SSその2



 ごーん……ごーん……

 遠く、遠く。年月を感じさせるような、古く重い鐘の音が響く。

「おお……ついに、始まったようですじゃ……!」
「くえっ……」

 白髭の老人とコウノトリが不安げな声を漏らす。
 この町に代々伝わる神事――それが、『最強の7月14日生まれ』を決める戦い。

 果たして、どのような魑魅魍魎が跋扈する魔の狂宴となろうか。
 二人が擁立した参加者は、無事に勝利を収められるだろうか――

「まあ、なるようになるだろ」

 当の本人――否、本触手は、のんびりとそう言った。
 その声に、自信過剰の色はない。かと言って、自棄の色も、当然ない。

 言葉通り。
 ただただ、そう思っているだけだ。

 “奴隷商王”。“盗賊元帥”。“聖光教主”。“邪竜”。“極楽一座”。“呪剣帝”。“堕ちた神”。“魔王軍六覇官”。
 数々の敵に、数多の迷宮。
 そして――“魔王”。

 どれも強大だった。死に瀕したことも、一度や二度の話ではない。
 それでも、すべて。
 なるようになった。

「今回も、やるだけやるさ」

 元勇者の触手が、変わらぬ肉の蔦の一本に笑みを浮かべた気がした。



 ダンゲロスSS0714

    『ダンゲロス世界に転生したら、最高のお誕生日をお祝いされた件。』







「……そうか。祭りが、始まったんだ」

 腹に響く重い鐘の音を、白髪赤目の少年も聞いた。
 その身に秘めた使命を思い、胸の前で拳を握る。

 彼の名は、お誕生日お祝い人間ver0714という。
 無機質なその名が示す通り、お誕生日をお祝いするためだけにこの世に生を受けた、人造人間である。

 お誕生日をお祝いするためだけの生――故に彼は、7月14日が終わると共にその生も終わりを迎える定めにある。
 そのことに対する悲観も、あるいは神事に伴う戦いに対する恐怖も、今の0714にはなかった。
 あるのは、ただ一つ。『お誕生日をお祝いする』という、使命のみ。

「そのためには、早く他の参加者に会わないと……」

 神事の会場は、町内全域に渡る。
 一応、メイン会場である神社の境内に来てはいたが、フランスや帝都などを含む町内は驚異的な広さを誇る。
 最悪、今日中に会えないなんてこともあるかもしれない――

「……久しぶり、だね!」

 それは、世界を変えるような声だった。
 まるで、輝きのない世界に色彩を届けるかのような。

 稚いようでいて、夏風の如く凛と涼やかにそよぎ。
 初めて聞くようでいて、どこか耳に馴染むように懐かしく。

「君は、確か……っ!?」

 0714は、この少女に見覚えがあった。
 会ったことがあるわけではない。つい今日生まれたばかりの0714が会ったことのある人間の数など、片手で足りる程度だ。
 だから、彼女の居所は記憶ではなく、知識にある。

 脳に刷り込まれた、今日という日のための資料。
 その中にあった、この少女の名は――

「何年ぶりかな? 最後に会った時は、こーんな小っちゃかったのに……」

 違う。俺と君は初対面だ。何年前の記憶など俺にはない――
 それらの否定の言葉を、0714は発することができなかった。
 0714の世界は、すでに一変していた。

 広がる景色は、さらさらと流れる川に雑木林。
 足元にあったはずの石造りの参道は、どこにでもある砂利道になっていて。
 残響する鐘の音も、神社に集まっていた観客の話し声も、今や、川のせせらぎと喧しいセミの鳴き声がすべてだった。

 そして、目の前には。
 白いワンピースを纏い、健康的な小麦色に日焼けした少女が立っていた。
 眩しいコントラスト。前に合わせた手から、網に入ったスイカを提げている。

「見違えちゃったなあ。こんなにカッコよくなって……って、ふふっ! なんか、照れるねっ」

 楽し気に笑いながら、一歩、また一歩と、少女が近づいてくる。

 異常だ。0714は、この異常を認識しなければならない。
 今日さっき生まれたばかりの、過去を持たない男。
 そんな0714に、『幼い夏、祖父母の田舎に遊びに来た時、一緒に遊んだ少女』など、いるはずがないのだ。

 ――だが。

「ねっ? ……私。ちょっとは、女の子らしくなったかな?」
「……ああ。すごく、綺麗になった」

 0714は囚われた。
 資料で手口を知っていても、なお、避けられなかった。
 赤い目を虚ろにぼやかせて、あるはずのない景色、いるはずのない少女に心を奪われている。

「本当? 嬉しいっ! 私、頑張ったんだよ。キミに見てもらいたくて……」
「えっ……」

 否。
 過去の思い出は存在しないが、少女自体は、確かに存在する。
 微笑みながら、布に砂を詰めたブラックジャックを携えた少女が。
 彼女こそ、神事の参加者が一角――熱海真夏である。

 彼女の正体は、もちろん夏の面影の少女ではない。傭兵である。
 魔人能力『夏への扉(サマータイムアゲイン)』は、巧みな演技で敵を『夏』の幻想に引きずり込む。
 『夏』に囚われ、無防備になった相手を仕留めるのが、彼女のスタイルだ。

 今日生み出されたばかりの0714には、真夏が形成する夏の原風景の記憶は当然ない。
 だが、『知識』はある。
 お誕生日を不足なくお祝いするために植え付けられた知識。7月14日、夏のお誕生日お祝い存在である0714には、当然夏に縁のあるあらゆる知識がインプットされている。

 知識さえあれば――真夏の『夏への扉(サマータイムアゲイン)』は問題なく作用する。
 『避暑地で静養する病弱美少女との淡い夏のメモリー』を体験したことがない、物心ついた頃から戦場にいたような傭兵家たちも、皆一様に魅了され、砂浜と海水を抱いて倒れていった。

 そう。かつての『きのこたけのこ戦争』と同様、今回も彼女はクライアントに雇われ、仕事として参戦している。
 請け負っているターゲットはこの白髪赤目の少年ではないが、だからと言って見逃す理由にはならない。彼の存在が、真夏の仕事に支障をきたさないという保証はないのだ。
 大事の前の小事。あるいは、夏、プールに飛び込む前に行う準備運動にも似たひと手間。
 真夏はそれを惜しむようなアマチュアではない。

「私……キミに、ずっと伝えたかったことがあるんだ……」
「……それって」
「目、瞑って……?」
「うん……」

 瞳を潤ませ、頬に朱を差しながら、真夏は上目遣いに言う。

 魔人能力は絶対だ。
 掌握下にある以上、お誕生日をお祝いすることのみを至上命題に生み出されたはずの0714であっても、『夏への扉(サマータイムアゲイン)』の中では、一介の流され青春ラブコメボーイでしかない。
 言われるがまま、目を閉じてしまう。

「おいおい、あっちの坊主は完全に無防備じゃねえか!」
「能力の相性勝ち……にしちゃあ、アー、まあ物足りねえわなァ」

 バトルを見に来た野次馬の観客たちは好き勝手な感想を言い合う。
 もちろん、当人にとっては危機も危機だ。
 目を瞑った0714の眼前、真夏は無感情にブラックジャックを振り上げる。
 魔人の膂力で放たれる一撃は、少年の意識を永遠に虚像の夏に置いてくる――はずだった。

「ひあっ――!?」
「物騒なことするね、お嬢ちゃん」

 ブラックジャックを振りかぶった腕に走る、甘く痺れるような感覚。
 真夏は瞬時、ブラックジャックを放して飛び離れた。

「……あっ、えっ? 神社……今のは……!?」

 我に返った0714は、クラリとよろめきながらもなんとか踏みとどまる。
 真夏の『夏への扉(サマータイムアゲイン)』は、術者である真夏が『夏らしからぬ行動』をとった時に解除される。

 急な回避行動で能力を切ってでも、その際に得物たるブラックジャックを手放すことになってでも、真夏の歴戦の勘は退避を選んだ。
 自分でも気付けなかった、気配の消し方。あるいはスピードか――いずれにせよ、白髪赤目の少年とは格の違う存在。
 加えて、未だ鼓動を高鳴らせる、手首に感じた不可解な変調。

