プロローグ(徒士谷真歩)
「犯人は、お前だ」
ロングコートを纏いステッキを携えた紳士――ジェイムズは不敵に笑い、“犯人”にその人差し指を向けた。犯人と示された人影は、些かたじろいだ様子で、振り向きざまにジェイムズを睨みつける。
夜の街に繰り出す、あるいは家路を急ぐ人々で賑わう、宵の口のビル街。
そのうちの一棟の屋上で、二人は対峙していた。
眠らなくなって久しいこの街の灯りを足元に受け、対して天から降りる星月の明かりはいかにもか細い。
「警察のお歴々が言うところの『ES-08号事案』、金曜日の週刊誌が語るところの――うん、やはりこっちの方がしっくりくるな――通称、『怪盗サーカス』」
ジェイムズは私立探偵だった。
彼は美学としていささかクラシカルによりすぎているきらいがあったから、本来誘拐犯を追ったりはしない。そういうのは警察や保険屋の仕事だと思っている。とはいえ、世から“怪盗”などと評されているのであれば話は別だ。それは十分、探偵の仕事となりうる――ジェイムズはそう判断し、行動を開始した。
そうしてひとたび動いたならば、事態は犯人と探偵、その対話に収斂する。
「本当なら、関係者一同の前で華々しく推理を披露したかった所だがね。いやあ、僕もまだまだ探偵強度が足りない」
自嘲的に語る探偵の流儀に合わせたわけでもないだろうが、犯人――サーカスと呼ばれたこの怪盗もまた、クラシカルと呼ぶに差し支えのない犯罪者だった。
即ち、神出鬼没にてどこにでも現れ、予告状を以て自らの存在を誇示し、目的を果たしたら煙のように消え去っていく。
そして、このサーカスが盗むモノ。それは――
「盗るも盗ったり、既遂12件未遂が1件。
“神隠し”、“連続誘拐犯”、“人を盗む怪盗”、――その被害者の行方は、杳として知れない」
“人間”だ。
サーカスは何も答えなかったが、しかしせせら笑うような気配をジェイムズは受け取った。
「被害者をどうした」
「……」
ジェイムズの声が一段、低くなる。
サーカスは答えない。
「手段はわかった。犯人もこうして目の前に。……動機はなんだ?」
「……」
ジェイムズは重ねて問う。
サーカスは答えない。
「……君の能力は――」
「……!」
更に重ねようとした刹那、対峙していた二つの影が交錯した。
ジェイムズの携えたステッキがくるりと翻る。
「随分と無口なようだが、……こちらの方はなかなか雄弁じゃあないか」
コートの裾の端が切り裂かれ、夜の街を流れていった。
こういう所で思わず冷汗を流してしまうのが、ジェイムズが探偵強度が低いと評される所以だ。
「いいさ。バートン=ライト・スタイルも嫌いじゃあない」
あくまで寡黙なサーカスを向こうに回し、ジェイムズは師から受け継いだバリツの構えを取る。
夜の街に人知れず、今一度影が交錯し――
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「……で」
ひとしきり話を聞いたところで、彼女――警視庁捜査一課魔人犯罪対策室所属、徒士谷真歩警部補は、ため息とともにその探偵を見やった。
「そのままフツーに負けてブッ飛ばされてきた、と。また随分手ひどくやられたなあ。ええ、名探偵殿?」
「いやァー、面目次第もない。
しかし真歩ちゃんは僕が仕事をしくじった時に限って名探偵呼ばわりをするねえ」
「慰めてやってるんだよ」
渋面を浮かべながら、真歩は皮肉を返す。
込められた感情は呆れと怒り。それと、僅かばかりには心配もある。
「ホシがわかったのなら、警察に任せときゃあよかったんだ。欲をかいて痛い目見たな」
「怪盗の相手は探偵がするって、昔から決まっているだろう」
「どこの世界の話だ」
「我々の業界ってやつで」
「バカバカしい!」
