転生魔術の眩い光が晴れていく。
どうやら術式は成功したようだ。
それはまあ、曲がりなりにも魔王を倒した勇者サマらしいからな。成功してくれなきゃ困る。
俺――元の名前はこの際いいか。今は、ただの『俺』だ――は、元勇者だ。
魔王を倒して世界を救ったはいいが、そのせいでまあ、いろいろと不本意な生活を余儀なくされてな。
たまらずこっちの世界に逃げ出したのさ。
『逃げる』は勇者の鉄板の4択目ってな。昔魔法の師匠に言われたっけ。
さて。キョロキョロと辺りを見回せば、どうやら畑の中にいるらしい。
丸々と居並ぶ緑の球形は、なるほど、キャベツ畑か。
そんなところに生まれるとなると、俺の転生先はミミズか何かか?
最弱を願ったのだから、さもありなんと言ったところか。
せいぜい踏み潰されたり鳥に食われたりだけはしないように気を付けて、畑の主と良い関係を築けるよう努力しよう。
そう思っていると、なんということか――早速天敵のお出ましだった。
空から一直線にこちらへと飛んでくるのは、ううむ、もしかしなくても、大きな鳥だった。
おいおい、勘弁してくれよ……! 転生していきなりゲームオーバーなんて冗談じゃないぞ!?
しかし、か弱い存在であるミミズにどんなことができようか?
せめてここに愛剣か、頼れる仲間たちがいれば――
いや、そうか。
俺にはまだ、手があるか。
転生魔術を行使するために使い果たしたと思っていたが、どうやらまだ少し残ってるらしい。
俺は自分の中に残った僅かな魔力の、そのさらにほんの一部を摘み、イメージを描く。
通常は魔術を行使するためには、長々とした詠唱が必要なそうだ。
他人事な口調なのは、俺だけはその制限を免除されているせいだ。
それはかつて大妖精の里を邪竜から救ったときに授かった恩恵……って今はこの話はしなくていいな。
ともかく、さっさと片付けよう。
炎系の魔術はやめとこう。
焼き鳥を食べられるような身体じゃないだろうし、周りに引火したらそれこそ一大事だ。
一番手っ取り早い手段は……これだな。
「【服従魔術】」
これは、対象を自分の意のままに操る服従の魔術だ。
俺の危機を脱しつつ、よければ俺を載せて上空を飛んでもらおう。
辺りの詳細な地図も見たいしな。より安全な場所があれば移住もしたい。
果たして魔術の証たる、眩い光が鳥に突き刺さる――ことはなかった。
にゅるんと音がしそうな勢いで、俺の手――手か? 足か? よくわからんが、身体の一本としか形容しようのない一部が、伸び上がって迫りくる鳥に絡みついた。
「くけえええっ//// くぇっ、くええええんっっ////」
鳥はあられもない嬌声を挙げながら地面にかろうじて降り立ち、ビクビクと痙攣する。
な、なんだ? いったい何が起こったんだ?
確かに俺は服従魔術を使ったはず。なのになぜ、俺の身体が伸びて鳥が喘いだんだ……!?
首をひねる俺の眼前、ややあって鳥は回復したようで身を起こす。
今度こそ食われるかと思いきや、鳥はどこか潤んだ瞳で俺を見つめてくるのみ。
……なるほど? 行使の形こそ思ったものではなかったが、術式自体は成功したようだな……?
俺はいそいそと鳥(改めて見てみれば、こいつはコウノトリのようだった)の背にしがみつき、声をかける。
「……そうだな、ちょっと自分の姿を確認したくなった。湖か何か、確認できるところへ連れてってもらえるか?」
「くえーっ」
鳥はひと鳴きし、大空へはばたく。
眼下に畑や活火山、砂漠などの様々な地形を通り過ぎつつ、やがてたどり着いたのは、大いに賑わった祭りの会場のような場所だった。
ここで姿を確認できるのか……?
