プロローグ(ジェネリックD)


黒い絨毯か敷かれたガラス張りの部屋、濁った夜空の下、満天の星が地上に煌めく大都会、立ち並ぶ高層建築の一室にて。


黒檀のデスクを挟んで座る女が2人。

1人は、部屋全体の雰囲気と一体化したようなシックな藍のワンピーススーツに身を包んだ少女である。

彼女は部屋の奥、眼下の景観を一望できる大きなガラス窓の側、オフィスチェアに深く腰掛けながらもう1人の女の瞳に集中し、話し出すタイミングを伺っていた。


もう1人の女、この部屋にはとても似つかわしくない、汚れた革のジャケット、ゴワゴワののシャツ、大きさの合っていないパンツを履いた彼女は、柔らかい椅子に慣れないのか、部屋の雰囲気に緊張しているのか、身体が細かく痙攣している。

体格や顔つきはワンピーススーツの少女以上に幼く見えるが、全身を覆い包む雰囲気、眼の奥の光は長い年月の中で形を変えない氷山を思わせる。

来客用のソファが、確かな弾力と触感からその高級感を存分に彼女に伝え、身を沈める度に熱病のような症状(体温上昇、痙攣、発汗、軽い眩暈など)を生じさせていた。

それでいて、興味はあるようで部屋の隅々まで視線が動いている。その様子は子供のようでも、不審者のようでもある。

この女、ジェネリックDは魔人賞金稼ぎである。そして、この部屋の主、デスクの向こう側にいる少女こそが彼女をここまで招いた依頼主であった。

依頼主の少女は、子供のようにこの部屋を鑑賞する目の前の女を見兼ねて、遂に口を開いた。


「それで、お仕事は受けてくださるの? 私達が提示しているのは貴女にとっても悪い条件では無いと思うのだけれど」

「おっと、何度も言うようだがアタシは賞金稼ぎであって殺し屋じゃない。リーガルな範囲でしか仕事は受け付けないよ」

「それでも、貴女だって知っているでしょう!? あの男は極悪人です! 非人間です!!私達を最悪の状況へ追い込んでいる張本人です!!!

法で捌けないからと言って、あの男を見逃す訳にはいきません。この気持ちは私達の総意、絶対に変わりません」

「うんうん、分かる分かる。分かるよ? だけどなァ。アタシもケーサツに厄介かけるのはゴメンだよ。

捕まる側になっちまったらこの仕事は終わりさ。他に生きてく方法なんざ知らん。

だからさ、悪いけどアタシはこの仕事には気が乗らないんだよ、ゴメンな?」


ソファの上から、ゆっくりと賞金稼ぎが説得を跳ね除けていき、依頼主の少女の目には涙が溜まっていく。

ジェネリックDはどうしようもない現在の状況に歯噛みした。この少女のことは助けたい。あの男のことは殺してやりたい。

それでも、彼女にはそれができない。一線を越えるわけにはいかないのが、彼女の職業、賞金稼ぎなのだった。


「意地悪。違法なお薬をご趣味にしていらっしゃる割に、随分とお利口な口を聞くのですね」

「そ、それは被害者がいる訳じゃないしさ? 売人を捕まえた時にちょろまかすか他の賞金稼ぎがちょろまかした品を買ってるだけだからさ?

他人に売ったりもしてないし? 闇社会に金をばら撒いてる訳でもないし? ケーサツの調査が入らないぐらいの隅っこでちょっと楽しんでるだけなんだって!

まあ、それが分かっててか、ケーサツからもお目溢しを頂いたりしてるからね。

とにかく殺人に加担するのはリスクが段違いなの! 本当にゴメンな!?」

「…………ケチ」

「ゴメンってば! でもそういうのはね? 殺し屋さんにね、お願いしてね? 多分どっかにはいるでしょ、正義の殺し屋みたいな人がさ。

ね? ほら、お金も調査能力もあるって言ってたじゃない。探しなよ、そんな感じの人。ね? 」

「殺人幇助だって、依頼する側だって、命がけなんです。それに、貴女のことを信じてお願いしているんです。お願いします!」

「……」


埒があかない。

2週間ほど前のあの時のジェネリックDの行動が、少女をこれ以上ないほどに傷つけている。

ナーバスになってしまった少女は今精神的に追いつめられ、性急な行動に出ようとしているのだ。

そう考えると無碍に依頼を断る気にもなれない。


次第に2人はまた長い沈黙の中に戻っていったが、その間、ジェネリックDの脳内にはこの慌ただしい2週間の出来事が再生されていた。



ーーーーー



街灯が所々に点き始め、空も暗くなり始めた時間、ジェネリックDは足音を殺し、ゆっくりと歩みを進めていた。

都会の街並みからほんの少し外れた高級住宅街、人の数はまばらだが、まだ普通に子供も出歩いている。

ここに何ら物騒な要素は無い。彼女と、そこから少し遠い前方を歩く男を除けば。

しかし、彼らとすれ違う者の中に、その正体を感じ取る者は一人としていなかった。彼らはプロなのだ。

ジェネリックD、彼女は賞金稼ぎの。そして、前を歩く男は、人身売買のプロだ。

住宅街を抜け、さらに郊外へ。人通りは更に少なくなっていく。

ジェネリックDは尾行に気付かれるギリギリを攻める心算で少しづつ標的との距離を縮めていく。

行先は分かっているのだから回り道をして捕らえるという方法もあるが、敵の目的地は夜の街。出歩く一般人を巻き込む恐れがある。

なればこそ彼女は、限られた状況を逃さぬべく、尾行を行い機会を伺っているのだ。

この瞬間、およそ5秒の間、少なくとも半径10間に標的以外の足音、声、痕跡は見受けられない。


(ここで襲撃するか……? しかしこの周辺は情報が少ない。もう少し待って狩場に誘い込むべきかね……)