 おそらく、こいつこそが、己がターゲットに違いない。

 正体を見極めんと飛び離れた真夏と、意識を取り戻した0714。
 両者は見た。
 にゅるにゅると伸びた、一本の乳白色の触手を。
 さらに向こうからポテポテ歩いてくる、触手の束を。

「俺が最後みたいだな。遅れて悪いな、二人とも」

 流暢に喋りながら、触手は一肢を曲げて上方へ伸びる一肢を掻いた。
 その仕草は、気まずそうに頭を掻いているように見えなくもなかった。

「姦崎成だ。ま、一つよろしく頼む」







 神社の境内――神事のメインスポットに、今、3人の参加者が揃った。

 夢幻の『夏』への葬送者、熱海真夏。
 お誕生日をお祝いしたい、お誕生日お祝い人間ver0714。
 転生した元勇者の現触手、姦崎成。

 仕切り直しから最初に動き出したのは、真夏だった。

「……んーっ! すっごい日差し! これぞ『夏っ!』って感じだね!」

 魔人能力『夏への扉(サマータイムアゲイン)』のトリガー、夏へと誘う魔の劇場が開演した。

「ホラ、海だよ海! キミもぼうっとしてないで、泳ごっ?」

 真夏は待ちきれないとばかりにパタパタと駆けながら、ワンピースの肩紐をするりと下ろす。

「う、わっ!」
「おおっ」

 0714は咄嗟に視線を外し、成はやや身を乗り出した。当然、観客のオッサンたちも沸いた。
 誰もが素直な反応だった――が、刹那、0714は気付く。

「ッ――いけない、彼女は……!」
「うおっ、なんだこりゃ。砂浜!?」

 手遅れだった。
 『夏への扉(サマータイムアゲイン)』の舞台に上がれる、真夏以外のただ一人の役者。
 その一人に、成は選ばれてしまった。

 ワンピースが落ちた足元、白く熱い砂が舞う。
 成の視界に広がる光景は、一面の青空と、一面の白い砂浜と、一面の青い海。
 そして、砂浜に刺さったビーチパラソルの影の下、ワンピースの跡を残して焼けた小麦色の肌とのコントラストが眩しい、健康的なボーダーのチューブトップ・ビキニを纏った真夏の姿のみ。

 清楚なワンピースからの、溌溂としたビキニ。
 キャラクターも、『再会にはしゃぐ田舎の少女』から『海に遊びに来たクラスの元気っ娘』に早変わり。
 千変万化。油断なき二段構えの夏攻勢――!

「うわっ、()っつ! 俺今素足じゃん! やべえ!」
「――成さんっ! しっかりするんだ! ここは砂浜じゃなくて参道だ! そしてあなたは、お誕生日なんだ!!」
「……えっ、サンオイル? 何それ……もしかしてこの粘液? これを塗ればいいんだな?」
「くっ、やはり聞こえてない……! お誕生日なのに……お誕生日なのにッ……!!」

 歯噛みする0714の前で、成はふらふらと真夏に近づいていく。
 0714や他の観客たちの眼には、境内に寝転んだ水着姿の真夏が小さな触手に今まさに襲われようとしているようにしか見えていない。
 だが、『夏への扉(サマータイムアゲイン)』の絶対的常夏空間の中では、『一緒に海に遊びに来た女友達が、ちょっと開放的な気分になってサンオイルを塗ってと誘ってくる』というひと夏のビッグイベントが開催中であった。

「ね、早くしてってばー。私だって、ちょっと恥ずかしいんだからっ……」
「ああ、悪いな。俺もこういうの、あんま慣れてなくてな」

 とうとう、獲物が射程距離に入った。
 成が首(?)を捻りながら触手の一本に粘液を集めようと苦心している。無防備だ。
 どこが急所かは定かじゃないが、同じこと――水着の食い込みを直す仕草に紛れさせ、挟み込んでおいた毒針を手に取る。

「もぉ……()っそーーいっ!」

 待ちきれずイタズラに抱き着こうとする――その動きに重ねた致命の一刺。
 呑気に伸びていた触手の一肢に針が触れる刹那、触手は突如うねり、攻撃を躱し真夏の手に絡みついた。
 瞬間、身体中に駆け巡る未知なる恍惚。

「ん――ああああっ!」
「うわっ、すまん!」

 未だ『夏』に囚われている成は、不意に手が触れあったハプニングに驚く少年のような反応で真夏の拘束を放してしまう。

「う、ううん、私こそっ……」

 演技を取り繕いながらも、真夏の心中は荒れた海の如くに波打っていた。
 完全に虚を突いたはず。気取られた様子でもない。ならどのように反応を?

 何より、再び襲われた不可解な感覚を真夏は警戒していた。
 頭がぼうっとして、身体が熱い。接触部からすべての力が抜けてしまいそうになる、確かな変調。
 なのに、嫌じゃない。むしろ、もっと、もっと欲してしまいそうになる。
 この収まることのない早鐘の正体は、一体何なのか。

「――成さんっ!!」

 大きな呼びかけと共に、パン、パンッ、と乾いた炸裂音が響く。

 真夏に対して、それは『ザパーンと打ち寄せた波飛沫』に変換されて届いたため、彼女は顔の前に手を翳して数歩後退ることになった。
 その間に――正しく『お誕生日をお祝いするクラッカー』として作用したことで、成は一気に意識を現実に引き戻された。

「――うおッ、うるさっ!? ……って、あれ、海は……? なんで俺、こんな紙吹雪だらけ……?」
「成さん! やった! やっぱりお誕生日にはクラッカーなんだ!」
「……っ」

 我に返ってキョロキョロする成と、その横で掌の穴から紙テープをびろんと垂らしながら嬉し気な0714。
 頼みの綱である『夏への扉(サマータイムアゲイン)』が切れた真夏は、ひとつの決断をした。

「……なるほどな。さっきのアンタも様子がおかしかったし。あの子の魔術か」
「まじゅ……えっと、そう。そうなんだ。彼女の、能力らしい。彼女――いない?」

 2人は揃って周囲を見回す。
 水着の少女は影も形もなく、脱ぎ捨てられたままのワンピースと、ポカンと見ている観客たちが残されるばかりだった。

「……戦略的撤退、ってやつか」







(……うーん、想定外だなあ)

 人目につかない道を選びながら、熱海真夏は駆ける。
 魔人同士の戦いでは、想像外の事態に陥ることは珍しくない。強力な魔人能力『夏への扉(サマータイムアゲイン)』を持つ真夏とてそのような経験はある。
 不可解な状況にさらされた時、そのまま意固地になって戦闘を維持せず、状況を立て直す。
 戦場で育ち、今日まで生き抜いてきた真夏の処世術だ。

(初めて、かな? 私の能力が効かない相手、なんて)

 中でも今回のケースは、とびきりの例外だった。

 真夏が魔人として覚醒してから数年。老若男女、人外からロボットまで、数多のターゲットを例外なく仕留めてきた。
 今回の相手も、まったく能力が効かないわけではない。
 だが、『夏』に囚われたまま真夏の攻撃に対応し、謎の変調反撃を加え、クラッカー程度で能力から逃れる。
 真夏にとって、あまりにも例外(チート)の存在。

(……追ってきては、ないみたい)

 後方を窺い、そのことを確かめると、真夏は道を外れて川に至る。
 予めいくつか見繕っておいた、補給中継地点のひとつだ。
 水着を脱ぎ捨て川に入り、隅々まで洗い落とす。特に、成に触れられた腕は念入りに。
 演出用の特殊ペイントもついでに落とし、小麦色が薄く延ばされ川を流れてゆく。

(……ダメ! 熱が引かないし、思考もぼやけたままっ! 脈拍も、平時よりずっと早いし……もう、どうしちゃったんだろう……)

 粘液を洗い落としても、己を苛む変調は依然そのまま。
 これもまた、例外。かつて訓練や実戦において味わったことのあるどの毒とも違う。

(あの触手の能力、かなー。やっちゃったなあ。あんまり得意じゃないけど、遠距離用の武装も持っていこうかな……)

 薄着での行動が多い真夏の武器は、自然、素手か暗器に寄りやすい。それが仇になった。

 道すがらクライアントに訊いてみたが、なんでもあの触手は強大な力を持つ異世界からの転生者だという。
 野放しにしておけば、自分に危機が降りかかるかもしれない――慎重なクライアントは、とかく出る杭を打ちたがったようだ。
 本当かどうかは、真夏には関係ない。相手が難敵であるという情報だけあれば、それでいい。

 ひとりで頷きながら川を上がり、脇の木に吊るしておいた補給袋から新しい服と武装を見繕う。

(今度こそ、仕留める!)





