プロローグ(鉄旋の魔法少女 ノン・フィネム・プグニャ)
――それは、何度見たかもわからない夢だった。
(久々だな、この夢は……1ヶ月ぶりか?)
"双鉄"が立っているのは和風の格安宿、牛蒡亭の宴会場、数時間前まで夜魔口組による賭場の準備が敷かれていたそこは血と肉の残骸が辺り一面に散らばる地獄と化していた。
「糞どもが!さっきから雑魚ばかりけしかけてきやがって!その程度のゴミで俺を止められると思ってんのか!強え奴を連れて来いや!」
血の海の中心で双鉄が叫ぶ、身に着けているシャツは既に血塗れになり体にも数々の傷がついていた。足元にはボロキレのようになったスーツが血の海に投げ捨てられている。
しかしそれでも尚、鉄牛組直属攻撃部隊"双鉄軍団"頭領の双鉄 永作は一切の闘志を失っていなかった。むしろその場にいたのが雑兵ばかりだった怒りにより異常な程の殺気をその身に纏っていた。
「タマ獲ったらァーッ!」「覚悟ォーッ!」「おどれが死んどけやこのド腐れがァーッ!」
「てめえらのような雑魚は呼んでねえっつってんだよ!」
援軍としてやって来た戦闘ヤクザ達が長ドスを持ち双鉄に襲いかかる、素早く双鉄を包囲する陣形を作るその動きはその3人がただの雑兵ではないことを示していた。
しかし、所詮彼らはただの戦闘ヤクザだった。
最初に前より長ドスを上段に構え走り込んだ戦闘ヤクザは右手より放たれた弾丸により左脚を破壊され、崩れ込んだ所に頭部に追加の弾丸を受け脳漿と脳味噌を散らした。
2人目の後ろより長ドスを中腰に構え踏み込んだ戦闘ヤクザは1人目があっという間に死んだ事に驚いた瞬間、右手の裏拳を受けのけぞったままに心臓に左手より放たれた弾丸を受け死亡。
最後の1人は振り抜かれたままの右手より放たれた弾丸で右脇腹と左肩を射抜かれた。
「ゴッ……グアアッ……」
「ぬるい!ぬるいんだよてめえら!」
地に倒れた3人目の戦闘ヤクザを蹴り転がし、心臓に能力を発動させた右足を刺した。血の海の中に死体が3個ふえた。
その日牛蒡亭で死んだ戦闘ヤクザは全てが非魔人、人を辞め魔の領域に入った存在である魔人の双鉄の敵ではない。数の暴力により傷を負い疲労も溜まっていたがそれでも死ぬことは無かっただろう。
何かがおかしい、この賭場は奴らの大きな資金源のはずだ――思考が冷えてくる度に嫌な予感が脳から離れなくなる。
(決まってこの夢はあいつが来たら終わる、つまりそろそろか)
「兄貴!双鉄の兄貴!」
宴会場に駆け込んできたのは双鉄軍団No.5の岩本、頭も技量も足りないが力だけはある男だった。
「持ち場を離れてんじゃねえッ!お前は西友会を襲撃、そのまま占拠するんだろうがッ!」
「それどころじゃないッス……本部が……本部が……」
「あ?」
「本部が……夜魔口組の軍に襲われたッス……」
「何ィ!?」
嫌な予感が、現実になる。
「夜魔口組の軍700人が……本部を襲ったと……連絡を受けて……」
「700人!?魔人はどれだけいたんだ!?」
「それは聞けてないッス、けどその報告を持ってきたやつは本部に雷が落ちたりミサイルが撃ち込まれたのを見たと……」
「糞が!ここは囮か!数十人程度一般兵が死のうが奴らは構わなかったってえ訳かよ!」
「多分もう本部は……ぶっ壊れて……組長も副組長も若頭ももう……」
「畜生!畜生ッ!」
近くにあった死体を苛立ちのままに踏み抜く、しかし最早双鉄ではどうにもならない。
「先生!こちらです!ここにいる奴らを殺れば奴らの戦力はもう無いも同然です!」「おいおい本部をぶっ壊したんだ、もう鉄牛組そのものが無いも同然だろ」「それもそうですね!」
夜魔口組の援軍の声が聞こえてくる、いや援軍ではなくただ彼らは掃除をしに来ただけだろう、牛蒡亭にこびり付いた最も頑固な汚れを。
「俺達どうしましょう……兄貴……」
双鉄は負けた。双鉄の戦いを嘲笑うかのように鉄牛組は終わり、負けたという事実だけが突きつけられた。
「ウオォォォォォァァァァァァァッ!」
感情のままに放った叫びはただ空しく遠くで起きている大火事により一部が明るくなった夜空に響き、消えた。
目が覚める、最早この悪夢にも慣れてしまった。
かつては毎日のように見たこの夢もいつしか慣れ、最近は見る頻度すら減っていった。
「お目覚めですか?」
双鉄がこの悪夢に慣れたのはただ日時が経ち過ぎたことによるものだろう、しかし悪夢そのものを見る頻度が減ったのは間違いなく今問いかけてきた者のせいだと双鉄は確信している。
「朝早くから連れ出しやがって、おかげさまで嫌な夢をじっくり見ちまったよ」
双鉄が運転席に座る女性を睨む。今彼がいるのは魔法少女チーム《ヴェヘメンティ・エクセクア》の持つアルファロメオ・ジュリアの後部座席、今回の仕事場所へと向かう最中である。
