プロローグ(ジャックダニエル・ブラックニッカ)
「おらぁ! こいつを寄越しな!!」
「か、返してください! それがないと今日のご飯が……!」
アメリカのスラム街、路地裏では日常茶飯事に強者の搾取が行われていた。
「返して! お願いします!!」
「ダメダメ~! これはもう俺のモンだ“ピンクシザース”の縄張りにいるんだこれは税金みたいなもんだぜ~! 丁度パチンコでスッてスカンピンだったんだラッキ~」
そう言って棘付き肩パッドのモヒカン男は見るからに貪らしい子どもからお金を奪った。その胸元にはピンク色をしたハサミ型のバッジが輝いた。
ピンクシザース。
このスラム街で知らない者はいないであろうギャング集団。
ギャング集団と言ったがその中は弱者のみを狙うチンピラ集団と言って差し支えない、都市部に行けば彼らの実力では本物の足元に及ばないであろう。
だからこそピンクシザースはここで頂点になっていた、都市部からかなり離れたスラム街でお山の大将、ここでは彼らがルールになっていた。
「ここで平和に暮らしたかったらピンクシザースには逆らわないのが一番賢いやり方だぜ坊主~! ぎゃはっはは!! ぐほぉ!!」
笑うモヒカンに子どもはタックルをかました、その渾身の一撃によろめくもモヒカンは怒りの形相で子ども蹴り上げた。
「ぎゃん!!」
腹を蹴られて呼吸ができなくなり苦しみ悶える子ども、しかしモヒカンの足に手を伸ばす。
「か、返して……ください……僕だけの分なら渡します、しかし兄弟達の分は残して……」
「あ!? てめぇ俺にかかってきてなに虫の良い事言ってんだ―――!!」
倒れている子どもを踏みつぶそうとモヒカンが足を上げた瞬間。
「ハックッション」
くしゃみが聞こえた。
モヒカンは足を止め音のした方をみた。
少年と目が合った、下半身が見えないくらい大きくてぶかぶかなパーカーを着て目の下には大きなクマ、フードで頭を覆い、手には紙袋を持っていた。
丁度この路地裏を横切ろうとしたのだろうお互いに「あ」という顔をする。
「何見てんだ?」
先に口を開いたのはモヒカンの方だった、それに倒れていた子どもが叫ぶ。
「た、助けてください!! お礼ならします!! 助けて!!」
「おい! お前まさか知りもしない奴の為に俺に向かってこないよなぁ?」
フードの少年は目を逸らし路地裏を横切ろうとする。
「オイラ、子どもが嫌いなんだ……早く行かないと冷めちまうから」
「そ、そんな……」
「ぎゃははは! やっぱこの街はサイコーだぜ俺達ピンクシザースは無敵だぁ!」
モヒカンが高笑いをする中フードの少年は紙袋を両手で抱えて去って行った。
「う、うぐ、うわあああああああああああああああああああああああん」
絶望の中、子どもの泣き声が路地裏に響いた。
スラム街のとあるビルの一室。
床が見えない程ゴミで散乱した部屋、その真ん中にあるソファに寝そべって新聞を読んでいる男が一人。
「兄貴、ただいま」
そう言ってドアを開いて入って来たのは大きなパーカーを着て目の下には大きなクマがある少年。
名前はジャックダニエル・ブラックニッカ、人の形をした化け物。
ソファの前にある机、カップ麺の空き容器などがあるがそれを下に落とすように払いのけ向かいのソファに座り紙袋を置いた。
「おお、思ったより遅かったじゃないかジェイディー! よっしゃ食おうぜ」
ジャックダニエルをジェイディーと呼ぶのはアサヒ・スーパードライ、小さな丸サングラスを掛けアフロの髪に無理矢理帽子を被り白いシャツにワインレッドのベストを着ている。
アサヒは紙袋を手に取り中を確認することなく手を突っ込み取り出す。
それは紙に包まれたハンバーガーだった、それをジャックダニエルに渡す。
「ちょと冷めてるか? ん? ジェイディー……まーた泣いてるのか?」
「…………また逃げた」
ジャックダニエルは目から大粒の涙を流し手に持ったハンバーガーの包み紙を濡らす。
「おいおいジェイディー泣き虫癖は治せって言ったろ」
「で、でもよ兄貴オイラ」
「ほらそれよりバーガー食おうぜ、食べるって最高に幸福な事なんだぜジェイディー、オレのはちゃんとピクルス二枚にしてもらっただろうな」
アサヒはまた紙袋に手を入れ今度はチーズバーガーを手に取る。
「う、うん」
ジャックダニエルは包み紙からハンバーガーを取り出し手に取る。
バンズに厚いパティが挟まり肉の香ばしい匂いが広がる、トッピングでトマトを二枚にしてもらい肉だけの重々しさだけでなくレタスとトマトの色鮮やかなフレッシュ感もまた食欲をそそる。
ジャックダニエルはゴクリと喉を鳴らした。
「ほら見てみろハンバーガーの前じゃ涙も引っ込んで代わりによだれちゃんがご登場だ」
アサヒは自分のチーズバーガーの包み紙を除けながら言う。
「ジェイディー、そんな事いちいち気にしてたらキリがないぞ、そうだ新聞で面白い記事があったんだこれでオレ達デンジャ……」
ぎゅるるるるるるるるるる!!
