雨が酷くなる前に、急ぎましょう。
そう言って走りだして、数分。
そりゃあ疲れるし、小雨とはいえ服は濡れてしまうし。
門限までには寮に戻らないといけないとはいえ、雨宿りの旨を事前に伝えれば見逃してはもらえるし。
それでも、私は苗木君の前を走る。
彼と並ばない限りは、このだらしない顔も見られることはないんだから。
顔が酷く熱くて、フラフラしてしまう。
走っているのに、空を飛んでいるんじゃないかと錯覚する。
寮までの道には、コンビニはない。
駅の裏側から出たら、塀に挟まれた一本道をひたすら走るだけ。
途中で傘を買うことはできないし、その必要もないだろうと思っていた。
けれど。
雨足が、どんどん酷くなる。
そぼ降る雨は次第に勢いを増し、家屋や私の体を穿つ。
「っ……はぁっ、はぁ…」
自然と息が上がる。
こんな豪雨は、年に一度か二度だ。
ドドドド、と、滝に打たれているかのような水弾。
髪も服も、すでにぐしゃぐしゃだ。
出かける前に天気予報を確認しなかった自分を恨む。
バシバシと、道を屋根を私を叩く、雨音の合唱に混ざって、
「――まい…ぞの、さっ…」
私を呼ぶ、苗木君の声。
咄嗟に振り返る間もなく、立ち止まった私の手を、苗木君の指が捉えた。
寮までの道のりは、あと半分ほどまでに差し掛かっていたところ。
私の腕を掴んだ苗木君は、道とも呼べない脇道にそれて進んでいく。
「苗木君、どこ行くんですか!?」
大きな声で叫んでみても、私の声では雨音に負けてしまう。
けれども必死に叫んで喉を痛めては、今後の活動に関わってしまう。
諦めて、彼に引かれるがまま、細い脇道を突き進む。
入り組んだ細道の奥に、小さな屋根があった。
二人がやっと座れる程度の、古びたベンチ。
それを覆うようにして囲う屋根の下、隅には蜘蛛の巣が張っている。
「はっ、は、っ……バス停、なんだ…昔の」
「はぁ、はぁっ……」
「僕が子どもの頃は、まだ…っつ、使われてたんだけど…」
息を整え、途切れ途切れに説明してくれる苗木君。
この小屋のようなバス停は、道路が整備されてからは使われなくなって。
子どもの頃は秘密基地や、雨宿りに使っていたらしい。
「……すみません、私が無理にでも帰ろうとしたから…」
さすがに、私の蕩け顔ももう消え失せていた。
「そんな、舞園さんのせいじゃないよ」
「でも、落ち着いて寮に連絡すればよかった…」
「こんな土砂降りになるなんて、予想できない…よね?」
「…なんで疑問形に?」
「や、エスパーな舞園さんだったら、予想できたのかなぁ、と」
いたって真剣に訪ねる苗木君がおかしくて、思わず噴き出してしまう。
「え、え? 僕、なんか変なこと…」
「ぷふっ…いっ、いえ…ごめんなさ…っ、あははっ」
「……馬鹿にされている気がする」
珍しく苗木君が拗ねてしまったので、可笑しいのを堪えて弁解。
「…エスパーって言って、本気で信じてくれたのが、嬉しくて」
「……」
「でも私のエスパーは、苗木君限定ですから」
「そうなの?」
「はい」
あなたの反応が、好きだから。
純朴で、なんでも正面から受け取って、信じてしまう。
だから私は、そんな真っ直ぐな苗木君が好きだ。
彼の方は、そんな私の気持ちを露とも察してくれないけれど。
「…しばらく雨宿りしましょうか。走ったから、十分くらいは様子を見られます」
「門限は、もういいんじゃないかな…一応寮に、遅れるかもって電話しておくね」
苗木君が背を向けた隙に、スカートを絞る。
あまり吸水性の高い素材じゃないはずなのに、水が線になって滴る。
上着の方は完全に水を吸っていて、このまま着ていては風を引いてしまうだろう。
すぐさま脱ごうと手をかけて、苗木君の存在を思い出す。
危ない。
まさかの生着がえを、晒してしまうところだった。
苗木君に、晒して、
……。
「あ、はい…ちょっと雨宿りしていくので……いや、大丈夫です…」
苗木君はまだむこうを向いて、電話をかけている。
濡れた上着。
このままじゃ、確実に下着まで染みてしまう。
上着と下着の間には、薄い白のワイシャツ。
ワイシャツにも、もう水が染みかけている。
脱ぐ?