運転しているのはスーツを着た魔法少女チームのリーダーを名乗る白雷の魔法少女アスペルリマ、「リーダーだから」という理由で見た目の設定年齢が大学生程度と他の魔法少女に比べ多少高く設定されているため車を運転しても怪しまれないようだ。当然胸部もリーダー権限かは不明だが大きめに設定されている。
「目的地が遠いですから、それにこの先の仕事の話もやっておこうと思いまして」
「グロリアス・オリュンピアだろ?邪魔者を大会から落とせというのはわかった、そういうシンプルな仕事の方が俺は好きだ」
「ええ、つまりはいつもの様に敵を殺せばいい。いつもの私達の仕事です」
「で、俺が今から連れて行かれるのはどこだ?どうせ俺以外の駒も用意しているんだろうが大会前から消耗するのは愚策じゃねえのか?」
「あなたなら死ななければ何とかなるのでは?そうじゃなきゃステゴロでヤクザと戦うなんて発想は出てきません」
「最初は武器を使ってたんだよ、その内魔人になって補助にしか使わなくなっただけだ」
会話をしつつ双鉄は車の窓から見える景色から現在地を推測する。
一面の森、しかし時折住宅街らしきものが見える、そして今走っているのは自動車専用道だろう。
「GO運営本部に何かしらの形で売り込みをかけたいという話だったよな?それにしてはしょぼくれた所へ向かってるじゃねえか、GO運営はデカい大学を出たお偉いさんばっかりでどいつもこいつも東京にいるはずだろ?」
「デモンストレーションです、グロリアス・オリュンピアはどんな存在でも出られる格闘大会ですがどんな存在が勝っても良いわけではありません。
GO運営にとっても《ヒュージ・タートル》にとっても勝たれたら都合が悪い願いを持った参加者を予め排除すれば我々にとってもGO運営にとっても得、Win-Winの関係を構築できるというわけです。」
「そんな都合の良いサンドバッグがいるのか?」
アスペルリマは微笑みながら頷くと後部座席にある封筒を指差す。
「今回の標的は新興宗教組織の離天教が刺客としてエントリーさせた光増 未紗子です、離天教ではここ最近市民運動団体と共同でイプシロン王国の地上への着陸を望むデモを行っています。
ただの迷惑デモと片付ければそれまでですがグロリアス・オリュンピアで勝たれてエプシロン王国の着陸を願われてしまうのは当然エプシロン王国側としても《結社》としても都合が悪いシナリオとなります。
また、彼らと関係があると思われる集団が京都にあるGO運営関西支部を襲撃しています、元々は異常な金額のお布施を要求するだけの宗教でしたがデモ隊と組んでからは過激さが増しているようです。
そういう訳で前もって排除しましょう、EFB級魔人は離天教及びその周辺では確認されていないので然程難易度は高くないと思います」
「なんでそいつらはそんな要求をしてるんだ?」
「わかりません、どうせカルト宗教の行動理由なんて『神の邪魔をするな』とかでしょうけど」
「標的以外に戦闘魔人がいる可能性はあるか?」
「そこは不明ですが今回は標的以外は交戦の必要はありません。少女の姿ならば警戒されていないでしょうし一般客もいるため入った瞬間戦闘になることは無いと思いますが、念のため出来るだけ隠密行動をしていただきます。
勿論魔法少女としての演技も忘れずにお願いします、というわけでそろそろ変身してください」
「わかったよそこは必要なんだな?」
仕事内容を聞き資料を見終えた双鉄は渋い顔をしながら足元に置いた鞄からどう見ても間もなく還暦を迎える男性には似合わない色とりどりの宝石のような透明プラスチックで装飾されたピンク色のコンパクトミラーを取り出す。
そして双鉄はコンパクトミラーを開け車の天井へ向かって掲げながら大声で『魔法の呪文』を言った。
「変身ッ!ラテバット・スプリチューム!」
その瞬間双鉄の体が光に包まれる。そして数瞬後光が消えた時そこには先程のコンパクトミラーを車の天井へ向かって掲げている白い魔法少女服を着た少女が座っていた。胸部は戦闘スタイル上控えめである。
双鉄……いや、鉄旋の魔法少女ノン・フィネム・プグニャは目を開くと再び渋い顔をしながら可愛い声で運転席のアスペルリマへと悪態をついた。
「少女が人間を惨殺して喜ぶ奴らがいる、世も末ってやつだな」
「実際にやっているのは初老の男性ですから問題無いでしょう。ただちょっと見た目を整えているだけで」
「夢と希望を守るのが魔法少女とかお前言ってたけどよよお、やってる事は雇い主が変わっただけで鉄牛組にいた頃と何も変わってねえぞ、今更言うことでも無えが」
「その言葉には何も嘘はありません、《ヒュージ・タートル》の方針は変わりませんし変える必要も無いですから。
間もなく離天教本部に着きます、ちょっとマインドセットした方がいいんじゃないですか?」
「そうだな、素で"魔法少女"やるのは辛えわ」