ほんの僅かな逡巡に気を取られていたジェネリックDの耳に急速な足音の加速が入り込んだ。尾行に気付かれていた。

急いで目を向けた時には



     銃声              銃声  銃声


       閃光    銃声


              破砕音            銃声


                       飛来物


   爆音



             煙幕


煙幕が晴れて周囲を見回すと、ポツポツと立ち並ぶ数少ない家のいくつか、その窓ガラスが破壊されている。

標的の姿は残されていない。閃光や煙幕に乗じてどこかに身を隠したのだろう。

どこか。そう、どこか。

ジェネリックDは敵を見失った。彼女は急いで痕跡を探り、周囲の変化を確認した。

直前まで標的が立っていた地面に、よく見れば1尺に満たない削り取ったような跡。身体能力の高い魔人が思い切りグリップした地面には、稀にこのような跡が残ることがある。

爆音で聴覚が多少麻痺していたとは言え、ジェネリックDの耳に走るような音は聞こえなかった。


(ジャンプしたのか? 銃撃で他の家の窓をブチ抜いた後に閃光弾の光と煙幕に紛れて? 
それでどこかの家に隠れた? 無茶じゃないの?)


魔人能力による逃走も疑ったジェネリックDだが、すぐにそれは否定された。断片的な情報から敵の能力は予測してある。

身体能力に任せた馬鹿みたいな逃亡劇が閃光の裏で行われたと考えるべきである。

続いて、急ぎ破壊された窓ガラスの観察を行った。

経験則ではあるが、自分がこれから飛び込もうとするガラスに銃弾を撃ち込む魔人は少ない。よほど身体の丈夫さに自信があるというのでなければ、飛び込もうとする空間に置かれたガラス片が皮膚に突き立てられ、傷跡が残る。

仮に敵がそのような行為に及んでいれば、窓枠やその周辺に血痕が残る可能性が高い。血痕が無いということは自分が飛び込んだ窓には恐らく銃撃を行っていないのだろう。

破壊被害に遭った住宅複数をぐるりと見回し、ただ一つ、他の窓とはヒビの入り方が違う一つに向かって歩き出す。

そのまま、直前に接近してきた飛来物、小型の爆弾に吹き飛ばされた脇腹を、


「FBI、再生。」


人生の内で最も健康だった、16歳の春の状態に上書きした。


ターゲットを見失った焦りから、彼女は行動の優先順位を少し間違えていた。

まず、肉体の損傷を回復するべきであった。それから、敵の行動に思考を延長し、尾行の延長を行うべきだった。

今回の標的、通称『*金肉男 (*肉を売って金を作る男 の意)』は逃げ去ってはいない。

その男は、自身が尾行されていることに気が付くと、目的地に向かう振りをしながら、その実新しい予定を立てていた。

人身売買の邪魔となる尾行者を葬り、なおかつ新しい商品を仕入れるための予定を。


ジェネリックDは不自然に割れている窓に近づいた。

窓の向こうはカーテン。中の部屋の明かりは点いていない。よく見ればカーテンには一切銃で撃たれたような跡もなかった。

予測は当たっている。彼女は少しづつ平静を取り戻していく自分を感じていた。

そして気が付いた。


(あのキンニクオトコには、わざわざ家に逃げ込む意味が無いような……)


そう、窓の割れ方の違いなど気付く者はすぐ気が付く。そして、家の中に逃げ込んだとなれば出口の数は限られてくる。

明かりをわざわざ点けるとなれば、現在位置が筒抜け、故に外よりも暗い室内を手探りで逃げなくてはいけない。

人のいる家に侵入すれば騒ぎが起こるだろうし、人がいない家に入れば限られた出口を見張り、出てきたところを狙い撃ちである。

そのような家の中に何故侵入した、もしくは、したとジェネリックDが予想したのか。

それは、周囲の住宅窓への銃撃によってである。

ジェネリックDの元に爆弾を正確に投げつけ、窓を狙って撃ち抜いた。その銃弾でジェネリックDを撃ち抜くのではなく。

金肉男はただ不意打ちでジェネリックDへ猛攻を仕掛けても良かった。それをせずに中途半端な工作を施して逃げた意味とは何か。

ジェネリックDが思考を進めていると、金肉男が侵入した家の奥から微かに、くぐもった悲鳴が聞こえてきた。

考える時間は残されていない。ジェネリックDは窓枠を掴み、ひょいとカーテンの部屋へ飛び込んだ。


「FBI、回復。」


ガラス片に傷ついた手のひらや腕を治すことも忘れない。真っ暗な部屋を抜け、声の元へ急ぐ。

ドアの先は光。

真っ暗な部屋のドアを開けた所、ジェネリックDの目にグロー球の強い光が差し込んだ。

混乱しそうになり、すぐに立ち直る。そして確認する。

金肉男はパジャマ姿の少女を背後から抱え、口を塞いでいた。少女は非常に強い力で拘束されているようで、金肉男の身体に接触している部分とその周辺が鬱血している。

少女の混乱と苦痛を訴える眼が、標的の余裕たっぷりな下品な眼が、賞金稼ぎのものと交差した。


「ようこそ、オマヌケ面を晒してるジェネリックD。テメーのことはよーく知ってるぜ」

「そうかい。残念ながらアタシはほとんどアンタのことを知らないよ、外道野郎」

「そうだろうなあ。テメーは情報屋とは全然絡まねーし当然だ」

「……本当に詳しいねえ、これは参った」

「以前非合法なクスリを使っていることをネタに悪質な情報屋に強請られたって? マヌケなのは昔から変わらねーんだな」

「情報開示どうもご苦労。でもアタシの話題はどうでもいいよ。そこの娘を放してくれ」

「無理だね。こいつは人質役を終えたら持ち帰って商品にするんだ」


ジェネリックDの瞳に殺気が込められる。しかし人質を取られていては迂闊に動くことができない。

一刻も早く、金肉男の隙を見付けて少女を救出しなくては。彼女の身体がじわり汗に濡れる。


「さて、そこで固まっているオマヌケに命令だ。武器を全て、足元に置いて、両手を良く見えるように広げろ。

変な気は起こすんじゃねーぞ? テメーが散弾銃と脇差を使うってのは調べがついてる」

「……分かった、従うよ。だからその娘には何も」

「テメーには耳がついてねーのか? オマヌケ通り越して頭ボケてんのか? 商品にするって言ってんだろうが。

あー人の話を聞かねーとはムカつくやつだ。いーからさっさと従いやがれ!!