苗木君の前で?
それは、いけない。
恥ずかしいとか、アイドルなんだからとか、理由は幾つもあるけれど。
彼の前で、そんなみっともない姿を晒したくない。
体育の授業でブルマを履いているのとは、ワケが違う。
でも、風邪を引いてしまえば、喉は潰れる。
アイドルの生命線。
事務所には確実に怒られるし、数日は仕事を休まなければ。
私は、
引かれないだろうか。
いきなり脱いで、変な女に見られたりはしないだろうか。
苗木君に限ってそんなことはない、分かっている。
それでも、一抹の不安は拭えない。
私は…
「…寮長、ゆっくり帰って来なさいって、――」
絶句。
振り返った苗木君がそのまま固まり、勢いよく360度回転して、また壁の方を向く。
「まっ、ま、舞…」
「…どうしたんですか、苗木君」
冷静に。
私の方が慌てて恥ずかしがってしまえば、苗木君はもっと困る。
私の都合で脱いだんだ、彼に迷惑はかけられない。
「な、なんで上着脱いで…」
「濡れていたから、ワイシャツになっただけです…風邪を引くと、困るので…」
ああ、どうか深く言及しないで。
これでも、恥ずかしいことに変わりはないんだ。
無理な話だとは分かってる、それでも私は平然を貫き通しているんだから、どうかあなたも。
僅か、というレベルではなく、水を吸った白いシャツ。
黒の下着が透け、肌にピッタリと張り付いて、思いっきり胸のラインを強調していた。
「はっ…裸じゃ、ないです。だから、恥ずかしくない…」
「そ、っ…」
「こっち向いて、ください…苗木君」
彼に限ってそんなことはないだろうけれど、でも、もし、
万が一、襲われてしまったら…
声が震えるのは、寒さのせいだけじゃない。
いや、熱い。
顔が、体が、火照る。
ちゃんと、見て。私を。
せっかく二人きりになれたのに。
苗木君の視線は気持ちいい、見られる、私の胸――
「っ……!!」
慌てて頭を振った。
何を考えていたんだ、私は。
自分の淫蕩を否定するわけじゃない。
私の内にあるいやらしさや腹黒さなんて、私が一番よくわかっている。
それでも、時と場所は選ばなきゃいけない。
彼の真っ直ぐで綺麗な瞳の前に、晒していいものじゃない。
「苗木君…」
名を呼ぶ。
その名前の響きすらも扇情的に思えて、ゾクリと背筋を奔る興奮。
観念したかのように、彼は正面を向いてベンチに座った。
一瞬だけ私の姿を確認して、それからバッと正面に向き直る。
「んっ…」
あ、ダメだ。
火照った。
胸に実る二つの果実が、彼に見られたその一瞬だけ、ジリジリと熱を帯びた。
もっと、見て欲しい。
だって、苗木君。
私の体。綺麗でしょう。
胸も、クラスの中では大きい方なんですよ。
腹筋頑張って、くびれだってあるんですよ。
この下着も、苗木君と出かけると思って、一番可愛いの選んだんですよ。
苗木君。見て。
ふわり、と、まるで意思に釣られたかのように。
私の体は苗木君に向き直り、ずるり、と引きずられる。
「え?」
一瞬だけ宙を飛んだ体。
いや、飛んではいない。意識だけ。
力が入らない。
大きく視界が揺れる。
熱い。気持ちいい。
私は正面から、苗木君の腕にしがみつくようにして倒れこんだ。
「ふ、わっ…○※$△×♪!!?」
意味を為さない音をあげて、苗木君が硬直する。
胸が、まるでスポンジを押し付けているかのように形を変え、苗木君の片腕を柔らかく包む。
「舞ぞ、の、さ……当たっ、て」
気持ちいい?
女の子って、柔らかいでしょう?
いいんですよ、苗木君。
あなたになら。
見られても、触れられても、私は。
苗木君がしたいこと、されたいこと、ぜんぶわかる。
「舞、園…さん?」
健全なこうこうせいのおとこの子が、したいこと、されたい、
からだ、あつい、でも寒くてきもちいい
ぬぎたい もっときもちよく
あ、でも
「舞園さん…!?」
私の視界は、最後に深刻そうな苗木君の表情だけ映して、ふわふわと無意識の彼方へ飛んで行った。
最終更新:2011年11月05日 23:37