その瞳は、まるで純粋な少年の如く――青々と、燦々と、輝いていた。
〈一〉
グロリアス・オリュンピア。試合会場――天国フィールド。
そこに、二人の男がいる。
一方は、一国の首、則本英雄。
また一方は、一国の護衛者、澪木祭蔵。
「では、正々堂々、全力を尽くそう」
「えぇ。お手柔らかに頼むわ」
試合開始直後、周囲を見渡しお互いの姿を確認した二人は、互いに挨拶を交わす。
これも、天国という戦場ならではの現象だ。天国は基本フィールド構造が平地であり、また他の戦場と比べて大型遮蔽物が少ない。よって、試合開始と同時に相手を視界に入れることが可能となっているのである。
だが、澪木は心中穏やかではない。なにせ、『秘密裏に護衛する対象と闘わなければならない』という状況なのだ。
だが、逆に言えばこれは利点でもある。あくまで仕事は、要人を危険に晒さないようにすること。ここで脱落させてしまえば、他人に手が出せない場所――試合会場で危険にあう可能性はぐっと減る。つまり。
(さて……まずは攻略法を考えなきゃいけないわね)
相手の能力が硬化――防御型の能力であるというのは、相手が総理大臣ということもあり、周知の事実。この点において、知識量が相手より多い澪木は現在、有利な立ち位置にある。
だが、逆に言えばそれは、『能力を知って居ながら誰もこの人間の暗殺に成功しなかった』ということの証明に他ならない。スナイパーライフルの弾丸を容易くはじき返し、暴漢に襲われても無傷。その上、不意を突かれても大丈夫だということは、つまり能力が常在型――パッシブタイプであるということである。この場合澪木は、能力解除という方法を除けば、まずはこの硬い装甲を貫く所から始めなければならないのだ。
「……私の顔に何か付いているかね?」
澪木の鋭い視線に、則本が首を傾げる。
この男、気迫は異様な程にある。が、それ以上に、どこか楽しそうだ。まあ、総理大臣という職を離れ、一個人として戦えるとなれば、この雰囲気も納得できなくはないか。
「いいえ、何も。少し考え事があっただけよ」
「そう、か。では、始めるとしよう」
ぐっ、と則本が拳を握り込む。
空手家のような、しかし独自に編み出した構え。自らの肉体の特異性を理解し尽くした彼が、自衛のために作り出した防衛方法。――隆々としたその姿は、まるで金剛仁王が如く。
だが、それを見ようとも、澪木の表情は変わらない。軽く上気した頰を赤く染めながらも、その目はただただ己が前の敵を見据えている。
自らの使命を。目的を達する。それが、自分に出来ること。
「――行くぞッ!」
グン、と則本が地を蹴り、前方へと跳躍する。――則本の戦闘における本懐は、近接戦闘による格闘術。そのために、まずは距離を縮めようという定石だ。
そして、その勢いのままに。
「むぅんっ!」
拳が風を切り、澪木に向けて一直線に打ち出される。
だが、澪木にもこの程度は想定済み。むしろ、この距離で相手の行える攻撃行動は、現状の攻撃ただ一つである。それでもギリギリまで回避行動にすら移らないのは即ち――反撃のタイミングを見計らっているからに他ならない。
そして――それのタイミングが今だ。
「則本総理……自分の防御力を過信しすぎないことね」
「――ッ!?」
刹那、巨大な電撃音が響く。
放たれた則本の拳は上に大きく弾かれ、大きな隙を見せている。
――今だ。
澪木がすかさず追撃となる電撃を則本の腹部に叩き込みつつ、そのまま大きく距離を取る。
その手に握られているのは――対魔人用改造スタンガン。警視庁において、対魔人鎮圧に用いられるものだ。ただ、私的利用が許可されているわけはなく、これは澪木の傭兵時代の経験を生かした見様見真似による自作である。当然、より強力になるよう火力も改善済みだ。
「ぐぅ……っ!」
則本が腹部を抑えながら、ゆっくりと立ち上がる。その顔には、普段は浮かべない苦悶の表情が見られる。
硬化能力者には、電撃。相手の防御力に関わらず、一定の効果を与えられる――「物理攻撃の効かない敵には魔法・属性攻撃」のような、いわゆる定石。警視庁のマニュアルでも目にしたことがある。それほど、硬化能力というのはありきたりで対策もしやすいのだ。
それは当然、一国の主であっても例外ではないということである。
「立場上、実戦を積んでくる事のなかったアナタと、場所は様々だけれど戦場に身を置いていた私。経験の差って大きいのよ?」
「その、ようだ……なかなか久々に、いい一撃をもらった気がするよ」
額から汗をたらりと流しつつも、どこか楽しそうな笑みを崩さない則本。
――何が楽しいのだ。一方的に反撃を食らっておきながら、なぜそんなに笑える。
澪木には分からない。この男の考えることが、全く。
「……ねぇ、アナタ。何のためにこの戦いに?」
歯痒さに堪らず、澪木が問いを投げかける。
知りたい。この男の目的が。魂胆が。そして、既に一国のトップという地位を持つ人間が、それでなお、こんな欲望まみれの戦いに参加する理由が知りたい。
「何故、そんな質問を?」
「単なる興味よ。理由なんてないわ」
「ふむ、そうか。そうなると――困っている人を救いたい、というところか」
――それだけ?
