プロローグSS『愛の証明』


「アサミの姉御が……兼業主婦に堕ちました…!」



井戸端会議の最中、若いママ友の報告によって路地裏は怒声や動揺で包まれた。



「アァン!?どういうことか説明しやがれ!」

「テメェ裏は取れてんだろうなァ!」

「ガセだったら追放じゃあ済まさねぇぞ!?」



エプロンや野球のジャージに身を包んだ、30人ほどの主婦たち。それが皆、まだ若いママ友を囲むように立ち、退路を塞いで詰問する。ともすれば《ママ友内のイジメを禁ず》の掟に反しかねない光景である。

「…黙れ」

路地裏の最奥、綺麗に磨かれたビール瓶の空ケースに腰を下ろしていたリーダー格の女が、静かに、だが確かに響く声で皆を制す。

すると周りの主婦は全員、水を打ったかのように黙りこんだ。



同業者(主婦)を相手にしか商売をしない専業主婦にとって、堅気に武器や悪質なドラッグを売りつける兼業主婦は、天敵―――いや、宿敵と呼ぶべき存在である。

アサミは中堅とは呼べないまでも、新参者からコツコツと自分の力でのし上がり、ゴミ出し当番にまでたどり着いた実力者。だが、近頃は集会に顔を見せておらず、連絡もつかなくなっていた。誰もがうっすらと彼女の謀反に気付いていたからこその、先ほどの反発であったのだ。



「詳しく言ってみろ」

「さ、最近様子がおかしいと思って、アサミの姉御を尾けてみたんです。そしたら、三丁目の廃工場で姉御が…ひ、昼ドラを取引したんです!!」

「アサミが、昼ドラを…!」



それを聞いた組員たちに、どこか諦めたような雰囲気が流れ始める。昼ドラは、若者が裏で取引するような朝ドラや月9とは濃度が違う。

もし本当であれば、明らかにアサミはレッドラインを越えており、確認と同時に粛清を待つばかりとなる…。



「……トキヨ、くわ子、マリ…。真偽の確認を。その他の奴も、できるだけ情報を集めろ」



落ち着いた様子のリーダーから、しかし並々ならぬ殺気を感じ取り、それぞれの主婦が素早く行動する。数人はリーダーを気遣ってか残る素振りを見せていたが、リーダーから出る雰囲気に気圧されるように出て行き、五分後にはリーダーを残すだけとなった。



リーダーの女…増田カヨは、一人呟く。



「なんでだよ…アサミ…」



ぽたりと、カヨの足に水滴が落ちた。

カヨは声を殺しながら、大粒の涙を零していた。部下の前では抑えていた分、その奔流は止まらず、足元へ水溜りを作る。



「なんで一言、相談してくれなかった…」



丑ノ刻アサミは、増田カヨの実娘であった。カヨの胸には後悔と自責の念が渦を巻く。なぜこのママ友(コミュニティ)へ誘った。なぜもっと気を配ってやらなかった。なぜもっと―――。



「アサミ……!」



その時。



「呼んだ?」



突然、カヨの視界が暗く閉ざされる。一瞬体が強ばり、反射的に右肘を後ろへ突こうとして―――止まる。

「………よく来たなぁ、ドラ娘…」

娘の声を聞き違えはしない。突如真後ろに出現したのも、アサミの魔人能力“だーれだっ”によるものである。彼女は、知り合いの真後ろに自由に移動することができる。中学生の時に魔人能力が発現してからは、送迎いらずで手のかからない子であった。

…今のアサミは兼業主婦なのだ。己に言い聞かせるように、カヨは気を引き締める。



「一つだけ聞かせてくれ…堅気に昼ドラ流してるっつう噂は本当なんか?」



「さぁね。そんなことより、ダイチは元気?」



カヨはその声を聞くと、一度止めた肘を大きく引き、今度は肺へと正確に叩き込む。そしてアサミの喉から空気が押し出された瞬間、目隠しされていた手を振りほどいて、アサミの正面に立つ。体勢を持ち直したアサミが放ったクイックルワイパー詰め替えを平手で叩き落し、素早くポケットから取り出した菜箸をアサミの膝下、急所に突く。まともに食らったアサミは蹲り、隙だらけになったところでカヨは突き動かされるようにトドメを刺そうと―――思いとどまった。



カヨは思ってしまったのだ。今ならまだ間に合う。ちゃんと謝って、きちんとみんなと話し合えば、ママ友(コミュニティ)に戻れるはず、と。



「……ねぇ、アサミ。」



…嘘だ。昼ドラの取引は厳罰。例えカヨが反対意見を封じ込めて放免にしても、結局のところ私刑は免れない。良くて惨殺、悪ければ失踪扱いになるだろう。

だからこそ、カヨは専業主婦としてではなく、母として。震える声で、娘に語りかける。



「今なら間に合うよ…。お父さんと、ダイチと…マサシさんも一緒に、このママ友(コミュニティ)から逃げて、どこか遠くで住もう?」



昼ドラの取引をした上でのうのうとママ友(コミュニティ)に残るというならともかく、引っ越しまでした者がわざわざ追っ手に追われるというのは考えにくい。何より、カヨは世界トップの実力を持つ主婦である。誰かが追ってきたとしても返り討ちに出来るという、確固たる自信があった。