 熱海真夏は、『夏』においては概ね天真爛漫なキャラを演じることが多い。
 だが、かつての真夏は、正反対に無口な少女だった。

 真夏は両親を知らない。戦場で拾われ、傭兵に育てられた。
 感情を殺し、殺戮にすべての意識を傾ける。そうしなければ生き残れなかった。
 握り締めたタグにより判明した誕生日だけが、両親の残した唯一のプレゼントだった。

 転機が訪れたのは、彼女が14歳の時だった。
 同じくらいの歳の傭兵の多くが死に、その死に動じることもなくなった頃。

 真夏はその日も『仕事』だった。
 何らかの研究資料を奪うとか、そのような仕事内容だったと記憶している。
 寝静まった家に忍び込み、手際よく家族を始末する。
 研究者の男、妻、娘が二人。計四名。真夏にとっては児戯にも等しい。

「ハハ! 相変わらずマナツはクールだな! オレが死んだら泣いてくれるかい?」
「私はこっちの部屋を探すから。そっちはお願い」
「オーゥ、つれねえなア」

 研究者の男の書斎をひっくり返し、虱潰しに捜索する。
 本の一冊一冊。抽斗の中。棚の裏。機械的に、くまなく。
 やがて手に取った一冊の本が、彼女の運命の出会いだった。

(……『重要ファイル』。これかな)

 あからさまな表記に、これこそは見逃すまいと意識を傾け、ページを開く。
 そこに広がっていたのは、妻や娘たちが映った、色とりどりの写真の数々。
 研究資料などではない。単なるアルバムであった。

(……これが、重要?)

 ペラペラと捲っていく。
 生後間もない姿。そこから、這い這いを覚え、言葉を覚え、学校に入学し――
 自分とは決定的に違う他人の人生を、真夏はじっと見つめていく。

 やがてたどり着いたページ。そこには、この夏の思い出が収められていた。

 真剣な顔で水着を選ぶ姿。
 買ったばかりの水着を纏い海ではしゃぐ姿。
 浴衣を着て、お祭りで両手に屋台料理を抱えた姿。
 田舎の祖父母の家、縁側でスイカをかじる姿。
 手持ち花火に興じる、夜の闇にカラフルな光を躍らせた姿。

 己の人生とは、一つも交差することのない、平和と幸福を謳歌する少女たち。

 写真の一枚の日付が、自分の誕生日と同じ7月14日であることを、認めた瞬間。
 その記念すべき日、自分がいつもの如く血で血を洗う殺戮を繰り広げていたことを思い出した瞬間。

 アルバムから放たれる、夏の日差しのように眩いきらめきに、魅せられた。
 戦場しか知らず、血と汗と泥に塗れた服しか着たことがなかった少女の泡沫の夢。
 写真の中の少女たちのように、綺麗に着飾って、夏の世界で微笑む自分の姿を――『認識』してしまった。

 真夏にとって、それは一瞬の気の迷いだった。
 だが、たったそれだけで。

 世界は変わった。変わってしまった。
 真夏は魔人になり、『夏』の死神になった。





 以降――真夏は、強力無比な能力を最大限に活かす演技の才を開花させ、頭角を現していく。
 あの日夢想した眩い世界、自ら殺めた少女たちの像を、血染めの指でなぞり続ける。
 そのたびに、真には届かぬ『夏』への憧憬を募らせながら。







「……ってことなんだ」
「なるほどなあ」

 真夏離脱後、0714と成は情報共有をしていた。
 共有と言っても、情報が足りていないのは圧倒的に成の側なので、教えられるばかりだったが。

 なお、『紅一点の少女が戦場を離脱し、野郎2人ずっと話し込んでいる』という状況に観客のボルテージはどん底まで下がっていた。
 さっきまでは突然のストリップに沸いたり、またパントマイム劇場が始まってやや冷め、少女がいきなり色っぽい声を出したことで小沸きしたり、なんとも忙しない観客たちである。
 さて、そんなことより成と0714である。

「『夏』の幻覚に閉じ込める魔術……じゃなくて能力、ね。俺にも効くんだから、強力なこった」

 0714には、十全なお誕生日お祝いを遂行するために各参加者のデータがインプットされている。
 真夏はこの広大な町内の裏社会でも知られた存在だ。能力について調べることもできた。
 逆に、今日生まれることくらいしかわかっていなかった成については、ギリギリに登録した名前と姿形くらいしかデータはなかったが。

「だが、成さんには資料よりも効き目が薄そうだった。……お誕生日だからだろうか?」
「それはお前もだろ……。そうだな、俺が異世界の出身で、彼女の演出する『ニホンの夏』とやらに親和性が薄いから、か?」

 然り。真夏の能力には、効き目の強弱が存在する。
 単純なところでは、夏に使えば効力が強く、冬に使えば弱まる。
 相手にしてもそうだ。日本人に使うのが一番強く、日本を知らぬ外国人にはやや弱まり、異世界人にはさらに弱まる。

 もっとも、弱まっていてなお、成をあと一歩で仕留められるところだったのだが――。
 成がかつて“剣帝”を呪いから解き放った折、教えてもらった『後の先』の剣術奥義、【鋭敏心電(オートリアクション)】さえなければ。

「とりあえず相手は積極的に俺たちを狙ってくる。和解できるかはわからんが、対処しないといけない」

 成の言葉に0714が神妙に頷くと、今度は、成は触手の一肢を0714へと向けた。

「……で、お前は? お前の目的とか、さっきからしてくるお誕生日推しとか……なんなの?」
「俺の目的……いや、使命は。真夏さんと成さん、お二人のお誕生日をお祝いすることだ」
「は?」

 面食らったような雰囲気の成に、0714は背後に回した手から、じゃんっ、とショートケーキを取り出して見せる。
 彼の能力『生体内蔵式バイオお誕生日お祝いプラント』により生み出された、画一生産ショートケーキだ。
 そして、生後間もない自分に『彼女』がそうしてくれたように……マニュアル通りのとびっきりの笑顔を再現し、

「姦崎成さん! お誕生日、おめでとうございます!!」
「……おう」

 が、微妙なリアクションを返す成。0714は首を傾げる。
 まさか……お誕生日をお祝いされて、嬉しくない?
 信じ難いことだった。そんな人類――人類ではないが――が、まさか存在するのか!?

「……もしかして、ショートケーキ、苦手?」
「いや……俺、転生者だから、今日生まれたっつってもあんま自覚無くて……本当の誕生日、別の日だし」
「そうか……」

 しょんぼり、と項垂れる0714。
 0714にインプットされた『お誕生日お祝いに伴うトラブルシューティング100選』にも、『お誕生日を間違えてしまった時』の項はあっても、『確かに今日もお誕生日なんだけど本当のお誕生日は別にある時』なんてレアケースのマニュアルは存在しなかった。

「と、とりあえずいただくよ! 口、ないけど。……どうやって食えばいいんだ……?」
「……気合?」
「気合かあ~……いくぞ、パクッ! ――うわっ食えた!」
「口が見当たらないのにイケるもんなんだなあ……」
「あー、なにこれウマっ……! あっちの菓子と全然違う……すげえなこの世界……!」

 どうやらケーキは喜んでもらえたみたいで、ホッと一息つく0714。
 だが、まだまだこんなもんじゃない。
 神事を担う者として、最高のお誕生日お祝い攻勢を続けるのみ!



