戦艦ヤマト」の映画での大ヒットに目をつけて、ニッポン放送では、そのラジオ・ドラマを生放送しようという企画を持ち込んできました。
いつものことでしたが、話が決まってぼくに脚本の依頼があったのは、実に放送の二日前といった状態です。
かつてラジオ・ドラマを書いていたとはいっても、無茶苦茶な話です。
しかしこんな切羽詰まった状態で、あの膨大な話を、すぐにまとめられるのはぼくしかいません。結局引き受けざるを得ませんでした。

ストーリーの全容は熟知しているので、全体像をきめることは、そう難しいことではありませんでしたが、それでもいよいよ脚本を書く状態になったのは、午前二時近くになってしまっていました。
それまでさんざん打ち合わせをしてきているので、疲れも極限にきていました。
いよいよ執筆というところまできたところで、睡魔が襲い始めたのです。
「もう駄目だ」と思いました。
実はここへ入るとき、プロデューサーのN氏が、
「眠くなったら、これを飲んでください。おまじないです」
小粒の錠剤をひと粒渡してくれたんです。
ぼくはそれを、コップに注いだ水と一緒に置きました。
「怪しけなものではないのか?」
そんな不安があって、それを呑むことに躊躇しました。しばらく睡魔と、白い錠剤とのにらめっこがつづきました。しかし原稿を書こうと思っても、ただ眠くなるだけです。ついにぼくは決心をして、その 「おまじない」を飲み込んだのでした。

あーら不思議。それから数分もたたをいうちに、睡魔からも解放されて、妙にうきうきとしてくるのです。もう午前三時は間近。ぼくは夢中で書き始めました。一気に書いて、ついに約束の午前八時には、原稿を持ってロビーへ下りて行ったのです。

それにしてもあの魔法の錠剤は何だったのでしょう。
一説では鬱病の薬だということでしたが――。


511 :名無しさん@恐縮です :2010/11/07(日) 22:48:25 ID:ItBc4xWt0
>>509
リタリン。同じ頃だと筒井康隆も愛用してた

517 :名無しさん@恐縮です :2010/11/07(日) 22:54:04 ID:PwBDLCyuO
>>509
あれ?ドリンクじゃなかった?西崎ドリンク。何かの本で読んだ。

556 :名無しさん@恐縮です :2010/11/07(日) 23:26:12 ID:BrWxjwBC0
山本(弘) 西崎義展からすごいしつこい電話かかってくるんだよね。「ぜひSF設定お願いしますって」
岡田(斗司夫) デスラーみたいな声で(笑)
山本 とにかくこっちは忙しいから、なんとか断ろうと思うんだけど、向うは押してくる。「とにかく設定書を送ります」って。
ヤマトが新たな人類の移住先を見つけなくちゃいけないっていうんで、銀河中心に行ったら、銀河中心にUSA的大国がある(笑)。ちゃんとその企画書に「USA的大国」って(笑)。で、そいつが銀河の国連を牛耳ってて、小国をいじめてる。で、ヤマトが「八紘一宇の精神を発揮して」…(笑)。
岡田 で、表紙見たら「原案/石原慎太郎」って書いてあったっていう(笑)。

岡田 俺ね、前田真宏がYAMATO2520始めた頃にヤマトスタッフルームへ遊びに行ったんですよ。とにかく『ヤマト』の設定っていうの、僕も見たくて見たくてしょうがなかったから(笑)。「真宏君、ヤマトの設定見せて!」って言ったら、全員顔を見合わせるんですよ。「なにかな?」って思ったらね、なんかすっごいデカいキャビネットをバカッーッと開いたら、180センチくらいの紙が積んであるんですよね。「うわぁ~っ!!」って思ったら、そのドアに「1」って書いてあるんですよね。キロじゃなくて、トンで計るくらいの紙が…。ものすごかったですよ。とにかく、どこ見ていいかわかんないですよ。結局、西崎さんって10何人でやってるブレインストーミングとかを、全部テープ起こししてるんですよ。
だから、大阪教育大学の堀江純さんとかそういうふうな人たちで。で、僕らとかでこういうふうにバカは梨する時でも、とにかく『ヤマト』のアイデアになってる。
その辺ではね、あの人はやっぱ超一流のプロデューサーだとは思いますよ。
全部テキスト化して、全部残してる。
コンテ切ってる最中に「組み立てドックの設定が…」って言ったら、「あーっ、これ、7年前に小林誠さんが描いたやつだ!宝庫ダナ!」って言って(笑)。もう、ホントに180センチぐらいあって。

山本 なんか、ありとあらゆるアイデアがあそこに詰まってるんじゃないの?
岡田 それぐらい分量がある。で、それぐらい一つ一つのアイデアが使えるんですよ。
最終更新:2010年11月10日 01:42