これも一種の流儀なのだろうか。ジェイムズは飄々とした男だったが、この手の美学や矜持の話になるととたんに頑固になるのだ。それがわかりきっていたので、真歩は早々に話を打ち切ろうとする。が、とたんにジェイムズが切り返した。
「バカはひどいなあ。そも、場末の探偵などより時間も予算も人手もかけていたのに、ついぞ捕まえられなかったのは警察の方じゃないか」
「ム」
確かに、それを言われると真歩は弱い。
手を抜いたつもりはない。取りうる手段で最善を希求してきたつもりだ。
それでもなお多くの魔人犯罪者の跋扈を許しているのは、ひとえに警察の不徳だろう。
――とはいえ。
「それを棚に上げて、あげくに探偵の手柄の尻馬に乗ろうだなんて。日本の警察には美学ってものがないのかねえ?」
とはいえ、ただ黙りこくるものでもない。
「……手柄。手柄っつったか、いま。名探偵殿はそんなもんに拘って、ES-08号を取り逃したと」
「そんなものとはご挨拶だな。名誉を求めるのは悪いことじゃない」
「結果、ES-08号が次の犯行を働いても?」
「……」
「……」
しばし、無言。
ジェイムズにも、功に逸った自覚はあった。
あの場にそれこそ真歩が居れば、このような事態にはならなかっただろう。せめて一言の連絡もしなかったのは、やはりこの功名心が原因にほかならない。
「……君にはわからないさ」
「わかりたくもない!」
鼻息を荒くする真歩。黙ってそれを見返すジェイムズ。
しばしの沈黙が場を支配する。
――つまるところジェイムズは、彼女に負けたくなかったのだ。
けれどそれを口に出したくはなかったから、彼女がわかりたくもない、と言ったことにどこか安堵している自分もいた。
無論、それは一瞬のことに過ぎない。ジェイムズは口を開き
「もーー、二人共うーるーさーいーー!!」
唐突に横切った、甲高く、そして幼い声に強制的に口を閉じられる。
「パパもママも、喧嘩しないの!」
唇を尖らせながら、声の主――エプロン姿の少女は、二人の間に据えられた鍋敷きの上にどすんと土鍋をすえた。
猫の肉球を模したキッチンミトンをぱさんと脱ぎ捨て、腰に手を当て、二人を睨みつける。
顔を突き出した拍子に、ブロンドの髪をまとめた短いポニーテイルがぴょこんと跳ねた。
「仲直りしなきゃ、ごはん抜き!」
「はい」
「ごめんなさい」
まったく堪らない。
二人揃って頭を垂れる。
このやりとりで凡その見当もつけられようが、徒士谷ジェイムズと徒士谷真歩は夫婦であり、この少女――徒士谷かがりが、二人の娘に当たる。
日ごろ家を空けがちな両親に代わって、祖母――真歩の母親――が何かと面倒を見ることが多く、そうこうするうちに覚えた料理で、両親はすっかり胃袋を握られていた。家庭内ヒエラルキーが危ない。
「私に謝ってどうするの!!」
そして手厳しい。気性の荒さや一本気さというのは、母親譲りだろうか。
「えーーっとーー…言い過ぎました。ごめんなさい」
「仕事がうまく行かなくて苛ついてました。ごめんなさい」
よろしい、と、かがりが笑顔で頷いて、ジェイムズと真歩はどちらともなく視線を合わせ、そして笑った。娘マジ天使。
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この時、ES-08号事案――『怪盗サーカス』の正体を、真歩は聞かなかった。娘の前でこれ以上仕事の話をするのは躊躇われたし、こうして始まった団欒を乱す気にはなれなかったからだ。
かがりが寝静まったあと、一度だけ水を向けたが
「…少し気になることがあるんだ。裏を取るまで、少し待って貰えないか」
と、躱されてしまった。
「……そんな顔をしないでくれよ。今度はもう無茶はしないし、必ず話すよ。絶対だ」