「次は、これ! お誕生日ソングを流そう!」
『はっぴばーすでーとぅーゆー♪ はっぴばーすでーとぅーゆー♪』
「うわっ掌の穴からなんか流れてくる……きもちわるっ……!」
「がーん……」
「あっいや! ウンウン、いい歌だった! 耳が幸福だったぜ!」
「耳ありませんけどね、成さん」



「なら次はこれ! お誕生日バスボム! お風呂に入れると素敵な香りと共にお誕生日をお祝いするメッセージが出現!」
「おお、なんだかよく分かんないけどサンキュ……うおッ持った瞬間にシュワシュワし始めた!?」
「しまった粘液! しかも漂うバラの香りも、成さんは花がないから楽しめない……!?」
「いや嗅覚はなんかあるから嗅げるけどね! 良い匂いだとは思うが触手とは絶望的に相性が悪い!」
「なんてことだ……人気バースデープレゼントランキング最上位に君臨するお誕生日バスボムが……」
「たぶんだけど、それ女性用見てない? 俺そもそも男だし……ちゃんと触手用見よう?」



「くそーっ、最後はこれだ! お誕生日鼻メガネ! これを掛ければ今すぐ大注目の目立ち顔に!」
「もうわざとやってない? 『鼻も目もねーから!』ってツッコまれるためにやってない?」
「これでもダメとは……ゴフーッ!!」
「いきなり吐血したァ!? どうした0714!?」
「なに……俺は安価で製作されたため、お誕生日お祝いアイテムを生成するのに肉体的苦痛を伴うってだけだ……」
「こんな小ボケかますためだけにそんな身体張ってたのかよ……」



 ガクリ、と自信喪失し膝をつく0714。
 結局、喜んでもらえたのはケーキのみ。それも、お誕生日云々ではなく初めて食べる味に感動していただけのような気がする。
 お誕生日お祝い道とは、斯くも険しき道なのか――

「まあ、なんだ。分かったよ。お前、いいやつだな」
「……そう、なのか? お誕生日ひとつもお祝いできない、俺が?」
「ああ。見ず知らずの触手の俺の誕生日を祝ってくれるとかさ。気持ちだけでも嬉しいよ。ありがとう」

 その言葉に、それなら自分は『いいやつ』じゃない、と0714は思った。
 自分がお誕生日をお祝いするのは、それが自分のレーゾンデートルだからだ。
 そのために生み出された、それ以外に何も持っていないからだ、と。

「だから、悪いことは言わない。リタイアしな」

 そんな0714に、成は真剣な表情をしていそうな感じで突き付けた。

「あの女の子の誕生日も祝いたいんだろうが、きっと、次もまた殺しに来るぞ。今度は庇えるか分からん」
「……心配してくれて、ありがとう。でも、俺は降りない」
「死ぬかもしれないぜ?」
「それでも。俺には、お誕生日をお祝いすることしかない。それに……」

 0714は、脳裏に一瞬、崩れ落ちた0713の姿を思い浮かべた。
 それから、何でもない、当然のことのように言った。

「俺の命は、どっちにしろ今日限りなんだ」
「……え、マジ? あれか、ホムンクルスってやつか……向こうにも似たような事情の子はいたが……にしても今日か。急な話だな……」
「……俺の使命は、7月14日生まれのお二人のお誕生日をお祝いすること。それが済んだら、もう用済みだから、廃棄されるのは当然では?」

 当たり前のように言ってのける0714に、成は溜息をついた。
 そして、触手の一肢で0714の腹を軽く小突いた。

「あのな? 誕生日ってのは、毎年来るんだ。今日一日祝ってそれで終わり、って悲しすぎるだろ」
「それはそうだけど、来年のお誕生日には、また新しい俺が製造されてお祝いできる」
「そのお前は、お前じゃないだろ。俺と友達になったお前じゃない」

 成の言葉に、0714は目を瞬かせた。

「……友達?」
「だって、俺の誕生日を祝ってくれたろ? あんま良いリアクション返せなかったけど……でも、誕生日を祝ってくれたんだから。友達って思っちゃ、いけないか?」
「……俺は……」

 0714は戸惑っていた。

 何故この人は。
 お誕生日をお祝いするためだけの存在である、この俺に。
 来年の話とか、友達扱いとか。
 そんな、普通の人間に対してするような言葉をかけてくるんだ――?

 0714は、何かを言おうとした。
 反論だったか、疑問だったか。どんな言葉だったのか、今はもう、分からない。
 言葉が固まる前に、成は唱えていた。

「【簡易転移動魔術(リトルジャンパー)】――悪いな。そろそろ来るみたいだ」

 成が唱えたそれは、本来であれば、記憶にある何処かへ自身、あるいは対象を転移させる魔術。
 しかしこの身体では、瞬時の転移とはいかず、触手での運搬として再現されるようだった。

「う、わあっ!?」

 派手すぎない服の襟元を掴まれ、にゅるにゅると伸びる触手にどこかへ連れていかれる。
 戸惑いながら、宙に浮きながら、0714は遠くなる境内にそれを見た。
 対峙する成と真夏。二人が、どんどん小さくなっていく。
 お誕生日をお祝いしなければならない、二人が。

「ッ……クソッ!」

 その慟哭は、お誕生日をお祝いさせてくれない、成と真夏に向けたものか。
 それとも、力づくでお誕生日をお祝いすることもできない、無力な自分に対してか――。







 ――カラン。
 下駄が石畳を叩く音を鳴らせて、真夏が境内に現れた時。
 成はすでにその接近を認識し、足手まといを避難させていたようだった。
 だからと言って、真夏がやることは変わらない。

「……こんばんは。待たせちゃった、かな?」

 真夏は装いを一新していた。
 桜色の浴衣。手には巾着を提げ、長い黒髪は簪で纏めている。
 『夏祭り』――決戦の舞台(シチュエーション)として、真夏はそれを選んだ。

「よう、久しぶり。……へえ、なんか着替えた? いいんじゃない?」
「う、うん。ありがとう……っ」

 未だ、真夏を襲う早鐘や熱の変調は持続したままだ。今も、一瞬変調が際立った。
 それでも、やり遂げてみせる。真夏の、『夏』を。

「じゃあ……花火が始まる前に、屋台を楽しもっか!」
「ん、おい、待てって! 追いかけっこか?」

 カラコロと陽気なリズムを響かせて、真夏が歩き出す。
 その真夏を追いかける成。

「やっと姉ちゃんが戻ってきた……ってことは、ケッ、またあのパントマイム劇場か!」
「オウオウ、今回はどんな演目だぁ~?」

 観客の野次に惑わされることなく、真夏はいつも通り、『イメージ』を構築する。
 成が見ているだろう、屋台が立ち並び、提灯が照らし、浴衣姿の人々で賑わう夏祭り会場。
 本当に『今いる神社が夏祭りの舞台になっている』かのように、思い描く。

 『夏への扉(サマータイムアゲイン)』を適用するのは一人だけ。真夏はそう決めている。
 その一人とは、無論、真夏も含めての『一人』である。
 誰かが『夏』の幻想に魅せられている間にも、真夏本人の視界には現実の景色が広がるままだ。
 そうでなければ、自身も『夏』の魅力に溺れてしまう。無防備を晒し、戦場の屍の一人に堕する。

 故に真夏は、あたかも自身も『夏』の世界にいるように振舞う。
 観客の『パントマイム』という表現は的を射ていた。他ならぬ真夏自身が、幻想の『夏』を思い描いて踊る道化なのだ。

 今も。
 今までも。
 きっと、これからも。

「うーん、どれにしようかなぁ」

 キョロキョロと、屋台に目移りする芝居。
 ポイントを見定める。やがて、手ごろな大きさ、角度の灯篭を発見する。

「あっ! あれとか――ひゃっ!」
「おっし、捕まえたぞっ」

 追いついてきた成に、手首を掴まれていた。
 夏祭りというシチュエーション選択が彼にも積極性を付与してしまったのか――そんな分析すらも霞んでしまうような、痺れるような甘い衝撃が身体を駆け巡る。

