プロローグ(Mr.ファーザイン)
「五賢人の皆様、私の願いを受け入れていただき、感謝する」
訛りなどを全く感じさせない日本語を発したのち、頭を下げた金髪金眼の男に、賢人達は慌てた。そして、長老が頭を上げてくれと言うと、ようやく、男は顔を上げた。
予選大会会場からほど近い道場。五賢人が今回ここに集結したのは、この男の希望を聞くためだった。大会に出場させて欲しいという願いを叶えるために。
「日本では、頼む側がこうして感謝の気持ちを表すのだと妻に聞いている。日本は物事に対しての感謝をきちんと表すことのできる素晴らしい国だ。そのような国に再び来られたことを誇りに思っている!」
しかし――――と、男は続きを述べた。
「私は今回、一人の武人として、一人の父親としてこの場に来ている。私の立場は一度忘れていただきたい」
男は「そうだなぁ」と呟きながらの少し考えた。そして、よしっ。と、一つ頷いた。
「Mr.ファーザイン! 英語のファーザーと、ドイツ語のザインで、父である存在であるということを表して、この名前で参加させていただこう! 日本ではこう言ったか、整いました! と!」
微妙にまちがっているような、間違っていないような男、改めてMr.ファーザインに五賢人達は思わず苦笑してしまう。
「ならば、ファー……ファーザ……」
「ファーザインだ、長老殿!」
「……そうでしたな、ファーザイン殿……では、この場ではそう呼ばせていただこう」
ファーザインは、満足気に少し大げさにうなずいた。
「しかし、本当にいいのだろうか? シード枠を頂いてしまって……予選から参加している武人達に申し訳ない気がしてしまうのだが……」
「いいや、ファーザイン殿の実力なら予選の突破なら余裕だったじゃろう。剣術の世界大会での優勝経験があり。先月も、オリンピック柔道の魔人部門で優勝を果たしていたしのぉ……我が国の国技ながらお恥ずかしい……」
「あれは運も私の味方をしてくれていただけのこと。それに、魔人でなければ私より強い、または上手い者など五万といる。まだまだ私自身は精進が足りませぬ」
謙遜などでなく、心底からそう言っている様子のファーザインに、長老は感心する。どこまでも自らを高めようとするその姿勢に。
「なので、今回の大会も、私自身をより高めたいという目的の元に参加をしたいのです」
「ええ、わかっております。……しかし――――本当にいいのですか? これはスポーツでなく、殺し合いにもなる大会。もしあなたが命を落とせば……」
「愚問だな。それは、私も妻も覚悟のう上。そのための遺言も書いてきた。私はこの大会で死んだとしても、一片の……悔いはない!」
少し、間があったことを、長老はあえて言わなかった。だが、その目に宿った覚悟は本物であることを、長老は悟った。ほかの五賢人たちの顔を見ても、全員同意のようだ。
「では、我々は貴方を大会に登録させていただきましょう」
「うむ、よろしく頼む!」
長老は目の前に紙を広げ一筆加えた後に、側に控えていたSPに渡して、どこかに持って行くように指示を出すと、その人物が消えた。
「おお、ジャパニーズニンジャ! やはり実在したのか!」
興奮気味に反応したMr.ファーザインに長老は苦笑し、「彼らはその存在を隠すのも仕事だ」と言うと、ファーザインは「確かに」と頷いた。
「ついでに、あなたのもう一つの願いの相手も呼ばせていただいました」
「それはありがたい!」
「しかし――――なぜあなたは彼と……?」
「友人の息子なのです! 妻との結婚の際に、彼の父上に世話になったことで友人となったのだが、ここ数年は人が変わったように仕事人間になってしまっていた。しかし、その友人から数年ぶりに頼みごとをされたのだ。息子との仲直りの手助けをしてほしいと」
「失礼いたします。音無光陽様を、お連れいたしました」
「待っていたぞ!」
ファーザインは自ら能力を使用する。空間の距離を無視する門を、何処にでも望む場所に繋がる門を作る能力、アンノウン・ゲート。ファーザインは小さく作ったその門に手を突っ込み、顔を隠すマスクを取り出して、装着。さらに、木刀を二本取り出して、これから足を踏み入れる人物を待ち構える。
侍女が開けた道場の戸口から入ってきたのは一人の少年。少年は訳の分からない様子で、ファーザインと五賢人に頭を下げ、挨拶をした。
「少年! 君が、音無議員の息子、音無光陽君で間違いないか!?」
ファーザインが問うと、光陽は露骨に嫌そうな顔をした。そして、「元息子です」とだけ言った。
「私は君の父上の古い友人で、名をファーザインという!」