ジェイムズは自分の言葉を曲げるような男ではなかったから、不承不承ながら了承した。
…この時無理にでも聞き出しておけばよかったのだろうか。後に真歩は度々、そう思い返すことになる。
この団欒から二日後の夜半、徒士谷ジェイムズは遺体で発見される。
彼の遺留品の中には『怪盗サーカス』からの予告状――『怪盗サーカス』が“盗む”と決めた相手に送る「招待状」があったことから、『怪盗サーカス』事件における、最初の死者として扱われることとなった。
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―――あれから、もう2年になる。
『先パァイ! すンません! 接触失敗す! 被疑者は車で逃走中!』
追想は、情けない声を上げる後輩からの無線で中断された。
「ち、場所は」
今、コンビを組んでいるこの魔人警官。名を内裏エイジという。
能力も筋も悪くないのだが、どうにもここ一番での踏ん張りが足りない。そろそろもう一段育ってほしいところだが――さて、人を育てるというのはなかなか難しいものだ。
『環七を高円寺方面に車で逃走中!』
「環七ね。なら問題ない。そのまま追跡。挟み撃ちにするぞ」
『うッス!時間は!』
「90秒」
思考を現実に引き戻す。怪盗サーカスは後回しだ。
――いま追っているのも既に8人を殺している犯罪魔人だ。魔捜研の尽力で既に能力は大方割れているが、油断はできない。
「相手が悪かったな」
油断はできない。が、それは自信を揺らがすことと同義ではない。
この被疑者はもとは九州から流れてきたのだったか。あたしのことを知らないってんなら、お気の毒だ。いや、同情はいらないか?縛について法の裁きを受けやがれ。
都内全域、既にあたしの能力射程。
「そこは、あたしの東海道だ」
『先パァイ!今の決めゼリフっすか先パァイ!』
うるせえよ、という小さな呟きを残して。
本庁地下の事務所から、徒士谷真歩の姿は忽然と消え失せた。
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魔人剣道。
日本を能力バトル先進国たらしめている理由の一つに、この存在があげられるだろう。
非魔人と魔人は、こと戦闘能力においてしばしば根本からして“違う”。非魔人の肉体と身体能力を前提として構築された各種武芸の技術体系は、魔人の肉体性能を十全に発揮できないばかりか、時には不要な負担や歪みすらも生じさせうる。
必然、魔人たちは源平の昔より魔人の、魔人による、魔人のための技術体系を組み上げてきた。しかしながらそれらの多くはごく少数の狭い流派内で完結し、一子相伝、あるいはそれに近い形で別個に細々と受け継がれてきたに過ぎず、失伝の憂き目に合うことも珍しくなかった。
転機が訪れたのは19世紀後半。大政奉還による天皇親政への移行を始めとする大変革――明治維新の折である。
西南戦争を経て、剣術の有用性を再認識した時の警視総監、川路利良は撃剣再興論を著し、全国の警察官に対し剣術を大いに奨励した。挙国一致の富国強兵政策が推し進められていた背景の中、指導方法の統一と確立を目的に種々様々な流派の合一が警察内で図られることになる。
こうして生まれたのが世に名高い武術流派、警視流である。そして、今ひとつ。
細く繋いできたがゆえに非魔人武道に比して進歩の歩みの遅かった各種魔人武道は、この時の数々の流派の衝突と研鑽・研究を経て大いなる発展と躍進を遂げることになる。
魔人の武術は秘すもの、という当時の常識を覆すこの施策は、世界的に見ても極めて特異であり、諸外国を驚かせた。
これこそが、全国の青少年魔人に親しまれる魔人剣道の原型。
これこそが、今なお不朽の研究と研鑽がなされる、最新にして世界最大と称される“統一魔人流派”!