「ふ、んうっ……! わっ、私、射的っ……やりたい、なって……! だから、んっ! ……放して、欲しいなっ……!」

 力を入れて、多少強引に腕を振りほどく。

「っと、悪い悪い。痛かったか?」
「……そんなこと、ないよ。ちょっとびっくりしただけ」

 それ以上追及してこない成に、ホッとする気持ちと、どこか残念な気持ちを認識する。
 この感情も変調の所為だ――努めてそう切り捨てて、巾着から拳銃を取り出す。

「ヒエッ拳銃!」
「オモチャ? それとも、本物……?」

 仕事だ。慣れない武器だがやるしかない。
 拳銃で、屋台を想定した虚空へと狙いを定める。

「よーし、一等賞、狙っちゃうからねっ!」

 腕組みして突っ立っている成には、射的のオモチャの銃に見えていることだろう。
 撃つ気を察し、射線に立っていた観客たちが慌てて席を離れた。

 変調はいまだ収まらず。ドキドキと高鳴る心臓が、銃口に細かなブレを与える。
 浴衣の内にこもる熱も、どんどん核心に迫っているような焦燥を感じる。
 波のように揺れるそれらが凪ぐ一瞬を、真夏は見逃さない。

 引き金を、引いた。

「――えいっ!」

 極力微笑ましい掛け声を被せた。
 放たれた弾丸は真っすぐに空を貫き、一等賞の景品になど当然命中することなく、灯篭に当たり、跳ねた。
 角度、勢い。計算しつくした跳弾。
 狙い過たず跳弾は成の触手に襲い掛かり、あわやという刹那。

「おっと」

 パチン――と、触手の一肢が弾き落とした。

「なんか、虫でもいたか?」
「あ……うん、蚊かな? やんなっちゃう、ね」

 またしても、何故。
 成に合わせながらも、真夏の心中は穏やかではない。
 だが、めげてもいられない。

「あはは、ヘタッピだったね! 恥ずかしいなぁ……次はどこにいこっか」

 次の屋台でこそ、仕留める。
 再び歩き出そうとした真夏に、成が触手を一肢、差し出した。

「……えっ?」
「また追いかけっこは勘弁だからな。どっか行くなら、一緒に行こうぜ?」
「っ……!」

 真夏は息をのんだ。
 千載一遇のチャンスが、向こうから舞い込んできた。

 どうする?――決まっている。
 型抜き用に袖に仕込んでいた毒針でも。リンゴ飴と称して食わせようと思っていた棒付き手榴弾でも。
 なんでもいい。喰らわせて、始末する。それしかありえない。

 こんな、本当のデートのように手を繋ぐかどうかなんて、迷う必要はない――。





「……そう、だね。人いっぱいだし……はぐれないようにしなきゃ、だもんね」





 こちらへと伸びた触手を、控えめに、それでも確かに、ぎゅっと握る。
 瞬間、触れた手のひらから脳まで突き抜ける感覚に、衝動的に己を抱きしめたくなる。
 肩も腰も震えて、首から上が中身も表面も熱くなって、どうにかなってしまいそうだ。

 明らかに、悪手を打っている。
 その自覚がある。理性では、分かっている。
 それでも、そんな自分を褒めてしまいたい気持ちすら、真夏には生じていた。





 真夏のこれらの変調の種明かしは、実のところ、真夏自身の『夏への扉(サマータイムアゲイン)』が原因の一端を担っていた。

 成が分泌する粘液が有する催淫効果――これは、真夏に対し通常通りには作用しなかった。
 真夏の能力の副次効果。『夏への扉(サマータイムアゲイン)』発動中、彼女に対する物理現象は全て、『夏』に付随する何らかの現象に置き換わる。

 『接触が一つのきっかけ』で作用し、『胸が高鳴り』、『身体が熱を帯びる』。
 『切なさと幸福感がないまぜに心を支配』し、『理性とは別のところで本能が欲しがってしまう』。
 そんな『夏』の現象。

 すなわち――『ひと夏の淡い恋(アバンチュール)』だ。

 成との数度の接触により、真夏の恋の萌芽は過剰成長を果たしている。
 今や、真夏は自身の能力によって、成に恋心を抱いてしまっていた。
 なお真夏本人は、未だそのことに自覚無きままである――。





「んで、どうするんだ? どっか行くのか?」
「えっと……り、リンゴ飴……じゃない、焼きそば、とかっ……たこ焼きもあるし……」

 握った手から、際限なく催淫粘液をトキメキに変換する無限の乙女スパイラル。
 チラチラと顔を見ては、真っ赤になって顔を背けてしまう。
 そんな微笑ましいやり取りに、観客のオバサンたちの「アラアラ若いわね」的な井戸端会議とオッサンたちの舌打ちも進む。

 このままじゃダメだ――真夏はちゃんとわかっている。

 顔をチラ見しちゃダメだ。
 頬を緩ませちゃダメだ。
 指を軽く絡ませてみたいな……とか思っちゃダメだ!

 わかってはいるが、どうにもならない。
 恋とは往々にしてそういうものなのかもしれない。

(次は、そう……観覧車、って遊園地じゃなくて! ウォータースライダー、もあるわけないし、肝試し……の屋台もないのっ!)

 もはやイメージの制御も覚束ない様子で、真夏は初めての感情に翻弄されていた。
 手を握ったままぼうっと立っていた成が、ふと振り返って境内へ至る階段の方を一瞥する。

「あー……先に謝っとく。悪いな、真夏」
「えっ、名前っ――ッッ!?」

 真夏が喜色を浮かべたのは、一瞬ことだった。
 次の瞬間には、真夏はもう、喜んでる場合じゃない羽目に遭うことになる。

「――【上級拘束魔術(グレーターバインド)】! 大人しくしててくれよな!」
「ひっ――あっ、ああああっ!?」

 成に巻かれたローブから、無数の触手が蠢き出でて傍らの真夏に襲い掛かった。
 両手首を頭上で拘束。足元も抜かりなく拘束。浴衣の中に侵入する触手まであり、絶妙にはだけさせながら身動き一つとれないように拘束を完了する。
 なお、当然観客の多くがこの日一番の沸きを見せ、子ども連れのお母さんはそそくさとその場を離れ、ケーブルテレビの視聴率も乱高下した。

「やめっ……! ダメだよ、こんなっ……は、早すぎるよっ……!」
「頼むから、大人しくしてくれって。……俺だってこれ以上、手荒な真似はしたくない」

 案の定真夏は頭が沸騰したような感覚に陥り、明後日の反応をしだす。
 成も成で不自然なまでにニブいのは転生後も変わらぬようで、ややドスを聞かせた低音で真夏の耳元に囁く。

「こっ、これ以上手荒って、そそそ、そういうこと(・・・・・・)……!? たくさん、見てるのにっ……!?」
「……よく分からんけど、きっとあんたの想像してる最悪の事態さ。な、嫌だろ? 俺の言うことを聞いてほしいな」
「い……嫌じゃ、ない……よ……?」

 ゴニョゴニョとした返事は成には届かなかったようで、真夏がもじもじとしつつも大人しくなったことで一定の成功を収めたと判断し、息をついた。

触手(このカラダ)の利点ってさ」

 そして、それが礼儀であるというように、独り言じみて語りだす。

「手が大量にあるとか、いくつかあるが……目も耳も、傍目には見えないってのもあると思うんだよな」
「……え?」

 目も耳も、どころか口も鼻もない、つるんとした乳白色の肉の蔦が、笑ったような気がした。

「【感覚凍結魔術(ナンセンス)】。これ……指定した五感を封じる魔術でさ。師匠が修行の一環で『五感を封じることで第六感に開眼するのだ!』とか言って仕掛けてきてさ。ありゃマジでキツかった」

