水というものは、おおよそすべての生命にとって欠かせないものだ。渇きは餓えさえも上回る速度で命を削っていくのだ。2度目となるがくりかえそう、水とはおおよそすべての生命にとって欠かせない。だが時として渇きを癒す水が命を削る刃となる事もあるのだ。例えばこのように
「お”ぉ”ぉ”ぁ”......あ”す”か”る”す”わ”ん”、け”り”と”め”を”ぉ”ぉ”ぉ”」
「そら見たことか、『あんたと関節キスになるのがイヤ』なんてアホ言って毎度生水を飲むからそうなるんだよ、いつかは腹下すってわかってたろ。アスガルズ1、どうする?」
水と言うものは命を救うも奪うもたやすいものである、この場合は生水が、だが。生水でアタってしまえば場合によっては完全に手遅れである。さて、いかにして生水を飲むなどという状況が生まれてしまったのか?
「もう少し声を抑えろ。アスガルズ4はこれを3の口に突っ込んでおけ、3は尻を締めろ、これ以上におうと流石に気づかれかねない。でてしまったモノは草むらに埋めておけ」
彼ら──アスガルズ隊──は現在山間部にある反政府勢力の拠点を殲滅する為に隠密行動を行っているのだ。隠密行動を行うにしてもそれ用の装備というものがあるはずだが、彼らの装備は戦闘服と通信機と少量のレーション、そしてアスガルズ4だけが水筒と軍用ナイフを持っているだけ、これだけで拠点の殲滅を行うという。丸腰同然で一体なにができるのか?だが心配することはない、アスガルズ隊は全員魔人なのだ。
そして、アスガルズ4と呼ばれた男の魔人能力は”自分が口をつけた液体を純水に変換する”というもので、およそ戦闘向きと言えないだろう。だが、いかなる状況、いかなる場所であっても飲料水を確保できる、というのはそれだけで強みとなりうる。
いまその能力の恩恵を受けず、乙女として最悪の醜態をさらし、大切なものをソレと共に投げ捨てているアスガルズ3は、多感な乙女なのだ、例え成人をむかえて4年が経とうとも乙女なのだ。男との関節キスを気にするぐらいには。今まではアタることもなかったために看過されてきたが、今後は嫌でもアスガルズ4の恩恵に預かることになるだろう。
閑話休題。
「アスガルズ2から連絡が来た、1分後の監視塔の爆破を合図に突入する。アスガルズ3はいつも通りアスガルズ4から離れすぎるなよ、いいな?それと、詳細不明だが複数の魔人がいるのはブリーフィングで把握しているな?真準問わずEBFがいた場合はアスガルズ2と合流し速やかに撤退しろ」
「りょ、了解。ちゃんと......はぁ、守りなさいよ?」
「了解。守るのはアスガルズ3の役目だろう?」
軽口を叩きあいながらも、その目は真剣だ。アスガルズ3の顔は未だに青いが、彼女とて軍人だ下手をうつことなど早々ないだろう。アスガルズ3の魔人能力は磁気操作、有効範囲は5mと短いが、それが磁気を通すのならば弾丸から血中の鉄分まで彼女に捕らえられないものは無い。そこそこの魔人であれば、一人でも問題なく処理できる。
して、アスガルズ1は?歴戦の戦士、戦場の暴風などなど様々なあだ名が飛び交っているが、顔を知る者はあまりいない。戦果だけが飛び交い、やれ隻眼の大男だ、いや熊と素手でやりあうゴリラ女だのと好き放題噂されているが、よもや未だ成人を迎えぬ可憐な少女とは誰もが思うまい。軍服を着ていなければ、10人中7人は振り向くであろう儚げな少女だ。だが、いかに可憐で儚げであろうとも、軍が誇る最高峰の魔人部隊、その一つを任されているのだ、弱くないわけが無い。
さて、きっかり60秒後監視塔から轟音が響く。それを引き金に、アスガルズ3と4が飛び出した。すこし前まで腹をくだしていたとは微塵も感じさせない動きで敵陣に突入していく。それに離れることなくアスガルズ4もナイフを構えて走り込む。同時にアスガルズ1の周りの大気が渦巻き、彼女の手のひらに収束していく。透明な槍を思わせる大気を圧縮したそれは、アスガルズ1の得物だ。
「さあ、反逆者ども、裁きの時間だ。死後裁判などありはしない、今ここで地獄行きを申し渡そう」
大気の槍を一振り、それだけで突風など生ぬるい嵐がアスガルズ1の周囲の木々をなぎ倒し、彼女に銃口を向けていた者たちが吹き飛ばされる。だが一人、耐えている者がいる。魔人だ、アスガルズ1の風などものともせず立っている。いかにも俺は軽薄ですと言わんばかりの顔で、彼女を見ている。
「魔人か、公職についていれば良いものを」
「ヘッ、好きに生きないで何が魔人だ。オマンマ食べさせてもらって尻尾ふってれば満足ですってか?まるっきり犬だな!顔がいいからたっぷりヤってやってもいいが、やっぱ顔は良くても犬畜生とヤるなんて死んでもごめんだね、ここで死に晒せぇッ!」