「魔人警視流」
時速200kmを越すスピードで環状七号線を走る一台のセダンの眼前。虚空より突如としてスーツ姿の女が出現する。
言うまでもなくそれは徒士谷真歩であり、言うまでもなくそれは彼女の魔人能力の発現である。
彼女の魔人能力、『東海道五十三継』の能力は極めてシンプル。即ち、『一度徒歩で行ったことのある場所に瞬間移動ができる』。それは、彼女自身を示すかのように真っ直ぐな能力だ。
腰だめに構えるのは黒塗りのステッキ――亡き夫の仕込杖、馬律美作。
「“居合”」
セダンはブレーキを踏むでなくハンドルを切るでなく、むしろ加速したようだ。
なるほど、場馴れした手合なのだろう。
だがかえすがえすも感想はただ一つ。相手が悪い、だ。
風の流れに彼女のウェーブのかかった黒髪が舞い上がる中、真歩はただ前を見据えていた。
「天狗乃太刀!」
抜き放った一刀は、決して優美ならざるがつんという音とともに車体に衝突する。全身の撥条を余すところなく刀速にこめた剛の一閃はバンパーの半ばほどにまで食い込み競り合う形になる。
押し込むワゴン車はけたたましいエンジン音を挙げて更なる馬力を込め、踏みしめた足元ではパンプスとアスファルトが摩擦で火花をあげていた。
時は早朝。
通行人はほとんどいない――つまり僅かながら点在する。彼らへの、そして市街への被害は最小限にする必要があった。なので叩き壊すでもぶっ飛ばすでもなく、真歩はこのまま押しとどめることを選ぶ。
力任せの一刀は、力任せの轢殺撃に押し込められ、足元の火花を連れて二百メートルばかりを後退する。
そのさなか、鍔迫り合いをする車の一部が、べこりと変形をした。
真歩たちが対峙している魔人、虎薄方馬の能力――乗り物を変形・合体させる能力――だろう。
変形した車体は幾つもの拳を型取り、それぞれが殴打を繰り出してくる。
社内からは、金属をすり合わせたかのような耳障りな笑い声が響いてきた。
「はン」
それを、真歩はまとめて鼻で笑う。
予想通りだ。
これまでの魔捜研――魔人能力捜査研究所の調べにより、既に具体的な能力の条件や規模についても概ね判明している。そして、虎薄は真歩の能力を知らない。
魔人同士の戦闘において、これはほぼ決着がついているのと同義だ。
「腕はまずいんじゃあねェのか、腕は」
刀を右手で保持し、左手で拳をいなす。
例えば、幾つかの交戦報告を分析した結果、こうした仮説が報告されているのだ。
「“能力発動中は感覚を車体と共有している可能性が高い”――だったか」
手打ちとなった拳の一つを受け止め、指を絡めては関節を極め、捻りあげた。
どうやら仮説は確かであったらしく、運転席の虎薄は顔をしかめ、変形した車体の動きが硬直した。
それは一瞬ばかりのことであったが、一瞬で十分なのだ。
その間隙に、右手で保持していた刀を抜き放ち足元を切り払う。
虎薄は変形能力を駆使して前輪を浮かせて躱したようだったが、悪あがきだ。浮いた車体に下半身を潜り込ませ、組み付いたままの左腕を引きながら腰を跳ね上げた。
魔人警視流“柔術” 片輪車
「お、るあああああああっ!!」
平たく言うならば、一本背負いである。
早朝の空気を切り裂く轟音とともに、車体はアスファルトに叩きつけられた。
「さて、虎薄方馬。強盗殺人の容疑でてめぇにゃ逮捕状が出ている。これ以上は抵抗せずに大人しく――おいおい」
それなりの衝撃は与えてやったはずだが、薬物でも決めているというのか。
血走った目で半ばスクラップと化したセダンを組み替えながら、虎薄は口から泡を飛ばしながら何事かを喚いている。
組み上げられた巨腕を真歩に叩きつけてくるが、真歩の姿は既にそこからは消え失せている。
「美人婦警さんに夢中になるってのはわからないでもねえがな」
フロントガラスの真正面に現れた真歩は、唇の片端だけを持ち上げてせせら笑った。
無造作に、納刀したままのステッキを振りかぶる。
「90秒だ」
中指を立てる。
「ケツががら空きだぜ?」
後方から追いついてきた相棒、内裏エイジの運転する車両による体当たりと、振り下ろされるステッキ。
ダメ押しの一撃が、今度こそ虎薄の意識を刈り取った。