口をついて出かけた言葉を、慌てて呑み込む。
「……困っている人、ね。それは具体的な一人なの?」
「いいや、違う。困っている人全て――もっと言えば、この国の民全てだとも」
「無茶言うわねぇ。そんなの、叶いっこない願いじゃない」
「さあ、どうかな。よく言うだろう? 未来は信じなければ変えられない、と」
誰の言葉だったかは忘れたがね、と恥ずかしそうに微笑む則本。
まるで少年のような、純粋な瞳。未来を信じて疑わない、清純な魂。
――これが、彼という存在なのだ。
「なら見せて頂戴……アナタの未来を信じる心をね」
「あぁ。言われずともそのつもりだ」
則本が再び拳を構え、空を駆ける。
だがこの戦い――明らかに、澪木の有利に動いていた。
〈二〉
則本が攻め、澪木がいなしながら反撃。そんなやり取りを、もう何度繰り返したろうか。
互いに、顔に疲れは見えない。実際、澪木の方は必要最低限の動きしかしておらず、則本もまた、日々の激務で培われた体力によって、まだまだ余裕はある。
即ち――試合は、完全に膠着状態となっていた。
「……まだ来るの? いい加減飽きたわよぉ」
「ふふ……諦めんさ。一度で成せぬなら、何度でもぶつかるのみだよ」
単調な作業でやる気が削がれかけた澪木と、まだまだハツラツとしている則本。
何の差かと言われれば、単に挑戦者と対応者の違いだけである。それだけでも、これだけの差が出るのだ。
雰囲気を見る限り、澪木は今のままでも有利な状態を維持しているように見える。だが、かといって今のままでは、決定的な一打が与えられない。『負けはしないが勝てない』という、面倒な状況になってしまっているのだ。
時間も押し迫っている。ここで――勝負に出るしかない。
(……能力を使うしかないみたいねぇ)
澪木の魔人能力。周囲の生物を異形に変える。人間体でない故に新たな弱点が生まれる可能性も高いが、逆に言えば、ヒトの姿では通用していた戦法が効かなくなる可能性もある。
つまりは、諸刃の剣だ。また再び持ち替えられる――解除が可能であるという点では、ある意味でそちらよりも有利かもしれないが。
「勝負……つけさせて貰うわよ」
澪木が、ボソリと呟く。と同時に、周囲の景色が変わり始める。
空に模造物のように舞っていた天使が、機械仕掛けの飛ぶ音響装置へと変わる。
それと同時に、目の前の人間――則本英雄の姿も変化していく。
鈍い銀色の金属光沢。着ていたスーツの黒色と相まって、不気味な雰囲気を醸し出す。
その姿はまるで、鋼鉄の彫像。ヒトの形をした金属塊だ。
想定通り――というか、あまりにも想定のまますぎて澪木自身が驚いているくらいだ。
「……やっぱり。アナタ、相当頑固なんじゃない?」
「ふむ、自覚はないが――確かに、よく言われるよ。一度言ったら聞かない、とね」
金属が喋る。気持ち悪い。
シルバー・サーファーみたいだと言えば、アメコミ好きには通じるだろうか。
「……あーあ。ダメね。男前な分、さっきの方がマシだわ」
澪木が能力を解除する。
――本当は、理由は他にある。金属並みの硬度を持つ人間が完全に金属になった場合、『電撃が通用しない』という利点が生まれてしまうのだ。本来なら、金属化能力持ちには酸が有効なのだが、澪木の能力の場合はどの金属になるかが絞りきれないため、有効な酸兵器を持ち込めなかったのである。
これなら、先ほどの搦め手を使った方がまだ楽なのだ。
「む? 良いのかね?」
「良いのよ、これで。勝つためにもね」
先程までの単調な作業に刺激が加わったことで少し和んだようで、澪木の頬が緩む。
