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某国――とある貧民街の一角。
崩れかけた建物が立ち並ぶ、雑然とした風景の中に、
槍をモチーフとしたエンブレムが描かれた巨大トレーラーが一台。
周囲には、近隣に住む子供達が群がっている。
中心にいるのは、屈強ながらも穏やかな笑みを浮かべる男たちと、
その主――
「さあみんな、新しいおもちゃですわ」
長い黒髪を乾いた風になびかせ、目を細めて微笑む日本人の少女。
貞光つるぎ。
グロリアス・オリュンピアのサポーター企業にも名を連ねる、
日本最大級の玩具メーカー『ガングニル』の社長である。
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「んー……ダメですわねえ」
『ガングニル』本社、社長室。
つるぎは、目の前に積まれた企画書の一つを前に、ため息をついた。
「フム……見る限り、そう問題があるようには思えませんが」
傍らに控えるボディガード、兼秘書である田峰が口を挟む。
サングラスの下の視線は、つるぎの手元の企画書に注がれている。
通常、つるぎが企画書の選別を行う時に独り言を漏らすことはほとんどない。
逆に言えば、つるぎが独り言を呟くときは、話を聞いてもらいたい、という合図でもある。
「この製品の対象年齢を考えると、安全性が確保できないわ。
取り扱いを間違えば、玩具は容易く自分を傷つける凶器になるのよ?」
「対象年齢、ですか……想定はいかほどで」
「10歳以上ね。だからといって10歳の子が扱えればいい、というものでもないのよ。
環境によってはもっと幼い子が、おさがりとして手にする場合もあるのだから」
「確かに……では、これはボツということですか?」
「んん……待って。ここさえ直せばゴーサインが出せると思うわ」
つるぎが、胸元からメモ帳を取り出して素早く図面を描く。
企画書案の問題点を削り、より安全な、それでいてコンセプトを見失わぬようなデザインに。
「……できた。これを開発部に見せれば、話は通じると思うわ」
描き終えたメモの1ページをぴり、と破ると同時に。
描かれていた図面通りに組み立てられた『玩具』が、つるぎの掌中に現れる。
つるぎの魔人能力『アテナさまのメモ帳』。
彼女が描いた設計図は、可及的速やかに現物として現れる。
構造物の複雑さにもよるが、普段から慣れ親しんでいる玩具程度であれば一瞬で済む。
「わかりました、こちらは届けておきます」
田峰が玩具を検め、厳重なボックスへと納める。
中には、つるぎが同じように生み出した『試作品』や『改良品』が詰まっている。
たかがおもちゃ、とは言えない。ガングニル社の規模を思えば、知的財産としての価値は無尽蔵である。
目の前の書類の束を、採用・要改善・ボツの三種に振り分け終えたつるぎが、背伸びをしながら一息つく。
「……ふう。散歩に行ってくるわ」
「お嬢様、お供いたします」
「田峰、毎回言っているけれど、アイデア出しのための散歩だから
できることなら一人で行きたいのだけど」
「そうはいきません。……先代の、お父様の件をお忘れですか」
「……仕方ありませんわね」
つるぎの父、先代ガングニル社社長・貞光 槍(さだみつ やり)がこの世を去ったのは2年ほど前になる。
当時勢いづいていたガングニル社を邪魔に思う者の手によって襲撃を受け、犠牲となった。
その際、最期の命令として槍から受けた命令が『つるぎを導き、守ること』である。
今はつるぎの命令を忠実に聞き、諫めるべきは諫める忠臣となっているが
先代を守り切れなかった悔恨ゆえに、その一点だけは譲らない。
つるぎにとっても、家族を喪った今、頼れる数少ない大人として田峰を邪険にすることはできなかった。
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「ふふ、やはり外を歩くのはいいものですね」
柔らかな日差しを浴びながら、ガングニル本社からほど近い、自然公園を歩く。
天候に負けぬほどに柔らかく穏やかな笑みを浮かべるつるぎに、田峰もまた
どこか穏やかな表情を浮かべる。
ここ最近のつるぎは、少し張り詰めすぎなところがあった。
ガングニル社長として、海外の取引先へと足を運ぶ機会も多い。
同時に、ボランティアとして新製品を配布する支援活動にも自ら出向いていく。
国内にいる間も、部下のまとめたアイデアを精査しながら
自らも新商品のアイデアを考え、その下地となる勉学も欠かしていない。
機械工学、物理学、生物学、経営学、心理学、エトセトラ……
もし社長という責務が無くば、今頃は世に名を残す学者の道もあったやもしれぬ。
あるいは、過酷な勉学や職務から離れた、人並みの学園生活も送れていたかもしれない。
だが、つるぎは。自らの意思で、亡き父の跡を継ぐことを決意した。
彼女の本心を知る、数少ない人物として――田峰もまた、彼女を実の娘のように大事に思っていた。
「む……つるぎ様。霧が出てきたようですので、上着を」
「そうね、少し肌寒くなってきましたわ……」
田峰が、こんなこともあろうかと持っていたスプリングコートを
手渡そうとしたとき――異変に気付く。
「…… !」
霧が、異常な速度で濃く立ち込めていく。
すぐ目の前の、つるぎの姿も見えない程に――!