こいつの爪先から少しづつ皮を削ぎ取って頭まで丸裸にされてーのか?」

「……」


組立て前のソードオフショットガン、脇差が取り出されて地面に無造作に落とされる。

続いてショットガンの弾薬を手放すよう指示が出され、ジェネリックDが懐に手を入れたその時、銃声が響いた。

金肉男はいつの間にやら手に小型のピストルを握っている。目にも留まらぬ早撃ちであった。

対するジェネリックD、彼女の額には小さな穴が開いており、粘性の液体が少しづつ零れ落ちている。

賞金稼ぎの身体は、地面にゆっくりと崩れ落ちていった。受け身を取ること無く、顔面でフローリングに着地する。

人質から離れ、顔に満面の笑みを浮かべながら、男は目の前の瀕死の女にゆっくりと近づいて行った。


「聞いた通りだぜ。頭をブチ抜いて口も聞けないような重症を負わせれば、テメーは復活できねー」


金肉男は、賞金稼ぎの身体の上に覆い被さるようにしゃがみ込んだ。


「そして、オレの能力『夢国旅行』でテメーの人生は終わり。警戒するまでも無かったな」


男の右手が、ジェネリックDの身体を貫いた。

体内に侵入した手は周囲をまさぐって心臓を探し、お目当てを見つけるとそれを握った。


「せーぜーオレの奴隷としてオマヌケとは無縁の生活をするんだな。テメーにヤらせる仕事ならいくらでもある。

奴隷どもがいればいくらでも仕事は増やせるからな。クククク……」


『夢国旅行』、人身売買に長く手を染めていた金肉男が手に入れた魔人能力である。

その効果は自分が心臓を直接握り、10回のマッサージを行った者を言うことを何でも聞く奴隷に変えてしまうというものである。

この呪縛は対象の精神を完全に破壊する上、解除は不可能という凶悪なものとなっていた。


「へへへ、いーち、にーい、さーん」


金肉男はゆっくりとその血に塗れた光景をこの家の住人である少女に見せつけた。

逆らえばすぐにでもこうなる、という暗黙のメッセージとして。

その意図を知らずとも少女は恐怖で声など出ようもない。今にも気絶しそうな状態である。


(精神がぶっ壊れてない方が良いって面倒くせー客もいるからな。あっちのガキは抵抗する様子が無ければそのまま連れていこう。
奴隷にすれば食事や休息が無くても働くが、ナチュラルな方が高く買ってくれる客もいる。
そ・れ・に、どこよりも手広い商品を取り扱うのがこの誘拐と人身売買のプロ、金肉男様だぜ)


金肉男がニヤニヤと怯える少女を見つめながら作業を続けていたが、変化に気が付いた。

右手の感覚が無い。

驚いて顔を下に向けると、そこにはジェネリックDがいなかった。

それどころか、彼の右腕が齧り取られたかのように消失している。


「なッ!? 何ぃーー!!?? ドコ行きやがったアイツ……!!!」

混乱する彼の頭を、古びた革のブーツが蹴り飛ばした。

その脚を辿り、視線を上に動かしていくと、そこにいるのはジェネリックD。彼女の顔は全くの無傷であった。


「惜しかったね。銃がもう少し強いのだったら危なかったよ。さってと、通報しないとね」


気絶した金肉男の頭を踏みしめつつ、ジェネリックDは落とした武器を拾う。そしてその存在を思い出すと、この家の小さな住人に声をかけた。


「あ、お嬢ちゃん、もう大丈夫だよ。怖がらせてゴメンね。

それと良かったらこいつを縛るためのビニール紐と通報用に電話を貸してくれる?」


少女は一瞬の内に起きた状況の変化に唖然としていたが、女の言葉に反応して心当たりがあるのだろう部屋の外へ出て行った。


無事に歩き出し、おつかいをしてくれる少女の様子に賞金稼ぎは安堵していた。骨が折れたりはしていない。


「テメー……ッッッ!! オ、オレの手をどこにやりやがった。

それにオレはテメーに何も言わせてねえ、能力は発動しないはずだろ畜生!!

き、協力者か!? テメーの戦闘をサポートする協力者がいる、そうなんだな!?」


いつのまにか目を覚ました金肉男が喚いている。ジェネリックDは既に万全の注意を彼に向けている。

所持していた武器は回収しているし、能力のタネは割れている。何ら怯える要素は無かった。


「さあね、自分で考えな。」


必要以上に情報を出しはしない。能力発動時にそれを口に出す必要があるというのは、彼女自身が流したデマである。実際は頭の中で必要な情報を思い浮かべるだけで能力は発動する。