「おっと腹の虫が限界みたいだな、まぁ話は食ってからにするか」
「うん……」
ジャックダニエルはアサヒを見ずにバーガーを見ながら返事をした。
「んじゃ、いただき……」
ドッバーーーーン!!
二人が口を大きく開いた瞬間突然ドアが勢いよく開いた、いや開いたと言うよりかは壊れたと言う方が正しい。
「邪魔するぜい」
現れたのはロン毛で背中に大きなハサミを背負った男とモヒカンが二人。三人とも胸元にピンク色のバッジを付けている。
「邪魔するなら帰ってくれ今食事中なんだ」
あからさまに不機嫌な態度をとるアサヒ、それに男は言う。
「見てたぜそこのガキが俺様達“ピンクシザース”に舐めた態度を取ってくれたのをよぉ、俺様は“右腕”のレゲエパンチ、よろしく」
机の横に立ちレゲエパンチはロン毛をかき上げながら言った。
「だから食事中だって言ってるだろ話はあとで」
「ぺっ!!」
レゲエパンチがツバを吐き捨てアサヒのハンバーガーに掛かる。
「ははは! 俺様からのトッピングだ! 遠慮せずに食べてくれや!!」
「聞いてやる」
「あ、兄貴……」
「そうこなくっちゃな」
レゲエパンチの後ろにいるモヒカンは笑い、ジャックダニエルは困惑の表情を浮かべる。
張り詰めた空気が漂っていた。
「おらぁ!!」
レゲエパンチが後ろに担いでいた巨大なハサミで机を真っ二つに割った、アサヒとジャックダニエルは微動だにせず割れた机を見ている。
「へぇこれでビビらねえとは大したもんだ、それとも俺様の動きが速すぎて反応できなかったかな?」
机を斬った勢いで床に刺さったハサミを抜きレゲエパンチはなでる。その顔には自信が満ち溢れていた。
レゲエパンチは魔人であった。
ピンクシザースでは最強の魔人であるボスからの信頼からも厚く最高幹部の一人として“右腕”の名前も貰っている上に戦闘で負けた事など一度もなかった。それ故のこの自信。
「へっへいいだろうこのハサミ、俺様の能力『デビルシザー』でこの世界で最も硬いハサミなんだぜぇ、たとえどんな魔人だろうと俺様のハサミを傷つける事はない、まさに無敵の能力!」
「話が長いぞ、んでオレ達にどうして欲しいんだよ?」
アサヒは目を細めて帽子を触る。
「うん? まぁどうこうしようって事じゃないさ俺様は優しいからよぉ、でもさそこのガキが舐めた事してくれるところ俺様がちょーど見ていたからよぉこのへんじゃ見ない顔だったし、二人にはこの街で誰が支配者かって事を教えてあげようと思ってなぁ」
「そりゃ熱心なこった、ジェイディーはどう思う?」
サングラスをクイっと上げながらアサヒが言う。
「兄貴、オイラ争いは嫌いだ……」
レゲエパンチはニヤっと笑った。
「そうだろ? だったら少し金を……」
「でも……」
レゲエパンチの声を遮ってジャックダニエルは続ける、その目はさっきの泣き虫の目ではない。
怒りの目だ。
「兄貴との食事を邪魔するコイツはもっと嫌いだ」
アサヒはニヤっと笑った。
「よし、殴るか」
一瞬だった。
アサヒが言い放った瞬間、ジャックダニエルの体は大きく膨れ上がり黒く変色する、大きな拳がレゲエパンチを殴り飛ばした。
床に散らばったゴミは舞い上がり、轟音と共にレゲエパンチは部屋の隅に突き刺さった。
突然の事でモヒカンは目を大きく見開き、壁にめり込んだレゲエパンチを見た後ジャックダニエルの方を見た。
そこにいたのは化け物。
全長3メートルはあるだろう天井に頭が当たらないように少し屈んでいる。全身が真っ黒で少年の時のような貧弱さは微塵も感じさせない、腕も脚も筋肉が盛り上がり、着ていたパーカーは前が開いた状態ではあったがフードで顔を覆い隠して口元しか見えない、しかし見えている口は大きく開き鋭く尖った歯が見えていた、その化け物の光景に恐怖がモヒカンを襲った。
「ひひぃぃぃ!! あのレゲエパンチ様が……こ、こんなの聞いてねぇ!!」
モヒカンはレゲエパンチを置いて一目散に逃げて行く。
「な、なんだこのパワー……嘘だろ……」
壁にめり込んだレゲエパンチは辛うじて声を出す。その手にはハサミがあるが傷は一つもついていなかった。
「いくら硬いからって持ってる人ごと飛ばされたら意味なかったな、まぁハサミで防御してなけりゃ即死だったろうけど」
ジャックダニエルの前に立ちアサヒがにこやかに言う。
「一体てめぇら何者なんだ……」
「おっとオレ達を知らない?」
とアサヒは帽子に手を当てキメポーズを取り。