コートを手渡そうとした田峰の手は空振り、コートがぱさりと芝生に落ちる。
「……っ つるぎ様!」
異常事態に、即座に懐の銃を抜いて構え、サングラスに仕込まれた探知機能をオンにする。
つるぎのメモ帳、その表紙に取り付けられた超小型GPS(無論、これもつるぎが『作成』したものだ)の
反応を探るが――周囲20kmに、反応なし。
「誘拐、か……! ご無事ならば良いが……!」
ぎり、と歯噛みをしながら。
田峰は霧の中、すぐにガングニル本社に引き返す。
護衛部隊を即座に出して、愚か者への対処を急がねば、と。
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「へっ、日本一のおもちゃ会社の社長さんがのんきに散歩たぁな。
ボディガード一人くらい誤魔化す手段、いくらでもあるってのにな」
某所山中、人が立ち寄らない廃工場跡に下卑た笑いがこだまする。
見るからにチンピラ崩れとみえる、三人の男がつるぎを取り囲んでいた。
つるぎは埃の積もった床に無造作に寝転がされた状態で、身じろぎ一つしない。
「さて、後は身代金の要求だな。一億くらいヨユーっしょ」
金髪の軽薄そうな男が、ニヤニヤとほくそ笑む。
「ケチくさいことを言うな。五億はふんだくる」
髪をオールバックに固めた、三人のリーダー格と思しき男が冷徹に告げる。
「ご、五億、あったら、肉いっぱい、食えるっ」
どこか頭の足りなさそうな、スキンヘッドのデブがにんまりと笑む。
「でも兄貴、あんだけデケー会社だったら追手とか警察とかも来るんじゃねーッスか?」
「その為にお前らがいる。気は抜くな」
誘拐犯三人とも、全員魔人である。
リーダーの『マークした場所に、触れたモノごとワープする能力』、
金髪の『機器や感覚を狂わせる霧を放つ能力』、
デブの『肉体を硬化させる能力』。
警備が手薄な隙に霧でつるぎを護衛と引き離し、
リーダーの能力でアジトまで即座に撤退。
万が一の荒事も、デブの戦闘能力で凌ぐ。
一見緩そうに見えながらも、三人の能力を合わせた犯罪計画。
ここまでは極めて順調だった。相手はか弱いティーンエイジャーの小娘。
あとは誘拐のセオリー通り、脅迫電話と身代金の受け取りさえこなせばクリアだ。
勿論、これについても計画は練っている。
「あ、あにき、おれ、がまんできねぇ」
デブが息を粗くして、倒れ伏すつるぎを見下ろす。
その目は、食欲ではない別の昏い欲望にどろりと濁っている。
「おいおい、大事な人質チャンよ? 手荒な真似はよしたほうが……」
「構わん。殺しさえしなければ、な。どのみち、脅しに痛めつけるつもりではあった」
「へ、へへっ。じゃあ、やっていいんだな、えへへ」
「構わん」
呆れる金髪をよそに、冷淡にリーダーが次の段階への準備を進める。
リーダーも金髪も、流石に凌辱シーンを見る趣味はないと見えてもう一人の仲間に背を向ける。
デブがズボンをかちゃかちゃと降ろし、つるぎの衣服を強引にひん剥く。
「えへっ、おれ、もうでちゃいそ…… うっ」
呻き声と共に、ぱしゃり、と水音がはじける。
「おいおい、どんだけソーロー……なん……」
金髪が再び視線を向けた先では、デブが熱く迸る液体を噴き出していた。