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「うん…うん……夕方にはおばあちゃんがそっちつくから、いい子にしてなね。
ママはしばらく遅くなるから。………だぁいじょうぶ。参観日にはかならず行くって。うん、約束」
警視庁捜査一課、魔人犯罪対策室。
内裏エイジ巡査は、事務所の隅で電話をする相棒――徒士谷真歩警部補をぼんやりと眺めていた。
「んっふふ、ありがと。がんばるぜー。じゃあねー。」
「……」
彼女は捕物の大立ち回りや、ポカをした自分を叱責するときとは打って変わって、穏やかな顔をしている。
「おう、悪いね。待たせた」
「………先パイってさあ。“ママ”なんすね」
「あン?」
何を今更、という顔で真歩はエイジを見る。
「いや、なんか。どっちかって言うと“母ちゃん”って感じじゃないスか」
「やかましいわ」
「あいてっ」
げんこつを振り下ろされて、エイジは頭を抱えた。
「キャラじゃないのはわかってるけど。旦那にマリオカートで負けてそうなったんだよ」
「マリオカートで」
彼女の夫、徒士谷ジェイムズが殺されて二年になる。
当時、エイジはまだ警察学校で訓練中の身だった。
二年という時間が長いのか短いのか、近しい人を失った経験のないエイジにはわからなかったが、真歩自身は時折話題の中でごく自然に彼のことを話す。周囲も特段気をつかうでもなく普通にしているので、そういうものなのだろうと思っている。
とはいえ、思うところが何もない、ということではないのだろう。
いま、デスクの上で真歩とエイジの間に広がっているのは、件のES-08号事案――いわゆる連続誘拐犯『怪盗サーカス』事件の捜査資料だ。
ジェイムズが殺されて以降の二年間、怪盗サーカスは姿を表していない。当時数々の事件においてセンセーショナルに報道された怪盗サーカスも、世間からは既に忘れられて等しい。
状況が変わったのは、かのエプシロン王国は第一王女フェム――彼女の最初の外遊先を示すスピーチの直後のことだ。
招待状
遥か天駆ける国のいと麗しき君
フェム=五十鈴=ヴェッシュ=エプシロン殿下
成人を迎えられた由、誠にお慶び申し上げます。
その前途を祝しまして、貴女の舞台に華を添え、
我が公演にて愛と興奮の一幕にご招待申し上げます。
一座より 愛をこめて
招待状――かのサーカスが標的に対して必ず送る、“犯行予告”。
それが、エプシロン王室に届けられたのだ。
当初は悪質ないたずら、程度に思われていたそれは、本物の可能性が極めて高いとする鑑識の見解を以てエプシロン王室、五賢臣、そして警視庁に対策の要を生じさせた。
「……と、いうのがこれまでの流れ、スよね」
「ん」
当初、警視庁はグロリアス・オリュンピアそのものの中止または縮小を強く求めていたが、五賢臣側がこれを拒否。警備体制も警察の介入をほぼ認めない形であった。
これに対して粘り強い交渉、根回し、縄張り争い……等々を経た上での妥協案として落ち着いたのが、警備体制への一定の介入。ならびに――
「魔人警官の参戦枠を確保……って、大会盛り上げるのに良いように使われてないスかね、コレ」
「まあ、大会の中に入り込むって意味じゃあ有効なのは確かだ」
真歩も顔をしかめている。
「ES-08号は劇場型の犯罪者――要は派手好きだ。参加者に紛れ込んでる可能性は十分にあるし、優勝して王女殿下に直接接触、なんて事になったらそりゃ絶好の犯行機会だからな。それも世界中の腕利きを嗤いながら、だ」
手元の資料から顔を上げて、笑う。
「あたしが出るなら少なくともそれは防げる」
「うわあ優勝する気満々。……まあ、五億とか言われたらやる気も出ますよね」
「え、それはいらん……娘の教育に悪そう…」
「パねぇ」
即決で賞金放棄を言い出す。
まったく剛毅なことだ。エイジは素直に感心した。
「えー、じゃあ願いを叶える方は?なんか無いんスか?」
「ニューカレドニアとかに行きたいかなー。娘と」
「ニューカレドニアに」
……そういうのもっとこう、自分でなんとかできるやつじゃないの??