同時に魔人が掲げた手に、あまりにも巨大な棍棒が現れる。バオバブをご存知だろうか?あの特徴的な形をした木の幹、あれをそのままのサイズで振り回していると言えば想像もたやすいだろう。魔人もこの棍棒に相当の自信があるようで、下品な笑顔を浮かべている。対して、アスガルズ1はそのような棍棒などどこ吹く風と言わんばかりの顔で魔人を見つめている。
「怖くなったか?そうだよなぁ?お前のちゃちな本気の風なんかじゃあ俺の魂棒は止められねぇよ!」
アスガルズ1はもう付き合いきれんとばかりに、ため息を吐き出す。玩具を振り回して威張り散らす無知な愚か者を見るような目で、眼前の魔人を見ている。先の嵐が彼女の裁きと?否、その程度で魔人部隊の一つを、任せることなどできるはずもない。おおよその魔人は弾丸で落とせるが、それでは到底届かない魔人がいるのも確かだ。そして魔人部隊とは、それら一筋縄ではいかない魔人達を確実に殺すために結成されたものだ。
「染みになりやがれェ!」
巨大な棍が振り下される。が、それはアスガルズ1の翳した槍に止められる。魔人の顔に驚愕と動揺が広がる「なんだそれは、俺の魂棒が風なんかで止められるはずがない」顔に書いているかと思うほどにわかりやすい。
「言っただろう、今ここで地獄行きを申し渡すと。さぁ、愚かなる反逆者よ風に喰われて死ね」
直後、魔人の周囲に竜巻が起きる。先とは比べものにならない激烈な風に抱かれ、皮膚も肉も骨も裂き砕かれて肉片も残らず消えていく。アスガルズ1は無感動にその光景を眺めながら、隊員の通信に耳を傾けていた。
『こちらアスガルズ4。アスガルズ3と共に反政府勢力及び魔人4名を殲滅、また準EFB指定リストと合致する魔人を1名確認、詳細を送信します』
「ご苦労、アスガルズ2聞こえるか?」
『こちらアスガルズ2、現在魔人2名と交戦中。一人では厳しい、応援を頼めるか?』
「聞こえたか?アスガルズ4、アスガルズ3と共にアスガルズ2に合流し速やかに殲滅、撤退しろ。アスガルズ2、まだ迷わせられるか?」
『可能です』
「そうか、では急げよ。EFB相手となればお前らを巻き込むのは間違いない、以上」
『了解』
暴風を纏い、拠点の施設を徹底的に破壊し続けながら送信された座標へと、歩いていく。その歩みはまるで散歩のように、だが歩む者は竜巻だ、何もかもを残さず破壊する。送られてきた準EFB指定魔人の能力を確認していく、名前は《イェッソー・アルデッド》魔人能力は受けたダメージを蓄積、増幅し衝撃波として放出する、破壊行為は天職だろう。他の魔人の攻撃を増幅することによって政府直轄都市を2つ破壊している。アスガルズ1にとってはこの上ない獲物だ。
彼女の前に一人の青年が立ちふさがる。
「おやおや、政府の飼い犬の方々はご苦労なさっているようで、そんな泥まみれにならなければここにこれないとは、なんと愉快な」
腹を抱えて笑っている青年こそ、準EFB指定魔人イェッソーに他ならない。
「イェッソー・アルデッドだな。では死ね」
アスガルズ1はそう発すると同時に、先の魔人を殺した竜巻をぶつける。イェッソーは未だに笑っている。効いていないのだ、だが当然だろう都市を破壊するだけのダメージを貯め込めるのだ、竜巻程度ではおやつにしかならない。
「そ・の・て・い・ど、ですかぁ?残念ですねぇ!そんなんじゃあ私を傷つけるなんて無理無理ィ!」
哄笑する、爆笑する、おかしくてたまらないと服が汚れるのも厭わず地面を笑い転げる。誰が聞いても「耳障りで不快だ」と述べるであろう、だが魔人にそんなことなど意にも介さない、聞く価値すらないと捨てるだ。一方、思案顔でイェッソーを見つめるアスガルズ1はさらなる風の暴威を叩きつけた。それでも、イェッソーを殺すにはなお届かない。
直後、アスガルズ2からの連絡が入った「アスガルズ2,3,4撤退完了」と、この短時間で撤退できたのはアスガルズ2の魔人能力があってこそだ、そしてそれが意味するのは「味方を巻き込む心配がない」ということだ。
「ほらほらぁ!お返しですよ、そぉーれ!」
イェッソーがアスガルズ1へ衝撃波を放つ、それは莫大な空気の壁によって阻まれた。防がれたにも関わらず、イェッソーはケタケタと笑い転げている。笑い転げながら次々と衝撃波を放ってくる。アスガルズ1はそれを防ぎ続けながらイェッソーへと近づく、一歩近づくごとにイェッソーに襲いかかる風の暴威は増し続ける、それにこたえるようにイェッソーの放つ衝撃も強くなり続ける。
ついに槍の間合いにイェッソーをとらえると、さらなる猛攻を開始した。イェッソーの表情から余裕は消え失せ、彼女の猛攻をしのぎ続ける。絶え間なく降り注ぐ風の暴威、瀑布の如き槍の猛攻、それでもなおイェッソーは耐えた。
