プロローグ(三沢翔琉)
「勝者、三沢翔琉!!!」
決着を告げるアナウンス。
少年の勝利を祝う歓声と、対戦相手の敗北に落胆する声。
少年はそれを冷めた目をして聞いている。
今日の勝利の彼にとっては意味のないもの。
今までと大して違いはない。
称賛も歓声も勝利もある。
だが、それは少年を満たさない。
目の前には敗北者が横たわる。
彼はそれを一顧だにしない。
少年の求めるものはここにはない。
☆
三沢翔琉は勝利を欲している訳ではない。
勝てるから勝っているし、負けないから勝っている。
日常に倦み、刺激を求めて彼は闘技場に参加した。
彼のような魔人が集まり、その優劣を決する戦場。
そこには確かに彼の求めていたものがあったような気がした。
様々な能力者を見るのは興味深かった。
能力を全力で発揮できる場所というのは貴重だった。
適性があったのか、彼は戦い続け、勝ち続けることができた。
そこにいる意味はある。
しかし、勝つことに意味が見いだせない。
彼には確信がない。
自分が負けたとき、弱者であると思わされた時、戦いの場に立っているのか。
敗北を知った時、勝ちたいと思うのか。
それとも、見切りをつけて戦場を去るのか。
それが分からないのが不安で仕方がなかった。
今は勝ち続けているが、それが永遠に続くとは思えない。
その時はいつか、必ず来る
何より恐ろしいのが、負けたとき何も感じないこと。
積み重ねてきたものに何の価値も見いだせないと突きつけられること。
それが何より恐ろしい。
負ける前にそこから去る、という道もあった。
ただ、それをするには彼は楽天家に過ぎた。
いつかは負けるだろうがそれはまだまだ先の事だろう、と彼は考える。
負けた時のことは、負けそうになってから考えよう。
彼はそう考えて、今日も戦場に立っている。
☆
その日は思ったよりも早く訪れた。
戦ったのは彼より少し年上の少女
彼ほどではないが闘技場だと若い方だ
御堂浅香。十七歳。
映像を見た限りそこまで強くない。負ける気は、しなかった。
勝負の決着がついたのは一瞬。
試合開始のゴングの直後。三沢は意識を失った。
次に目に映ったのは観客から歓声を浴びている少女の姿。
三沢が御堂をを見上げる形。
そこでようやく三沢は自分の敗北を知る。
観客に手を振っていた御堂は、三沢が意識を取り戻したのを見て、笑顔で手を伸ばす。
それを見ると、なぜだか顔が赤くなる。
自分が敗北したという事実も、勝者に手を差し伸べられているということも忘れてしまっていた。
この光景を、三沢は一生忘れない。
そんな、確信があった。
☆
試合の後、彼は御堂を探した。
対戦相手をその試合の直後に訪れるなんて初めてのことだった。
話に応じてくれる自信があったわけではない、彼だったら絶対に応じないだろう。
門前払いされる可能性が高いように思える。
それでも御堂と話がしたかった。
結局、三沢の心配は杞憂であった。
こんなこと初めて、と笑いながら御堂は彼との話に応じてくれた。
「お前は戦うのが楽しいのか」
三沢は言う。
「楽しいよ」
彼が見てきた戦士たちは、もちろん勝てば嬉しそうにしていたしなければ悔しがっていた。彼本人を除いては。
そういった意味で御堂と彼らには差がない。
ただ三沢は、御堂と彼らの間に何か違いを感じていた。
そうでもなければ自分が抱いている感情の説明がつかない。
その間に何の差があるのか、三沢は知りたかった。
「楽しいから戦っているのか」
「ここで戦ってる人は大体そうじゃない?別にお金がたくさんもらえるわけでもないんだし。…逆に聞くけど、三沢君が戦うのはなんで?」
「なんでんだろうな…。」
言葉を探すが、見つからない。色々なことが思いつくが、どれもどこか違うような気がする。
「…分からない。…まあ、強いていうなら勝てるから戦っている。」
まあ負けたんだけどな、と呟く。
「勝った時は嬉しい?」
「全く。」
「今は悔しい?」
「いや、全然。」
「ふーむ。」
御堂は考え込む様子を見せる。
「もしそうなら、別に戦わなくてもいいんじゃないの?」
「それはそうだが」
三沢は口ごもる。今まではそれでもよかった。彼女に負けるまでは。負けたら戦うのをやめようとすら思っていたかもしれない。
…だが今は違う。心の中に別の感情が芽生えている。
迷っているのを察してか、御堂は新しく言葉を紡ぐ。
「…参考になるかんないけど、私の話をするね。…三沢君さ、私の事大して強いと思って無かったでしょ。」
ああ、と三沢はうなずいた。
負けたくせに、と笑いながら御堂は続ける。
「実力的に言えば三沢君の全力と私の全力はそこまで差はないと思う。」
「でも俺は負けただろう。瞬殺だった。お前は能力も使ってないだろ。」
「…油断してたし。隙を突くのはそう難しくないよ。」
そう言うと、彼女の纏う雰囲気が変わる。
今までのにこやかなものから、真剣なものへと。