「そうか――なら私も、少し調子を変えてみようか」
刹那――澪木の腹部に強烈な、貫かれたような痛みが走った。
「な――ッ!?」
気づけば、既に相手の――則本の拳は懐の中。思い切り振り抜かれた殴打が、澪木の身体を吹き飛ばす。
空中で半回転し、体勢を立て直しながら着地する澪木。明らかに、大きくダメージを負っている。
――攻撃動作どころか、予備動作さえ見えなかった。一体、何があったのだ。
「アナタ、何を――」
「簡単なことだ。『能力を解除した』だけだとも」
「っ!?」
驚愕の表情。――これは、澪木にとって想定外だったのだ。
硬化能力者は基本的に、二種類に分けられる。常時硬化型とスイッチ式硬化型である。
この場合、常時硬化型は身体そのものが硬く、それに対応する成長をしてきた結果、硬化した状態でも動けるようになる。それによって、ヒト並みの行動力と圧倒的な硬度を持つ。逆にスイッチ式硬化型の場合、普段は普通の人として過ごし、必要な時だけ硬化する。そうすると、硬化した身体での動きに筋力や身体強度が合わず、結果的には硬化状態では動きがままならないのである。
では、『スイッチ式硬化型が常時硬化型と同じ成長をしたらどうなるか』。今回の事例は、つまりそういうことなのである。
「アナタ――何がアナタをそこまで――」
「未来を変えるという覚悟。ただそれだけのことだ」
スイッチ式硬化型が常時硬化型と同じ成長をした場合――即ち能力を常にオンにして育った場合、その肉体強度は、通常の魔人を遥かに凌駕する。
常時硬化型の身体がその硬化した筋肉や骨を動かせるほどのパワーを持つのは既に、とある研究機関において証明されている。が、そのパワーを、硬化した肉体を動かす以外に向けることができるようになった場合――となると、理論上、『能力を使っていないにもかかわらず、身体強化系の魔人を超える筋力相当となる』と言われる。
そして、その理論の体現者が――目の前の男なのだ。
「……なるほどね、確かにアナタは頑固だわ」
「む……そうかな?」
「そうよ。私が言うんだもの、間違いないわ」
澪木が微笑む。
もはやその目に浮かぶのは、達観と感嘆の色だけだ。
「負けたわ、降参よ。このままやっても勝てないもの、アナタには」
「良いのか? 君にも願いが――」
「ないわ。これも仕事だもの。――アナタなら、多分勝っても大丈夫そうね」
頭にハテナマークを浮かべる則本を尻目に、澪木が笑う。
そして、試合終了を告げるブザーが、天使のラッパから鳴り響いた――
◇
〈グロリアス・オリュンピア〉
〈第一回戦〉
○ 則本英雄 - 澪木祭蔵 ×
◇
〈三〉
夜も深まった深夜。試合会場からの帰路。
薄くボンヤリと酔いの残った男――澪木が小さく呟く。
「……バレてるわよ、尾行。もうちょっと綺麗に出来ないの?」
羽織ったコートの内側に片手を差し込みながら、くるりと反転する澪木。その視線は、電柱に付いたライトの真上――どういう仕組みか、そこに立っている男に注がれている。
「おぉっと。気づいてたか。ンならもうちょい早くに話しかけてくれりゃ良かったんだが」
「何か仕掛けるのかと思って待ってたのよ。まさか追ってくるだけとは思わないもの」
「あぁ、なーるほどねぇ。そりゃ申し訳ねえな」
ヘラヘラと笑みを浮かべながら、男がライトの上に腰を下ろす。
だが当然、何も考えていないワケではない。その薄く笑ったような眼光には、明らかな警戒の色が垣間見えるようだ。