現に、回復と言う時も再生と言う時も同じ効果を及ぼしているに過ぎなかった。

おそらく今回の標的は入手した情報の正確性や出所を確認もせず、ただ垂れ流すだけの情報屋から粗悪な商品を掴まされたのだろう。


「全く、人のことマヌケマヌケ言っておいて結局自分が誰より油断してるなんて。どうしようもないね」


倒れ伏す標的に向けて軽口を叩いてみたりするが、ジェネリックDの目は相手の一挙一動を見逃さない。

決着は完全に着いたものかと思われた。


「いや、油断してるのはやっぱりテメーだよ」


金肉男が笑いながらそのような言葉を吐かなければ。


「な、何を言ってるの。もうアンタを通報する所なんだから。ハッタリは止してよ。」

「ハッタリなものか。なあ、あのガキ、帰って来るのが遅くねーか? 寄り道でもしてんのかね」


ジェネリックDはハッとして少女の出て行った部屋のドアを見た。あれから10分は経っているが少女は帰って来ていない。

ぞちらから足音が聞こえてくる。明らかにここを出ていった小さな住人のものではない。

重い音、それが複数。


「警戒しておいて良かったぜ」


戦闘の行われた部屋に足を踏み入れたのは、瞳に意志を感じさせない、皆一様に無表情で屈強な男達であった。

次々と新たな男達が入ってくる。

最初から数えて16人目、入ってきた中でも最後の男は、腕に何かを抱えていた。


「すみません。抵抗されたので気絶させようと首を絞めたのですが、勢い余ってしまって……」


男の手に抱えられているのは先程の少女であった。その首が、生者にはあり得ない曲がり方をしている。


「ああーッ! 全く人質にしてその後持ち帰るって言ってんのに、んもー!」


呆れた表情の金肉男が謝る男に不平を垂れる。男は再び、抑揚のない声で謝る。


「まあいーや、このクソアマぶっ殺せ。それでチャラだ」


その言葉と同時、男達の一部は取り出した機関銃を構え、一部は拳を握りこんでジェネリックDへ駆け寄る。

ジェネリックDは足元の犯罪者の頭を蹴り飛ばし、男達を足止めするとそのまま距離を取った。

受け身を上手く取ったようで、金肉男は今度は気絶せず、何度かフローリングを転がった後起き上がった。


「へへへ、もう奴隷にするのはやめだ。また手をもぎ取られんのはごめんだからな。

今度は確実に死んでもらうぜ!! ジェネリックD!!」

「……奴隷に任せて逃げないのか、上等だ。アタシもここで確実にアンタを潰す」

「今、サンプル花子の流通で裏社会の秩序の形が変わろうとしている今、新しい仕事にどんどん手を出して業務拡大を図る必要がある!

そのためにも、奴隷と商品の仕入れはストップできねーし、邪魔者は消すに限る。

もう余計な手は出させねー!! テメーの死体をこの目でしっかり確認し、使える部品は格安で売りつけてやる!! 死ね!」


幾重もの弾丸が目の前に迫り、筋肉の塊が四方八方からジェネリックDへ迫る。


「FBI、回避」


ジェネリックDの姿がブレる。何度も自分自身の位置座標を過去のものへと更新し再び少し現在のものへ戻す、という行為を反復しているのだ。

弾丸は逸れ、男達は狙いを定めきれず攻め込めない。

ジェネリックDは素早く散弾銃を組立て、弾を込めた。そして混乱する敵のど真ん中に、撃つ。

屈強な男達が2,3人吹き飛んだ。続けて弾を発射しようとしたところで、機関銃の弾幕が身体をかする。

銃を撃つ男達の中に、魔人が混ざっている。簡単な予知能力か、読心術の類であろうか。正確に、ジェネリックDの現われる位置へ弾幕が張られていく。


「ぃよし!!! やったーーッッ!!!!」


遂に複数の弾が賞金稼ぎの胸、腹、頭に命中。金肉男は歓声を上げた。

しかし、何かがおかしいことに彼は気付いた。

弾が貫通していない。

金肉男が先刻心臓を握るために手を突き入れたジェネリックDの身体は、常人に比べれば硬かったが、それでも力を入れれば肉を裂けた。

それなのに、貫通力に長けた対魔人機関銃の弾があの女魔人の腹を開通していない。

これにどのような意味があるのか、彼が考えていたその時、散弾銃が発砲された。

読心能力含めた何人かの機関銃装備者が倒れる。


金肉男は舌打ちをし、小声で新たな作戦を近くの一人に告げた。そしてそのまま肉弾戦を中心とした戦闘用に陣形を組みなおす。

ジェネリックDは散弾銃を投げ捨て、脇差を抜いてそれに対応する。小さな傷はすぐに治るし、座標移動は拘束を許さない。

迫ってくる男達を、次々と切り倒していく。できるだけ急所は避けているが、もしかしたら殺してしまっていることには罪悪感が残る。

それでも今は金肉男を倒すべし。それ以外の余計な感情は一時放棄する。

そのようにして戦っているジェネリックDの背後から、何者かの貫手が襲来した。回避が間に合わず、それは胸部を貫通する。


(あ、それ多分効かねーって警告するの忘れてたぜ……)


貫手の正体は奴隷に含まれていた特殊移動能力を持った魔人によるものであった。

奴隷達に賞金稼ぎとの戦闘内容を連絡していなかったことを、金肉男は心中で軽く後悔していた。

ジェネリックDは胸から突き出る腕を掴み、金肉男に向かって微笑んで見せる。お前の右手はこうやって奪った、と言わんばかりに。

特殊移動能力を持った魔人がぼんやりとした目で本来の形の失われた自らの腕を見つめる。

ジェネリックDは胸に抱えていたその魔人の腕を本人の顔に投げ返し、腹を蹴り飛ばした。


彼女に銃弾が通じず、敵の腕が一部消失する。これは何故か。

その秘密は彼女の能力、『FBI』の使用方法にある。

彼女は体内へ致命的な異物が侵入するたびに、肉体を無傷な状態に上書きしていた。

その結果、傷が治るだけでなく体内に残されていた異物は消失、彼女の肉が空間に優先して存在することになったのだ。

脳を傷つけるにしても、意識を刈り取られるその瞬間まで、彼女の能力は発動し続ける。

どれだけ強力な機関銃の弾丸と言えども、頭蓋骨より少し潜った所で消失したのでは、ジェネリックDの停止には及ばなかった。

また、これだけの芸当を行うには短い時間の内に、意識を断たれる前に能力を発動する必要があるが、彼女は戦闘中、脳内に鎮痛作用、興奮作用のある2種の薬物を再現、思考速度を跳ね上げつつ、冷静に体内に侵入した異物を除去しているのである。