ふと、猛攻が止んだ。ついに己のしぶとさに根負けしたかと、少女を見る。
「らちが明かんな、やるか。アスガルズ2、聞こえているな?"槍"を使う」
軍人として動いていたアスガルズ1を脱ぎ捨て、少女はイェッソーを見据える。少女の名を《エンルゥ・ルードラ・アスリア》と言う。
同時、いままで吹き荒れていた風が止んだ。いや、エンルゥに集まっているのだ。
────宣誓する、己とは斯くの如きものである。
一点に渦巻く風の中心、風にかき消され聞こえないはずの声が聞こえる。
────いざ集え勝利の神の名のもとに。
凛と、空気が張り詰める。イェッソーはただ震えた、何だこれはと
────これなる刃は揺れる風、我は戦を叫び打ち砕く者。
────虚空の巨人より生まれし霜の者、冷たき鎧の系譜より知の探究者が目を覚ます。
ただの小娘?違う、ただの風を操る少女ならこんな圧を感じるはずがない。
いかな暴風を操れようと所詮は小娘だと侮っていた。
────祖なる巨人よ、汝は粗暴が過ぎる故、我らの礎と沈むがいい。
先のやり取りで40メートルが操れる限界と見抜いた。短い射程だと感じだ。違うのだ、ただそれだけの距離で十分なのだ
────霜纏う賢人よ、知恵の泉を飲ませるのだ、この目を対価に支払おう。
────暗き地の小人よ、黄金の髪と帆船と槍を作りたまえ。
イェッソーはついぞ神など信じたことは無いが、神を前にした気分をこれでもかと味わっている、これがそうなのだと。
────世界を織りなす大木と、破壊の言葉を刻みし鋼
こんなもの、己では到底耐えきれないと。涙と鼻水で濡れ、ただ呆けた顔を神威の暴風に向け続ける。
────さあ恐れるがいい、この槍は狙い違わず汝を貫こう。
─────嵐纏う戦神よ、彼方の敵に絶滅を─────
半径40m、世界がはちきれんばかりに生成され続ける大気がそこに閉じ込められている。
「裁きの時間だ、イェッソー・アルデッド。申し開きはあるか?」
もはやイェッソーに残されたのは首を横に振る気力だけであった。格が違う、世界が違う、同じ人間など到底思えたものではない。
世界を砕かんばかりに荒れ狂う風が、エンルゥの手に収束する。槍の形だ、だが先ほどとはまるで違う。先の槍を業物だというのなら、こちらは神器と呼ぶべきだろう。
「では、さらばだ」
都市を複数砕いてなお有り余る風の槍がイェッソーの命を現世より奈落の果てへ突き落す。
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「アスリア特務少佐、報告ご苦労」
「はっ。では失礼します」
エンルゥは先の作戦の報告書を提出したところだった。踵を返し、己のデスクに戻ろうとするが、呼び止められた。
「時に特務少佐、日本で行われる魔人達の大会は知っているかな?」
「はっ、存じております。それがいかがなされたのでしょう?」
「なに、軍としてはこれに参加してエプシロン王国とパイプを繋いでおきたいのだよ。当然、願いをかなえる権利は軍が一時預かりだ。場合によっては君に戻されるだろう」
「しかし、エントリーはすでに終了しているのでは?」
エンルゥは疑問をぶつける、帰投後に見た特番ではすでに1戦目の組み合わせが発表されていたのだから。
「エプシロン王国はね、こう言ってきたのさ。『一枠だけシード権を設置します"ふさわしき者"だけがその権利を手にできるでしょう』とな、そこで特務少佐にはこれに出てもらいたい。無論軍との関係は隠ぺいさせてもらう、ただの私人として出てくれ。シード権を取れれば万々歳だが、私人として出てもらう以上、取れなくとも軍は何も言わんよ」
「了解しました。直ちに準備を行い、日本へ向かいます」
突然の話ではあったが、軍とはそういうものだ。エンルゥは残っていた仕事を片付け、寮で準備を行う。
「ねぇエンルゥ、いきなり荷物を纏め出しちゃってどうしたの?」
ルームメイトでもあるアスガルズ3こと《ヘレン・リッター》が旅立ちの準備を始めたエンルゥに尋ねる。女が少ない軍において、年が離れていようが同性と言うだけで横のつながりは強固になる。
「軍からの命令でな、今度日本で開かれる魔人たちの大会にシード権を取れ、あわよくば優勝しろと言われた」
「へぇ、大変ね。あたしだったら蹴っちゃうかも。ま、がんばんなさい。いつも通りのあんたなら勝てるわよ」
「有難う、ヘレン。そうだ、臭いはとれたか?」
そう言い残してエンルゥは足りないものの買い出しに出かける。年の離れた友人の怒号にクスリと笑みをこぼしながら、準備をすすめていった。