「安心して長期休暇取れるぐらいに後輩が育ってくれりゃいんだがな」
「あ、さてはヤブヘビだったなーコレ!」
ぱこん、と、丸めた資料で頭を叩かれてしまった。
「ご名答。いいか、あたしらの目的は」
「ES-08号をとっつかまえる!」
「ちげーよタコ。まずは犯行を防ぐ」
「あ、ウス」
ぺけぽん、とまた叩かれてしまう。暴力上司め。
「もちろん、その上でとっ捕まえるがな。
これはあたしのヤマだ。お前にも働いてもらうぜ、エイジ」
彼女は、唇を引き結ぶ。
経緯を考えれば、この事件に関して入れ込むのは当然だ。
……実のところ、彼女がこの件を担当するにあたって私情がどうこうとの横槍がないではなかった。
なかったが、他に名乗りを上げた魔人警官たちの横槍を払い除け(物理)、今朝の虎薄を始めとする喫緊の担当案件は全て片付け、残りはチームの同僚らに引き継ぎも済ませた。
少なくともこの事務所は自分やボスも含めて、彼女をバックアップするつもりだった。
「――にしても、何者で、どんな魔人なんスかね。ES-08号ってのは」
「わかりゃ苦労しねえ。
……神出鬼没で、どこにでも入り込み、どこにでも現れる。
変身や逃げ隠れでなく、認識や因果を操作する能力の可能性もある――ってのが魔捜研の今のところの見解だったか」
「オレみたいに?」
「そう、お前みたいに、だ」
大会参加者ならびに候補者、運営側主要人物、第一王女と使節団、そしてその関係者――
真歩は二百名近い人物調査ファイルの一つ一つに目を通し、層別していく。
魔人とは言え真歩とエイジは警察官だ。
彼女のその能力と同じく、その本領は派手な捕物や立ち回りや能力バトルなどではなく、一歩一歩踏みしめる地道な捜査にある。
エイジは真歩の下についてからそれを何度も言い聞かされていたし、自分なりにその意味を解しているつもりだ。
仇討ち、という言葉を、彼女は使わない。
それでもこれは、決着を着けるべき彼女のヤマだ。
相棒として、自分もやるべきことをやろう。
エイジはしばらく資料に耽溺する真歩の横顔を眺め、そうして自分も同じように捜査資料を手に取り始めた。
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夜半。
過去の事件、対象の能力、パーソナリティ、経歴、あるいは刑事の勘。
それらを勘案しながら層別していった人物ファイルは、二百近い容疑者を数十程度まで絞っていた。
「(ジェイムズは、何かを掴んでいた)」
船を漕ぐ相棒を横目に見ながら、真歩はコーヒーを呷る。
夫と同じ目線を、自分はまだ持つには至らない。
「………“この台詞”は、あたしの流儀じゃないんだがな」
これから忙しくなる。
験を担ぐわけじゃあ無いし、“彼ら”の流儀には理解の及ばないところも多々ある。
だがまあ、景気づけにこれぐらいはいいかもしれない。
ホワイトボードに貼り付けた数十の容疑者たちを眺めながら、真歩は呟く。
そうとも。
きっと、追いついてみせよう。
夫にも、怪盗サーカスにも、だ。
「犯人は、この中にいる」
<プロローグ 了>