「オレはアサヒ・スーパードライこの世で最も危険な男、そしてコッチがジャックダニエル・ブラックニッカこの世で最も暴力な男、二人でデンジャラス&バイオレンス、覚えておいてくれ」
高らかに、そして満足気にアサヒは言った。
「兄貴、もう気絶してるみたい」
「なにぃー!!」
ジャックダニエルは少年の姿に戻る、パーカーの下は全裸なので小さくなるのと同時にチャックを閉めていく。
「まったく邪魔が入っちまったな、オレのチーズバーガーによくも」
「兄貴、はい」
ジャックダニエルは自分の持っているハンバーガーを割りアサヒに差し出す。
アサヒは少し目を見開いたがニカっと笑いハンバーガーを受け取る。
「ありがとなジェイディー、よし! 決めた! 日本に帰るぞ!」
「え、急にどうしてだい兄貴?」
アサヒは読んでいた新聞を拾い記事を見せる。
そこには“グロリアス・オリュンピア”“強者”“栄誉”“賞金5億”“願いを叶える”の文字が飛び込んでくる。
「え、格闘大会? 兄貴がでるのかい?」
「いや、ジェイディーお前だよ」
「え、そんなの無理だよ兄貴、オイラには……兄貴が出ればいいじゃないか」
ジャックダニエルは手をブンブンと振った。
そんなジャックダニエルにアサヒは肩を組んで続ける。
「何言ってんだジェイディー! お前の方がオレより強いだろ、出てこの世で誰がデンジャラスでバイオレンスかを知らしめる、これはチャンスだぜ! オレがセコンドでお前が戦う、そして優勝! これでオレ達を知らない奴もいなくなるってもんだ、最高だろ」
「いやでも兄貴……オイラ強くないよ……それにそこまで知られたいわけじゃ」
「それに賞金5億! これでハンバーガー食い放題だぜトマトもピクルスも五枚に出来るぞ!」
「トマトが五枚……」
ジャックダニエルは自分のハンバーガーを見て呟いた。
「決まりだな、見せてやろうぜ世界に! このデンジャラス&バイオレンスを!」
「でも兄貴、日本に行くお金はどうするんだい?」
「それはこれから集めんだよジェイディー! ピンクのバッジを付けてる奴をかたっぱしから探すぞ」
「う、うん兄貴、兄貴がそう言うなら」
「よし! んじゃ急ぐとしますか」
二人は手に持ったハンバーガーを同時に頬張った。
その日と境にピンクシザースは壊滅していった。
ジャックダニエルは争いは嫌いだった、だがこの大会に出るのには理由があった。
5億円の賞金も魅力的ではあったがもう一つ目を引いたのは“願いを叶える”の項目。
ジャックダニエルは期待していた、これで自分は人間になれるのではないかと、その気持ちを秘めデンジャラス&バイオレンスはグロリアス・オリュンピアに向かう。
「う、うぐ、うわあああああああああああああああああああああああん」
絶望の中、子どもの泣き声が路地裏に響いた。
「うるせえ!」
モヒカンは再び子どもを踏みつぶそうと足を上げた。
「おい」
モヒカンは声のする方をみた。
すると去ったはずのパーカーの少年が立っていた。さっきんまで持っていた紙袋はない。
「なんだ? 子どもは嫌いじゃなかったのか? あ!? 嫌いだからコイツを痛めつけるのを見に来たってか? げへへ! 良い趣味してんじゃねえか、だったらよーく見とけよ」
子どもは怯えその場でうずくまっている。泣く声は止まらない。
「子どもは嫌いだ」
モヒカンはニヤっと笑った。
「でも、子どもの泣き声はもっと嫌いだ」
瞬間、少年は化け物の姿になった、3メートルはある巨体、黒い体に大きな口。
その姿にモヒカンは驚き震える。
「その金を置いてけ」
「うぅわああ化け物ぉぉぉぉぉ!!」
モヒカンは手に持っていたお金を地面に落とし腰を抜かしながら逃げて行った。
子どもは地面に落ちたお金を這いつくばって拾う。
「うぅぅ……」
子どもは自分を救った黒い化け物と見る。
化け物が這っている子ども起こしてあげようと手を伸ばそうとすると。
「うぅああああああああああああああああああああ!!! 化け物ぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」
子どもは立ち上がり叫び壁にぶつかりながらも逃げて行った。
静まり返った路地裏、化け物は少年の姿に戻り路地裏の角を曲がる。
風に当たった紙袋を拾い言った。
「また逃げた……だから……だから子どもは嫌いなんだ……う、うぇぇぇぇぇぇぇん」
涙を流し少年は歩く、その小さな姿は傍から見れば貧弱でとても戦いができるとは思わないだろう。
彼の名前はジャックダニエル・ブラックニッカ。
人でも魔人でもない人の形をした、優しい化け物。