「――澪木祭蔵。警視庁の地域密着特別魔人安全官。随分と大層な肩書きなことで」
「ご丁寧にどうも。覚えるの大変じゃなかったかしら」
「いやァ、全然だ。あいにく、記憶力だけは良い方なんでねぇ」
ただ、地域密着ってのはちとダサくねえか――と、男が笑う。
「そう。それで? アナタの名前は?」
「必要か?」
「ええ、勿論。というか名前を一方的に知られてるの、ちょっと癪なのよねぇ」
「そうかねェ――ま、いいか。坂城零だ」
そう言うと、坂城が電灯から飛び降りる。まるで軽業師のようだ。
――あるいは、何かタネでもあるのだろうか。
「坂城――知らない名前ね」
「あぁ、そりゃそうだろうなァ。そうなると、アンタにゃ『不死皇帝』っつったほうが良いのか?」
「――っ。なるほどね、アナタが……」
澪木は驚きつつも、冷静さは崩さない。
――不死皇帝。あの国家要人暗殺組織である中東の過激派武装組織、アル・ニスルを日本に招いた男。アル・ニスルへの対処は既にほぼ完遂されているが、その関係者の中でも唯一、足取りの掴めなかった男。
そんな男が、目の前に居る。
「それで? 本題は何?」
「おぉっと、こりゃ失敬――んじゃ、単刀直入に本題だ」
坂城が、澪木に向かって指を差す。
「お前、こっち側に来い」
ニヤァ、と不敵な笑みを浮かべる坂城。
「殺したんだろ、烏丸を」
「――どこから、その情報を?」
「ハハッ、俺も俗に言う『悪人』ってヤツでねぇ。少し調べるだけで、その類いの情報にゃ事書かねえのさ」
まァ、今回は無理にでも耳に入っちまったって感じだがな――と、坂城は頭を掻く。
「お前は本来、こっち側に居るべき人間だ。かつて、個性を理由に他人から隔絶された――例えば、俺のようになァ」
「個性?」
「お前の目。脳の感覚野。この世界がカートゥーンに――普通とは違って見えるんだってな?」
「……!」
澪木の目が少し見開かれる。
――どうして、そんなことまで。どう言う情報網から得たのだろうか。
「お前にゃオレがどう見えるんだろうなァ。鉤爪男か。不死野郎か――はたまた黒い共生体かね?」
「残念、そんなに大層なヴィランには見えないわ。……Goop、って所かしら」
「……何だ、そりゃ」
「緑色の準液体生命体。……アメコミに知識が偏ってるアナタには馴染みはないのかしらね? 詳しく知りたかったら、自分で調べなさいな」
「あぁ、そう。まあ関係ねえな」
あくまで本題は勧誘だ、と言わんばかりの興味のなさが顔に出ている。
だが、そんな無愛想な顔を見て、クスリと澪木が笑う。
「……アナタ、面白い人ねぇ」
「何の話だ、オカマ野郎」
「面白い」の一言に少しイラッとしたようで、坂城が軽く眉を寄せる。
「そのままの意味よ。もうそろそろ時間ね……それじゃあね、不死皇帝さん?」
「おい、オレを逃しちまって良いのか?」
「良いのよ。どうせ捕まえるもの。それに――今日は、あの子に会う約束があるから」
コートに忍ばせていた片手を、坂城に向けて突き出す。
その手には、小さな花束が握られていた。
――過去を振り返っている暇があるなら、未来を見る。則本の生き様から学んだのだ。
「……何だよ、そりゃ」
「烏丸クンの弟さんへのお土産用。……私も、未来と向き合うべきだもの」
「あ、そう。んで、仲間には?」
「ならないわよ、勿論。アナタも過去に区切りをつけて、未来を見なさい?」
「……余計なお世話だっての、畜生」
蝙蝠が、羽ばたいていく。
澪木はそれを見届けると、踵を返し、烏丸の家――あの弟が待つ家に向かう足を早めたのだった。