そう言うとノン・フィネム・プグニャはコンパクトミラーを魔法少女服のポケットに入れ瞑想を始めた。
「あ、服が魔法少女服のままだと目立つので次のPAでトランクに入ってる服に着替えてください」
「それは早く言えや!?」
奈良県山中、離天教総本山。
「あのー、すいません」
本部神殿入口前、参拝受付所に一人の少女がいた。ノン・フィネム・プグニャである。
少女は見慣れない物を見るかのように忙しなくあちこちに目線を向けながら受付所の係員に聞いた。
「えっと……本部神殿には初めて来たんですけど、拝観料は……」
「あら!あなた初めて?初めてならここに名前書いてね?拝観料はこの経典とガイドブックと合わせて15000円よ」
(こんなゴミのために15000円かよ高えなおい……)「はいっ!」
悪態を吐きそうになるのを抑えつつ真面目な信者の顔を取り繕い拝観料(経費)を払い神殿の中へと進む。
内部は異常な程に白く清潔感に溢れた内装をしている、しかし一方で金や銀を使用した装飾がそこら中に施されており離天教の金回りの良さをこれでもかと主張していた。
「初めて総本山の本部神殿に来たので周りの全てが新鮮に目に映っている少女」を装いつつノン・フィネム・プグニャは再び目線をあちらこちらに動かしながら何かを探す。
(あいつの話だと事前の調査ではこの辺に妙な扉があるという話だったが……)
ノン・フィネム・プグニャは先程までに発見していた監視カメラ、そして周囲に存在する人間の目線から隠れるように通路へ入り目的の扉を目指す。
扉には電子ロックがかかっていたため待機、死角に隠れたまま待ち内部から人が出たタイミングで素早く内部へ侵入する。
あまりにも容易く内部に侵入できてしまったことから何らかの罠があると警戒したが、弱い照明に照らされた薄暗い廊下内は悪意も殺意も感じない静寂に包まれている。
(この通路……監視カメラが無い?隠しカメラの可能性もあるが入られたくない区画なら見えるようなカメラを置いて牽制をかけるだろう、つまりそもそもカメラを仕掛けたくないのか?)
余計な存在が入り込むより監視カメラを置くリスクの方が高い、つまりここにはいつハッキングされるか分からない監視カメラにも見られたくない何かがある、ここが正解の区画だろう。
意外にも動きやすい素材で出来ていた"女の子らしい服"に少し驚きつつノン・フィネム・プグニャは警戒を続けながら探索を続ける。
地上階の探索を終え2階に上がった時にようやく明確に異常を知覚した。
(……血の臭いがするな)
微かに、仕事柄嗅ぎ慣れた臭いが漂う。この臭いの出所が標的のいる場所か。
臭いを辿って行き着いたのは2階の最奥の部屋、ドアには[準備室]とだけ表示されていた。
(中に何がいるかがわかんねえな、手榴弾の一つでも持ってくりゃ良かったか……金属探知機を警戒し過ぎたな)
右手で銃のハンドサインを作り能力発動、両手にはきっちり6発ずつの弾が込められている。
(複数敵がいるなら先手はクイックドロウで行くしかねえか、結局はこれだ)
素早くドアを開け中へ足を踏み入れる、そこにいたのは作業服を着てデッキブラシを片手に持った中年女性、そしてこの臭いの原因だった。
"臭いの元"は胸から上は既に無くなっており周りには元々上半身だったはずの肉片が散らばっている、下半身も肉片にはなっていないとは言え何箇所も皮膚の下の肉が見えている有様だった。
常人ならば吐き気を一気に通り越し胃の中の物を胃酸とともにぶち撒ける光景だがノン・フィネム・プグニャは動じない、多少グロテスク趣味に寄りすぎた代物だがこの程度は道端の犬の糞ぐらいには見慣れている。
「――これをやったのはあなた……でいいよね?」
右手の"拳銃"を構えつつノン・フィネム・プグニャが問う、当然魔法少女としての演技は忘れない。
しかし目の前の中年女性は一切動揺を見せずぶつぶつと何かを呟きながらゆっくりと侵入者の方を向いた。
「ああ……やはり太祖神様の言う通りでした、ここで彼奴らの一人を捧げれば彼奴らの刺客が現れると!」
「彼奴ら?」
「空の島に住む大罪人共め!太祖神様の住まう天に貴様らが住むなど何億年経っても許されるはずがない!貴様もその一人か売女め!太祖神様への捧げ物としてくれる!」
(やっぱり話通じねえ類か、とっとと殺るに限る)「……光増 未紗子、あなたを退治します」
「キィエアアアァァァァァーッ!」
先手を取ったのは光増、素早い踏み込みから雄叫びと共にデッキブラシを突き出す。
カウンターを取ってくれと言わんばかりの直線的な軌道を素直に受け取ったノン・フィネム・プグニャはスウェーでデッキブラシをかわしガラ空きの胴体へ右フックを叩き込んだ。
「ゴボッ!?」
光増は一撃で胴体が浮き、よろける。
(ただの素人かこいつ、こんな雑魚を排除するためにわざわざ俺を送り込んだというのか?)