 やおら触手は遠い空を見上げる。
 ここではないどこか遠くを懐かしむような仕草だった。

「まあ、まんまと周囲の殺気や気配が手に取るように感じられるようになったし、今回は、魔術そのものが役に立ったけどな」

 真夏の状況はそれどころではなかったが、熱に浮かされた頭でも、なんとか理解することができた。
 つまり、姦崎成は。

「俺な。ついさっきまで、目も耳も鼻も、機能してなかったんだ。だから、さっき何かトンチンカンな返事してるときがあったらごめんな。なんとなーく空気読んだつもりだったけど」

 真夏の能力『夏への扉(サマータイムアゲイン)』は、相手の認識に虚構の『夏』を作り上げ、五感を支配し魅了する。
 そのためには、認識に侵入するための、言葉なり、姿なり、匂いなり――五感へのアクセスが必須。
 事実、真夏もこれまで、トリガーになる呼びかけや夏っぽい装い、ある時は塩素や制汗剤の匂いで能力を発動させた時もあったか――ともかく、そういった『きっかけ』を弄してきた。
 逆に言えば。それらのアクセスを許さないことで、真夏の能力は無力化できる。

 成の世界は、確かに『夏』真っ盛りではあった。
 本人がそれを知覚しない限りは、魅了効果はまったくの無意味だったが。

 そうは言っても、普通の人間には己の五感を封じるなど容易なことではない。
 成が師匠のスカム修行に感謝したのは、会得した奥義で敵を倒した時以外には、これが初めてだった。

「つーわけで、新しい外見を利用させてもらった。ま、おあいこだよな。あんたも綺麗な見てくれを武器にしてるし」
「き、きれいって……も、もう……!」
「そんな綺麗な顔を、俺も傷つけたくはないわけよ。殺す以外にも、降参でも負けになるんだろ? ……負けを認めてもらえるとありがたい」
「……、……それは、できないよ」

 その真夏の返答は、いやに明瞭だった。
 浮かれていた頭が一気に平常に戻ったように、目の焦点もぴったりと成に合っている。

 ただ、その瞳には。
 たとえるなら、8月下旬――過ぎ去る夏への寂寞が色濃く浮かんでいた。
 その時だった。

「……成さん! 待ってくれ!」

 二人が首を向けた先には、今まさに神社の長い石階段を登り終えた、0714が立っていた。







 時はしばし遡る。
 0714が成に戦場を離脱させられた直後のことだ。

「――うっ!」

 尻餅をついた0714が呻き声を上げる。
 成が使った転移魔術による移動を終えて、放り出された場所は、大きな水瓶のある場所。
 0714の頭には町の地図データが入っている。町内の中でも、神社にはそう遠くない。
 走れば程なく二人のもとに戻れるだろう。

「……でも。俺が戻る意味は、果たしてあるのか?」

 尻餅をついたままの体勢で、0714は懊悩していた。
 成に対し、正攻法のお祝いは効き目が悪かった。
 異世界出身者とのカルチャーショックを感じる。何を贈ればいい? 手当たり次第に挑戦するか?

 だが、さっきのように赤子の手をひねるようにつまみ出されるほどの戦力差がある。
 0714も、一応は一通りの戦闘をこなせる程度のスペックはあるが、『一通り』程度では埋めがたいほどの戦略差が、彼との間にはあった。
 真夏にいたっては、あの能力の前では「おめでとう」の「お」の字すら言わせてもらえないだろう。
 力づくでお祝いすることすらも、自分にはできない。

――ならば。
――俺が参戦する意味など、あるのか?

――いや、そもそも。
――お誕生日をお祝いできない俺に、存在価値などあるのか……?

「……だいじょうぶ? お兄ちゃん?」

 いつの間にか、声を掛けられていた。
 項垂れていた顔を上げると、目の前には、小学生くらいと思しき少女がいた。

「おなかいたいの?」
「いや……大丈夫だよ」

 心配そうにのぞき込んでくる少女に首を振る。
 それだけ言えば立ち去るかと思っていたが、少女はそのまま、じっと0714の顔を見つめている。

「……何か、俺の顔についてる?」
「お兄ちゃんって、お姉ちゃんいある?」
「え?」

 想定外の質問だった。
 パチパチと目を瞬いていると、少女はポツポツと語りだした。

「あのね? わたし、昨日おたんじょうびだったんだ」
「そうなんだ。おめでとう」
「ありがと! でね、お父さんがしゅっちょうから帰ってきてお祝いしてくれるって言ってたんだけど、やっぱりムリだったのね……」

 ずん、と少女のテンションが沈む。
 なんと言葉をかけるべきか、悩む0714の前で、少女はガバッと顔を上げる。

「でもね! お兄ちゃんと同じ、白いかみに赤い目のお姉ちゃんが来てくれて、おたんじょうびをお祝いしてくれたのっ!」

 少女はパアッと瞳を輝かせ、続ける。

「すっごかったんだよ! クラッカーとか、ケーキとか、手品みたいになんでも出せるの! おうたも上手でねー、ゲームもいっしょにあそんでねーっ」

 大げさな身振り手振りを交え、これでもかと楽しかった思い出を語る少女。
 その興奮した様子に、0714は、不思議と目頭が熱くなる思いだった。

(……そうか。彼女は――いや、俺たちは。こんなにも、他人を喜ばせることができる存在なのか)

 自分でも驚くほど、救われた思いだった。

(こんなにも、お誕生日をお祝いできるのか)
「……だからねっ」

 肩を震わせる0714の手を、少女がぎゅっと握った。

「もしお兄ちゃんがあのお姉ちゃんを知ってたら、伝えてほしかったんだー。『来年のおたんじょうびもウチに来て、お祝いしてね!』って!」
「……うん。伝えてみせるよ。絶対に」
「やったあ! 約束だからね!」

 指切りをして、少女は母親の呼ぶ声に応えて今度こそ去っていった。
 その後ろ姿を見届けながら、0714は呟く。

「……0713。君は、本当に素晴らしい仕事をしたんだな」

 懐から、支給された携帯端末を取り出し、製造責任者の白衣の男にメッセージを伝える。

「……はい……はい……そうですか。ありがとうございます。……いえ。俺は、平気です」

 通信を終える。
 正規機体である彼女は、一定期間会社のサーバーに記憶のバックアップが置かれており、それを正式に保存することで、来年も呼ばれた際に連続した個体として少女を祝うことができる、と。
 そういった『二度目のお誕生日お祝い(リピーター)』は実際多く、収益の少なくない割合を担っているのだとか。

 だが、急造機体である0714には、バックアップ機能は搭載されていない。
 それを今更のように詫びられた時、問題ないと、0714は思った。

(俺は。今すべきことを、全力でやるだけだ)

 それは何か。決まっている。
 決意とともに、人造の少年は走り出した。

「お誕生日を、お祝いするッ……!!」







「……成さん。真夏さん」

 境内を一歩一歩、確かに踏みしめながら、0714がやってくる。
 その姿を、成は満足そうに見ている。

「よう、0714。こっちは準備OK……」
「成さん。今すぐ、真夏さんを放してください」
「へ?」

 0714の言葉に、成はポカンとした表情を浮かべていそうだった。

「いや、あのね? 俺、おまえが誕生日を祝いたいって言うから、ほっとけばおまえを襲いそうなこの子を拘束してるんだけど……」
「あのな、成さん……!」

 分かっちゃいない、とばかりに首を振って、0714は成に人差し指をビシッと突き立てる。

「そんなR18紛いに組み伏せといて、お誕生日をお祝いするもクソもないだろーがっ!」
「うっ……それはまあ、確かに。けれどな、」
「そもそも! なんでバトってるんだよあんたら!」
「いやそれは、この子は仕事? なんだろうし、俺は正当防衛で……」
「あんたたち、お誕生日なんだろ!? せっかく同じお誕生日同士が2人も3人も集まってるんだろ!? 戦ってるなよ! 仲良くお誕生日をお祝いしろよおおおおおおお!!!!」

 それは魂の叫びだった。
 熱の入った言葉は、雲を突き抜け次元の壁をも突き破る、何らかの上位存在に対する説教のようでもあった。
 ホントいい加減にしてくれ! 関係ないやつを巻き込むんじゃない!!

