プロローグ(雪村桜(初号機))
運命の日は唐突に訪れる。それはどんな天才にも予想できないのだ。
「フッハハハー!やっぱり私は天才だ!今日が人類最後の日だぞ!」
薄暗い地下室に若い女性の声が響く。
彼女の名は雪村詩織。狂気のマッドサイエンティストにして、世界征服を企む秘密組織「雪村ラボ」の代表者である。
高笑いしながらぴょんぴょんと飛び跳ねる彼女の目の前には、一人の少女が横たわっていた。
この少女こそ、彼女の生涯における最高傑作。世界征服用量産型アンドロイド「雪村桜」の、記念すべき初号機なのだ。
「あとは起動実験さえ成功すれば、すぐに量産を開始できる!うおー助手くん!助手くんまだか!早く世界征服がしたい!」
待ちきれないとばかりにスパナで素振りを始めた彼女の耳に、バタバタと騒がしい足音が聞こえてきた。この運動センスの感じられない走り方、間違いなく助手くん!やはり彼女もこの世紀の瞬間を前に大興奮か!詩織のスパナがうなりをあげる!
詩織がテンションのままにスパナを地面に叩きつけると同時に、地下室の扉が開かれた。予想通り、そこにいたのは彼女の腹心である助手くん(24歳独身)である。だが、その表情は何故か疲労と焦燥に満ちていた。
「ドクター!ドクター大変です!大変なことになってます!」
「なんだい助手くん!私は今大変気分がいいので何でも聞くぞフハハハハー!」
「仮想通貨が、暴落してます!」
「フッハハハハハ…は?」
「ですから、我々の資産の9割を占めていた仮想通貨が、完全に無価値になりました!」
「えっマジで!?」
狂気!未だ不安定な仮想通貨市場に組織の運営資産の殆どをブチ込むなど、小学生でも暴挙とわかる圧倒的暴挙である!
だが詩織は狂気のマッドサイエンティストなのでそういう常識が分からないのだ。わからないのだから、しょうがない!
「…よし!とりあえず桜の起動実験しようぜ!」
「ドクター今回はマジでやばいんですって!桜量産用の工場もすでに差し押さえられてて…」
「おはようございます、桜です!世界征服がしたい!」
「うおおおお勝手に起動したぞ!やばいな!なんで起動したのか全然分からん!」
「ちくしょう聞きやがらねぇ!とにかく税務署が来る前に荷物まとめて逃げますよ!」
「あっこら離せ!ええい、助手がうるさいからとりあえず言うとおりにするぞ桜!それと、おはよう!」
「おはよう桜!正直勝手に起動したのは意味分からなくてめちゃくちゃびびってるけど、とにかく雪村ラボにようこそ!最初の指令は悪しき日本政府の手先から逃げることだ!」
電撃的夜逃げ!だが天才にして狂人である雪村詩織とその生き様に惚れた連中で構成された雪村ラボにとって、このようなピンチは日常茶飯事である。
結局この日も一人も欠けることなく見事に逃げ通し、隠れ処である政府未認可の地下実験施設で今後の対策会議&雪村桜完成記念パーティーを行った。
「おはようございます桜です!今日も元気に桜が桜でさくさくさくさく」
「おい誰だ桜に酒飲ませたの!」
「フハハハハ!私だ!」
「だと思ったよ!」「0才児に酒を飲ますな!」「この一文無し!」
「さくさくさくさくたのしさくさく」
…かくして、彼女たちの世界征服計画は失敗に終わった。活動資金と工場を失った以上、雪村桜の量産はもはや現実的ではなく、しばらくは地下に潜伏しつつ次の計画を練ることになるだろう。だが、その中に下を向いている者は一人もいない。運命の日は、いつか来る!まずは今日を生きるのだ!雪村ラボは、そういう集団である。
そうして雪村桜の人生最初の夜は、押し寄せる様々な情報、感情の波に揉まれながら更けていった。彼女に搭載された高機能AIは、その夜のことをずっと覚えている。
──2年後!
「お母さん、またご飯抜いたでしょ!はいこれお弁当!」
「職場ではDr.雪村と呼べと言ってるだろ桜!それといつもお弁当ありがとな!」
町外れの小さな工場に元気な声が響いていた。一人はたったいま研究室から出てきたばかりの狂気のマッドサイエンティスト、雪村詩織。もう一人は彼女の最高傑作にして近所で評判の良い子、雪村詩織である。
この2年で雪村ラボは真っ当な商品開発をいくつか進め、なんとか地上に拠点を戻す程度には資産を回復させていた。仮想通貨にはあれから一度も手出していない。この2年ですっかり廃れてしまったからだ。もっと話題が持続すると思ったのに、そういうのは困る!なにが魔女集会だ!!
現在、雪村ラボは小さな町工場として近隣住民から親しまれている。それが桜は嬉しくもあり、また悲しくもあった。
2年前、桜が稼動したあの日から世界征服計画は実質的に凍結している。世界征服のために生まれてきた自負のある彼女は、この平和な毎日にいつしか不安を覚えていたのだ。
そんな折に発表された『グロリアス・オリュンピア』。彼女はこの大会にエントリーし、そしてその賞金で以ってして自らの量産計画を進めてもらおうと密かに決意したのだ。
本当は今日言うつもりだった。いや、言おうと思えばいつでも言えたはずだ。だが、表の世界でゆっくりとだが認められ始めている雪村ラボのみんなはそれを望まないかもしれない…そう思うと言い出せなかった。
(やっぱり、もう出発しよう。勝ち進めばきっとテレビにも映る。難しいことを考えるのは、みんなにばれて、怒られてからでいい)
詩織が再び研究室に戻ったのを確認してから、彼女は工場の出口に向かった。それはいうなれば、彼女の生まれて始めての家族への反抗だったのかもしれない。彼女はもう生まれて2年。人間的に成長していた。
運命の日は唐突に訪れる。それはどんな天才にも予想できないのだ。
「とでも言うと思ったか!天才を舐めるなよグワアアアアーーー!!!」
「うぇえええええ!?!?」
突如として桜の目の前の床がパカっと開き、そこから雪村詩織が高速垂直リフト射出!勢い余って天井に突き刺さった!
「緊急射出用ヘルメットがなければ即死だった…とにかく待ちたまえ桜!なーにを黙って出て行こうとしているのかね!」
「そ、それは…ドクターやみんなに言ったら止められるかもしれないと思って…!」
「ええいなにがドクターだ!こういうときは、お母さんと呼びなさい!」
黙りこくる彼女を前に、詩織はまくしたてる。
「大体私たちが反対するわけないだろう!ちょうどそろそろ桜の戦闘データも取りたかったし、全面的にバックアップするからな!分かったら一旦実験室に来なさい!まずはかねてから調整中だった桜レーザーの実装を…」
いつも通りの詩織の言葉に、桜は急激に心が温まるのを感じていた。こんな簡単なことだった。いつも通りでよかったんだ。母にばれぬように声もなく笑い、黙って後ろについていく。もはや不安など欠片もなかった。
かくして彼女は戦いの舞台に降り立った。暴力は好まず、戦闘経験は皆無。だがその身体は文字通りの全身兵器。狂気のマッドサイエンティストの生涯最高傑作。
運命の日が、遂に来た。だから今日まで生きてきたのだ。雪村ラボは、そういう集団である。雪村桜もその一人だ。
最終更新:2018年02月18日 21:22