と少し訝しみながらも身を任せていると、鳥は大きな水瓶の縁に降り立つ。
なるほど、ここを覗けば姿はわかるか。多少迂遠だが、オーダー通りではある。
俺は鳥の上から身を乗り出し、自分の姿を確認した――
「……ふむ?」
その姿は、滑らかな乳白色の肉の蔦が幾重にも一緒くたになって形成された肢体。
肢体からはわずかにぬめぬめとした粘液が滴り、甘く陶然とするような芳香を放っている。
粗末なローブが申し訳程度に巻き付いていて、上から伸びる部分が顔や腕、下から生えているのが足と見えなくもないか。
全長は30cmほどか? といっても、さっきみたいに伸ばしたりできるから一概には言えんだろうが。
いずれにしてもこれは――
触手、であった。
「最弱の生物……には違いない、のか? 確かに向こうではスライムと大差ない脅威度Eランクのモンスターだったしな……」
だが、さっきの鳥の反応はなんだ?
ただ絡みついて触れただけだぞ? 魔術の効力か? あるいは――?
「おお、御使いの鳥よ。帰ったか……ということは、おお、その者が……!」
背後のしわがれた声に振り返る。
すると、白いひげを蓄えた老人が、細い目を極限に見開いてわなないていた。
「予言にあった……【彼方よりの御子】……!」
「なんだそりゃ」
俺の不躾かつ間抜けな返事にも気分を害すことなく、老人は訥々と語った。
曰く、この町内では7月14日という日付が特別な意味を持つらしい。
今日はその7月14日であり、選ばれた【最強の7月14日】を決める催しが開かれるそうだ。
そして、その選ばれたものの中に。
別の世界から今日この日に転生してきた【彼方よりの御子】なる存在が含まれているらしい。
……で、それが、俺なんだそうだ。
「勘弁してくれよ……!!」
俺は、そういう好む好まざるにかかわらず向こうからイベントがやってくる運命を嫌がってこっちに来たんだよ!
どうしてみんな俺を放っておいてくれないのか!
「……もし俺が、参加しない、って言ったらどうなる?」
「ええっ!? そうなりますと……彼方よりの御子をお連れする任にあった者は皆処刑されます。わたくしめと、このコウノトリは最低でも……」
「くええ……」
思ってたよりも物騒な話だった。
そうか……罪のない爺さんと鳥が死んじまうのは、後味悪いな。
特に鳥は、俺を連れに来ただけだってのに魔術を使っちまった借りもある。
仕方ないか。
「わかったよ。やるさ。案内してくれ」
「さ、さようでございますか! ありがとうございますっ……!」
「くえっ! くええっ!」
「ハハッ、やめてくれよ」
俺に抱き着いてくる鳥をあやし、再びその背に乗っかろうとした時。
「親父ィ! 話が違うじゃねえか!」
「……息子!」
のっそりと姿を現したのは、身長40メートルはありそうな巨漢だった。
服の上からでも筋骨隆々であることが分かり、右手に青龍刀を携えている。
「今日の祭りには、俺が出るって言ってたじゃねえか」
「馬鹿者! 神事に替え玉など出せるかと言ったじゃろう! それに、彼方よりの御子はこの通りここにおいでになったわい!」
「ヘッ! そんな糸くずみてえな見るからに最弱の野郎に任せられるかよ!」
「き、きさまっ、彼方よりの御子になんてことを……!!」
よくわからんが、この大男が出るとか出ないとかで揉めているらしい。
なら、俺のとるべき行動は一つだ。
「なあ、でかいの」
「なんだァ、小さいのォ」
「簡単なことだ。俺とお前が戦って、勝った方が祭りだか何だかに参加する。それでいいだろ?」
口で言ったところで、この力自慢は聞かないだろう。
俺自身は祭りなどどうでもいいが、出場権を譲ったとして、もし替え玉が認められなかったら爺さんと鳥は処刑されてしまう。
となれば、俺がこいつを黙らせるしか道はない。
「グハハハハ! 血迷ったか小僧! この巨躯と、この得物が見えんようだな!」
「ああ。あんまり上ばっか見上げてると首が痛くなりそうでね。医者の世話にはなりたくないんだ……代わりにお前が医者に行ってくれるか?」
「ならば! 医者よりも葬儀屋の厄介になるがいいわーーッ!!」
大男が青龍刀を振り下ろす。
高さと筋力を乗せたそれは、なるほど、当たればひとたまりもないだろう。
当たれば、の話だが。
「遅い」
「なっ……!?」
こちとら魔王に勝っちまった身なんでね。
こんなところで負けるようじゃ、相手が魔王とはいえさすがに申し訳なくなっちまう。
「次はこっちから行くぜ?」
俺がこの戦いに乗り気だった理由の、もう一つ。
自分のスペックを、しっかりと確かめておきたかった。
祭りとやらに参加しなくちゃいけないなら、そりゃ怪我はしたくないからな。自分のカードは確認しとかなきゃだろ?