しかしさすがに薬物使用を長時間続ければ精神への負荷が避けられない。故に、ジェネリックDは回避の難しい機関銃使い達を優先して倒したのだった。


金肉男の奴隷は、既に当初の4分の1まで数を減らしている。ジェネリックDは攻めに回ることにした。

一人ずつ確実に無力化できるよう、踏み出した賞金稼ぎであったが、足元に違和感。見ればベルトコンベアが設置されている。

これも残された奴隷達のうちの一人が持つ能力によるものであった。ジェネリックDは体勢を崩し、その頭を叩こうと襲い掛かる男が二人。

万事休すかと思われたジェネリックD、しかし男達の握りしめた拳が振り下ろされる直前、彼女は瞬間的に直立姿勢を取り戻し、当身で2人をベルトコンベアに倒れこませた。

倒れた男達はコンベアの勢いに乗って壁に頭を激しく打ち付け失神した。

姿勢制御は無論ジェネリックDの能力の一環である。

彼女は座標を指定した亜種瞬間移動の他に、自身の過去に取ったことのある体勢を指定してその状態に上書きすることが可能なのだ。


残すは奴隷2人と金肉男のみ。

ジェネリックDは大きく息を吸い込むと、確実に勝つまで戦闘意欲が失せないよう、自らに発破をかけた。

残る3人はかなり近い位置に固まるようにして迎撃の構えを取っている。全員が無手である。

ジェネリックDは少し逡巡した後、極低姿勢でそこへ突っ込んでいった。攻撃終了後の隙は座標移動で解消できる。一人づつ倒せばいい。

彼女は全速力で敵に接近する。

敵は迎撃の構えを取っている。

彼女は全速力で敵に接近する。

敵は迎撃の構えを取っている。

彼女は全速力で敵に接近する。

敵は……、迎撃の構えを取っている……

彼女と敵の間にはもう何寸もの距離も無い。

金肉男達は本当にギリギリでカウンターするつもりだ。ジェネリックDが座標移動する直前、攻撃を仕掛けてくると同時に致命的な攻撃を仕掛けるつもりなのだ。


ジェネリックDが脇差を振りかぶったその時、金肉男と、その横にいた男は急速に床に伏せた。

爪先を軸に、腹筋と体幹、そして重力を利用して行われた超高速の姿勢制御。戦闘時、非戦闘時に関わらず、このような動作をする人間をジェネリックDは見たことが無い。

両者がいるのは、振ろうとしていた脇差の軌道を修正した所で頭皮を1枚剥げるかどうか、という微妙な位置。

では残った最後の一人は? ジェネリックDが上げた視線の先には、手榴弾のようなもののピンを引き抜こうとする男の姿。


(え……!?)