三沢はそれを感じ取り、彼女の顔を見つめる。
ここから先の言葉を聞き逃してはならない。
「勝敗は実力だけで決まるものじゃない。もちろん強い方が有利なのは確かだけど。強い方が絶不調で弱い方が絶好調なら勝敗は簡単に逆転する。」
…御堂は言う、そこに希望があるかのように。
「そもそも、能力者の強さなんて数値化できるものじゃない。数値化できない以上、強さは勝敗によって決するしかないの。勝敗は必ずしも実力を示すものじゃない。なのに、勝った方は負けた方より強いという事になってしまう。」
…御堂は言う、自分に言い聞かせるように。
「それは理不尽かもしれないけど、逆に言えば実力のない人だって最強になり得るということ。」
…御堂は言う、強い思いを込めて。
「もし私なんかが最強の能力者なんて呼ばれるようになったら、それはとても、痛快でしょう?」
御堂はそう言って、微笑んだ。
いつの間にか、元の御堂に戻っている。
あの時と同じ笑顔。だが、何かが違う。
彼女は嘘を言っていない。だがそれが全てでもない。
ここから先は容易には踏み込めない場所だ、そう感じる。
少なくとも今の三沢が立ち入れるものではない。
「お前の考えることは全く俺には分からない。だが―。」
理解はできない。だが、理解したいと思う。
踏み込むべきではない。だが、知りたいと思う。
ようやく、彼は自身に芽生えた感情を理解する。
そして、深く決意をした。
「とりあえず、お前にリベンジする事に決めた。負けっぱなしは気持ちが悪い。…時間を取らせた。…興味深い話だった」
三沢はそう言うと、立ち上がる。
「うん。いつでも待ってるよ!」
御堂はそう言って手を振る。
もっと強くならなければ。
彼女と並び立てるように。
彼女に勝てるように。
初めての目標が見つかった。
☆
…結局、初めての目標は達成されない。
三沢は御堂に一度も勝つことが出来なかった。
その場に三沢が居合わせたのは、単なる偶然だった。
彼女に5回目の決闘を申し込もうとして闘技場で彼女を探していた日の事。
結局、見つけることができずに帰路についた時。
腹部に大きな傷を受けた彼女を見つけた。
後で知ったことには、彼女の次の対戦相手による襲撃であったらしい。
しかしその時はそのようなことも知らない。
必死で処置するが、血は止まらず体温は下がっていく。
こぼれ落ちていく彼女の命をせき止めようとする努力は、まるで意味をなさなかった。
そんな彼を見ながら御堂は冗談めかして言う。
「どうしたの?そんな悲しそうな顔をして…。もしかして、私に惚れちゃった?」
「…惚れてるよ。一目ぼれだ。」
あの笑顔を見たときから、ずっと。
「…こんな時に…そんな事…言う?」
御堂は力なく笑う。
「…悪いな。空気の読めない男で。」
三沢も笑顔を作ろうとする。上手く笑えている自信はない。だが、そうしなければいけない気がした。
「……ふふ」
御堂は呟くように笑い、目を閉じる。
静寂が生まれる。もはや言葉を交わすことはできない。
☆
目を覚ますと、自室の天井が見える。
半身を起こし、目を拭う。
あの時の夢を見るのは久しぶりだ。
あれから三年が経つ。
今日、この夢を見る理由があるとすれば、アレのせいだろう。
エプシロン王国の第一王女、フェム=五十鈴=ヴェッシュ=エプシロンをもてなすための大会、グロリアス・オリュンピア。
『最強』の魔人を決める能力者達の戦い。
裏も表も関係なく、戦いを求める魔人達の噂となっている。
当然、彼の耳にも入っている。
それを聞いた時に思い浮かべたのは彼女のこと。
最強という言葉を否定したかった彼女
笑顔が美しかった彼女
俺が好きだった彼女
彼女はもういない
それでも俺は戦いを続けている。
戦い続けながら、この時をずっと待っていた。
実力がなくても最強になれるといった彼女は試合の外で殺された。
そして彼女を殺した者も試合と無関係のところで死んだ
彼女の言ったことは正しくない。
『最強』を決める方法など存在しない。
存在し得るのは偽物だけ。
だから、それ自体にに意味なんてない。
だが、挑む意味ならある。
強さに興味がない俺が。
勝利すら欲していない俺が。
もし、トーナメントに参加する猛者を倒せたら。
優勝して『最強』と呼ばれるなら。
それはとても、痛快なのだろう。
そして、俺が『最強』になったならば。
彼女は、きっと―――
☆
「勝者、御堂浅香!!!」
決着を告げるアナウンス。少女はそれを嬉しそうな顔で聞いている。
少女の勝利を祝う歓声と、少年の敗北に落胆する声。
もはやそれらは少年の耳に入らない。
少女の目の前には敗北した少年。
彼にとっては勝者と敗者が入れ替わっただけ。
賞賛も歓声も、勝利すらも彼は失った。
だが、敗北は彼の感情を動かさない。
目の前には彼を打ち負かした少女。
少女は彼を見ると笑顔で手を伸ばす。
少年の求めていたものはここにもない。
――だが、戦う理由はここにある。