「お、おう……すんませんでした……」

 観客たちからも、なんかよく分かんないけどまばらな拍手が贈られる始末だった。
 そんな雰囲気に気圧された成はボソボソ謝りながら、言われたとおりに真夏を解放する。
 頭を蕩けさせられ身体も骨抜きになっていた真夏は、どうやら触手に支えられるがままだったようで、解放された途端ペタンとその場にへたり込んでしまう。

「真夏さん」

 0714も腰を下ろし、顔を覗き込むようにする。

「俺に、あなたのお誕生日をお祝いさせてほしい」
「……でも、私は」

 すでに戦意は失せているのか、0714に襲い掛かろうとする様子はない。
 だが、先ほどの降参の勧めには頑として首を縦には振らなそうであった。
 その原因に、0714は察しがついていた。

「戦わなくても、『夏』は終わらない」
「……!」

 『夏への扉(サマータイムアゲイン)』――幻想の『夏』と戯れる、真夏の能力。
 ターゲットに偽りの『夏』を魅せ、自身も空想の夏に浸る。それは、能力対象たる『獲物』あっての『対価』だと、真夏は考えていた。
 頑ななまでの意志は、産湯代わりに敵の返り血を浴びてきた環境故か。
 それが『夏』の置き土産、熱海真夏。

「おいおい、0714。確か彼女の能力は、一人だけにしか使えないんじゃなかったか?」

 成の疑問に、真夏も肯定の頷きを返す。
 他でもない0714が事前にインプットされた真夏の情報データから成に伝えた能力仕様だ。

「そう報告されている。だが、それは正式な制約ではなく個人の信条、あるいは能力のキャパシティ上の限界と考えている。覆す手段は充分にある」

 魔人能力のことなど知らない成はもとより、真夏本人も首を捻る。
 0714は二人に子細に説明をした。

 魔人能力とは、そもそも『自己の認識を他者に強要するもの』である。
 他者に押し付ける『認識』の質量が大きいほど、コストの大きい能力だと言えよう。

 その観点で見ると、真夏の『夏への扉(サマータイムアゲイン)』は言うまでもなく強大な能力だ。
 他人の認識する世界を丸ごと『夏』に上書きし、加えて自己への物理現象を『夏』の付随現象に上書きする。
 普通に使おうとする分には、一人に対してのみ使うことが関の山だろう。

「でも、真夏さんの能力には『補正』が効く。夏というタイミング、日本人という対象が、能力を活性化させる。それはつまり、魔人能力が能力対象や環境に、『認識を上書きするための負担』を肩代わりさせている、と解釈できる」

 つまり――0714が、後ろ手に結論を取り出す。

「我がお誕生日お祝い用プラントより生み出せし、その名も『お誕生日お祝い名所100選 夏ver』!! お誕生日のお祝いは、何も家でお誕生日パーティを開くことのみに非ず! 普段は行かないどこかにお出かけすることも、立派なお誕生日お祝いスタイルの一つ!」

 朗々と語る0714に合わせ、魔導書の如くページがバラバラとめくれる。
 海だとか、高級レストランだとか、どこぞのテーマパークだとか、誰もが羨むお誕生日親和スポットが手招きしているようだった。

「でもっ! ……私。仕事を失敗するの、初めて……っていうか、自分から、降りるなんて。どうなるか、分かんないよ。2人にも、ぜったい迷惑かける……っ!」

 真夏は唇を噛む。
 一度裏の社会に関わったが最後、足を洗うには多大な犠牲が伴うことは珍しくない。

――だが。

「ま、なんとかなるだろ……っつーのは、他人の人生懸かってんのに無責任すぎっか」

 かつて、こことは違う別の世界で――そのような事情の少女たちを両手に余るほど救ってきたありふれた稀有な経験の持ち主が、この場にいた。
 その男は、いつもと同じあっけらかんとした、しかし何かを確信させる調子で言ってのける。

「オーケー。それなら、俺が何とかする。誰が襲ってこようが、ぜーんぶ撃退してやるよ」
「……成。本当?」
「ああ、任せとけ。……あっ、相手が魔王よりも強くないなら、ね? 俺の限界、そこだから」
「微妙に不安になりそうなこと言うなよ、成さん……」
「うっせー! 真夏っ、そんだけの話だ! 分かったな? 俺もう、この魔導書見るからよっ!」

 言うだけ言って、成はバラバラひとりでに捲れていたお祝いスポット集をひったくる。

「……へえー、いろんなところがあるもんだ……うおッ、ナニコレ、ネズミを崇め奉ってる国!? パレードとかやってんの……? 超楽しそう……」

 成は記事の上から下まですべてに目を輝かせていた。目、ないけど。

「……できる、の? 戦わなくても……私も、『夏』を満喫できるの、かな?」

 真夏もまた、目に光を灯していた。
 たとえるなら、6月。楽しい『夏』の到来を待ちわびる、少女の瞳。

「そうだ。真夏さん。俺と、成さんと。3人で、『夏』を。そして、あなたたちのお誕生日……最高の思い出にさせてほしい」

 真っすぐに見つめる、0714の赤い目に。

「……うん! よろしくねっ!」

 真夏は、演技でない心からの笑顔を見せた。







 ――3人は、『夏』を謳歌した。



「うおーッ、すげえ! でっけえ! ハハハハ、あのゴーレム、めっちゃ水掛けてくる!!」
「成さん、はしゃぎすぎだぞ。触手がすごいうねってくる……」
「だっておまえ、こんな、すげーって! 元いた世界でも魔王倒した時にパレードとかしてもらったけどさ……まあアレはアレで悪くなかったけど……エロい姉ちゃんとか踊ってたし……」
「ねっ! お誕生日だと、ネズミさんや犬さんとお話しできるんだって!」
「マジで!? 国王謁見かよ……久々だからか緊張してきた……!」
「久々っていうところが、さすが元勇者だな……あと国王じゃないからな?」
「大丈夫? さっき思いっきり水浴びたけど、俺、髪型変になってない?」
「ううん、大丈夫! ちゃんと……す、素敵なままだよっ」
「真夏さん、そこは『髪の毛ないから』ってツッコんであげよう?」



 成は『夏』を謳歌した。
 彼は元の世界で体験したことがなかった日本の『夏』を、お誕生日のお祝いを、心ゆくまで堪能した。



「……次は、これっ!」
「! いきなり夜に……丘の上?」
「これはアレか、雑誌に載ってた……うおおッ、すげえ音!? うっわ超綺麗!!」
「たーまやーっ!」
「えっなにそれ? 詠唱?」
「花火を見るときは、こういった掛け声を叫ぶのが通なんだ」
「へえー、ワビサビってやつかあ。どれ、俺も……たーまやー!」
「かーぎやーっ!」
「バリエーションあんのそれ!?」
「あはははっ! 楽しいねっ!」



 真夏は『夏』を謳歌した。
 これまでは空想の中を泳いでいた彼女は、今初めて、彼女の理想とする『夏』を、その身で堪能していた。



「お誕生日のお祝いと言えば、『催し』もいいけど『食』も忘れてはならない」
「おっ、ケーキか? にしては……真夏、この竹筒連結装置は?」
「ふふっ! 私もこれ、一回やってみたかったんだ!」
「これぞ合体技! 真夏さんが作り出した竹筒に、俺のプラントが生成した『お誕生日お祝いそうめん ~幸せになれるピンク麺排出率10倍ピックアップ~』を流せば――ッ!」
「これが日本の夏の風物詩が一つ、流しそうめんスペシャルバージョンだよっ!」
「うおおおーーッなんかすごい楽しみ! 早くやってくれ、0714!」
「いくぞッ……そりゃーーッ!! ……うわあ」
「……そうめんが、竹筒を貫通して地面に落っこちた……」
「……私の能力、所詮は五感に働きかけてるだけの幻覚だったね……」
「えーっと……『落ちたそうめんはスタッフがおいしく……』」
「いただかんでいいっ!」
「あはは! 普通に食べよっかー」