「ね?昼ドラなんかから足洗ってさ。まだなんとでもなるでしょ…?」



それを聞いたアサミは表情を強張らせ…そして、全てを諦めた笑顔で、カヨに腕を見せた。



「ゴメンね…お母さん…」



アサミの腕には、夥しいほどの注射跡。

痛々しい罪の跡。

まるで昼ドラという怪物の噛み跡のようだ。とカヨは思った。



「ゴメンね…ゴメンね…お母さん…。お母さんを殺さないと、もう新しい昼ドラが貰えないんだって。ゴメンね。ゴメンね」



カヨが無意識に除外していた、最悪の可能性。おそらく、あり得ないと思っていたからではなく、あり得てほしくないという思いが、その可能性から目を背けていたのだろう。



兼業主婦は、取引人さえも昼ドラで染める。

そういう奴らなのだ。



アサミは緩慢な動きで――時折、禁断症状からかまぶたを痙攣させながら――フライパンとおたまを取り出し、構える。



カヨはショックに頭をふらつかせ、それでもなお、しゃもじと炊飯器を出して構えた。





主婦特有の技能、“お料理”は料理技術の高さ、練度によってパワーやスピードが変わる。

カヨはアサミがまだ幼い頃、お料理を教えた時のことを思い出した。



「お料理はね、愛情がこもっていればこもっているだけ、美味しくなるのよ」



「私、おかーさんだいすき!じゃあ、おいしいおりょうりつくれるかな?」



「ええ、必ず美味しくなるわ。私の大好きな――」













「大好きな、娘の料理なんだもの」













世界レベルでの実力を誇るカヨと、昼ドラ漬けで足元すらおぼつかないアサミ。

そこからは、一方的な戦いだった。



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「……迷惑かけて、ゴメンね…ゴメンね…」

カヨはアサミに馬乗りになり、炊飯器を被せていた。あとは、スイッチさえ押してしまえば終わりである。

26年間育ててきた娘は、5分とかからずにベーコンの炊き込みご飯へと変質する。

しかも早炊きなら3分かからない。



「アサミ…最後に聞かせて…」

「…。『孫はいつ生まれるの』以外だったら、なんでも…」

「ふふふ…それも聞きたいけど…」



カヨはアサミの目をしっかりと見て、言った。



「私のことを、愛してる?」



これは彼女にとっての儀式であることをアサミは知っていた。人生の岐路で、幾度となく繰り返されたその問い。ここで「愛している」と答えれば、カヨはあらゆる手を使ってアサミを助けるのだろう。



「…お母さん、私はもう…」



アサミがここにきた目的は、母に引導を渡してもらう為だった。昼ドラの売人に「増田カヨを殺せ」と言われた時、アサミはやっと終わりにできる、と思ったのだ。

アサミが「もうお母さんなんて嫌いだ」と言ってしまえば、カヨはその意図を汲んでアサミを殺すだろう。カヨは悲しむだろうが、息子のダイチがいる限り、ダイチのために専業主婦としてごく普通に生きていくのだろう。

『辛くない』

『昼ドラ中毒で死ぬくらいなら、殺してあげて正解だ』

『あの子がそれを望んだんだ』

そう、自分を騙して。



「嫌だよ…!」



アサミは昼ドラの禁断症状と戦いながら、声を絞り出す。



「お母さんのこと、大好きだよ…お願い、お母さんと一緒に生きたい…!まだ私、死にたくない…!!」



子供のように泣きじゃくるアサミ。カヨはにっこり笑うと炊飯器をアサミの頭から外し、地面へそっと置いた。



「私も愛してるよ、アサミ。じゃあどうすればいいか、一緒に考えよっか」





カヨはおもむろに旧式の携帯電話を取り出す。

今までも家族が困った時は、家族が一丸となってくぐり抜けてきた。



「もしもし?あのねぇ、『知り合いのママ友』のことで話しがあって。…えぇ、家族会議を招集するわ」







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「グロリアス・オリュンピア二回戦の観戦席入場受付はこちらでーす!!!」



大勢の人がごった返す会場の中、一人の主婦がグロリアス・オリュンピアのスタッフに向かって話しかける。



「ごめんなさい、遅れちゃったのだけど、どこから入ればいいのかしら?」

「観戦はこちら…あっ、遅延証明?え、参加者!?と、とりあえず案内するのでこちらに…」



スタッフは戸惑いながらもインカムで他のスタッフに声をかける。

「まだ参加者がいた。なんとか二回戦に組み込めない?……うん、うん…いや、分かってるんだけど電車が遅れちゃったみたいでさ…」



増田カヨの魔人能力、“家族の愛”は家族の能力をコピーする能力である。

そして、今しがた使用したのは娘婿、丑ノ刻マサシの能力、“正当証明書”。

あらゆる状況で自分の正当性を証明できる、小さな紙を発券する能力。



「待っててね、アサミ…」

カヨは深く、深呼吸をする。



そもそも出場資格がなければ遅刻もなにもない。しかし幸運なことに、増田家のゴミ箱から「グロリアス・オリュンピアに興味はありませんか?今なら無料で出場権を進呈!」といった内容のダイレクトメールが発見されたのだ。



カヨの夫、増田シゲルの、“捨てる神あれば拾う神あり(ウォンデッド)”は、自身の最も必要とするものを『廃棄された状態で』手に入れる能力。





「必ず、治してもらえるように王女に頼むから…」

カヨは自らの持つお玉とフライパンを握りしめる。





長男、増田ダイチの能力、“選ばれし者(ザ・ジーニアス)”によって、彼女が持つ全ての武器には万能属性、対死属性、破壊耐性などの『伝説補正』が付与されている。







そして、長女、増田アサミの“だーれだっ”もコピーした。愛情はお互い、ちっとも薄れてはいなかった。





家族の魔人能力()を全身に背負い、彼女は戦場の門戸を叩く。



“世界最強の主婦”の面目躍如だ。
最終更新:2018年03月06日 22:35