しかしノン・フィネム・プグニャは油断しない、両手の拳銃はどうしても音が響く故に援軍を警戒するならば確実に殺せる状況以外ではブラフにしか使えない、そこそこの広さがある「準備室」で1対多の戦いになれば相手が素人ばかりでも厄介だ。
ならば銃ではなく刀を使えばいい、足で追撃をかけるべく間合いを詰める。
ローキック――する前に足を止めた。
足先のすぐ近くをデッキブラシが通過していた。苦し紛れにデッキブラシを振り上げただけにしては殺意が籠もり過ぎている。
(ただデッキブラシを武器にしている訳ではないな、デッキブラシに能力を使っているのか?試してみるか)
ノン・フィネム・プグニャは摺足で動きつつ位置を調整していく、再びカウンター狙いの動き。
「神敵滅殺ゥゥゥゥゥ!」
今度はデッキブラシを上段に構え光増が動く、バックステップするノン・フィネム・プグニャにおびき寄せられるまま走った光増は狙い通りに下半身だけの死体へとデッキブラシを振り下ろす。
普通ならばデッキブラシの先が皮膚の表面を引っ掻くだけのはずである、しかしそのデッキブラシは残った下半身を両断して更に左右に分割していた。
光増の能力はデッキブラシに「斬る」概念を付与する能力、そうノン・フィネム・プグニャは結論付けた。
(あのデッキブラシをガードしたらそのままガードごとバッサリってわけかい、成る程面倒な能力だ)
更に光増はひたすら走りながら闇雲にデッキブラシを振り回す、力が乗っているかどうかは問題では無い、どう振ろうが当たれば斬れるのだ。
当たらなければどうということは無い、言うは易いが実際にやれば待っているのはスタミナ勝負、互いに人の身を外れた身体能力を持つ魔人ではあるが根比べは疲労感を信仰で吹っ飛ばせる光増が上だ。
然らばどうするか、当然双鉄の経験の内には答えがあった。
「このままじゃ埒が明かない!奥の手を使うよ!」
そう言いながらノン・フィネム・プグニャは回避を続けながら回収していた物を光増に対して放る。
放り投げられた"奥の手"は光増から微妙に逸れ斜め上へと飛んでいく、しかし"奥の手"を警戒した光増はその放られた物を素直に斬り、中から溢れ出た血と肉を浴びた。
「ギィッ!?」
・・・
"奥の手"とはつまり先程両断された死体から漏れ出た腸、わざと逸れた方向へ放られたそれを斬り更に中身を顔面に受けた光増の体勢は一瞬崩れる。
それだけの隙があれば左手の銃口は光増の頭部を捉える事ができた。
銃声、光増は頭から血を勢い良く噴出させながら後ろへと勢い良く転がった。
「今の奥の手に釣られる程度か、大した事ないね」
2発目の弾丸は光増の心臓をしっかり貫いていた。それは何十回やったともわからないいつもの動きだった。
「あーはいはいそういうわけね……奴らがGO運営関西支部を襲撃して得た戦利品はサンプル花子、結局エプシロン王国と関係無いじゃねえか」
転がったままの死体の足の裏に刻まれたバーコードを確認したノン・フィネム・プグニャはそのまま脱出するべくゆっくりと出口へ歩を進める。
結局銃を使ったから援軍が来るかもしれない、しかしそれでも良かった、飢えを満たす餌は多くても問題ない。
狭い通路ならば同時に2人相手する程度で済むだろう、その状況で自分が負けることは無いとノン・フィネム・プグニャは考えていた。
「大会ではもっと強えのがいるのかねェ?このデモンストレーションが無駄にならなきゃ良いがな」