 0714もまた、『夏』を謳歌した。
 今日生み出され、今日朽ちる定めにある彼の、最後の『夏』。最後の『お誕生日』。それを、愛しきお誕生日仲間たちと共に、存分に堪能した。



「おいおい、あいつらさっきから、ずっとパントマイム劇場してばっかだぞ……」
「3人そろったんだから、バトるなりなんなりすりゃいいのにねえ」
「これじゃあ酒が不味くならあ!」
「今年の神事はハズレだったかしら……ほら、行くわよ」
「ううん……でも、見てよママ」
「なに? あのひとたち、何もないところで大騒ぎしてるだけよ?」
「そうだけど、あのひとたち……すっごく、楽しそうだよ?」
「……まあ、確かにねえ」
「ねーっ! お兄ちゃん、お姉ちゃん! ボクも仲間に入れてよ!」
「あっこら! 坊や!」
「いいよっ! おいでーっ!」
「うわーっ、海だーーっ! すごーーーいっっ!!」
「……なあ、おまえら」
「ああ。俺たちも……入れてもらうかっ!」
「おうっ! お前らも来いっ!」
「パーティは多いに限る! 全員で、お誕生日をお祝いしようっ!」



 観客たちすらも巻き込んで。
 3人は、二度と来ないこの『夏』を、力の限り堪能した。
 もうすぐ終わってしまう、この『夏』を――。







「……はーっ! 遊んだ、遊んだ!」
「一生分遊んじゃったかも……!」

 成と真夏は、真っ暗になった空の下で息をついた。
 遊びも遊んだり、3人と多くの観客は数時間にわたり、『夏への扉(サマータイムアゲイン)』の世界で多種多様な『夏』に耽溺した。
 神事――夏祭りという環境の所為も多分にあったろう。全員の「『夏』を堪能したい!」という統一された想いが、真夏の能力に埒外の出力を付与していた。

「……ああ。俺も、完全に。一生分(・・・)、遊んだ」

 そんな中、0714はゆっくりと倒れた。
 真夏は色を失って駆け寄る。成はそれよりも落ち着いて、噛み締めるように近づいて行った。

「0714っ……!?」
「心配するな、真夏さん……これは、ただの俺の設定寿命なんだ。7月14日の終わりと同時に、お誕生日お祝い人間である俺の稼働も終了するってだけだ……」
「そんな……」

 絶望的な表情で、真夏は成を振り返る。

「……俺でも、無理だ。向こうの世界の『魔術』とこっちの世界の『能力』は体系の違う現象だ。それにそもそも、今の俺は魔術すら元のように使いこなせるわけじゃない」

 成の言葉に、真夏は項垂れる。
 涙をこぼすその顔に、0714は精一杯に笑いかけた。

「いいんだ、真夏さん。俺は、充分に幸せだった……。2人のお誕生日をお祝い出来て、嬉しかった。『夏』の旅も楽しかった。生まれてきて……良かった」
「俺たちもだよ、0714」

 表情のない肉の蔦。
 でもそこが、確かに笑顔を湛えていることを。0714と真夏は分かっていた。

「この世界に来て、おまえたちに出会えて良かった」
「うんっ……! 私も、ずっと欲しかった『夏』が、0714と成のおかげで楽しめたよ! お誕生日も……こんなに祝ってもらったの、初めて! 本当にありがとうっ!」

 0714が、満足げに目を瞑る。
 7月15日まではまだわずかに猶予があったが、彼としては、もう思い残すこともないのだろう。

「……なあ、真夏」

 その傍らで、成は真夏に何事かを耳打ちする。
 密やかなやり取りに、真夏はしきりに頷きを返す。

「……うん! いいよ、やろうっ!」
「よっしゃ。……なあ、0714」

 成が呼びかけると、0714はゆっくりと瞼を開き、赤い目で2人を見る。
 それだけの動きすらも、稼働限界を迎えつつある0714には大儀そうだった。

「何度も言うけどさ。俺たち、おまえのおかげで最高の誕生日を過ごせたよ」
「うん! 私たちこそ、もう、思い残すことはないくらい!」
「まさに……最強だったな!」
「ねっ!」
「……何、を」

 成と真夏は、同時に息を大きく吸い込んで、揃って叫んだ。





「「 この神事! 俺たち(わたしたち)は、降参する(しますっ)! 」」





 ――その瞬間、すべてが決した。
 最強の7月14日生まれを決める神事。その勝利者。
 お誕生日お祝い人間ver0714に、絶大な幸福が約束された瞬間だった。

「……はは。なるほど……でも、ダメだ。幸福じゃ……できるのは、確率を収束させること。俺の、確定した機能停止は、覆せない」
「分かってるよ。だから、これは願掛けだ。貰ってばっかじゃな悪いからな……」
「私たちから0714への、お誕生日プレゼントだよっ!」

 成が進み出て、0714の胸元に触手の一肢を翳す。
 そして、こう告げた。

「俺がどうやってこっちの世界に来たか、知ってるか? この魔術……向こうでも、使えるのたぶん俺くらいなんだぜ?」

 翳した一肢が蠢く。
 超自然の、奇跡を宿したような輝きを纏い、脈動する。
 夏空に輝くデネブとアルタイルとベガのように、触手はちゅるんと0714の胸の上で三角形を描き、神々しい光を放っている。

「【転生魔術(リ・バースデー)】。つっても今は魔力がほとんどねえから、ありったけ使っても俺の時ほど上手くは行かないかもしれないが……誕プレの幸運、役立ってくれよな!」
「また、会えるよねっ? 私、すっごいお祈りしてるから! また0714といっぱい遊びたい! お誕生日もお祝いし合いたいよ!!」
「……そう、だね」

 もう発声も覚束ない。
 そんな中で、残された力を振り絞って、0714は。

「俺も……次は。成と、真夏の……」

 伝えながら赤い目から涙をこぼす。
 そのことに、0714は少なからず動揺した。

 そんな機能が、必要なのか?
 お誕生日をお祝いするしか能のない、この自分に?
 それも、急造機に? あったとして、一番にオミットされてしかるべきではないのか?

 だが、きっと。
 涙を流すことができる機能も、欠かさざる大事な機能の一つだと。
 誰かと共に喜びや悲しみを分かち合うことは、尊いのだと。
 製造責任者の白衣の男は、そう思ったのだろう。

 彼にも感謝を言えるだろうか。

 そんなことを考えながら。

 0714は静かに目を閉じ。



 永い眠りに就いた。
























  • 10


 ――数年後の、7月14日。

 その日、町で有名なある夫婦の下に、子どもが生まれた。

 片や、別世界より現れた、人ならざる元・勇者。
 片や、町の裏社会を震撼させた元・伝説の傭兵。

 そんな特異極まる2人の交際も、結婚も、出産も。
 町は総出で祝福していた。

 生まれたばかりの赤子を一目見ようと、様々な人が駆け付けた。

 そこには、あの日3人と共に『夏』を謳歌した多くの町人が詰めかけていて。
 どこかの株式会社に勤める白衣の男がいて。
 彼が開発し、この日『生まれてくる子のお誕生日を祝う』ために派遣された、白髪赤目の少女がいて。
 その少女に毎年お誕生日をお祝いされている、中学生程度の少女がいて。
 父親がこの世界で初めて会った、コウノトリと年老いた兄弟がいて。

 顔のない乳白色の肉の蔦が、あるようには見えない瞳から涙を流して喜び。
 彼の妻も泣きつつも、『夏』を体現する向日葵のような満面の笑みを咲かせ。

 目を開けた白髪赤目の男児を、全員が祝福した。



「ハッピーバースデー!!」




 ダンゲロスSS0714

    『ダンゲロス世界に転生したら、最高のお誕生日をお祝いされた件。』 了




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最終更新:2017年07月20日 22:56