「【低級炎魔術】」
通常であればこれは、小さな火の玉を飛ばす魔術だ。
それが今は――どうだろう。
さっきと同様、魔術の光は閃くことなく、代わりに俺の身体の一肢がにゅるりと伸びて、大男の振り切った腕に触れる。
すると――ジュッ、と音がして。
「あッひィン!!////」
さっきまで息巻いていたのと同じ男とは思えない、滑稽なまでに上ずった声が上がった。
「あッ、アッ、熱っちゅいイ//// やめっ、やらあッ!//// やらの、やらのおっっ!!////」
膝をつき、ガクガクと肩を震わせて、首をイヤイヤと振りながら、しかして顔はこれ以上ないほどに恍惚に緩んでいる。
大男に触れている俺の肢体の一本も、先がわずかに赤熱し、粘液も粘度を増しつつドロリと流れる。
これは、アレか。もしやのアレなのか。
「へえ? じゃあ、やめてやろうか?」
「あっ……」
言いたくもない言葉をついなんとなく言ってしまったわけだが、やはり想定通り、大男はどこか名残惜しそうな声を発した。
決まりだ。何とは言わないが……決まりだった。
「お前が負けを認めないなら、別の方法で戦うしかないな? お前が負けを認めないなら、な……?」
「っ……ば、馬鹿にしてっ……!」
「どっちでもいいさ。あと5秒な。負けを認めるか、認めないか。3、2……」
俺の無慈悲なカウントダウンに、大男はとうとう、絞り出すようにつぶやいた。
「……けだ」
「1……なんだって?」
「俺の負け、だっ……だから、もっと……」
「もっと、なんだ? 糸くずだから、さっき自分で言ったこともあまり思い出せないんだ。お前が大きな声でおねだりしたら思い出せるかもなあ?」
「……この、外道っ……!」
大男は、ついに叫ぶように懇願した。
「もっとその、蝋燭責めみたいな熱いやつ、俺にたっぷりしてくれっっ!!」
なんかノリでおねだりさせてしまったが、別に俺にはこんなむくつけき巨漢をどうこうしたい趣味はない。
かといって約束を破るのも本意ではないから、折衷案として。
「【低級延焼魔法】」
「あひゅうううんっっ////」
一言唱えて大男の腕に触れると、接した触手の粘液の一部がが毛むくじゃらの腕に乗り移り、へばりついている。
耐えることのない責め苦供給に、大男は涙やらなんやらの液体を流しながら悦んでいる。
これで約束を守りつつ、俺は悠々と祭りとやらに参加することもできる。
それと、試したかったことも確認できた。
俺が前世において習得した魔術やらなんやらは、今の姿では体術として発現するのだろう。
そのどれもが相手に性的快感を与える形になっているのは、ちょっとしたバグか?
まあよく分からんが、追々探っていけばいいだろう。
とりあえずは、めでたしめでたし、だ。……本当か?
「それでは参りましょうぞ、彼方よりの御子」
「ああ。……でも、すまんな。あんたの息子さんの、あんな性癖露わにしちまって」
「……いいんですじゃ。いずれこうなると分かっておりましたから」
爺さんはふうと息を吐いて、遠くの空を見つめるような表情になる。
「……血は争えん、ということですな」
「その追加情報は知りたくなかった」
頭(に相当しそうな一肢)を抱えながら、鳥の背に飛び乗る。
「そういえば、お名前を聞いていませんでしたな。登録名としても必要ですじゃ」
「ああ、そうだったな……」
かつての名は、元の世界に置いてきた。
今の俺は、勇者じゃなく、一介の触手に過ぎない。
だからまあ、思いついた名前を適当に――
「姦崎成で頼む」
「承知しました、姦崎殿」
かくして、俺は祭りとやらに参加させられるのだった。
これが終われば、やっと俺の平穏無事な生活が始まる……と、いいなあ。