金肉男が取った最後の作戦こそ、彼の奴隷による特攻であった。

先刻近くにいた奴隷に何かを小声で伝えていたのも、この作戦を行うためのポジションとタイミングと合図を教えるためである。

手榴弾は特攻目的に作られた特別製で、ピンを抜いたその瞬間に爆発する。

ジェネリックDは予想外の敵の行動に、座標移動を忘れた。

彼女の握った刃がただ一人立ち上がる男の身体へと吸い込まれていき、その男は指先に力を入れる。


長かった闘いに決着がつく。


そう思われたその瞬間であった。


「『そこの方々、動きを止めなさい!』」


何者かの声が部屋中に響き、ここにいた全ての者がそれを聞いた。

そうして確かに決着はついた。脇差や爆弾ではなく、一人の少女の言葉によって。

彼女の声を聞いた全ての者が動きを失うという形で。

ジェネリックDは能力で全身の麻痺を治療し、声がした方向を見た。

そこは、小さなここの住人が生きている最後の姿をジェネリックDに見せたあのドアの向こう側。

死体となって少女が入ってきた、あのドアの向こう側。

そのドアは廊下に繋がっており、少女がジェネリックDのおつかいをしようとした時に電気を点けていたため非常に明るい。

明るい光の中に立っているのは、殺された少女、と瓜二つの少女である。

念のため、少女の死体を確認するために視線を移動させる。

そこにはやはり、あの無残な姿が残されていた。

それでは双子なのだろうか、などと考えるジェネリックDを他所に、少女は賞金稼ぎの視線の意味に気が付き、自分そっくりのBODYに駆け寄っていった。


「ロク! ロク!!」


名前を呼んでいるらしい。新たに入ってきた少女はよく見ずとも服装が随分立派であるが、気にせず血溜まりの中に座り込んだ。


「起きてください、ロク! ロクぅ」


それを見ている内に賞金稼ぎは自らの意識が遠くなっていくのを感じた。流石にあれだけの人数と戦うのは精神への負担が強すぎる。


「起きてください! お願い、起きてえ……」


窓の外からパトカーのサイレン。赤いランプの光も見える。それらが段々と遠くの出来事に感じられ、少女の悲痛な声だけが、ずっと近くで鳴り響いているようである。


「起きてよお……」



ーーーーー



「『起きてください、お願いします』」



ジェネリックDは自分が眠っていたことに気が付き、モソモソと起き上がった。目の前には泣き叫んでいた少女が立っていた。

覚えている限り、あの時とは服装が違っている。眠る前に見た時は、白っぽい服だったのに、今は黒が多め。

血溜まりの中に入ったのだから着替えたのか。と彼女は勝手に納得する。


「おはようございます。あれから貴女は1週間眠り続けていたのですよ。ロクの葬儀は身内で終わらせました。

貴女にはいくつかお話したいことがあります。復調してからで構いません。よろしいでしょうか」

「1週間!? そんなに寝てたかアタシ……

あ、ああ。うん。妹さん? お姉さん?  えーっと、ロク、さんのことは本当にゴメン。アタシが目を離さなければ……

本当にゴメン。謝って済む問題じゃないけど……」


少女はジェネリックDの言葉に表情を暗くし、視線を落とした。


「……。 いいえ、あれは私達の落ち度です。貴女が謝る必要などございません。お気になさらず……」


少女の表情は曇り、涙すら零れ落ちそうになっている。しかし、気丈にそれを堪え、賞金稼ぎが寝ているベッドの脇、小さな椅子に身体を預けた。

ジェネリックDはどうしたらよいものか分からず、なんとか声をかけようとするが、それに先んじて少女が口を開いた。


「ええ、そうです。私は貴女から謝罪の言葉を聞きたくてここまで招待したのではありません。

私もあの子のことを思い出して泣きたいからここにいる訳ではないのです」

「ええと、それじゃあ……」

「失礼かもしれませんが、寝ている間に貴女について調査をさせて頂きました。

殺してもらいたい人間がいます。賞金稼ぎ、ジェネリックDに。」

「い、依頼? いや確かに成り行きで殺しちゃうこともあるけど、捕縛を理想としてるんだよ、アタシは。

まさか最初から殺し目的なんて……」

「実のところ、ターゲットとなる人物は法によって裁くことが敵いません。法的には限りなくグレーな手法を取っています」

「え、それじゃあ余計」

「とにかく話を聞いてください。私の名前はナナ、先日殺害されたあの子はロク」


ナナという少女の有無を言わせぬ気配に、ジェネリックDは沈黙を選んだ。ここで口を挟める雰囲気ではなかった。


「私達は、人に似せて造形された存在、サンプル花子です。しかしただのサンプル花子ではございません」


ナナはジェネリックDに近づいて服の襟に隠れたタグを証明するように見せつけ、さらに耳元に唇を近づけた。


「『このまま大人しく聞いていてください』、分かりましたか?」


あの死闘を止められた時と同じように、ジェネリックDの身体は固まってしまった。それどころか少女の言葉を聞き続けていたいとすら感じるようになり始めている。


「これが、私に搭載された新機能、『破滅を呼ぶ声』。催眠効果のある発声能力です。

複雑な命令はできませんし、話を聞く意思のない人に対しては不意打ちで短い時間効果を表すのがやっと、と言ったところですが。

サンプル花子がサンプルシュータ―以外の能力を使うことが不思議ですか? それでは、このまま少し私達の話をしましょう」


もはや少女の話を邪魔しようなどと考える賞金稼ぎではない。ナナは語り始めた。


「私達は真・後天的花子改造手術(真・OAMH)を受けて生まれ変わり、このような芸当も可能となりました。

さてと、何からお話すればいいやら……」



ーーーーー



サンプル花子について。そしてナナとロクについて。

労働力、愛玩用動物、作ることのできる家族、様々な目的で作成され、それらを達成する彼女達は今やなくてはならない存在として社会中枢へ食い込んでいる。

しかし、実態として経営者などを除いた人間、彼女達の利用者にはこの事実への実感が薄い。

彼女達の仕事は一般の人間や魔人を装って行われることが少なくない。

一人一人が個性を持つサンプル花子は、服の下に隠された製品タグや遺伝子データを参照しない限り、普通の美少女との区別が難しいのだ。

サンプル花子が開発され、この商品を中心に社会構造に変化の兆しを与えた花子シンギュラリティから、既に十年以上の時が過ぎた。

シンギュラリティ後から発生するようになり、現在でもいまだに続出する軽犯罪に、主人によるサンプル花子の放棄やネグレクト、酷い場合には殺害がある。

そのような行動を起こす主人の多くが逮捕時に口にするのは、所有していたサンプル花子への倦怠や飽きであった。

サンプル花子の寿命は普通の人間と同等とは言えずとも、犬や猫などのようなペットよりはずっと長く、購入を決定したからには末永い付き合いを覚悟していく必要がある。

また、商品のコンセプト上、美少女としての状態を維持できる期間は人間よりもはるかに長い。

飽きだけではない。衰えていく自分への自信の無さが、主人達に永遠の美少女、サンプル花子からの逃避という形で現れているとも言われる。

サンプル花子の製造元は、花子達が完全に興味を尽かされないように様々な方向からアプローチ、花子に関する多様な技術の研究を進めた。

ここで行われた研究の中でも、一時は注目の的となり実用にも至った技術に、OAMH(Operation for Acquired Modification of Hanako)後天的花子改造手術がある。

これはサンプル花子作成後に、容姿や声、性格、香り、触感などと言った種々の要素を変更してしまうことのできる画期的な技術であった。

メーカーはこれによって一体の花子を所有していれば、彼女達が捨てられることもなく、改めて新鮮な生活を送ることができる、と期待したのだった。

試みは成功、幼女型花子をロリ巨乳花子に作り替える外道などからは改造要望が続発、野良花子の目撃情報も激減した。

改造用の施設も不足し、都市部では次々と新しい施設の建造計画が進められた。


しかし、実用化から半年も経たないうちに、後天的花子改造手術(OAMH)技術からの欠陥が発見され、指摘されるようになる。

それはサンプル花子への改造によるフィジカルへの過負荷。これにより著しい免疫機能の不調、寿命の異常減少が引き起こされるということが明らかになった。。

生まれた時から人間の十代と同様の肉体と精神を持ちながら、それを長く維持し続ける特性を持った花子にとって、恒常性の維持に必要な情報を変換してしまうこの技術とは根本的に相性が悪かったのだ。

欠陥の発見が公式に認められて以降は後天的花子改造手術(OAMH)ブームも急速に下火になっていった。

一応はこまめなメンテナンスを定期的に受けることでこの欠陥を抑えることは可能だったのだが、そのための費用は馬鹿にならない。

とても一般市民が払い続けられる金額ではない以上は、この医療措置が具体的な対策として用いられるようなことは滅多に無かった。

メーカーも新たな対策を取るために研究を続けたが、一向に結果が出ず、最終的には後天的花子改造手術(OAMH)技術ごと研究は停止されるに至った。

メーカーが経営していた改造施設も閉鎖されたため、現在は後天的花子改造手術(OAMH)を一切行うことができない。

一般的にはそのように認識されている。


しかし、メンテナンス代を払い続けられる富豪を中心に、この研究の成果と閉鎖された施設設備を買い取り、研究を再開させる人々がいた。

公共から切り離された場所で再開された研究の生み出した新技術こそが真・OAMH(真・Operation for Acquired Modification of Hanako)、即ち真・後天的花子改造手術である。