ファーザインが名乗ると、光陽は目を見開いた。あの父親に、人を信用なんてしていないあの父親に友達なんていたのか、と。
「突然だが、君にはこれから私と剣を交えてもらう」
光陽に向けて投げられた木刀。反射的にそれをキャッチした光陽はそれを少し眺めた。
「僕が何で、なんでそんなことを……」
「君という人間を知るためだ」
「剣を交えたらわかるんですか?」
「無論だ!」
言い切った。自分は先ほど予選で敗退し、潔く去ろうかと思ったら突然捕まえられて、このような場所に連れてこられイライラしていたのに、大っ嫌いな父親の友人という変なマスクを被ったファーザインという男には、決闘を申し込まれる。そして、ファーザインのその堂々とした、真っ直ぐな姿も癪に障った光陽。自分は魔人だ。変な奴になど、そうそう負けたりはしない。光陽は木刀を構えた。
二ヤリッと口元を緩めたファーザインも木刀を構え、いつでもいいと言う。
「はぁあああああああああああああああッ!!」
魔人特有の身体能力の高さで、床が割れるほどに強く蹴って、ファーザインに詰め寄り、光陽は木刀を思いきり振り下ろした。終わったと思った光陽。しかし、その一撃は、あっさりとファーザインの木刀に受け止められるのだった。
驚く光陽。ファーザインは光陽を押し返し、手でもう一度打って来いと挑発をする。
「……なめるなぁあ!」
今度は顔面に突きを放つ光陽。しかし、ファーザインはそれをもあっさりとキャッチして見せた。
「ああ、そういえば言ってなかったな……」
光陽はファーザインに投げられた。まだ成長しきってないからだとは言え、光陽は年相応の成長をしていた。それを、この大人はあっさりと、片手で投げたのだ。驚く光陽を、さらなる衝撃が襲う。
「私も実は魔人なのだ」
瞬きを一つしたほんの一瞬。その一瞬で、自分は先ほどまで遠く離れて行っていたはずのファーザインにキャッチされていた。なぜ、どうしてと悩んでいる間に光陽は再び投げられる。受け身を取れず、背中から落ちた光陽。しかし、寝ているわけにはいかないと立ち上がり、ファーザインと対峙する。
「……なんなんだ、あんたの能力……」
「そう聞かれて、馬鹿真面目に能力を教える能力者はいないだろう。……私を除いてはな……。私の能力は、瞬間移動するゲートを作る能力と言っておこうか、どこでもドアというやつだな」
――――こういう風にな。
背後から聞こえた声。一歩。一歩だけ踏み出したのは、光陽には見えていた。しかし、次の瞬間にファーザインの姿は自分の視界から消えていた。光陽はその驚きを隠すことができなかった。そして、考えるより先に、能力を発動することを選んだ。
「シャドール!」
黒い騎士が光陽の影から現れて、ファーザインを切り裂かんとその手に持っていた剣を振り降ろす。ファーザインはそれを冷静に木刀で受け止めた。手がふさがったその隙を、光陽はシャドールの影から狙い、木刀を振りぬくが、その一撃も、ファーザインの空いていた左手にあっさりと掴まれた。
「まだだ!」
光陽は自分とファーザインの影が重なったのを確認し、もう一体騎士を呼び出した。光陽の能力は、自分を‘含む’影から人形を呼び出す能力。その自分の影が広がれば広がるほど呼び出せる人形の数、大きさは変化させられる。だから、光陽はファーザインによって加えられた影の分、シャドールをもう一体呼び出すことができたのだ。
新たに呼び出した騎士の持つ武器はこん棒。ファーザインはそれが振り下ろされるのを冷静に観察し、能力を発動させる。そして、光陽の肩に痛みが走った。騎士Bのこん棒が、最初に呼び出した、騎士Aの肩に振り下ろされていた。空間を切り取ったように、小さな門から腕だけを出して。
光陽は肩を抑えながらその場に崩れ落ち、二体の騎士が影の中へと消える。
「影から人形を呼び出して操作する能力……と言ったところか。まだまだ操作が甘いようだな」
ファーザインは手を差し出すが、光陽はその手をつかむことはせず、自分で立ち上がった。
「だが……本当に君という人間がよく分かったよ」
「今の数分で何が――――」
「少年は、ずいぶんとまじめな性格のようだな。そして、理想も高いようだ」
「……は?」
「普通、この手の能力は能力者にダメージは行かないものだ。しかし、君は明らかにダメージを負った。それは、この能力で起こした行動は全て自分に責任があるということを理解し、それをきちんと自分で背負おうとしているということだ。いや――――この能力の行動は、本来自分がするはずだった行動だと思ってもいるからではないかな?」