――その土手っ腹と胸元から、赤く迸る鮮血を。
「……はあー、あ。どこのモンかと思ったら考えなしのバカか。
ま、『新製品』のテストにゃなったな」
デブが倒れ込み、かすかに廃工場を揺らすのと同時に。
酷薄な言葉を吐きながら、つるぎがゆらりと身体を起こす。
ぱんぱん、と埃をはたく右手には一枚の紙切れ。
左手には、丸みを帯びた、まるで玩具のような一丁の銃。
「な、なんで銃なんか持っ」
金髪の口から洩れた驚愕の言葉は、そこで途切れた。
彼の額に赤い弾痕が刻まれ、一瞬遅れて脳髄が零れ出る。
「……!」
リーダーも気付き、咄嗟に反撃を試みるが……その前に、両肩と両膝に弾丸がめり込む。
「速射性〇、殺傷能力もまあ及第点かな」
「……貴様、何者だ……」
痛みに蹲りながら、リーダーが眼前の少女を見上げる。
立場が逆転した中、つるぎが無様に転がる男を睨みつける。
「ああ? 貞光つるぎに決まってんだろ?
……まさかとは思うが、アタシの本性知らねえで攫ったとか?
うわー、アホだ。真性のアホだわあー」
リーダーは、血の気が失せていく頭で必死に考える。何を間違えた?
おかしい。相手は、おもちゃ会社の社長で、か弱い少女のはずで。
眠らせて攫った直後、身体検査は済ませたはず……
リーダーは知らなかった。つるぎが魔人であることを。
その能力で、今朝改良したばかりの『玩具』の設計図を、再び実体化して
性欲に目がくらんだデブと、不意を突かれ狼狽えた金髪をブチ抜いたことを。
「アテナってーのは、芸術も司ってるけど、戦も司ってんだよ。
アタシにとっちゃあ、このくらいの武器なら秒もかからねえで造れる」
銃声一つ響かせることなく、つるぎの手から最後の弾丸が放たれ――愚か者の命を刈り取った。
一時間後。
駆けつけた護衛部隊に後片付けを任せ、つるぎは予定通り海外視察へと向かった。
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某国――とある貧民街の一角。
崩れかけた建物が立ち並ぶ、雑然とした風景の中に、
槍をモチーフとしたエンブレムが描かれた巨大トレーラーが一台。
周囲には、近隣に住む子供達が群がっている。
中心にいるのは、屈強ながらも穏やかな笑みを浮かべる男たちと、
その主――
「さあみんな、新しいおもちゃですわ」
長い黒髪を乾いた風になびかせ、目を細めて微笑む日本人の少女。
貞光つるぎ。
国内最大手玩具メーカーにして、兵器メーカー。
死の総合商社と謳われる、『ガングニル』の社長にこの上なく相応しい、鉄血の才女である。
『ガングニル』の『最新製品』の、無償配布。
恵まれない国の少年兵へと、安全な兵器を。
適切な物資の配布による、戦争のコントロール。
これで、一方的な蹂躙戦から情勢は変わることだろう。
彼女の夢は、『世界平和』。
『世界全ての武器をガングニル製にして、戦争を完全に制御する』ことである。
ぴりり、とつるぎの胸元の携帯電話が鳴る。
相手は――グロリアス・オリュンピア運営本部である。
「もしもし。例の件――わたくしの『途中参加』、良いお返事をいただけるのかしら?」
細めた少女の瞳の奥には、黒く煌めく光があった。