この画期的な技術は、従来はサンプルシューター以外の魔人能力を持つことができないと考えられていたサンプル花子に魔人能力に相当する特殊な能力を搭載し、より広い用途での花子の利用を促進するものだ。

後天的花子改造手術(OAMH)と同様にこまめなメンテナンスを必要とする難点はあったが、その存在を知る者にとっては垂涎の的であった。

サンプル花子ナナとロクの主人もその存在に魅せられた一人であった。

サンプル花子童貞であった彼は従前その才気を活かして大成し、広く名を知られた若い商人だったが、真・後天的花子改造手術(真・OAMH)を知るとそれに甚く興味を持ち、卒業の機会を設けようと決意した。

彼は十分な額まで貯金を行うと、花子と暮らすための家を設計し、花子のための生活道具を揃え、彼女達が快適な生活を行うことができるように備えると、真・後天的花子改造手術(真・OAMH)前提のサンプル花子を二体注文したのである。

彼の元に届いたのは双子型高級娼婦モデルのサンプル花子達。彼は二人に『破滅を呼ぶ声』を搭載する手術を受けさせ、ナナとロクの名前を付けて隠棲の日々を送った。

24h双子催眠音声。

春夏秋冬を通した甘い生活。

ナナとロクを家に迎えた彼は、充実した毎日を過ごした。

2人が楽しめるように彼も全力を尽くした。

3人にはその時間の中で、どこの誰よりも幸福に過ごしている実感があった。

しかし艶福の館はある日突然終わりを迎えた。

催眠音声を聞きすぎた主人は体調を崩し、たまの買い出しに一人で家を出た後道路で倒れ、その姿に気が付かなかった自動二輪の一撃でこの世を去ったのである。

その知らせを聞いたサンプル花子2人は大いに落ち込んだ。

遺産は残されていたし、生前の主人によって籍も登録されていた。当面の生活に心配は無く、メンテナンスを続けさえすれば安寧は享受できた。

しかし、生活に張り合いは一切なかった。

3人で暮らすにしてもそれ以上に広く設計された家では、隙間がよく目立った。

部屋の広さが、会話が途切れる合間が、ひどく長く感じられた。


ナナとロク、どちらが言い出したのだろう。否、きっとどちらでもない。

2人は屋外で時間を費やすようになった。知識では知っていた、主人に捨てられた野良サンプル花子、主人を亡くした寡婦サンプル花子を探した。

最初のうちは見つからなかった。人間がその生息数の多くを占めている都会周りばかりを廻っていたのだから当然と言えば当然である。

本当にそのような存在がいるのかどうか疑わしくなってきた頃、2人は初めて都市郊外まで足を延ばし、野良花子や寡婦花子が力強く生きる光景に触れたのだった。

彼女達は廃校の校舎や廃屋を住処として、昼には都市部まで日雇いの仕事を探して出かけ、夜は寝床を這う。無論、夜を労働の時間に充てる花子も少なくはなかった。

OAMHや真・OAMHを受けていながらメンテナンスを受けられず、病に伏せる花子、死んでいく花子、朽ち果てた花子の姿もあった。


ナナもロクも、迷うことなくそれを決めた。

居場所の提供、メンテナンス費用の負担。初めのうちは申し出を断る花子も多かった。

しかしナナとロクが何度もそこへ通うようになってしまっては気持ちが揺らがない筈もなかった。

2人の元主人が貯金していた額は膨大だった。一体何百年間生きるつもりだったのかも分からないほどに。

それでも、ナナとロクが更に広い範囲で迷える花子達を探し出し、招待を繰り返していれば、家の間取りにも貯金の残額にも限界は見えてくる。

ナナとロクも働くようになった。備え付けられた高級娼婦の素質は栄華の限りを尽くす金持ち達に取り入ることを容易にさせた。

花子達の稼業はそれぞれ軌道に乗り始めていた。未改造の花子であっても、魔人並みの体力やなかなかスマートな頭脳を搭載しており、誰もが無条件に美しい。

改造手術を受けた花子は様々な特殊な稼業を探せば、それなりに引く手はあるものだ。

満足なメンテナンスを受け、栄養状態、衛生状態に気を遣えば、難しいことではなかったのだ。

情報収集能力に長けた花子がこの頃不穏な噂を仕入れてきたが、誰も気になど止めはしなかった。

真・OAMHを利用した食用サンプル花子、軍事目的用サンプル花子、医療目的用サンプル花子、実験動物用サンプル花子、etc.それらがある一人の男の手で実用化が進められているなどということは……


ロクが物件を購入した。

人さらいが出る家、家人が殺された家。そのような話の絶えない事故物件ではあったが、広く綺麗で悪くなかった。

週末に皆で泊まりに行ったり、遊びに行ったり。格安で最高の物件を発見したロクの幸運を同居人の誰もが讃えた。

家に関する話も、サンプル花子の危機に関する噂もみんな忘れていた。

しかし、それもロクが殺されたあの日までのことである。



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「私達は以前より慎重な振舞いに徹するように決め、噂をただの噂だと一蹴するような真似をすることはやめました」