問いに、光陽は答えなかった。図星だったから。
「理想から能力を得る。魔人としてはありふれた覚醒理由だ」
「理想と現実の乖離……」
「そうだ、よく勉強しているな」
魔人が出てきてからの歴史。その魔人の出てきた経緯のうち、魔人に覚醒する理由の一因占めているもの。それが、『理想と現実の乖離』である。理想が高く、そして、現実とのバランスが崩れることが、魔人覚醒の理由の一つとしてあげられるのだ。
「魔人かトラかの違いがあるが、『山月記』がいい例だ。あれは主人公が高すぎる理想とかけ離れ過ぎた現実を生きることに疲れ、精神が崩壊してトラになった」
「よくご存じですな……」
成り行きを見守っていた長老が話に加わる。
『山月記』、詩人になりたいと夢見る主人公が、その理想をかなえられず、現実に苦悩しトラとなる話。中島敦の描いた、戦中文学。
「ご存知の通り、妻は日本人。私が原因で魔人についても研究していたので、その延長線上で得た知識でありますが、興味深かったので覚えていました」
「なるほど、それで……」
「この能力はその典型だな。理想の自分になりたい。だが、諦めた。しかし、やはり諦めたくない、このままではだめだ、変わりたい、変われない、と……。青い! とても青いぞ、少年!」
今日会った外国人にここまで言われるとは思わなかったと、光陽は顔から火が出るような思いだった。
「だが、私は嫌いじゃない! むしろ、好感が持てる! 成長にはそういうものがつきものだ!」
肩に思いっきり手を置かれ、痛ッ、と光陽は声を漏らすが、ファーザインの声にかき消された。
「しかし――――そのような悩みは、少年の世代だけの悩みというわけでない――――」
「……親父の……ことですか?」
「ああ。彼もまた、理想と現実の間で苦しんでいたのだ……。許してやってくれ、とは私は言えん。しかし、一度話を聞いてやってくれないだろうか?」
「……敗者は、勝者の言うことに従うだけです……」
「ありがとう。君は本当にいい子だな。若い時の奴のようだ」
ファーザインは懐かしむように呟く。そして、それに露骨に嫌な顔をした光陽の顔が記憶の中の友人と重なり、ファーザインは思わず吹き出してしまった。何がおかしいのか、と問う光陽。ファーザインはそれを、何でもない、と微笑んで、誤魔化すように、光陽の頭をポンポンと、優しく撫でるように叩いた。
「……Mr.ファーザイン、また勝負を受けてください。次は勝ちます。理想の自分というやつを手に入れて」
その宣言に、ファーザインは大きくうなずいた。きっと、この少年は強くなると確信をして。
「変わりたいと願っている君ならば、きっと強い男に素敵な大人になれるはずだ……」
そうなりたい、と光陽は思った。
「そうだな……君がもし、将来私に勝った時には、君を私の娘婿として迎えてもいいな! 少年、そんな日が来るのを楽しみにしているぞ!」
「え?」
「おっと、そろそろ妻とのディナーの時間だ。私は帰らせていただこう!」
光陽が呆けている間に、ファーザインはゲートを広げ、そのまま消えてしまった。
「……なんだったんだ、あの人……しかも娘婿って……」
そんな光陽の肩を長老が掴む。
「音無光陽君……! 必ずや、必ずや、日本国のために素敵な大人というやつになって、彼の娘婿になってくれ……!」
長老の手の力の入りようから、必死さが伝わってきて、光陽は困惑する。
「そんなこと言われても、誰なんですか、あの人の娘って……有名人なんですか?」
「……おそらく、今世界で一番有名な少女じゃよ」
「……まさか……」
そんなわけない、そんな都合のいい展開あるわけないと、光陽は高鳴る胸を抑える。
「彼は、エプシロン王国の国王。そして、その娘は、ただ一人しかおらん――――」
どこかから絶叫が聞こえた気がして、城に着いたファーザインは後ろを振り返った。
「気のせいか――――さて、妻を待たすわけにはいかない、早くいかなくては――――最後の晩餐になるやもしれんのに」
しかし、ああ、本当に楽しみだ――――無意識の内に呟き、鏡の中に映った自分が笑っていることに気が付いたファーザイン。国王という立場でありながら、戦いの場に赴くという背徳感、死ぬかもしれないという恐怖、そして――――強者たちと対峙することへの闘争本能。そのすべてが、彼の身体を、心を奮わせた。
「やはり、私はどこまでも武人なのだな――――国王になど、最も向かない人間だ――――」
マスクをテーブルに置き、国王は部屋を後にした。マスクは静かに、夕陽に反射し、まるで燃える闘志を表すように輝いていた。
最終更新:2018年03月06日 22:16