長い話を終え、ナナの話は現在まで戻ってきた。


「そうして、この男が現実に、非人道的なサンプル花子活用計画を進めていることが明らかになったのです。

この計画で犠牲になるサンプル花子は、在野の野良花子や寡婦花子から選抜され、有無を言わせない捕縛と人格破壊を行った上で行われるそうです。

計画が軌道に乗れば、以降は生まれてすぐに人格を破壊される花子が続出するでしょう」


ナナの手にはいかにも悪者然とした男の顔写真が握られている。


「奴は狡猾な男です。法も人々の道徳も、私達を守ってはくれないでしょう。

彼は我々の訴えを聞き届けるような人物でもありません。説得は無意味、どころか計画に反対する我々を消しに来ることすら考えられます」


その手が強張る。


「お願いです、どうかこの計画を阻止するため、私達を助けるため、どうか依頼を!! 報酬はいくらでも払います。

これからの生活に必要であれば、様々な情報を提供します。幸いにも私達の中に、情報収集に秀でた花子がいるのです。

貴女の奇病を治す方法も、見つけ出すまで探し出しましょう。

貴女の望むものを何でも、私達は差し上げます、是非! お願いします!!」


ナナの声には悲痛と言う以外に表現できない響きが含まれていた。

現在この部屋に彼女以外の花子はいないが、少女のその意志は何人もの花子の切実さを代表したものだということに違いはなく、一言一言に重みがある。

依頼を受けるにしてもしないにしても、適当な返事はできない。ジェネリックDのふらつく頭はそのように判断した。

そうして賞金稼ぎは回答を一旦保留する旨を伝え、休養を取らなくては動くこともままならないと少女に教えた。

ここでナナは、ジェネリックDがまだ疲労の中にいることを思い出して返事の機会を一週間後まで延ばすことを決めたのだった。


回答を保留している間にも、サンプル花子達は面倒な顔一つせず、甲斐甲斐しく賞金稼ぎの看護を続けていた。

それは人に尽くすべし、という彼女達の定められたドグマによるものか、良くできた人格者が揃っているのか。

後者なのだと、ジェネリックDは信じたかった。あの一度死ぬ寸前の光景、看病を受けていた日々が視界に薄く重なる。

死を一度体験した後、自身があの場から離れたことが本当に正しかったのかどうか悩む日がこれまでに何度もあった。

しかし、視界に染み込んでいたあの周囲の人々の、看病に倦み疲れ、時に憎しみすらも込めているようなあの目が思い出される度、今を生きる以外の選択肢は失われるのだった。

蘇ろうと蘇るまいと、自分は存在するべきではない。ジェネリックDとなって以来、彼女は時に疎外感に襲われ、薬物を利用してでもそれを忘れた。

サンプル花子達に面倒を見てもらっている間、その辛い感覚が少しづつ溶かされていくように、彼女には感じられていた。

精神的な負担は普段よりずっと速く回復していた。それも恐らくはサンプル花子達のおかげである。

ベッドから起き上がれるようになったジェネリックDは住処と花子の家を行き来し、彼女達の話が確かであるということを確認、依頼を受けるべきかどうか、頭を抱えていたのだった。



こうして、このプロローグ冒頭にまで時間は戻る。

この数日間だけでも、ジェネリックDにとって目前の花子達は大切な存在となっている。

彼女自身が手を汚すかどうか以前の話、何か行動を取らなくてはいずれ花子達は危機に陥る。

それが厳然とした事実であるとするならば、その危機を跳ねのけられる方法を何か、陰謀の中枢を潰すの以外にも見つけ出すべきである。

依頼の遂行は大変にハイリスク。調べたところでは標的には厳重な警護が付いており、殺害が成功するかどうかの確証も無いようだ。

殺害は最後の手段。それ以外に何か、何か一つでもチャンスがあるならば、それを最大限に利用したい。

精神の疲弊で朦朧としていた期間の記憶を探り出し、ジェネリックDは遂に、解決の糸口となりそうなものを思い出した。

長かった沈黙が破られる。


「今思い出したよ。手掛かりになりそうな情報があった。君はエプシロン王国って知ってるか?」

「え? 聞いたことはありますがそれが何か」

「今そこの姫様が武闘大会を開いてる。そんで優勝者は好きな願いを聞き届けて叶えてもらえる」

「存じております。しかし私達サンプル花子は試合外でも攻撃の対象に取ることができる、というルールゆえ、選択肢にはありませんでした。エントリー期間も終了し、今現在は戦闘も始まっているはずです」

「乱入だ。参加するはずだった選手の一人が直前で怖気づいて逃げ出したっていう情報をケーサツのオッサンから立ち聞きした。

この情報を持っている奴は少ないらしい。急いで代理を申し込めばあるいは滑り込めるかもしれない。

分かった、腹はくくるよ。優勝に懸ける願いはもちろんお嬢ちゃん、君達を助けることだ。

もういい、負けたらそのクソ野郎と刺し違えるぐらいの気持ちでやってやるよ」

「急にどうしたのですか…… そのような重大な決断を軽率に」

「思ったのさ、こんな良い子達がよく生きようとしてるんだ。これを不意にしようとする野郎の仲間になっちゃ、善い生き方をしているとは言えないだろ?」


ジェネリックDは言い切ると今度こそ部屋を出る準備をした。


「待ってろ、大会の代理参加を申し込んで来る。次はみんなで集まって作戦会議でもしようじゃないか。」


賞金稼ぎのドアを開ける手つきには迷いが無く、部屋から踏み出す一歩には決意が漲っている。

閉まっていくドアの向こう側、小さくなっていく賞金稼ぎの後ろ姿に、ナナはお辞儀をしていた。

しばらくして部屋の外にたくさんの小さな足音が集まるのが聞こえた。

それに気づいて、やっとナナはお辞儀を止めたのだ。

外の足音は恐らく、サンプル花子達が賞金稼ぎとの対談が上手くいったかどうかを聞きに来たのだろう。

部屋に入る許可を出すと、埃のない絨毯の上に小さな少女達の可愛らしい足が次々と並んでいく。

次にあのドアが開く時を心待ちにしている自分がいることにナナは気が付いた。

その感情を少しでもみんなに伝えたくて、ナナは口を開いた。話を聞いている中でも、少女たちは興奮に頬を紅く染めていく。


希望の光も空の星も、俗世の絢爛に掻き消されていた、とある都会の一室の出来事である。
最終更新:2018年03月06日 22:21